プロローグ
日本、神京。
この国が世界に誇る大都市である。神京を中心に日本の経済は周り、活気であふれていた。そして今日も神京ではいつものように交差点を行き交う人々の姿が見られる。ただ、この日この都市はいつもより賑やかであった。
なぜなら今日はクリスマスイブだった。街にはベンチで互いに寄り添うカップルや、家族のためにケーキを買う人、客に対し笑顔を絶やさない店員、ケーキを作る職人、材料を届ける配達者、たくさんの人々が今日もそれぞれの思う人生を歩んでいる。
住宅街にある民家の一軒家、窓から二人ほどの小さな人影が見える。クリスマスを楽しみにしている子供の兄弟だ。靴下をベッドの横にぶら下げ、サンタさんが来ることを信じて疑わず、そわそわと明日を心待ちにしているのだ。
雪が降っている。
夜でも明るい神京に降り注ぐ、小さな祝福。白く柔らかい輝きが、都市を優しく包み込んだ。
きっと明日は、ホワイトクリスマスになる。楽しみは尽きない。そして迎える明日のクリスマスの日を誰もが楽しみにしていた。
――はずだった。
「緊急速報です! 神京にて巨大な黒い爆発が発生! ブラックホールのような見た目のソレは神京全域を大きな影で飲み込んでいます! 一刻も早く近隣の住民の方々は避難を開始してください。繰り返します! 神京にて巨大な……」
突如として、神京に現れた黒い何か。
ブラックホールのような見た目のソレは大都市を見る見るうちに飲み込んでいった。
あまりに静かで、音が無い。
それは本当に唐突な出来事だった。
人類には対処の仕様がなかった。建物も人々も次々と暗闇の中へ呑まれていく。だが幸いにもそれは一瞬の出来事であったため、人々は何が起きたのか知る由もなかった。理解を超えた先から、ソレは襲い掛かってきのだ。
黒いブラックホールのようなソレは、一夜にして日本の大都市神京を滅ぼしてしまった。
「何が、何が起きているんだ……?」
黒い大爆発を少し遠くから眺める男がいた。
名を神野徹、自衛隊幹部の一人である。
軍が極秘裏に進めているという計画の一旦に参加するため、西からはるばる新幹線で移動していた最中だった。当然、目の前の異常事態を前に新幹線は運行を急遽停止していた。ここでじっとしていても意味がないと考えた徹はいてもたってもいられず、外へと飛び出しその光景を目に焼き付ける。
まるでこの世の終わりを見ているかのような気分。いや、今まさにこの国はその局面に当たっているのかもしれない。そう思わせるほどの絶望、目の前に映るものは徹にとって底知れぬ闇そのものだった。
見た目はブラックホールのようだが、本当のブラックホールではないだろう。もしあれが本物であれば、被害は神京だけにはとどまらないはずだ。それは地球の終わりを意味するに等しい。
ただあれがブラックホールではないとして、では一体何だというのか。それがあまりにも不気味で、徹の心をざわつかせる。
徹は携帯を取り出し、上層部へ連絡を取ろうと試みる。
『現在、おかけになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため……』
着信ができないことを告げるアナウンスが耳元で流れる。
「くそ、やはりダメか……」
ネットワークがやられてしまっているのか、そもそも相手が無事なのかすら分からないが、通信は機能していないようだった。徹は通話をあきらめ、携帯をポケットへと仕舞う。
その時だった。
「何だ?」
黒く巨大な影が収縮し始めたのだ。
大都市すべてを飲み込むほどにまで巨大化していた影は、瞬く間に小さくなっていく。
徹は走りだした。
神京へと続く何もない線路、その横を進んでいく。
危険なことは承知の上である。だが、この目で真実を確認しなければならない、そう思った。
「はぁ……はぁ……一体どうなっている?」
現場へと到着する徹。
目の前には写真でしか見たことがないような、月面のクレーターに似た巨大な窪みしかなかった。日本の経済の中心、神京の姿はもうどこにもない。先ほどの黒く巨大な影が、神京を飲み込み、大地をも抉り取ってしまったのだ。
神京を埋め尽くすビル群も、神京を象徴するシンボルである天のタワーの姿さえも、もう無い。
あるのはどこまでも続く殺風景な大穴だけ。
徹はクレーターの斜面を滑り、底へと降りる。
底では突風により猛吹雪となり、積もった雪の表面からも吹き荒れていた。おそらく例年でも過去類を見ないほどの大雪だったかもしれない。
雪舞う中を、徹は前へ前へと進んでいく。
「誰か……誰かいないのか!」
一人でもいい。誰か生き残りはいないのか。
徹はクレーター奥底で、生存者を探す。
こういった災害時、瓦礫に人が埋もれて助けを求める声が聞こえたりするものなのだが、そもそも瓦礫などの障害物は一切このクレーター内で見当たらなかった。山や海が見えなくなるほどにまで聳え立つビル群が並んでいたはずである。だというのにあれほどの膨大な質量が一体どこへ消えてしまったというのか。先ほどの現象も含め、すべてが謎だらけである。
徹は広がり続ける雪の上を歩き続ける。
ただひたすらに歩き続けた。
「あれは……!」
歩き続けた先にて、誰かが立ち尽くしている。
暗く視界の悪い吹雪だったが、徹はそこに確かに人がいるのを見た。
身長は小さい。110センチほどだろうか。
どうやら幼い子供らしい。一体どうしてこんなところに子供がいるのか不思議だったが、徹は急ぎその子のもとへと駆けよっていく。
「おい! そこの君! 大丈夫か!」
徹はその子の両肩に手を乗せ、軽く揺さぶる。
少年だった。
少年は揺さぶられ、呼びかけにも反応を示さない。
呆然と、ただ立ち尽くしていた。
「少年! 答えてくれ! 一体何があった! 君はその目で一体何を見たんだ!」
徹は諦めずに少年に言葉を投げかける。
だが、それでも少年から反応は返ってこない。
少年の目は死人のようだった。
目の前の事実を受け入れられず、絶望している目。徹にとってそれはまるで少し前の自分を見ているかのようだった。
幼い子供にする対応ではなかったかもしれない。徹は一度心を落ち着かせ、ゆっくりと腰を下ろす。少年の目の高さになるよう視線合わせて、今度は優しく声をかけた。
「少年……そうだ、名前。名前は何ていうんだ?」
徹が名前を問いかけた時だった。 徹が握っている少年の手がピクリと動く。名前という言葉に反応を示したのだ。
徹はもう一度、呼びかける。
「少年、君の名前を教えてくれ」
「……ださく」
「ん?」
言葉が返ってきた。
徹の言葉に少年が力なく小さな声で答えたのだ。
だがあまりにも弱々しく、風の音も大きいため、上手く聞き取れない。
「駄作?」
「ださく……僕の……名前………」
駄作、少年はそう答えた。