第44話 A級
2頭のオルキヌスウルフが絆を確かめるように顔を擦りつけ合う。ボクらの頭上で。
瀕死の重傷で動けないまま、それを否応なく見上げていた男の手が緩み、ボクを取り落とした。
こいつもとうとう執念が尽きたか。
ボクさえ持って逃げられればと思っていたんだろうけど、それが叶う未来はないだろう。
ボクは自然に落ちたかのように、ニアの元に転がった。
これで最期になるのなら、せめてニアと一緒に。
「んぁ……」
「んぇ…………」
声にならないながらもお互いを呼び合う。
少し、ほっとした。ニアと一緒なら……。
ふと2頭のオルキヌスウルフの視線が揃って森に向き、緩んでいた空気がピンと張る。
誰か来る。
その視線の先、あえて誇示するかのように気配を纏って現れたのは、一人の女性。
オルキヌスウルフが姿勢を低くして向き合う。
「……やっぱりツガイがいたのね。あら、お食事の邪魔しちゃった? 悪いけど、それは食べてもらっちゃ困るかな」
長剣を携え、軽装に見える防具に身を包む。その左腕と左足は毛皮に覆われてる。獣人の血が少し濃い猫族半獣人。白に近い明るいグレーの髪と毛皮に、耳と尻尾と手が黒いシャム柄。ストレートロングの髪にも黒のメッシュが入る。
――もしかして、この人がA級の冒険者さん?
「ウルルルル……」
後から現れた方のオルキヌスウルフが、ボクらを捕えたオルキヌスウルフを庇うように立ち、低く喉を鳴らしてA級さんを威嚇する。
「今すぐに立ち去って二度と街に近付かないなら、見逃してもいいよ?」
オルキヌスウルフの目がすっと細くなる。少し倒れていた耳がピンと前を向く。
「……やっぱりそうよねえ。賢くないからここにいるんだもの」
え、耳が倒れてたって……オルキヌスウルフはA級さんを格上だと思ってるのか。その上で、今、覚悟を決めたみたい。
「私としては不本意なのよ?」
A級さんの剣先がスッと動く。それに反応するように、オルキヌスウルフが一直線にA級さんに躍りかかった。
――えっ!? 飛び掛かったはずのオルキヌスウルフが残像のように残ってる。
一瞬遅れて、残像が飛び掛かる。幻術? どっちが本体? どっちも気配があるんだけど!?
ボクは気配を見てるから動きを捕えることが出来てるけど、これ、目で見てたら追える自信がないよ。
A級さんは反応しない。大きく開いたオルキヌスウルフの顎がA級さんを捕え――なかった。
実体のないオルキヌスウルフがA級さんをすり抜けて消え、その一瞬後に迫るオルキヌスウルフが前脚を薙ぐ。
A級さんは少し身体をずらした。流れるように剣先が奔る。
ザンッ
ド、トン――
A級さんの身体を引き裂こうとした巨大な爪が空を切る――いや、奔る剣先が代わりに爪を迎え撃った。
交錯したオルキヌスウルフは空中で身を捻り、相手に正対したまま立つ。でも、片側の前脚は地に付けずにぶら下げていた。
――たぱぱっ
数瞬の間を置き、その前脚から血が流れ落ちた。それを庇ってオルキヌスウルフが重心を入れ替える、ほんの一瞬。
今度はA級さんが奔った。追うように剣の切先が弧を描く。
オルキヌスウルフは虚空に描かれる曲線を紙一重で避けながら――いや、避けたはずだったのに。
ザシュッ
カウンターを狙ったオルキヌスウルフの顎が切り裂かれた。
今、剣の軌道が唐突にズレたよ!? 何をどうやったらそんな物理法則を無視した動きができるんだ。
――魔力の残滓。風魔法か!
歯を食いしばるオルキヌスウルフの口元からも血が滴る。怒りに燃えた瞳がA級さんを見据える。
「ガアアッ!」
オルキヌスウルフが大きく吠えながら突っ込む。それはがむしゃらのように見えた。
交錯するたび一方的に傷が増え、動きがだんだんと精彩を欠いていく。
ふと、僕たちの頭上のもう一頭がどうするのか気になって様子を伺う。彼女(?)は、ただじっと、闘う彼(?)を見つめていた。完全に劣勢なのに、手を出すつもりは全くなさそう。一対一の勝負にこだわる――習性?
「ふうっ――」
その時。A級さんの気配がふくれあがった。
慌てて闘いに意識を戻すと、A級さんが初めて剣を正眼に構えていた。魔力を練っている。オルキヌスウルフはもう立っているのがやっとのよう。
「はあっ!」
裂帛の気合いとともに、A級さんの姿が掻き消える。
「――」
一瞬の後、反対側で残心を取っていた。
ドサッ
――ズズゥン
オルキヌスウルフの首が地面に落ちる。
遅れて、身体が崩れ落ちた。
「――」
それを見届けて、A級さんがボクたちの方に向き直る。ボクたちを跨ぐように立つ、頭上のもう一頭のオルキヌスウルフの方に。
トン――
オルキヌスウルフは逃げるように森の中に消えた。
A級さんはそれを追わずに、ボクらに歩み寄る。
「死亡1、重態1。こんな時にこんなところで何してたの? 死にかけてないで答えて」
A級さんが男を見下ろして冷徹に話しかける。男はもちろん答えられる状態ではない。
「む――っ、ん――」
代わりに近くに転がった荷物の中のニアが呻く。A級さんはそれを取り上げると、縛り上げられたニアを取り出した。
「獣人ちゃんかあ、なるほどね。もう大丈夫よ」
ナイフで猿轡を切り、縄も切っていく。
「ほら……立てる? ああ、無理しないで」
降ろされたニアはふらつきながら1、2歩歩いてしゃがみ込んだ。そこにある包み――ボクを拾い上げ、縮こまるようにしてぎゅっと抱きしめる。きつく閉じた両目から涙が溢れる。
怖かったよね。不安だったよね。別れ別れになっちゃうかと思ったよね。――大丈夫、もう大丈夫。
「う……うぐ……うぅぅ……うええぇ……」
こらえきれなくなったニアが嗚咽する。A級さんが横にしゃがんでニアの背中をさすってくれる。
「怖かったよね。もう大丈夫よ」
ニアの頭を優しく抱いて慰める。いい人だな、よかった。
「すん……ずーっ」
ひとしきりの後、ニアはようやく落ち着いた。A級さんが掛けてくれた毛布を身体に巻いて立ち上がり、辺りを見回す。剥ぎ取られた装備や冒険者証はあるかな?
A級さんは男にポーションを飲ませた。朦朧と彷徨っていた意識が少しはっきりしたみたい。とりあえず命は取り留めたのか。深手に見える傷や、腕や足があらぬ方向を向いてるのまでは治る様子がないけど。
「この機に乗じて人身売買ってわけね。それで魔獣に出くわしたと?」
「……う……あぁ……ツイてねえ……くそ」
A級さんが男を尋問してる間に、ニアが大男の馬の方の荷物を探る。
「――あった」
装備も冒険者証も無事。よかったあ、全財産も入ってるもんね。
ニアがナイフを取り出し、A級さんに見えないようにしてボクの拘束を解いてくれる。ああー、やっと身体を動かせる。ニアが装備を着て、ボクは定位置に収まった。
「ありがとう。私はF級のニア」
毛布を返しながら、改めてお礼を言う。
「A級のクローネよ。ニアちゃんね、ネケケから少し聞いてるよ。こんなとこで会うとは思わなかったけど――あら、やっと追い付いてきたね」
振り返ってしばらく。
森から7、8人の男たちが現れた。
その全員が、纏う雰囲気が只者ではない。
これが上級冒険者か。
でも、A級さん、クローネの方はむしろ自然体に見える。
「――おお、やったか! よかった!」
斃れたオルキヌスウルフを見て声を上げたのは、支部長のダンデだ。
やっぱり現場派だったか、この人。
「ニア、なんでここに? ――そういう事か?」
瀕死の男とクローネを見比べて片眉を上げる。
「そのようね。魔獣ちゃんが退治してくれたけど」
クローネが肩を竦めた。
◇ ◇ ◇




