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ゲブラさんの価値観シリーズ

結局のところ、何を言っているのかではなく、誰が言っているのか、が大事なのである。

作者: エンゲブラ

何かを投稿する者は、必ずと言っていいほど、自分自身を過大評価している。


ネットでよく見かける著名人などへの誹謗中傷。「どんな顔をしながらそんな投稿をしてるんだい?」と問いかけたくなる内容のものばかり。


ただ言われている著名人側も、批判と中傷との区別をつけず、全部アンチ扱いするバカが異常に増えてきている。


良薬口に苦し。たとえそれが良薬であったとしても、毒物でしかない中傷との区別も付けず、全部排除するという姿勢は、シンプルに頭が悪いとしか言えない。


―― たとえば2名から、まったく同じ言葉を言われたとする。

ひとつは自分の尊敬する人間から、もうひとつは何の面識もない者から。

たとえ同じ内容であったとしても、その言葉が持つ意味は、受け手にとって最大で180度から変わってくる。


名言集などを読んでいて、その名言を残した人物が偉人ではなく「20代・無職」と記されていた場合、どれほど示唆に富んだ素晴らしい言葉であったとしても、受け取り手の捉え方には大きな誤差が生じる。


―― 逆にいえば、どれほど大したことのない言葉でも、発言者がアインシュタインとかの場合、読み手は勝手に深読みし、素晴らしい言葉に違いないと思い込むこと請け合いか。


結局のところ、大半の人間は発言者の言葉そのものより、誰が言っているのかに酔っているに過ぎない。


―― 自分から、どの範囲までの言葉なら真面目に受け取れることが出来るのか?


それこそが、その人間が「人間として持つキャパシティ」なわけだが、小さな小さな人間が非常に目立つ時代になったように感じられて仕方がない。もちろん、メディアがわざわざ小さな人間をピックアップし、さらし者にしているという点も大きいわけだが。

批判と誹謗中傷の区別を付けないタコが、政治家などの公人の中にも異常に増えた。こういったことを名指しで私が言うと、相手は必ず「誹謗中傷」と捉えるだろう。なんせ私は彼らにとって「キャパシティの外」の住人扱いなのだろうから。


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