2025.7.23 言葉が、刀になった⁈
電車の中で神戸学院大学のオープンキャンパス開催の天吊広告を一目見た際、エッ⁈と二度見してしまった。
大きな文字で「言葉が、刀になった」というフレーズが飛び込んできたからだ。
昨今、若い人 (?)の間で「刀剣乱舞」に端を発する、日本刀が持てはやされているとは言え、なんと過激な表現をするのか…。
いやいやしかし、ようく考えたら武器たる刀では無く、シンボルとしての有り様ならこの表現はアリかもしれない。無知蒙昧な存在を、言葉で定義し、正しい在り方を示す。その際、不用なものや不適切なものは、ばっさりと削ぎ落とす。うん、アリだな。
ここまで思考してから、再度広告を見る。大胆なレタリングのせいで「刀」に見えたが、もしやして「力」かもしれない。もしかしなくても、「力」だろう。な〜んだ、「力」だったら納得のフレーズだ。
ただ「刀」と読んだ、自分の深層心理の有り様がちょっと恐ろしい。何故「刀」と読んでしまったのだろう。父親の介護で知らぬ間にストレスが溜まっているのであろうか…?気を付けておこう…。
「力」と「刀」か。今まで考えたこと無かったけれど、漢字表記だと似てるな。頭一つ抜けるか否かだ。頭一つ (人としての意思?)で、荒ぶる存在を制す。道具たる刀は、人の意思にてその存在を生かされる。なんだかアリそうな表現だ。この暑い中、図書館に行って調べてみるのは厳しいが、来週あたり根性入れて行ってくるかな。
後日、図書館にてかの漢字大博士 白川静先生監修の「字通」を借りて調べてみた。残念ながら、推測したような内容の記述は無かった。木が寄り集まって林となり、林が寄り集まって森と化す…というような漢字の成り立ち的説明があるかと思ったのだけれどなぁ…。
大学の図書館ならもうちょっと毛色の違う事典?のようなものがあるんだろうか。行って調べてみたいが、時間がなあ…。
「刀剣乱舞」って、ゲームが始まってからもう十年経つのに気が付いた。ビジュアルはとても美々しいけれど、実際にこんなんあったら阿鼻叫喚になると思ってしまうのは、不粋?