7話 神野傑咲です
コンコンッ
「入ってまーす」
コンコンッ
「入ってるゾー」
コンコンッ……
返事が返ってこない。ここだ!
俺は満面の笑みでドアを開ける。
そして俺は俺の目の前に映る光景に一瞬で絶望した。
「和式かよぉー! んもー!」
男子トイレの利用されていない空いていた箇所。そこには和式便器しかなかった。この学校のトイレは個室になっているものが3つ並んでいる場合がほとんどなのだが、そのうちの1つは絶対に和式なのだ。意味が分からない。
最近の世の中はグローバル化やらユニバーサル何とかやらを謳っているというのに、なぜこの世から和式が消滅しないのだろうか。俺は酷く憤慨する。
英語を教えてくださる前に、洋式トイレをもっと普及してください、お願いします。ほら、皆大好きグローバル化だぞ!
後ついでに言うと、古いからなのか知らないが、ドアを閉める鍵の部分の赤と青が中途半端になっている。これでは鍵がかかっているのがどうかすらも分かりづらい。いちいち誰かいるのか確認しないとならないからそれも直してくれ! 生徒会室前にあるお悩みボックス的なのに今すぐ投稿だ! やってしまおう! 俺の一票がこの高校の命運を変えるんだ!
とは言ってはいるものの、俺はトイレに服を着替えに来ただけなので、和式だろうが洋式だろうがそこまで関係は無いのだが。
しかし、和式だと脱いだ服が便器の水面に落ちる危険性があるな。やはり和式は滅するほかない。あとで生徒会室前に行こう。今すぐ行こう。
保健室で着替えてもよかったのだが、他人が来るかもしれないし、なにより保健の先生がいたのでここまで逃げてきた。ただ、和式君とご対面するくらいならカーテンでも閉めて保健室で着替えればよかったと、今更ながら後悔する。
「よし……行くかッ!」
気を取り直して、俺は決戦の地へと向かった。
「ここだな」
生徒会室前。俺は目安箱の正面で漢の仁王立ちを決める。もう紙には書いておいた。和式の殲滅と、ドアの修理だ。もう一度書いてある内容を再確認する。よし、大丈夫だ。ではいざ……!
「あれ? あんたは……」
いきなり隣から声がする。なんかどこかで聞いた声だな。
俺は声のする方を見る。
「駄咲……?」
「ファッ!?」
俺は思わず気持ちの悪い上ずった声を出してしまう。
だが俺がそんな声を出してしまうのも仕方ないのだ。なぜならそこにいるのは他でもない、あの時あの場にいたあの少女。
法竜院翔華だったのだ。
俺のバカ野郎! あの時既に彼女が同じ学校だと知っていたはずなのに、なぜ警戒していなかった! これはまずいぞ……。彼女は俺が学校に内緒にしているバイトを見た目撃者第一号だ。別にバイトが禁止というわけでもなかったが、あまり人に知られていいものというわけでも無い。なんとしてでもここは穏便にやり過ごさなければならない。
「駄咲だよね……? 絶対そうよね!?」
「いえいえ、人違いでしゅよ。僕は傑咲。神野傑咲と申しまふ」
「うわ、バカっぽい。絶対駄咲じゃん。自分の事を傑作とかいう人に頭いい人いるわけないしー」
……なぜバレている! 完全にやり過ごせると思ったのに!
何か手はないのか。何かほかにこの場を打開する策は……。
いや、まだ確証は得ていないはずだ、ここはゴリ押す!
「あぁ~駄咲ね。あれは僕の弟でね。顔が似ているからよく間違われるのサ。まったく、できの悪い弟がいて僕も手を焼いているよ」
「へぇー兄弟なんだ。君の体操服、1年生のだけどね」
しまった。この学校、学年で色が違うんだった。
俺の今着ている体操着はラインが赤い。
まさかの失態だ。
「ふ、ふふ……同い年なのサ。僕と駄咲はなにを隠そう双子だからね。同じ学年の服を着ているなんて当たり前だろう?」
よし。なんとか言い訳を思いついたぞ。先生に対して無理やり嘘をついてきたのがここにきて功を奏したようだ。
「へぇーそっかー。じゃあ悪いんだけど、あたしあなたの弟に用があるんだよね。昼休みに会えるよう彼に伝えといてくれない? 屋上で待ってるから」
「へ?」
「もうすぐ一限目始まるからあたしはこれで。じゃねー傑咲(笑)君」
ニタニタと勝ち誇ったような笑みを浮かべ、法竜院さんは廊下の角を曲がっていく。
「グギギギギ……」
おのれぇー! 何が傑咲だばかばかしい!
しかしどうする。このままでは本当にあの人とお昼に会わないといけないぞ。絶対以前のことを問いただしてくるに違いない。そうなったら俺は……
オーマイゴッド! マンマミーア!
俺がどうしたものかと慌てふためいていると、授業開始のチャイムが鳴り始めた。仕方なく俺は考えることを一度放棄し、教室へと向かう。とりあえず目安箱に用紙は提出した。唯一の救いはその用紙を匿名にしてあったことくらいか。あんまり意味なかったが。
こんにちは。神野天才です。
わたくし、昼休みになってとうとう気づいてしまいました。
そもそも屋上に"行かなければいい"ということに。
そうだよ。傑咲とかいうアホがこの俺にそもそも伝えてなかったということにすればいいんだよ。そして明日から俺はこの教室で地蔵のように頑なに動かずひっそりとしていればいい。それでいいんだ。時間が経てばあの人もあきらめてくれるだろう。めでたしめでたしだ。
万が一バレても、俺はその度に神野傑咲を演じればいい。
我ながら天才過ぎて、自分が怖い。
そして俺は机に突っ伏して、寝たふりをした。
「……来ないんですけど」
翔華は屋上にて駄咲がやってくるのを待っていた。
しかし、昼休憩になってから10分が経過しても彼がここへ来ることはなかった。
「まさか、来ないとは思わなかったな……」
翔華は彼にお礼が言いたかった。
あの日助けてくれたことのお礼を改めて彼に直接伝えたかった。あの時駄咲がいなければ、間違いなく自分は……それを考えると今でも恐怖で胸のあたりが少しだけ苦しくなる。
だが、だからと言って翔華は夢をあきらめきれるわけでは無かった。もっと強くなってまたリベンジすればいいだけのこと。あれはきっと神様が自分にくれたチャンスなのだと考えた。
そして翔華はお礼と共にもう一つ、彼に頼みたいことがあった。
現在探究者及たちはそれぞれが互いにチームを組み、複数人で行動する人達が大半である。単独で行動できる探究者も一定数はいる。ただそれはS級に当たる人々のような格上の存在か、あるいは下の階級でひっそりと小遣い稼ぎをするような探究者たちのどちらかしかない。だが単独行動には当然、危険が伴う。
つまるところ、チームを組んで行動している者が大多数なのだ。目標を達成するためには、必ずそのようなバディと呼べる存在が必要になる。あの日駄咲が見せた戦いは翔華にとって目を見張るものがあった。粗削りではあるが、基礎を押さえた正確な重心移動による拳突き、そして蹴り。一朝一夕で身に付くようなものではない。
彼もおそらく翔華と同じ、探究者を目指す同志。
翔華は彼の戦いの中で確信した。そして何よりも感心するべきは、支配者を相手に臆することのない精神力。彼はこれまで翔華が見てきた一般人の中でも何か特別輝くものがあった。
翔華は駄咲を探究者としてのチームとして引き入れたかった。
そのお願いもしようと考えていたのだが……。
「もしかして無視……? ありえないでしょ……」
あと少しだけなら待ってあげようと思い、追加で3分ほど待機するがそれでも屋上のドアが開く気配はない。駄咲は何を考えているのかよくわからない、つかみどころのない男だった。もしかすると約束を放棄する可能性も十分にあり得るかもしれない。
「なんか……イライラしてきた」
なぜ約束を放棄するのか。
翔華には理解しがたい。ちょっと屋上に顔を貸してくれればそれだけでよかったのに。そう考えると、駄咲に対してふつふつと怒りの感情がこみあげてくる。
「……こうなったら、あいつのいる教室まで直接行ってやるっての!」
このままこの話をなかったことには絶対にしたくない。
翔華は屋上のドアを力強く開けると、足を踏み鳴らしながら階段を降りていった。