014:下劣な魔女・未練・手帳
目の前にそびえる巨大な建造物に、裕は圧倒された。
高さは200mを軽く超え、横幅はそれを上回る。奥行きも50は確実にあるだろう。
そんな巨大建造物が、よく見ると波の音に合わせて微かに上下している。浮いているのだ、この大きさの鉄の塊が。
豪華客船キング・ソードフィッシュ号――そこが今回の現場だった。
「ユッくん、行こう」
「あ、うん」
ぽかんと船体を眺めていた裕に自身の腕を絡め、黒髪ショートカットの女性――真奈が背筋をピンと立てて歩く。
いつものゆったりとした動作は完璧になりを潜め、眼鏡も外していることもあってまるで別人のようだ。
いや、別人でなければならないのだ。
裕も気を改め、事前の打ち合わせ通り少々厳つい表情を意識して遅れないよう歩みを進める。
そして搭乗口まで辿り着くと、黒服がにこりと人のよさそうな笑みを浮かべて待っていた。
「你想『パスポートを確認します』」
一瞬耳馴染みのない発音が聞こえたが、すぐに意味が分かる言葉に変換されて頭に届く。真奈が準備していた翻訳魔術が発動したらしい。
「『どうぞ。ほら、あなたも出して』」
「…………」
真奈が流暢な中国語を操りながらパスポートを提示し、裕もそれにならって差し出す。無言なのは、当然中国語なんて喋れないからだ。
「『李若汐さんと李浩宇さんですね。お待ちしておりました』」
背後に控えていた黒服二人が駆け寄り、裕たちから手荷物を預かる。
「『セミスイートでご予約いただいておりますので、部屋までご案内いたします』」
「『よろしくね。ハネムーンだから、ちょっと奮発しちゃった!』」
「『ははは! よい船旅となることをご約束します』」
にこやかに会話を進める真奈に対し、裕はぶすっとした表情を崩さず無言で後に続く。事前の計画通り、裕は特に話しかけられることなく部屋まで案内された。
「『それではごゆっくりお寛ぎください』」
黒服は荷物を部屋へ運び入れると、恭しく頭を下げて退室する。
それを見送り、気配が遠ざかるのを確認すると真奈がふうと大きく息を吸う。
「――遮断。――隠蔽。――起動」
鞄から手帳サイズの魔導書を取り出し、単語レベルの起動韻で手早く魔術を発動させる。その効果が部屋全体に及んだことを確認すると、ようやく裕も一息ついた。
「ここまでは順調」
「そうだねー……」
ぽふんとベッドに腰かけ、背中を柔らかな布団に預ける真奈。ちゃきちゃきとした新婚中国人観光客李若汐の仮面を脱ぎ、いつものゆったりとした仕草に戻る。
「そのままでいいから、今回の仕事の確認をしようか」
裕も自分のベッドに腰かけ、真奈に問う。するとひらひらと手を振って先を促した。
「今回の依頼主はヘキセン魔道学会。内容としては、学会を敵視している魔術組織『最後の魔女狩り』が大規模な掃討戦の準備をしているとの情報が入ったけど、その全貌が全く掴めないから探ってきてくれって話だったな」
「うん……学会所属の魔女たちも探ったみたいだけど、どれだけ探しても証拠が出なかったって……もしかしたら組織幹部間の口頭のみで練られてる計画かもしれないって……」
「それで、その掃討戦の陣頭指揮を執ってると思われる幹部の一人がこのキング・ソードフィッシュ号で行われる裏オークションに参加するらしいからって、この船に僕らも乗り込むわけになったんだけど……」
「……聞く限り、ターゲットが本当に厄介だねー……」
両のこめかみを指で押さえて揉み解す真奈。事前に依頼主から提供されたターゲット情報が、結構どうしようもない。
「極端な魔女嫌い……というか、女性魔術師嫌いか。普段から『下劣な魔女』だの『子を産むだけの家畜』だの、とんでもねえこと大声で言ってるみたいだな」
「自分の部下も……同性愛者の男の人だけで構成する徹底ぶり……はあ……」
大きくため息をつき、ぱたぱたと両腕をベッドに擦り付ける。
こんな奴にどう接触しろというのだ。
「前提条件として、今回はターゲットから計画を抜き出すのが目的だから、堂々と襲撃するような力業はNG。攫って拷問もダメ」
「うん……襲撃を悟られて自分にプロテクトかけられたら情報引き出せないし……誤って死亡させたら学会との軋轢が深まっちゃうからね……」
「しかも今回ターゲットが参加するオークションは裏っちゃ裏だけど、表の一般人も参加可能。騒ぎを大きくするのは避けたいところだね。そんなオークションに何が欲しくて来たんだか」
「中世の魔女狩り時代に使われた魔導具がいくつか出品されるみたいだよ……もう壊れてて使い物にならない、完全にオブジェ扱いみたいだけど……そっちはまあ、放置でいいかなあ」
「でも欲しいもの手に入ったらとっととトンズラするだろうなあ。悠長に1カ月も航路通りの船旅なんてしないでしょ」
「そうだね……オークションまであと10日……それがリミットだから……」
さてどうするか、と真奈は起き上がりながら指先を繰る。すると光の線が泳ぎだし、空中に船内の見取り図が浮かび上がった。
「ターゲットの泊まる部屋は、最上階層のスイートフロア……の、一番奥のVIPフロア。当然……道中の廊下や扉には厳重な警備が配置されてるだろうから……正面からは無理……」
「寝込みを襲う? 警備が一般人や平均的な魔術師なら力押しもできるだろうけど、さすがに辿り着く前に騒ぎを聞きつけて逃げられるだろうなあ。腐ってても魔術師だし、脱出用の転移魔術くらいは用意してるよな。……って、そもそもごり押しはダメだった」
「直接乗り込むのが厳しいなら……昼間に警備の隙をついて接触して、情報を抜き出すのは……?」
とりあえずぱっと浮かんだことを言い合う討論。裕は難しいだろうな、と首を横に振る。
「そもそもVIPフロアに寝泊まりするようなやつが一般フロアに降りてくるか? レストランやカジノまであるんだろ、あのフロア」
「ショッピングモールがそっくりそのまま入ってるから、出てこなくもないかな……? ウインドウショッピングする趣味があるとはあんまり思えないけど……」
「そうか、とんでもないかこの船……。いやでも、よしんば降りてきたとしても流石に単独行動することはないんじゃないかな」
「そうなるとやっぱり、アナログな手段での正攻法は難しいかあ……」
呟き、真奈は自分の鞄を開き、中身をひっくり返す。観光客を装うために揃えた衣類やジュエリーが散乱し、その中に紛れさせた手帳を取り出す。
それは一般的な日記やメモ帳の体裁を取ってはいるが、中身は白紙。ただし予め、真奈が魔術の起点とできるよう最低限の細工を施してある。
「直接寝込みを襲うのが難しいなら……裏道を掻い潜って侵入しよう……女性嫌いなら、寝る時は一人だろうし……」
「どうするんだ? 複雑な魔導書は持ち込めなかったんだろ?」
「うん……だから今から書き上げようかなって」
「…………」
「魔導具もないし、書き上げるのには時間がかかるから……ユッくんには、侵入経路と脱出経路の確認をお願いしようかな……」
「りょーかい」
そっちなら自分の得意分野だ、と裕は頷く。
* * *
五日後。
二匹は船内の通気ダクト内を駆けていた。
『うわあ、四足歩行ってすっげえ違和感』
『想定してたけど、すごく埃っぽいね……』
ちゅうちゅうと鳴きながらひげで会話をする二匹の鼠。
当然、その正体は裕と真奈である。
『動物への変身魔術か……よく五日で形にしたなあ』
『一度依頼で書いたことあるからね……それよりぶっつけ本番でごめんね……?』
『大丈夫、それについては信頼してる』
『……ちなみに途中で解けちゃった場合……この鼠がなんとか通れるサイズのダクトにぎゅうぎゅう詰めに……』
『……信頼してるよ?』
本当は自分一人が変身するならば魔導書を作らなくても魔術の発動はできる。しかし今回は自分以外にも魔術を施す必要があったため補助具として魔導書を書き記したのだ。
『でも実際に変身してみると……勝手がかなり違うね……距離感覚が狂いそう……』
『大丈夫、こっちであってる』
そう言って裕は歩調を崩さない。
この五日間、真奈が部屋で魔導書を執筆している間に裕は船内をひたすら歩き回った。魔術の類を発動してターゲットに警戒されるわけにはいかなかったため、一般的に立ち入れる範囲に限られたが、それで十分だった。
視覚で確認できる船内各地区の通気口の位置、人々の歓声の反響、足音、動力部の振動、大型船の構造設計――それらと船内の見取り図を混ぜ合わせ、VIPフロアまでの道筋を割り出して頭に叩き込んだ。
『もうすぐ目的地。準備を――ん? なんだこの臭い』
『え……?』
鼠となり、格段に鋭くなった嗅覚に突き刺さるような酸っぱい臭いが漂っていた。一瞬、船内で出た残飯が腐敗しているのかとも思ったが、この手の客船でそのような悪臭を発生させるとは思えない。
遠くに大きな通気口が見える。裕の予測ではあれがVIPの寝室の空調設備となっているはず。
二匹は口の縁で足を止め、そっと覗き込む。
『いた。あれがターゲット……だけど……』
『…………』
鼠の姿になって表情は分からないはずなのに、真奈が不快そうに顔を歪めたのが伝わってくる。
ガウンを着てベッドに横たわり、鼾をかいている髭の男が今回のターゲットである「最後の魔女狩り」幹部。その容姿は事前調査の通りなのだが、そのベッドの周りに転がっているものが、口にするにも悍ましい光景となっていた。
『えっと……極度の女嫌い……なんだよな?』
『うん……たぶん、女の人を生物として認めてない……だから、平気であんなことができる』
そこにあったのは、辛うじて人型をとどめている状態の女性の腐乱死体の山だった。皮膚の崩れ具合から死後かなりの時間が経過していそうだが、それよりも目を引くのが、皆一様に頭髪が頭皮ごと削ぎ落され、顔や全身の穴という穴に異物が差し込まれていた。一部は皮膚を突き破っているものまである。
『仮にも一般人も乗ってる船で何やってんだこいつ……! わざわざ持ち込んだのか?』
『…………』
『なあ、本当にアレ始末しちゃだめなのか?』
『ダメ。それは……わたしたちの仕事じゃないから』
言って、真奈は通気口から飛び降りる。
舌打ちをし、裕もそれに続く。
「――惰眠。――自白。――記録」
着地と同時に変身魔術が解除され、真奈は手早く男に魔術を発動させる。
案の定寝室には男の他に警備はおらず、裕は真奈が情報の抽出が終わるまで扉の外に聞き耳を立てて警戒する。その間、せめてもの悼みとして死体に刺さっていた物を抜き、瞼が残っているものは伏せてやった。
「……ありがとう、ユッくん」
「ん。終わった?」
「うん……さあ、撤退しよう」
言いながら真奈は魔方陣を片手に浮かべていた。
また変身魔術かと構えていると、裕が整えた死体が黒い炎を上げて発火し、瞬きの間に骨も残さず燃え尽きた。後にはカーペットに多少の焼け焦げが残っているだけだ。
そしてその熱に反応し、フロア全体に火災報知器が鳴り響く。
「朝倉!?」
「わたしにできるのは、これくらいだから。未練も残さず、燃やすくらいしか……」
「…………」
「……帰ろう」
言って、真奈は姿を鼠に変える。そして裕もまた視界がどんどん低くなり、鼠の姿となった。
二匹は事前に想定した経路で脱出し、部屋まで戻る。
そして一切の痕跡を残さず回収し、転移魔術によって船の上から姿を消した。
* * *
「お前ら、何かやったか?」
「え?」
後日。
月波市の雑貨屋WING内の事務机で書類整理をしていた裕に、店長の羽黒が頭を掻きながら藪から棒に訊ねた。
「いや、今さっきヘキセン魔道学会のババアから連絡があってよ。お前らが寄こしてくれた掃討戦計画をまとめた魔導書のおかげで被害は免れた、なんなら逆に根こそぎひっ捕らえて連盟懲罰部隊に突き出してやったってさ」
「え、魔道学会ってそんな武闘派な組織でしたっけ?」
「いや、上層部はともかく、基本的には学者肌のはずだ。けどそんな連中でもあっさり総浚いできるくらいにグダグダな襲撃だったらしい」
言いながら、同じく書類整理をしていた真奈へと視線を投げかける。
「そん時に、アジトで例の幹部も捕まえたらしいんだが、そいつ、記憶も人格も何もかも失って廃人になってたらしい。……んでお前ら、襲撃の計画をまとめただけにしてはやけに分厚い魔導書提出してきたけど、何かやったか?」
思わず、裕は真奈を振り返る。
しかし彼女はいつもどおり、のんびりとした所作で微笑み、首を傾げ――眼鏡の奥の灰色の瞳を細めるだけだった。
「……さあ? わたしは何も知りませんよ?」
「…………」
「ま、いいや」
急に興味を無くしたように話題を切り上げ、羽黒は真奈に一つの鍵を手渡した。
「なんにせよ、試験は合格だ。これ、地下の鍵な。店の帳簿とか重要書類やらは全部そこにまとめてある。明日からよろしくな、店長」
「はい……お任せください」
頷き、真奈はその鍵を受け取る。
羽黒の娘――紫が月波学園初等部へ入学するのを切っ掛けに、より多くの異能力者や人外と触れ合うために行燈館へと住居を移す話は前からあった。そして紫が生まれてからは育児を手伝うため活動範囲を狭めていた羽黒だったが、それを機に再び自ら現場を中心に動くという方針へと転換した。
そうなると、居城たる雑貨屋は誰が守るのかという話となり――自然と、真奈へと白羽の矢が立てられた。
誰からも反対意見は出なかったが、形式的に試験として今回の依頼達成を条件として課せられ、無事に合格ということらしい。
「おめでとう、朝倉店長」
「うん……頑張るね」
「っし、じゃあ今日はちゃちゃっと切り上げて飲みに行くかー!」
「羽黒さん……先月の報告書、連盟から修正依頼ありましたけど直しましたか?」
「……おい、どうするユウ。新店長、俺より厳しいかもしんねえ」
「報告書の修正くらい早く出してくださいよ……」
ため息をつきながら、裕は静かに笑う。
これから忙しくなりそうだ。





