005:ゾンビ・インスタントラーメン・扇風機
意外と思う奴らも多いが、ウチの日常は実は結構平凡だ。
朝にケータイの目覚ましで起きたらパンを一枚トースターに突っ込み、焼いている間に最近夜店の金魚すくいでとってきた金魚に餌をやる。モリモリ食べて大きくなる金魚の鱗太郎を眺めているとチンとパンが焼け、そうしたら冷蔵庫から野菜ジュースとマーガリンを取り出して一緒にテーブルまで運び、朝食を摂る。
食べ終わったら洗顔と歯磨き。ウチは元々死体だから気を抜くとすぐ口から死臭が漂ってしまうので特に念入りに。
最後に身支度として、目元の強烈なクマを化粧で薄くし、青っ白い口元にリップを塗って完成だ。
「いってきまー」
誰というわけでもなく声をかけ(強いて言ううなら鱗太郎か?)、ウチは家を出る。
ポテポテと歩いて20分。別に飛んで行ってもいいのだが、朝の陽ざしを浴びながらのんびり歩いて行くのが結構好きなのだ。自分でもアンデッドらしくねえなとは思ってる。でもそれこそがウチのアイデンティティなのである。
「おはざまーす!」
月波学園校務員事務所に着き、ウチは腹の底から阿呆のようにデカく明るい声で挨拶をする。
「おー、おはよードビーちゃん」
「今日も元気だねー」
「ッス! 世界一元気な死体、ドラゴンゾンビのドビーちゃん今日も元気にお勤めでーっす! アハハハハハ!☆」
* * *
ウチがこの街に縛られたのは、もう10年以上前の話だ。
当時ウチをこき使っていたおバカな契約者が無謀にも世界に喧嘩を吹っかけて見事に返り討ちにあったのだが、その時の討伐隊の中に世界に悪名轟く龍殺しのおにーさん——瀧宮羽黒がいたのだ。戦闘ではなんか不具合みたいな運の良さでウチは唯一生き残ることができたのだが、本来ならその後の扱いなんて良くて捕虜、悪けりゃ消滅させられるかもしんねーって感じだった。
それを何を思ったのか龍殺しのおにーさんがウチの身柄を引き取ってこの街に監視という名目で放牧されることになった。
いやマジで何考えてたんだろうね、あのおにーさん。
助けた代わりに肉壁にでもされてこき使われるのだろうと思っていたんだけど、名前と職、あと住居を与えられた後は街にいる限り自由だった。最初の頃は街のオヤクショさんとちょくちょく様子を見に来ていたが、一年を過ぎた頃には完全に放置だった。
マジで意味わかんねー。
しかもそんな感じの奴らがウチの他にもちょいちょいいた。
エルフの姉妹に魔王級の鬼二匹、なんかヤバめな魔術師の上位互換みたいな双子とか。他にももっといた気がするけど、なんせウチも10年以上この街にいるから流石に覚えてらんない。あ、いや、魔王級の鬼二匹はいつだったかのごたごたに紛れて冥府に帰ったんだっけ。たまに思い出したように冥府から抜け出して街で酒飲みに来てるから、どういう扱いなのかよく知らね。
まあともかく。
「おおー。今日もすげー量だぜ、超ウケる☆」
作業服に着替え、担当のごみ収集所へと向かった。
ウチはそんな感じであれからずっと月波学園の校務員として働いている。
担当は主にゴミの回収と清掃だ。
人間よりよっぽど力があるし、重い物持ったまま高速で飛べる。ゴミ捨て場特有の悪臭にも強い(なんなら下手したら夏場はウチの方が臭い)ということで天職だった。たまにその辺にポイ捨てしたり、ウチらが清掃員というだけでバカにしてくるゴミみてえな奴もいるが、ウチがちょっとだけ威圧してやったら泡を吹いて倒れて二度と絡んでくることはなかった。もちろん責任者にはしこたま怒られたが、そのあと「よくやった」とこっそりメールが届いた。なにこの職場超ウケる。
「こりゃまた片し甲斐があるゴミの山ですなー。アハハハハハ!」
そして今日も今日とてゴミの山に対峙する。昨今はエコだなんだと世間が口うるさくなってきたが、この都市型学園の人口は日によって万を超える。そんだけの数がいれば自然とゴミの数も増えるというものだ。
「おーらーい! おーらーいー! おっけー!」
相方が運転するゴミ収集車を誘導する。ここでは学園が収集車を何台か所有していて、集めたごみを街の処理施設に運んでいる。規模がデカすぎて超ウケる。
「おっしゃー、行くぜ行くぜー☆」
山と積まれたゴミ袋をぽいぽい収集車に詰め込む。普通の人間なら汗だくになりながらやる作業でも、ウチにかかればチョチョイのチョイだ。
たまに収集車が入っていけない細い路地のゴミ置き場には翼を展開して飛んでいき、運んでくる。
テキパキテキパキ。
そんな感じでウチらは午前中には学園の敷地内のゴミ置き場を回り終え、パンパンになった収集車を処理場へと見送るのだ。
「ドビーちゃん、休憩入ってて良いよー」
「ういっすー」
事務所に戻って一呼吸。
また午後には校舎内のゴミ箱を回ってゴミ袋の入れ替えをする作業が待っている。パワーで解決できない仕事のため、ウチとしてはこっちの方が大変な仕事だ。
「いったっきまーす☆」
午後の作業の前に昼食をとる。
扇風機の回る女子休憩室で、事前に買っていたカップ麺を作ってすする。今日は期間限定だという辛いやつ。
「お、美味い。……そんでかっら」
一口目は美味いが後からガツンと強烈な辛みが来る。これは好感が持てる。良い辛さだ。たまにただ辛いだけのメシとかあるけど、ああいうのじゃない。ちゃんと美味い。
「あー……ズズッ」
じんわりと額に汗が浮き上がってくるのが分かる。死んでんのに。ついでに鼻水も垂れてきた。
「これいいなあ。また買おっと」
とは言え、流石にカップ麺一つじゃ足りない。食欲なんて気分でコントロールできるがウチも腐ってもドラゴン、基本は大食漢である。
「もう一個食べちゃおうっとー」
スープまで完飲して片付けたら、ガサガサと棚を漁って買い置きのカップ麺を物色する。次はあっさり系で塩ラーメンにしようかな。
「ふんふんふーん♪」
蓋を開けて鼻歌混じりにお湯を注ぐ。おっと、こいつは待ち時間5分か。なら待ってる間にジュースでも買って——
ゾ ワ リ
「……っ!?」
背筋が凍る。
死んでいるはずなのに、生存本能の根幹にある警鐘がガンガンに鳴り響く。
なんだ?
なにかが、学園に這入ってきた?
「くっ……!」
ガチガチと鳴る歯を食いしばり、ウチは扉から出るのも面倒で、窓から直接外に飛び出る。
即座に翼を展開して上空へと羽ばたく。
どこだ?
どこにいる?
並び立つ校舎を上から眺められる高さから目を凝らす。
いや、視界だけじゃない。ウチの全感覚を研ぎ澄まして探す。
「いた!」
その悍ましい気配は正門の方にいた。
正面から堂々と這入ってきやがったのか。誰もソイツに気付いていないのか、周囲には大勢の人の気配がする。
……構うものか。
ウチは空中で大きく羽ばたき、突撃の構えを取る。
今ウチが動かなければ、アレはもっと学園の奥深くまで這入ってくるだろう。何が目的か知らねーが、ここで止めなければ。
「うっ……!?」
ゾクリと、脊髄が震えるような感覚が走った。
正門の辺りにいたソレが、こちらを見つけたようだ。
本能が逃げろと叫ぶ。あんなもんに勝てるわけがない。
「知るか……! ウチは、ウチは……この新しい居場所を守る!」
よーい。ドン!
腕を突き出し、手の人化を解く。魔力の一滴まで絞り出し、音速を超える速度で突撃する。この速度で突っ込んだらウチも無事では済まないだろうが構うものか。それよりも少しでもヤツに手傷を——
「どうした、何の真似だ——ドビー」
「!!??」
ふわりと。
ウチの決死の一撃が受け止められ、勢いを殺され——なかったことにされた。それほど力が込められていないのに、どういうことか掴まれた腕はビクともしない。振りほどこうという意志さえ抑え込まれているようだ。
いや、それよりも。
「あ、あれ……?」
この声、この匂い、この気配。
「龍殺しのおにーさん……?」
「おう。どうしたドビー」
解放され、ウチは姿勢を正す。
そこにいたのは左頬に十字傷、右目を眼帯で隠した黒髪の男——ウチがこの街に連れてきた張本人、瀧宮羽黒だった。……何故か今日はビシッとスーツを着込んでいて、見た目が完全にスジモンである。
「な、なんで……? あれ、本当に龍殺しのおにーさん?」
「何驚いてんだ。目が合ったと思ったら急に突っ込んでくるからこっちの方がビビったわ」
「……?」
言いながらあきれ顔を浮かべる龍殺しのおにーさん。一瞬、龍殺しのおにーさんに化けたやべーやつなのではとも思ったが、何度見直してもご本人サマである。
何かの勘違いだったか……?
「いやー、結構久々に会ったからさー。なんか得体の知れねーやべーのが這入ってきたかと思って飛んできちまったわ! 超ウケるんですけど! アハハハハハ!」
「おいこら」
「てか何しに来たん、そんなスーツでキメちゃって。ヤクザのカチコミかと思ったゾ☆」
「娘の参観日だよ。文句あんのか」
「参観日! 参観日!? あの悪名轟く最悪の黒が参観日! クッソウケるんですけど!!」
「なんだとテメー」
話題を変え、笑って誤魔化すも龍殺しのおにーさんは冷ややかな視線をやめてくれない。
本当にウチの勘違いだったらそれでいい。
少なくとも目の前にいる龍殺しのおにーさんは、最後に会った時とそう変化があったようには見えない。
「まあいいや。ウチ戻るわ、ラーメン食べようとしてたとこだし」
「おー帰れ帰れ。そんで午後も真面目に働け」
「アハハハハ!」
しっしと手で追い払う龍殺しのおにーさんに背を向け、ウチはもう一度翼を広げる。……背を、急所をさらしても、やはり先ほどのような悍ましい冷たい気配は感じられない。やはりウチの勘違いだったか。
「じゃーねー龍殺しのおにーさん。今度飲みいこーぜー」
「気が向いたらな」
手を振り、別れを告げてウチは飛び立つ。早く戻らないと麺が伸びてしまう。
「しっかし何だったんだろ?」
首を傾げるも、ウチの腐ったのーみそはそれほど深い思考はできない。どうせ今日のことも数日すれば忘れてしまうだろう。
ウチは休憩室に戻る。
……その日の勘違いをそのまま放置しなければ、もしかしたらあんなことにはならなかったのかもしれない。