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007:鍋・はちみつ・ゆず

「……こんなもんかな」

 鍋の蓋を取ると、ふわりとキムチの香りとともに湯気が鼻腔をくすぐる。たくさんの白菜と、その間に挟まったキノコや豚肉が美しい層を形成している。キムチのミルフィーユ鍋だ。隠し味にはちみつでコクを出しつつ、ゆずの皮を削り入れてさっぱりとさせている。鍋では肉よりも野菜派のため、豚肉は少なめ。肉派の面々の不平不満が出ることも考慮し、第二陣用の豚肉と副菜に唐揚げも用意してある。

「なんだか懐かしい」

 再び蓋を閉じ、コンロの火を止める。あとはメンツが揃ったら卓上コンロで温めなおすだけだ。

 リビングに戻り、テーブル周りを確認する。昨日のうちに掃除は済ませて来客対応用のレイアウトに整えたが、もう一度軽く掃除機でもかけておこうか。


 ピンポーン


「来たわね」

 掃除機の電源を切り、充電器に戻す。そしてパタパタとスリッパの小走りで玄関へ移動し、扉を開けて来客を出迎えた。

「おいっす」

「おひさー! アハハハ!」

「はは、たまたまそこで三人揃いましてね」

 きつめの金髪に脱色し、耳をピアスだらけにしたちゃらちゃらした雰囲気のたれ目の青年――神ン野悪十郎。

 白く濁った瞳孔の、小柄な黒髪の少女――ドビー。

 髪と瞳がお揃いの紫色の、なぜかスーツ姿の壮年の男――ジーノ・カッチア。

 そして彼らを出迎えた、燃えるように紅い髪のとがった耳を持つエルフ――ライナ・フォレストルージュ。

 縁あって月波市に住んでいた顔ぶれが、数年ぶりに一堂に会したのだった。



          * * *



「うめえ! やっぱ冬はキムチ鍋だな! ビールが進むぜ!」

「肉! 肉! 肉!」

「こら二人とも、肉ばっか食べない。ジーノが野菜しか食べれてないわよ」

「ははは、大丈夫ですよライナ。最近は肉よりも野菜やキノコが美味くてなあ」

 言いながらジーノは取り皿に盛られた白菜を器用に箸でつまんで口に運ぶ。そして「うまいなあ」と満足げに頷きながら微笑んだ。

「ほふっ、ほふっ……アハハ! 発言がオッサンじゃん! チョーウケる!」

「これでもう40過ぎたしなあ。もうドビーや悪十郎みたいには食えませんよ」

「かなしーこと言うなよなー。おらっ、酒はまだイケんだろ?」

「こっちは相変わらず大好きさ」

 悪十郎が大量に持ち込んだ缶ビールを追加で開け、ジーノへ差し出す。それをジーノはコップに残っていた分を一気に飲み干し、悪十郎からの杯を受けて立った。

「――っぷはあ、やっぱり日本のビールは美味いなあ。大陸とはキレが違う」

「水みてえだもんな、そっちのビールって。あれはあれでごくごく何杯も飲めて俺ぁ好きだけどよ」

「ウチも好きだぜ! 水みたいな酒!」

「あなたは水みたいな色してる強いだけのアルコールが好きなだけでしょ」

「定期的に内臓をアルコール消毒しねえと腐っちまうからな! アハハハ、ウケるんですけど!」

 ドビー定番のアンデッドジョークに悪十郎とジーノも声をあげて笑う。悪十郎は鬼だしジーノもアルコールには強い体質だが、久しぶりのメンツで酒を飲むという空気に酔っているのか笑いのツボが浅くなっている。ライナもまた、自分で用意した微アルコール飲料をちびりと飲みながら口元が緩んでいた。

「ていうかマジで久々だなー、この顔で集まるのって」

 と、悪十郎が副菜の唐揚げを頬張りながら呟く。

「そうですねぇ。僕と妹が月波市を離れてからだから……もう7か8年以上か」

「時間の流れってあっという間ね」

「エルフが言うと説得力はんぱねーな、ウケる☆」

「腐ってもドラゴン族には言われたくないわ」

 実際このドラゴンゾンビが一体いつから存在しているのか、ライナにすら到底読めない。

「そういや今日はレイナちゃんは?」

「今夜はあの子夜勤なのよ」

「ああ、病院勤めでしたっけ」

「人外専門だけどね」

 そんな職がまかり通っているのもこの街ならではか。元々ライナと違って攻撃よりもサポート系の魔術を好んでいたレイナにはピッタリの道だっただろう。仕事内容を聞く限り、戦場魔術師よりもハードな状況のようだが。

「それ言ったらクローザエモンどうしたんだよー」

 と、思い出したようにドビーが悪十郎に話をふる。すると悪十郎は何の悪びれもせずグラスに新たな酒を注ぐ。

「地獄の二大獄卒の頭がどっちも不在じゃ困るだろ?」

「つまり仕事押し付けてきたんですか……」

「アハハハハ! かわいそーちょーウケる☆」

 ジーノが苦笑いを浮かべ、ドビーが腹を抱えて笑う。かつて毎月のように集まっていたこのメンツの中で、一番の酒好きの顔を思い浮かべて心の中で合掌する。相変わらず手玉に取られているようだ。

 そして皆の視線が自然とジーノへと集まる。

「ああ、ティナはちょっと別件を調査中ですよ」

「へえ。いっつもお兄ちゃんにべったりだったティナちゃんがなあ」

「いつの話をしてるんですか……さすがにもう普通に単独依頼こなせますよ」

 とは言え、妹が完全に独り立ちするまで、ジーノは相当な苦労をしてきた。彼自身が各方面の事情に巻き込まれ続けたというのもあるが、その片手間で妹の面倒までみた結果、かつてこの街に来た当初は紺色に近かった紫色の髪が今や薄いラベンダー色にまで色が落ちていた。魔術師にとって魔力媒体となる頭髪の手入れは必要不可欠なのだが、そこまで手が回らなかったのだ。

「まあ別件と言っても、僕がこの街に戻ってきたのと関係があるんですがね」

 と。

 ジーノが鍋の取り皿と箸をテーブルに置いた。

 ぱちん、と空気が変わる。

 この顔ぶれが集まったにもかかわらず、あえて触れず、口にしてこなかった話題。

 誰も彼もが忌み言葉のように、口にしない、できなかったこと。


「瀧宮羽黒が討たれたというのは、本当ですか?」



          * * *



「……アレを討たれたっていうのかは、知らねえけどよ」

 長い沈黙を挟み、悪十郎がグラスをテーブルに置く。

「死んだのは、まあ、そうだよ」

「そんな……」

 信じられない。

 そう口の奥で噛み潰しながら、ジーノが拳を握る。

「何が、あったんですか」

「ウチも知りたい」

 と、いつも底抜けの阿呆丸出しな笑みを浮かべているドビーが、口を一文字に引き締めて言葉を挟む。

「……そうね。この中で実際に現場にいたのは、悪十郎だけだったわね。私も伝え聞いたことしか知らないし」

「はあ……」

 ライナにまで促され、悪十郎は顔を伏せる。

 気が進まない。

 そう言いたげな悪十郎はガシガシと髪を掻きむしる。

 少しの沈黙を挟み、意を決したように口を開く。

「俺も、いきさつについては瀧宮家当主の嬢ちゃんから聞いただけなんだけどよ」

 そもそもの発端は秋頃だっただろうか。

 瀧宮羽黒が、任務中に()()したのがきっかけらしい。

「暴走?」

「彼が暴れ回っているのはいつものことでは?」

「そういう意味じゃねーよ、茶々入れんな」

「……すみません、正気で聞いていられる自信がなくて。続けてください」

「はあ。まあつまり暴走したんだよ――奴本人っつーより、()が」

 瀧宮羽黒の龍鱗。

 それは彼が若い頃、月波市を出奔し、この世界からも一切の記録を残さず消え去った空白の五年間。その間にどこかで龍を単身討ち破り、血を浴び、身に着けた、森羅万象を拒絶する鉄壁の鎧のことだ。

 いかなる刃を跳ね返し、いかなる魔術を打ち消すことのできる最強の楯。

 それが、暴走した。

「暴走した時は普通の、なんでもない依頼中のことだったらしい。敵の攻撃をいつも通り龍鱗で受け止めていなそうとしたら――暴走した」

 暴走によりターゲットは全滅したものの、勢いそのままにその時組んでいたメンバーに襲い掛かったため、やむなく鎮圧したというのだ。

「つまり、その時に?」

「いや、その時はあくまで鎮圧。ほらアレ、今は四家だけど、前まで月波守護五家に数えられてた穂波のカシラ。アレと、赤毛の双剣使いと動いてたらしい」

「ああ、彼と旧ダンスーズ・フージュですか……世界でも滅ぼしに行ってたんですか?」

「まあ結果的に、その二人がいたから瀧宮羽黒の暴走は鎮圧できたんだがな」

 そしてガッチガチに物理的、魔術的な封印が施されて月波市に担ぎ込まれてきたのだ。

 その時には既に瀧宮羽黒も目が覚め、正気に戻っていたのだが、大きな異変もまた残されていた。

「右腕が龍化してたんだと」

 悪十郎が右手を握り、開きと何度か繰り返す。

 当初、瀧宮羽黒本人は龍殺しの代償が今になって出てきたのかと考えたらしいが、その腕を調べた万物を識る神獣白澤の見解は違った。

 曰く、龍殺しとは関係ない。龍鱗を多用しすぎたことにより、瀧宮羽黒自身が勝手に、ひとりでに龍化し始めていた、ということだ。

「人間が、龍化……」

「朱に交われば赤くなる。妖も、人と交われば人となる。奴はその逆で、龍に慣れすぎて龍に成っちまったんだ」

「ヒトが堕ちてなる人鬼とは違うのですか?」

「んー、どうなんだろうな。人の道を外れた存在をすべからく鬼と呼ぶなら鬼なんだろうが……暴走したとは言えその後すぐ正気に戻ってたらしいし、何よりあの鬼狩り局がすぐに動かなかったからなあ」

 ともかく。

 瀧宮羽黒の龍化は大きな波紋を生んだ。

 まず何よりも問題だったのが、龍化した瀧宮羽黒が一時とは言え完全に自我を失って暴走したという点だった。彼と親しい仕事仲間二人の声が届かず、物理的な鎮圧しかできなかったことから、今後龍化が右腕だけでなく全身にまで拡がり、完全に龍と成ったらどれほどの被害が出るのか想像もできなかった。

 そして追い打ちをかけるように、神獣白澤の見解が下された。

 曰く、おそらく猶予は一回のみ。次、龍鱗が発動したら全身の皮膚が龍化するだろう。それを鎮圧し、乗り越えて正気に戻ったとて、その次は髄まで龍化する。つまり完全に人ではなくなる、と。

「瀧宮家は大急ぎで対策を練った。もちろん瀧宮羽黒に一切の刺激が加わらないよう厳重に警備しながらな。……はは、一回見舞いで会いに行ったが、すげー不満そうだったぜ? 『俺は不発弾かよ』ってな。不発弾そのものじゃねえか。しかもてめぇが原因だろうがよ」

 思い出したのか、悪十郎は笑みを浮かべてグラスの縁を指でなぞる。

 そして瀧宮家の枠に収まらず、各地のつながりのある術者一族、魔術組織、異能集団、果ては冥府の見識者まで巻き込んで対策を練ること約1か月。ようやく一つの答えが出た。

「未だかつて、あんなお祭り騒ぎは見たことねえよ。それが『瀧宮羽黒ぶっ殺大会』だ」

「……名前、何とかならなかったのかしら」

「白羽っちがやれって言ったら誰も止められんねーよ、くっそウケる」

 その内容はいたってシンプル。

 一度、瀧宮羽黒を故意に暴走させ、龍化させる。それを最大戦力で取り押さえ、()()()()()()()()()()()

 髄の髄まで龍化し、完全に人でなくなる一歩手前の状態ならばそれが最も成功の可能性が高いと判断されたのだ。

「しかし、龍化した部分だけを殺すなんて、そんなことできるんですか? 勢い余ってうっかり人間の部分も殺してしまいそうですが……」

「普通は無理だわな。けど、手段ならあるだろ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……あ」

 妖刀【龍堕(リュウオトシ)】――瀧宮羽黒が自身の魂と殺意を封じ込めた、異形にして偉業の龍殺しの大太刀。

「そうか。アレならば、確かに龍のみを殺すことができる」

「加えて、アレにゃ奴の魂が封じられてっからな。それに白銀もみじもいる。体外に出しときゃ魂の保護も兼ねることができると考えたんだ」

 作戦が決まってからは早かった。

 まず、作戦決行の地として現世と冥府の間に存在する次元の狭間が選ばれた。現世としては暴走した瀧宮羽黒が万一にも暴れ、逃げ出す可能性がある作戦に土地を貸し出す酔狂な者はいない。冥府もまた言わずもがな。というわけでそのどちらでもない境界線しか選択肢がなかった。

 その場所を利用する条件として、冥府直轄死神局が立ち会うこととなった。これは最悪の場合作戦が失敗し、取り押さえるための戦力を即座に現世及び冥府に送り返し、龍化した瀧宮羽黒をそのまま次元の狭間に封じることを目的とした選出だ。鬼狩り局対応とならなかったのは、あくまで彼が未だ要観察扱いだったからだろう。

 そして最も重要な、龍化し暴走するであろう瀧宮羽黒の取り押さえ要員。こちらは瀧宮白羽が各地に檄を飛ばしたところ、瀧宮羽黒を公然とぶん殴れるという謳い文句にホイホイ釣られ、彼と因縁があるやつないやつ、敵味方無関係者問わずゴロゴロと集まった。一応、それだけだと不安のため、瀧宮白羽が個人的に名のある術者たちにも依頼という形で出していた。

「それであのお祭り騒ぎだったかー。ウケるな」

「噂では旧ダンスーズ・フージュだけでなく、旧スブラン・ノワールや旧デザストル、魔女、世界魔術師連盟の幹部クラス、果ては魔帝の旗印まで見えたと聞きましたが……」

「魔帝は流石に盛りすぎだ。ワンチャン配下は来てたかもしれんけどな」

 ともかく、そういった連中が集まり、死神に連れられ次元の狭間へと案内されたのだ。

「一応、私たち姉妹とドビーにも声はかかってたんだけどね」

「ウチらはもうあの龍殺しのおっちゃん殴るとかそういう気分じゃなかったからな。テキトーに現場まで続く門を維持する魔導具に魔力ぶち込むって形で協力したんだぜ」

「んで、瀧宮羽黒鎮圧隊に冥府直轄地獄局の要請で俺が参加したってこと」

「九朗左衛門は?」

「あのヒトは留守番。ほら、二大頭が両方地獄離れちゃ、ね」

「…………」

「い、一応、龍化した瀧宮羽黒が冥府側に逃げるかもしれねえから、そっちにも待機は回しとかなきゃいけなかったんだよ!」

 冷ややかな視線を投げつけるジーノに対し、悪十郎が慌てて言い訳を並べる。

 実際、ありとあらゆる万が一を想定して作戦は準備されていた。鎮圧隊を振り切ってどこへとも知れない世界へ逃走されないようあえて現世冥府間の道を整備し、その出入口にも相当な戦力を配置していた。その冥府側を、今この場にいない魔王山ン本九朗左衛門が担っていたというだけだ。

 悪十郎はちゃんと聞いていなかったが、現世側にもかなりやばい戦力を控えさせていたらしい。

 そして作戦当日。

 妖刀【龍堕】を以て龍化瀧宮羽黒にとどめを刺す役目は、瀧宮白羽――ではなく、突如月波市へと帰還した瀧宮梓が担った。

「え、あの子が帰ってきたんですか?」

「ああ。あの嬢ちゃん、術者としては引退してっから瀧宮当主が手ぇ回して知られないようしてたらしいけどな、どっかから嗅ぎつけてやってきて、当主の襟首掴んで役目を奪ったんだ。『当主が最前線に出るな。それにあのクソ兄貴をぶち殺すのはあたし以外許さない』つってな。いやー、見事な啖呵だったぜ」

「はは……」

 あまり関りはないが、彼女の気質を聞いているジーノは乾いた笑いを浮かべる。三つ子の魂百までとはよく言ったものである。

「そして……ついに作戦が始まった」

 悪十郎がつい、と乾いた唇を湿らそうとグラスを口元に運ぶ。しかし中身が空だったことを思い出して、仕方なくテーブルに戻す。

 すると無言でビールが注がれた。

 見るとドビーが缶ビールを開けて差し出していた。

「……ありがとよ」

 すでにだいぶ飲んでいるが、正直頭は冴えきっている。ここから先、酒でも飲んでいないととてもじゃないが語れない。

「次元の狭間にゃ、錚々たる顔ぶれが揃ってた。とどめ担当の瀧宮梓。肉体と魂のつながりを確保する役目の白銀もみじ。立ち合いと、現世と冥府の道の維持に死神局長とその補佐。昔魔法士って言われてた連中とその元幹部クラス。魔術師連盟の現役幹部。結構な数を現世と冥府の門の維持に回したって聞いたが、名前も聞いたことねえ有象無象もかなり現場に来てたな。……あ、でもあれだ。穂波のカシラはいなかったな」

「おや、そうなのですか。一度は鎮圧させた彼こそ、現場にいるべきかと思いますが」

「直前になって嫁さんの陣痛が始まったんだと。一瞬迷ってたけど、瀧宮羽黒本人にまで『帰れ』つって怒られてたわ」

「なるほど」

 そして【龍堕】が……瀧宮羽黒の魂が瀧宮梓の手に渡り、受け取ったその手で瀧宮羽黒を殴り飛ばした――その瞬間。

 世界が割れたかのような衝撃が奔った。

「結局あの初撃……いや、初撃ですらないか。龍化の衝撃だけで、現場に集まった連中の半分は消し飛んだか、魔力風に呑まれて次元の狭間に落ちたんじゃねえかな」

「え」

 思わず息をのむジーノ。そこまでは聞いていなかったのか、ライナとドビーも蒼褪めている。

「こりゃやべえってんで、生き残った接近戦できるやつ以外は急遽奴を閉じ込めるための結界維持に回ったんだ」

 そして衝撃による突風が収まったその場に、その龍は不動で立っていた。

 龍種としては、小柄な部類だったろう。黒い鱗の蜥蜴をそのまま二足歩行させたような形状で、体高としては3メートルもない程度。翼はなく、しかし太くどっしりとした両脚で地を踏みしめ、長い尾は体長の倍はあったため実際よりも巨体に見えた。

 そして何よりも異質なのが、脚と比べるとやや細く長い腕――左腕には甲殻が変異した手甲のような器官、右腕には()()()()()()()()()()()()()()

「剣を持つ、龍……」

「おっちゃんらしいっちゃ、らしいなー」

 龍としては誕生すらしていない不完全な個体のはずなのに、そのたたずまいは歴戦の武人のように見えた。

「そんでその龍はぐるっと取り囲む俺たちを確認すると……嗤ったんだ」

 そこに軽薄さはなく、残忍な獣のように。

 嗤って、消えた。

 消えたのだ。

 少なくとも、悪十郎には消えたように見えた。

 しかし直後に背後から聞こえてきた悲鳴に、それが間違いであると気付かされた。

「そこから先は、あんま覚えてねえな……とにかく生き残るのに必死だった」

 とどめのみを請け負う予定だった瀧宮梓も気付けば最前線で、なんなら誰よりも積極的に龍と斬り合っていた。彼女の振るう黒い大太刀と龍の鱗が、龍の振るう片刃の剣と彼女の龍鱗が何度もぶつかり合い、そのたびに落雷のような衝撃と轟音が響き渡った。

 数十分に及ぶ拮抗は、瀧宮梓の咆哮と共に崩れた。

「龍の剣が瀧宮梓に斬り落とされた時、皆よし! つって浮かれたんだ。けどさ、だから何だって話なんだよな」

 相手はあの瀧宮羽黒が龍化したモノなのだ。

 宙を返るように一度距離をとった龍は、根元からぶった切られた剣をしばし眺めるとポイと未練なく捨てた。

 それを隙とみて、血気盛んな有象無象が突っ込んでいった。

 しかし。

「あいつらも呆気なく消し飛んだな」

 龍の足元――影から、無数の刃が突き出した。

 それに貫かれた有象無象たちは即死だったと悪十郎は祈る。彼らは影刃によって喰われ、血の一滴、魔力の一絞り残さず、吸収されてしまった。

「そこから先はもう、誰も下手に近寄れなかった。元漆黒、元災厄、魔女、他の魔術師連中はアレが逃げないよう場を維持するので手一杯だったし、俺もブルっちまって……情けねえ話、遠巻きに眺めてるしかできなかった」

 誰もが戦意喪失する中ただ二人、心折れず、気概削がれず刃を振るっていたのが瀧宮梓と、かつて魔法士と呼ばれた双剣使い。

 二人は龍の繰る爪と影の刃を完全にさばききり、少しずつだが確実にその刃を龍へと迫らせた。

 再びの拮抗を崩したのは、背後からかかった声。

 その声に反応するように双剣使いが一度引くと、龍の足元――無尽蔵に刃を生み出していた影が、ぐるりと龍を取り囲んだ。

 そして影そのものが魔方陣を形成し、そこから無数の手が伸びる。

 手はそれぞれが意思を持つかのように龍を掴み、締め上げた。

 最初こそ激しく抵抗した龍だったが、魔方陣に込められた、()()()()()()()()()()()()()()()()()についに膝を折った。

 それを見た瀧宮梓が、吼えた。

 黒い大太刀を大きく振りかぶり、龍の額に振り下ろす。

 再びの衝撃と、轟音。

 悪十郎が目を開けると、黒い刃を人の手が受け止めていた。

『手間かけたな』

『本当よ。いっぺんならずとも何度も死ね』

『お前が嫁入りするまで死ねんな』

『……うっさい』

 毒づく瀧宮梓。

 それを軽薄に笑い、瀧宮羽黒は刃を持つ手とは反対側で彼女の頭を撫でた。

 やっと、終わった。

 悪十郎は思わず腰が崩れた。悪十郎だけではない。生き残ったその場の誰も彼もが、安堵の念を抱いていた。


 だから。

 だから誰が悪いかと問われれば、その場の全員が悪かった。


『実験の後片付けはちゃんとしないとね』


 ぱぁん。

 銃声を真似た、男とも女とも、老人とも幼子ともとれる、ひとかけらの邪気もない、反吐が出るほど神聖な声音が聞こえた。

『羽黒!!』

 これまでずっと、瀧宮羽黒の魂と肉体をつなぎとめることに注力していた白銀もみじが動いた。

 しかしその手は届かず。

 瀧宮羽黒は瀧宮梓を押しのけ、庇うように立ちはだかる。


 ぱちゅん、と。


 冗談のような音とともに、瀧宮羽黒の胸が弾け飛ぶ。

 肉が抉れ、骨が削れ、肺が破れ――心の臓まで、消滅した。


 もしかしたら。

 もしかしたら、彼に龍鱗があったならば、それを受けてもなお平気な顔で、いつもどおり軽薄に笑っていたかもしれない。

 しかしそんな「もし」はあり得ない。

 龍鱗はたった今――龍と成る前に殺され、消滅したのだから。

『あ……あ……』

 ざわり、と白銀もみじが震える。

 夜空のような黒髪が、満月のような銀色に。

 全てを見通すような黒い瞳が、血のような赤色に。

 変わる。

 戻る。

 死人のように白い指先が、瀧宮羽黒だったそれに、ようやく届く。

『あ、あ…………』

 肉を破り、血を啜るための牙を唇から覗かせながら、意味のない音をこぼす。


『いやあ、思い出せてよかったよ。次の計画のため、いらなくなったサンプルはちゃんと処分しておかなきゃね!』


 再び声が聞こえた。

 姿はない。

 しかし、そこに、いる。

『てめえ!』

 誰かが声を荒げる。

 誰だ。

 誰か知らんが、動くな馬鹿。

 あれは、あの声は、ダメだ。

 あれは極楽浄土の――


『嗚呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼!!!!!!!!』


 その場の全員が、止まった。

 この世ならざる咆哮――否、絶叫。

 世界を概念ごと喰らおうとするかのような憎悪と怨嗟。


 その叫び聲の主が


『え……あれ……?』


 姿を消したままの声の喉元に牙を立て


 ()()()()、と


 ()()()()()


『ああ、ああ、ああ…………!』


 ソレは口元の雫を無造作に手の甲で拭うと、ふらふらと瀧宮羽黒の亡骸に歩み寄り


 ()()()、と


 その首筋に牙を突き立てる。

 寸刻前のそれとは似ても似つかぬ、優しい、愛おしさすら感じる所作だった。

 しかし。

 だからと言って。

 何かが変わるわけではない。

 瀧宮羽黒は既に一度、()()()()()()()()()()()

 それは明確な主従関係の確立。

 主が下僕に命を与えることはできても、その逆は不可能。

 どうしようもない、世界の摂理。


『あぁ……!!』


 その時、悪十郎の足元に魔方陣が展開された。

 見渡せばそれはその場の、白銀もみじだったらしきソレを除く全員が対象だった。

『飛ぶぞ!!』

 術者と思しき黒髪の男が叫ぶ。

 待ってくれ。

 そう叫ぶ間もなく術が発動し、視界がぶれる。

 しかし寸でのところで間に合わなかったのか、全身を鋭い牙の津波が駆け抜けていくような感覚に襲われるた。

 時間にするとコンマ1秒にも満たない間だったろう。しかしそれでも、悪十郎の妖気を根こそぎ奪うには十分な時間だった。

 意識が刈り取られ、転移が完了する直前。


 悪十郎の視界に映ったのは、巨きな、血に塗れたしろがねの城だった。















     * * *



「「「…………」」」

 語り終えた悪十郎は再びグラスに手を伸ばす。しかしいつの間にかまた飲み干してしまっていたらしく、中身は空だった。今度はドビーも呆然として注いでくれない。悪十郎は自分で缶を取り、プルタブを開けた。もう注ぐのも面倒だと、直接口をつけて飲む。

 缶はすぐに空になった。

 だめだ、今日は全然酔えないし、むやみやたらに喉が渇く。

「それで……」

 ジーノが自分が生きていること確認するかのように喉元に手を当て、悪十郎に続きを促す。

「それで、その……()()()は、どうなったんです?」

「どうもこうも、今こうしてクソ平和に鍋食ってんだから、何とかなったんだよ」

「どうやったんですか? 旧スブラン・ノワール? それとも連盟の幹部? 噂の魔帝?」

「さあな。俺も根こそぎ妖力喰いつくされて死にかけてたからな。目ぇ覚めた時は全部終わってた」

「そうですか……」

「ただ――」

 言いかけて、口を噤む。

 この先は、言葉にしていいものなのか、人間の敵たる鬼の頭目たる悪十郎ですら、思い悩んだ。ライナも、瞳を伏せている。

 しかし。

「……紫っちがさ」

「ドビー!」

「おい、待て!」

 悪十郎とライナの制止を振り切り、ドビーがまっすぐにジーノに向き合い、言葉を引き継ぐ。


「紫っち……白銀紫がさ。アレに関わった全員に頭下げて回ったんだよ。真っ黒な棺引きずってさ、折れた妖刀抱えてさ。『このたびはパパとママがご迷惑をおかけしました。責任をとって、この通りママを封じました。申し訳ありませんでした』つってさ……!」


「……それは……!」

 ぎゅう、っとドビーが拳を握りしめる。彼女の青っ白い皮膚を爪が突き破り、どす黒い淀んだ血が溢れ出る。

 そんな些細なことなど気にも留めず、たまったものを吐き出すように呟く。

「あんなことになったから、現世も冥府も、この街も、上へ下への大騒ぎだった。悪十郎だけじゃなくって、梓っちとか参加した魔術師共とか、死神とか、全員が何かしらダメージくらってろくに動けなかった。白羽っちも死神局も鬼狩り局も、地獄局も、これからどうすべきか延々話し合ってた。……だから、紫っちがいつの間にいなくなってたのに、誰も気づかなかったんだ」

 吐き出す。

「どうやったんか全く分かんねえけどさ。あの子は一人で次元の狭間に潜って、一人で魔王城を上って……一人で、終わっちまったママと対峙して。そんで、封印して、帰ってきたんだ」

 吐き出す。

「あの子さ、とってもいい子なんだよ。真夏にウチが仕事してて全身くっせえ時でも、笑って、近寄ってきて、『おはようございます!』ってさ。めっちゃいい笑顔で……職場の連中も、みんな大好きでさ……!」

 吐き出す。

「なんでそんな子が、あんな目に遭わねえといけねえんだよ! 親父が瀧宮羽黒で、お母ちゃんが白銀もみじってだけの、普通の14歳の女の子なんだぞ! なんであんな子がてめぇの親父死んだ直後に狂っちまった母親殺して、その死体引きずって頭下げなきゃなんねえんだよ!! おかしいだろ!! 何なんだよ……誰がそんなことしろつったよ……誰がそんなこと許すんだよ……」

 吐き出す。

「ウチんとこにも来たんだぞあの子……どうすりゃよかったんだよ……ウチは、あの子になんて言えばよかったんだよ……分かんねえよ……」

 吐き出す。

「しかもあの子、今も普通に学校行ってんだぞ!? 義務教育くらい受けないとつって笑ってんだぞ!? 馬鹿じぇえねえの、いい加減にしろよ……!!」

 吐き出す。

 吐き出して、吐き出して、吐き出す。

 ついに何もでなくなるまで、吐き出す。

「ドビー、大丈夫……誰も口にはしないけど、みんな同じ気持ちだから……」

「ライナ……」

「ありがとう。私たちの代わりに言葉にしてくれて……」

「…………」

 ぱき、と悪十郎の手元が鳴る。見れば、空になった缶を無意識に握りつぶしていた。

 彼もまた、どうしようもない気持ちを今日まで溜め込み続けていた。

「なるほど。事情は把握しました」

 ジーノが静かに頷く。

「やはりこの街に戻ってきてよかった」

「どういうことだ?」

 悪十郎が尋ねる。対してジーノがスーツのポケットを探って中から端末を取り出す。

「実はつい3日ほど前ですが、シャスーズ協会からの仕事でキューバの密林地帯に行ってましてね。なんでも、人喰いの化け物が集落を作っているらしいから調べて来いと」

「はあ、それが?」


「僕とティナで現地を調べてみたのですが……その集落、既に滅んでいました。……とある龍種によってね」


 言って、端末の画像を三人に見せた。

 瞬間、悪十郎が青褪めて立ち上がる。

「ンな馬鹿な話があるか!!」


 そこには、血の海に沈んだ化け物の集落の中心で、水底よりも黒い鱗の二足無翼型の龍が座禅でも組むかのような姿勢で映っていた。


 傍らには、化け物の血に塗れた巨剣が地に刺して置かれている。


「そんな……馬鹿な話……だって、アレはあの時確かに死んで……」

「極めて特殊な外観でしたので、その場でシャスーズ協会から旧魔法士協会のデータベースまで可能な限り浚いました。しかし外見情報からの一致は0件。それでいて魔力波長は――瀧宮羽黒と約70%一致しました」

「7割? なんだか微妙な数字ね……」

「ええ。だからこそ意味が分からず、詳細を確認するためこの街に来たのです。僕も彼の噂は聞いていましたから、妙だと思いましてね。とりあえず、ターゲットはその場から動かずじっとしていたのでティナを監視に残してきました」

「ああ、別件ってそういう」

 ライナが納得したように頷く。

「それでここに来る前、瀧宮家へ報告しに行ったのですがね。……それがどうやら、瀧宮家もこの龍種については把握していたらしく、すでに6件の目撃情報があったそうです」

「多いな、オイ」

「たださらに分からないことにこの計7件の目撃情報、一部はほぼ同時刻に全く違う地域で出ているんです」

「はあ!? え、じゃあつまり……」

「はい。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。もしかしたらもっと多いかもしれません」

「「「…………」」」

 ジーノからもたらされた情報に、ライナもドビーも悪十郎も、開いた口が塞がらない。

 一体何が起きているのだ。

「そして悪十郎。この情報を踏まえたうえで、もう一度問います。――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「…………」

 悪十郎は答えない。

 答えられない――否、思考を巡らせている。

「…………」

 ジーノは彼の考えがまとまるまで、じっと待つ。

「冥府……いや、地獄には」

 そして、語りだす。

「たまーに、本当に極稀に、死神も冥官も介さずに落ちてくる魂がいるんだよ。そういう奴らは当然、地獄にいながら冥府の記録に残らない」

「……この世界の冥府というシステムには詳しくないけど、初耳ね」

「ウチも。初めて聞いた」

「本当にたまーにだよ。数百年に一人いるかどうか。まあ大抵は極悪人だから、発覚してもそのまま放置して記録だけ残すんだけどさ」

 ごくりと悪十郎が唾を飲む。

 喉が、渇く。


「あの事件の後、死神も鬼狩りも……冥官さえも、誰も瀧宮羽黒の魂の行方を把握できてねえんだ」


「それって……!」

「だから自然と冥府側は『ああ、直接地獄に落ちたのか』ってことにして、とりあえず今は荒れに荒れた次元の狭間の修復を急いでんだけど。けど、俺と九朗サンがいくら地獄の魂を浚っても、見つからねえんだ」

 今こうしている間にも、九朗左衛門は地獄の端から端まで虱潰しに魂の行方を追っている。

 だがもし、本当に地獄に落ちていないとしたら――()()()()()()()()()()()

「……詳しく、調査する必要がありそうですね」

「ああ。俺も帰って九朗サンを手伝わねえと……! っと、うぉっ」

 勢い勇んで立ち上がろうとする悪十郎。しかし酔えないと思ってしこたま飲んだものが溜まったのか、不覚にも足を滑らせてしまった。

「危ないわよ」

 そしてライナに受け止められ、そのまま彼女の膝の上に頭を固定されてしまった。

「そんな状態で帰れるわけないでしょう。今日は泊っていきなさい」

「けどよぉ……」

「ここで急いでもしょうがないでしょう。一度休んで、明日から気合入れなさい」

「……へーい」

 ライナの炎のように燃える瞳に見入られ、悪十郎も気勢を削がれる。一度呼吸を整えてから、ゆっくりと上半身を起こした。……今度は普通に起き上がることができた。

「ドビーも泊っていきなさい。あなたもかなり飲んだでしょう?」

「ん。ありがとライナ。……はは、死体なのに酔っぱらうとか、チョーウケるね」

「ふふ、そうね」

 ライナが小さく微笑み、応えるようにドビーもにこっと歯を見せた。

「ライナ、ちなみに僕は?」

「来客用の布団は二組しかないわ。それにジーノあなたどうせ瀧宮家が宿取ってるでしょう? 帰りなさい」

「扱いの差ぁ……」

 不服申し立てるが家主の決断は覆らない。なんなら鍋の片づけをさせないだけありがたいと思え、とさえ言われてしまった。知らないうちに彼女に何かしてしまったのだろうか、とジーノは己の行いを顧みる。何もなかった。

「さーて。んじゃ、明日から忙しくなりそうだな」

「ええ。お互い頑張りましょう。……ご馳走様、ライナ。美味しかったですよ」

「そ。お粗末様でした」

「アハハ! じゃーねジーノ!」

「早速追い出しにかかりましたねドビー……あ、そう言えば一つ聞きたいことが」

 と、立ち上がると同時に玄関へと押し出されそうになったジーノが振り返る。

「さっき思わず聞き逃してしまったのですが、穂波家の彼、無事子供が生まれたんですね」

「ああ。世界が存亡の危機の中、元気に生まれたぞ。母子ともに健康だ」

「名前は聞いていますか?」

「ん? あー、そういやなんつったかな」

「たしか……ひ、ひさ……?」

「ヒサトよ。悪十郎はともかく、なんで一回会いに行ったドビーまで忘れてるのよ。元気でたくましい男の子よ」

「ヒサト……どういう字です?」

「炎の『火』にふるさとの『里』って書くの」

「そういや生まれる直前、その案を聞いた時の瀧宮羽黒、すっげー嫌そうな顔をしてたわ」

「は?」

 思い出して噴出した悪十郎に、ジーノが首を傾げる。


「『火』を崩して『里』の下に持ってくると、『黒』って字になるんだよ」


「……それはそれは」

 確かに嫌がりそうだな。

 ジーノは心の中で深く深く頷いた。

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