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004:ワイシャツ ・灯火 ・風呂

 ある夏の暑い日だった。

「それじゃあな、ユウ。来週の案件も頼むぞ」

「はい。お疲れ様でした、羽黒さん」

 僕と羽黒さんはとある施設での仕事が収束し、数日ぶりに月波市に帰ってきていた。お互いそこそこ疲労していたということもあり、今日のところはいったん帰ってまた明日店で報告をまとめようという話になり、手短に駅で別れの挨拶を交わして解散した。

「やっぱあっついなあ、日本は……」

 思わず嘆息する。

 すでに日が傾いて西の空が赤くなってきているというのに、未だにじりじりと皮膚を焼く感覚が残っている。つい数時間前まで寒冷地で活動していたため、その気温差で体調を崩してしまいそうだ。

 今日はさっさと帰ってゆっくり休もう。

 僕は歩調を早め、慣れ親しんだ行燈館への帰路へと着いた。

「ただいまー!」

 がらりとガラスの引き戸をスライドさせ、声を張る。いつもなら居間にいる誰かしらが反応してくれて「お帰りー」と返ってくるのだが。


 ——シーン


「あれ?」

 今日は何の反応もなかった。

 というか、いつもなら厨房でわいわいと夕飯の支度をしている下宿生たちの声が聞こえてくるのだが、それすらもない。

 見れば、玄関に靴がほとんどない。愛らしい花柄の雪駄が一足揃えておいてあるだけだ。

「……あ、そうか。お盆だ」

 僕はようやく今日の日付を思い出す。今日からの五日間、世間ではお盆の時期となっていた。

「そうか、今年は皆実家に帰ってるのか」

 元々様々な地方からやってきた子たちの下宿であるため、この時期は極端に人の気配がなくなるのだった。一応、かつての僕や羽黒さんのところの紫ちゃんのように実家が地元だけど下宿に身を寄せたり、昔住んでいた良樹さんのように元々寄る辺のなかった人たちは年がら年中滞在していたことはある。

 しかし今いるメンツはお盆は帰省することとしたらしい。羽黒さんも街に帰ってきたわけだし、紫ちゃんも生家の方に戻っているようだ。

「ただいまー」

 とは言え、いくらお盆だろうが行燈館が空っぽになることはない。

 なぜならこの下宿の管理人は常駐しているのだから。

「あ、いた」

 居間の日陰で、彼女はころんと横になっていた。

 座布団を折りたたんで枕にして、そよそよと扇風機を回しながら寝息を立てる白い着流しの少女。油断しているのか、普段は隠している獣の耳と尾がどろんとはみ出していた。

「……ただいまー」

 僕は枕元に膝をつき、肩のあたりで切り揃えたふわふわの白髪をそっと撫でる。

「ん……あ……」

 とろんとした瞼がゆっくりと持ち上がり、涼しげな青い瞳が覗かせる。少しの間寝ぼけていたのかどことも言えない空間をぼうっと眺めていたが、覗き込んでいる僕に焦点が合うと彼女はにへらっと破顔した。

「お帰り、ユタカ」

「ただいま、ビャクちゃん」



          * * *



「今夕ご飯作るから、先にお風呂入っちゃってー」

 目が覚めた後のビャクちゃんはてきぱきと動き始めた。

 僕が出先でため込んだ洗濯物を手際よく分別し、ついでとばかりに今着ている服まで剥ぎ取って浴室に放り込んだ。浴槽にはすでに暑い日にはうれしい少しぬるめのお湯で満たされていた。完璧だ。

「……あー」

 軽くシャワーで汚れを流し落としてから湯船につかる。行燈館の広めのお風呂がとても気持ちいい。海外ではゆっくり全身が浸かれる入浴ができることはあまりなかったのでさらに極楽だ。そりゃ思わず声も出ますがな。

「ユタカー? お湯加減大丈夫ー? ぬるかったら言ってねー」

 と、脱衣所からビャクちゃんの声が聞こえてきた。

「大丈夫ー。ちょうどいいよー」

「わかったー」

 とたとたと小さな足音とともに脱衣所から気配が遠ざかる。なんだかこんな何でもないやり取りに幸せを感じてしまう。

「ふう……」

 ゆっくりと手足を伸ばし、筋をほぐす。そのまま首の後ろを湯船の縁に預け、全身を水中に漂わせる。

「きもちー……」

 再び声がこぼれる。

 僕は今日生きていることへの喜びを全身で感じていた。

 その時。


 ——パチッ、パチパチッ


「ん?」

 視界が点滅した。

 一瞬、自分でも気付かない体の不調でも起きたのかと思ったが、これは違う。単純に浴室が点滅している。

「あ」

 見上げて気付く。

 浴室の照明がプツンプツンと音を立てながら点いたり消えたりしていた。

「ありゃ、蛍光灯切れたのか?」

 ていうかこの力の尽き方、まさか今どき白熱灯?

「まだ残ってたんだなー。今どきほとんどLEDだしなー。……あ、消えた」

 プチンとひときわ大きな音を立て、照明が力尽きる。接続部の根元の方がまだ頑張って光をともそうとしているが、もう完全に反応していない。ご臨終でございます。

「ビャクちゃーん?」

 途端に真っ暗になった浴室をなんとかしようと、僕は湯船から立ち上がり、浴室の扉を開いて脱衣所の外に声をかける。今は湿気がこもっていて危ないが、後で交換するのを忘れないように声をかけておこうとしたのだが。

「あ」

「え」

 なぜか、ビャクちゃんの青い瞳と視線が合った。

 さっき脱衣所から出て行ったはずなのに、彼女はいつの間にか戻ってきて——僕が脱いだワイシャツに顔をうずめていた。

「…………」

「…………」

 沈黙。

 僕らはしばしじっと見つめ合い、少ししてビャクちゃんが先に動く。

 ビャクちゃんは手にしたワイシャツをたたんで洗濯籠に何食わぬ顔で戻し、持ってきていた僕の替えの下着類と風呂上がりの甚兵衛を取り出した。

「着替え、ここに置いておくね。あ、蛍光灯は替えがあるから後で直しておくよ。それまではこの狐火使って?」

 言いながらビャクちゃんは指先に青白い炎をともし、それを浴室に浮かべた。まるで灯火のように浴室を照らした。手元までしっかりと見え、これでシャンプーとボディーソープを間違うこともないだろう。

 いや、それはともかく。

「ビャクちゃん、今更何事もなかったかのように振舞っても遅いよ」

「…………」

 ビャクちゃんは顔を真っ赤にしながらプルプルと震え、瞳を泳がせた。

 なんというか、平和である。


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