003:餓蛇 ・紅蓮 ・肉味噌
「ん……?」
ある日の放課後。たまには姪の顔を見に行こうと足を延ばして行燈館へ向かう道中のことだった。
「もぐもぐ……どったの白羽たん(?・ω・)」
「急に立ち止まると、危ない」
手ぶらで行くのも具合が悪いので何か茶菓子でも買って行こうと商店街に立ち寄ったのだが、クレープを食べたいということで途中まで一緒についてきていたクラスメイトのりあむと織迦が歩みを止めた白羽の顔を覗き込んできた。
「いえ……なんだか妙な気配がしたような気がして」
「妙な、気配?」
「アハ、この街で白羽たん以上に変なやつなんていないっしょwww」
「りあむ、流石に失礼」
「あべし(;・□・)」
うざったいオーバーリアクションで絡んでくるりあむのでこっぱちにチョップを振り下ろす織迦。いつも通り過ぎるやりとりを視界の隅に捉えながらも、白羽は気配の出所を探る。とは言え、白羽の気配探知なんてりあむの足元にも及ばない。りあむがいつも通りのりあむなので、勘違いの可能性の方が高い。
しかし、方角的にはやはり――
「気になるなら、行った方がいい」
と、織迦が白羽を真っすぐ見つめながらそう口にした。
「白羽が気になるなら、ちゃんと見てきた方がいい」
「いいんですの?」
「ええー! 白羽たんとクレープ食べたいー(p>□<q*)」
「りあむ、お黙れ」
「ひぃ、織迦たんテラコワス(((;´•ω•;)))」
「クレープなら、白羽がぱっと行ってぱっと見てぱっと帰ってきてからでも、食べれる」
「そっかーヾ(*´∀`*)ノ」
一瞬で丸め込まれるりあむ。そしてビシッと白羽に向かって親指を立ててにっこりと笑う。
「それじゃあウチらは先に行ってるぜ! 白羽たん、すぐに追いついてよね!(*`д´)b」
「……はいはい、らじゃりましたわ」
適当に相槌を打ち、白羽は即座に全身に魔力を通わせる。そして存在時空をずらし、先ほど気配を感じた方――雑貨屋WINGへと向かった。
雑貨屋WINGはかつて羽黒お兄様が店主を務めていた何でも屋である。
装飾用のリボンから家具家電、非合法ギリギリの怪しい素材や戦力そのものまで、いつでもどこでもお届け参上の何でも屋。
元々は月波市に戻ってきた羽黒お兄様の仮拠点として、また白羽の肉体復活のための研究施設として設えられた後、正式に瀧宮家に組み込まれた組織である。
構成員は今現在実質四人。
代表である白銀羽黒――旧姓瀧宮羽黒に、その妻で補佐を務めるもみじ。そしてこの春から店舗勤務の店長に昇進した朝倉真奈と、羽黒お兄様に世界各地に連れまわされているユーお兄様である。
羽黒お兄様が店主を務めていた頃は店舗なんてお飾りで、羽黒お兄様のスケジュールで開いていたり閉まっていたりした。しかし真奈が店長になってからは定休日が定められ、毎週水曜日と日曜日は必ず閉まり、それ以外の日は午前10時から午後7時まで開店するようになっていた。
そして今日は水曜日。
店に居住スペースがあるのだが、紫が生まれてからは少々手狭ということで白銀夫婦は引っ越し、真奈も一人で住むには広すぎるということで今は誰も住んでいない。
だから今日この日はあの建物に人の気配はないのだが――
「いますわね」
表の鍵が壊されている。その上、白羽のつたない気配察知、梓お姉様に言わせると野性の勘は外れていなかったらしく、店の前に立つだけで家屋から異質な気配が漂っていた。
しかし。
「……妙ですわね」
真奈が店長となったからと言って、この店の取扱商品に大きな変動があったわけではない。むしろ真奈が普段店番しながら、依頼されて解析している魔術関連物を置いている分ヤバさはレベルアップしている。そのためセキュリティに関して、この建物は物理的にも魔術的にも瀧宮家の屋敷にも勝るとも劣らぬ堅牢さを誇っているはずなのだ。
それが正面から破られているにも関わらず、店主の真奈が駆けつける気配がない。
「先に連絡を入れて、と」
白羽はケータイから真奈の番号に店の状態について報告する。それから「よし!」と頬を叩いて気合を入れ、店内へと足を踏み入れた。
「ん……? 思ったよりも綺麗ですわね……?」
中は荒らされた形跡はない。
少し前に気紛れで立ち寄った時と変わっているようには見えない。
「ていうかなんか……寒くないですの?」
季節は夏から秋に変わろうという頃合い。確かに最近はシャツ一枚では肌寒くなってきたが、それでも息が白くなるほどではないはず。
なのに、呼気の水分が瞬く間に凍てつき、氷の霧となって床へと舞い落ちる。
これはまたやべーやつに這入り込まれたようだと気合を入れ直し、全身に身体強化を施しながらついでに耐寒術式も起動する。
「店先に置かれてる一般的な品物は完全に手つかずですわね。カウンターは……流石に真奈が管理してる領域までは分かりませんわね。整理されてはいるようですが、ここから何冊か魔導書が抜かれていても白羽には分からないというか……」
とは言え侵入者はまだ中にいるようだ。物音はしないが、気配も消えていない。……店内に入ったのに、気配の出所がいまいち不明瞭なのは流石に自信がなくなるが。
「仕方ありませんわね……一部屋ずつ探ししかないですわ」
とは言ってもこの家はそんなに広くはない。一階の店舗スペースの奥はリビングと水回り、二階は結婚前の羽黒お兄様ともみじが使っていた部屋が二つあるだけだ。一応地下室があることはあるが、白羽の肉体が完成してからは封鎖されている。
……だから不届き者はすぐに見つかった。
「あ、いた」
思わず声に出してしまった。
何故ならそいつは、さもそこが自分の居場所ですという顔をして、リビングで本を読んでいたのだ。
「…………」
こちらに全く注意を向けることなく、文庫本を開いて視線を動かすそいつの印象は、「なんか脆そうなガキ」だった。
姿形としては、白羽とそう歳も変わらなそうな少女。透明感のある薄水色の髪の毛に藍色の瞳。黒い厚手のセーラー服に、露出を毛嫌いしているかのような黒い長手袋とタイツで手足を隠している。さらに首元までマフラーで覆っているため、肌は顔しか見えない。その顔も、よく言えば儚げ、悪く言えば氷像のように生気を感じられない。
まるで少し触れただけで溶けて、砕けてしまいそうな繊細な氷細工のような少女。
そして何より異質なのが、彼女は確かにこの店の鍵を壊して侵入し、我が物顔でリビングで読書に耽っているはずなのに、悪意が、害意が、それどころか存在感すら感じられない。
つい視線を外してしまえば見失ってしまうんじゃないかと思うほどの、存在の朧さ。
目の前にいるのにどこにもいないような、虚像のような少女を、白羽は歯を食いしばりながら目を凝らす。
そして――ペラリ。
少女が手にした文庫本のページをめくった時、白羽はハッとして声をかけるという行為を思い出した。
「あなた何なんですの!?」
「…………」
本を読む瞳の動きが止まる。
「……???」
顔を、上げる。
「……っ!?」
そして白羽を見て――本当に初めて白羽の存在に気付いたように、目を見開いた。
「…………ぁ、…………ぅ…………」
「は? 何ですの?」
なんか喋った気がするが、全く聞き取れない。まるで数百年ぶりに声を発した世捨て人のようだ。
「…………ぁの…………」
一呼吸。
「……あな、た……はだ、れ……?」
震える声で、辛うじて聞き取れる声量で、文庫本で口元を隠しながらそう逆に問うてきた。
「…………」
「…………ぁぅ」
じっと見つめ返すと、目元まで文庫本で隠した。
違う。これただのコミュ障だ。
「はああああああああああああああああああああああ……………………」
深い、深い溜息を吐く。
何なんだろう、こいつ。こうして会話(?)していても悪意の類は微塵も感じられないし、それどころか「守ってやらねばならぬ」という謎の庇護欲が湧いてくる。それでいて、さっきから身体強化を少しでも緩めれば凍死しそうなほどの冷気をリビングにばら撒いている。
「白羽は瀧宮白羽ですわ。ここは白羽の兄のお店。あなたはそこに鍵を壊して這入った不審者。OK?」
「ぁ…………わたし、は……」
ふう。と一呼吸。
「……野薔薇、凛華…………あだ名は、グレンちゃん…………」
「どこをどうしたらグレンちゃんになるんですの。あとセリフの途中で深呼吸するの鬱陶しいですわ」
「ぁぅ……」
「……チクショウ可愛いなこいつ」
鬱陶しいこたぁ鬱陶しいのだが、そもそもがビックリするくらい可愛らしい顔つきをしているため多少のウザさは上書きされる。なんなら守護りたい欲と弄って泣かせたい欲がせめぎ合って白羽の心情穏やかじゃない。魔性ですわこの女。
……というか、この感じ……。
「あなたもしかして、真奈の客人ですの?」
「…………あの…………えっと、」
「だとしたら何で鍵壊して這入るんですの。真奈に連絡するか、待ち合わせの時間まで待ってろですわ」
「……ごめん、なさい…………わた……し、その…………こ、こに……来れば…………ガダのおに、い、さんに、会えると思……って……」
「ガダのお兄さん?」
普段この店にいる真奈ではなく、お兄さん?
あー……これ、もしかして……。
「そのガダのお兄さんって、背が高くて全身黒ずくめで左頬に十字傷、右目を眼帯で隠したいい歳した中年らしからぬ胡散臭さの擬人化のような男ではありませんの?」
「……! うん、そう……! …………背が、た、高くて……全身黒ずくめ、で…………左のほっぺに十字傷が、あって……右目が眼帯で………………とっても優しい、お兄さん……!」
「あ、じゃあ人違いですわ」
あの不審者兄貴を前に初対面で「優しい」という感情を抱く人物がいるわけがない。多少付き合いをもって何度か死線を潜り抜けて、ようやくただの不審者じゃないと気付くならばまだしも、こんないたいけな美少女が早々「優しい」と思うわけがない。あり得るとしたら、本気の本気でかどわかそうとして、このグレンちゃんとやらがコロッと騙され……騙され……。
「…………」
「…………?」
「騙されそうですわ……」
白羽の中の梓お姉様が「一体何をしたんだあのクソ兄貴」と罵声を浴びせている。
ともかく。
「あなた、羽黒お兄様のお客人でしたのね。……でも残念ながら、この家にはいない……というかだいぶ前に引っ越しましたし、今はお仕事で街を離れてますわよ。確か次に戻るのは来週とか再来週とか」
「…………え…………」
「事前に連絡は……」
「…………ぅう…………」
「その様子じゃあ、していなそうですわね」
目に見えて落胆するグレンちゃん。まるで母から引き剥がされて一人ぼっちにされた小動物のようだが、騙されるな。まだ警戒を解くな。目の前にいるのは、アポなしで羽黒お兄様に会いに来て人んちの鍵を壊して這入るやべー女だ。
――チン♪
「え?」
「あれ……?」
その時、キッチンの方から電子レンジが鳴る音が聞こえた。何でこのタイミングでレンジが鳴るんだとそちらに視線を向けると、なぜかグレンちゃんがそわそわとした足取りでキッチンへと消えていった。
本当に一体何なんだと視線で追うと、グレンちゃんは何やら湯気の立つ小さなタッパーを両手で抱えて戻ってきた。
ふわりと香ばしいかおりがリビングに広がる。中身は見たところ、多分、ナスの肉味噌焼き。
グレンちゃんはそれをテーブルに置き、再び椅子に腰かける。そしてはたと何かに気付いて再びキッチンに消え――箸を二膳持って戻ってきた。
「…………」
「あの………………………………どうぞ…………」
いや、どうぞって。
それ多分、真奈が昼休憩の時に食べるための常備菜なんじゃねえかな。
「……はぐ…………おいしい…………久しぶり…………」
「…………」
なんというか、本当ならこんな不審者、しかも明らかに常識の欠如した人外はとっとと斬り捨てるべきなのだろう。しかし不思議と、刀の柄にいまいち手が伸びない自分がいることも確かだ。
「はあ……」
溜息を吐き、ナスを頬張るグレンちゃんに向き直り、白羽は自分のケータイを差し出す。
「ん」
「…………???」
「白羽の番号ですわ。羽黒お兄様が街に戻ってきたら連絡しますわ」
「え……っと、い、い……の…………?」
「その代わり、今日はさっさと帰りなさいな。真奈……ここの店長には、白羽から説明しておきますから」
「……あ、その…………わたし、携帯電話…………ない」
「……それじゃあ、公衆電話使ってたまにそっちから連絡くださいな。羽黒お兄様のスケジュールが確保出来たらその時に教えますわ」
「……っ! うん……! あ、りが……とう……!」
ぱあっと顔を輝かせるグレンちゃん。なんだ、そういう表情もできるのか。そいて笑うと想像以上に可愛――
「じゃ、じゃあ…………ちゃんと、忘……れ、ないように…………メモ、しなきゃ……!」
ずるり、と左腕にはめていた黒い長手袋を手首までおろす。
そこには、顔色同様生気を感じられない白い肌に――無数の紅い文字が刻まれていた。そしてポケットに右手を突っ込み、カチチ、と音を立ててカッターナイフを取り出す。
「うふ……うふふ…………シラハ、ちゃん…………ガダの、おにい、さんの、妹さんの…………番号…………!」
「…………」
もしかしなくても白羽、想像よりもやべーやつに個人情報を渡してしまったのかもしれない。
「うふ……それじゃあ…………今日は、か、えるね……」
「あー、はい。バイバイですわ……」
どっと疲労感と悪寒が襲ってきた白羽をよそに、テーブルから立つグレンちゃん。そして彼女はパキン、と空間に爪を立てる。
「……っ!?」
パキパキと音を立てて崩れる空間。そして人一人が通れるほどの孔が開くと、グレンちゃんはそこにひょいと体を放り投げた。
「じゃ……じゃあね…………電話、毎日、するから……」
どことも知れない孔へと堕ちながら、グレンちゃんは去り際にそう言い残した。それを白羽は茫然と見送り、リビングに充満していた謎の冷気が孔に吸い込まれ、塞がるのを見届けてようやく声が出せるようになった。
「……せめて週一になさい」
当然、そんな言葉は彼女に届くはずがなかった。
『あーあ、やっちまったな。俺知ーらね』
「そんなこと言わないで助けてください羽黒お兄様!?」
彼女が去り、再び真奈に連絡をしたのだが、何故か最初に真奈にメールを送ってから1分も経過していなかった。そのことも含めて羽黒お兄様に緊急SOSを送ったら、そんな情の欠片もない返答が帰ってきた。
「そもそもアレは何なんですの!?」
『自分で名乗ったんだろ。野薔薇凛華。「紅蓮」って』
「知りませんわよ!? 羽黒お兄様の知り合いなんじゃないんですの!?」
『俺だって知らんわ。知識としては知ってはいるけどな。……ありゃ魔王だ』
「マッ!?」
ひゅっと喉から空気が漏れて変な音が出た。
『魔王連合序列第8位〝君主〟――紅蓮の魔王だ』
「しかも序列たっかいですわね!? フォルちゃんが昔17位とかじゃなかったですの!?」
『まあ魔王としては特殊な部類だがな。基本的に魔王の根底にある破壊衝動はない。が、ヤツがそこにいるだけで周囲が勝手に滅ぶ。まあ災害みたいなもんだな』
「そんなヤツと一緒にいたんですの白羽!?」
『だからお前よく無事だったな。……いや、よく考えたらお前とは相性がいいのか。紅蓮の魔王は氷雪系の魔王だ。「紅蓮」ってのは寒すぎて体が裂けて血で赤い花が咲くっつー紅蓮地獄のことな。ヤツがいるだけで空間が、時間が凍り付く』
簡単に言えば寒すぎて時間がほぼ止まるんだよ、と羽黒お兄様は信じられないことを口にする。
しかし同時に合点がいった。グレンちゃん……紅蓮の魔王が去った後に時計を確認したら時間が進んでいなかったのはそういうことか。
そして白羽はその対処として、無意識に寒戸を発動させて時間停止を無効化させたということか。
「ていうか彼女、最初は羽黒お兄様を探してたんですわよ!? 今回の羽黒お兄様に責任があるんじゃなくって!?」
『なんでだよ。だから知らねえって、紅蓮の魔王なんて。自分の周りの時間止まってるようなやつとどう知り合うんだっつーの。あー、でも何年も前から俺に「餓蛇」なんて名前勝手につけて一方的に絡んでくる連合の魔王を撒いてるから、嫌がらせに情報流されたんかもしれんが』
「じゃあ羽黒お兄様のせいじゃありませんの!!」
『そんなことより、お前これから大変だぞー』
自分の妹がとんでもないのに目を付けられたというのに、羽黒お兄様はへらへらと軽薄に笑いながら冗談口調で忠告してきた。
『「紅蓮」は記録にある限りそこそこ旧い魔王みたいだぜ』
「だから何ですの」
『もう何百年、何千年と魔王やってんだぞ。しかも自分だけは時間が止まっている――一体何万、何億年一人で生きてきたんだろうな』
「…………」
『それが魔王になって初めてまっとうに人間と会話できたんだ。はっはー、こりゃ粘着されるぞー』
「―――――――――ッ!!」
我ながら人間とは思えない甲高い奇声を上げ、ケータイを地面に叩きつけた。
なんで……どうして……こんなことに……。
――Prrrrrrrr!
「ひっ!?」
叩き壊したはずのケータイに着信が入る。送信者は――公衆電話。
「ああ、もう! もしもし!?」
もはやヤケクソ。白羽はひび割れたケータイを拾い上げて通話に出る。
それが生涯に渡り、長い長い間付きまとわれ――白羽の友人となる野薔薇凛華との出会いだった。