009:掲示板・失せ人・クレーター
冥府直轄鬼狩り局――局長執務室。
ちゅどぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉんっ!!!!
「何事!?」
部屋に、否、施設全体に発破のような激震が突き抜けた。
パラパラと天井から塵が降ってくるのを手で払いのけながら、鬼狩り局長は声を張り上げて近隣の部署で待機していた部下に確認を急がせる。
「ほ、報告します!」
数秒後、血の気の引いた青白い顔で一人の鬼狩りが局長室に駆け込んでくる。
「敵襲です!」
「はあ!?」
そして予想だにしなかった二文字に、平時は冷徹で知られる局長も開いた口が閉まらない。
「ここをどこだと思っているの!? 鬼狩りの総本山よ!? 数は!?」
「ひ、一人です!」
「侵入経路!」
「鬼狩り用の道を通って、正面から、堂々と……!」
「ふざけているの!?」
「本当なんですぅ……!」
「被害状況は!?」
「正面受付で待機していた者が、の、軒並み負傷! 施設にも破損被害が出ています! 局内にいた者たちで応戦していますが、その……人質……と、言っていいものかどうか……一人、捕らわれています……!」
「どこの馬鹿よ! ああもう、じれったい! いいわ、直接確認しに行く!」
苛立ちを隠さず、局長は部屋の扉をけ破る勢いで歩き出す。
カツカツとハイヒールを鳴らしながら術式を発動させて手元に得物のライフル銃を呼び出す。それと並行し、襲撃があったという正面ホール方面の気配を探る。
しかし、何やらジャリジャリと耳障りな不快な音が充満していて上手く探知が機能しない。
「……待って、嫌な予感がする」
ここ数年はだいぶマシになったと聞いていたため忘れていたが、このジャミングには局長自身も覚えがある。
嫌な予感を通り越して虫唾が走り始め、今すぐ踵を返したくなったがそれで襲撃者が待ってくれるわけもなく。
どっかんどっかん派手に破壊音のする正面ホールが近づき、局長はライフルを構えて威嚇する。
「止まりなさい! ここをどこだと思って――」
しかし目の前に広がっていた光景に、局長も絶句する。
壁、天井、テーブル、ソファ、壁の掲示板、果ては観葉植物の植えられた鉢まで、無事なところが一つもない。
爆撃空襲跡地さながらの鬼狩り局正面ホールの中心で、赤い着物の女が亜麻色の長い髪を靡かせながら十人以上の鬼狩りを相手に一騎当千の大立ち回りをしていた。
「どういう、状況……?」
それよりもなによりも。
女の振るう得物に視線が釘付けになる。
「いやああああああああああ!! 助けてええええええええええお家帰るうううううううううう!!」
腐った牛乳を拭いた雑巾を引き千切るようなきったない悲鳴を上げる鬼狩りの青年を、どこかからへし折ってきた駐車禁止の道路標識に鎖で括り付け、棒切れか何かのように振るっていた。
* * *
「うーん、よりにもよってあの子が攻めてきたかあ。彼女が相手じゃあフレアも分が悪いかなあ」
ぱちん。
燭台の仄かな明かりがともる部屋に、碁石を置く音が響く。
「増援は送らないんですか、小野さん」
「増援? 対多戦最強クラスのあの子相手に増援? 面白い冗談だ、安倍くん」
「そんなつもりはないんですがねぇ」
「そもそもあれは君の血筋だろう」
ぱちん。
反対側に座す者も、碁石を指す。
「直系じゃないですよ。血筋で責任云々言うなら、死神局の管轄でしょう」
「あそこもなあ。トップが二人とも長期間の負傷から帰ってきたばかりだし、この前ようやく狭間の整備が終わって通常業務に戻ったところだから、あまり負担かけたくないんだけどなあ」
「すげえ、小野さんが珍しくまともな上司みたいなこと言ってる」
「君は私を何だと思っているんだい」
ぱちん。
しばしの間を置き、石が置かれる。
「ところで、何だって急に攻めてきたんですかね」
「それは十中八九、この前の失せ人の彼絡みだろうね」
「……そう言うってことは、やはり小野さんは現世の事態を把握してたんですか?」
「いや」
ぱちん。
石が、置かれる。
「私も何も知らないよ」
「…………」
石は置かれず。
しばし思考を挟む。
「彼絡みなのは間違いないだろう。でも私は本当に何も知らないし、何も聞いていない。だけど彼が異世界へ依頼を受けて不在の間に襲撃してきたってことは、そういうことだろうね」
「彼っていうと、小野さんの虎の子の?」
「ああ。彼が鬼狩りになった時の条件で、彼が異世界にいる間は強制召喚できないからね。いやはや、今更あの契約が生きてくるとは思わなかったなあ」
「…………」
「しかし、しかし面白い。この私がついに完全に出し抜かれてしまったよ。彼女が冥府で暴れ、我々の視線が縛られている間に現世で何をしようとしているのかは知らないけれど、きっと面白いことが起きる」
「……はは。どうせ碌なモンじゃねえに一票」
ぱちん。
石が置かれる。
「おや、そこでいいのかい?」
「え」
「はいはい、ここに置いて止めナシの四三の完成。私の勝ちだ」
「だーっ!? ま、待った!」
「待ったなし」
「くぁー、また負けたー!!」
「安倍くん、相変わらず弱いなあ。囲碁で勝てないからって五目並べを持ち掛けたのはそっちじゃないか」
「もう一回! もう一回オナシャス!!」
「ははは。いいよ、何度でもやろう――納得するまで、ね」
* * *
――キリマンジャロ深奥区域。
『こちら、ノワール及びフージュ隊。目標を確保、転送した。確認を』
* * *
――アマゾン川源流部。
『こちら秋幡。たった今封印完了した。受け入れ準備を――』
『にゃははは! あのクソ龍殺しがベースと言っても所詮切れ端、この最強のドラゴンたるあたしにかかればただの蜥蜴ですね!! ざーこ♡ ざーこ♡』
『うるせえこっちは通信中だ!』
『目があああああ!!』
* * *
――北欧フィヨルド谷底。
『白羽ちゃん白羽ちゃん………………グレンちゃんだよ…………うん、うん…………そうなの。ちゃんとできたよ。今送ったから……えらい? えらい? 喜んでくれる? ……あ……でもごめんなさい……ちょっとやりすぎちゃって、崖が崩れちゃって…………ごめんなさい、せいいっぱい手加減したんだけど…………ごめんなさい、ごめんなさい、見捨てないで…………え、気にしなくていい……? ……えへへ……ありがとお、白羽ちゃん……』
* * *
――ゴビ砂漠旧シルクロード中継地点跡。
『どうもご利用ありがとう、「知識屋」だよ。たった今、ご依頼の品の納品が完了した。……私? 幸い五体満足、怪我一つないよ。オリジナルと比べたらかなり扱いやすかった。前衛をやってくれた山ン本と神ン野の二鬼は満身創痍だがね。……ああ。後の方はそちらにお任せするよ』
* * *
――南極点。
『もしもーし、おっさんだよーん……は、はっくしょん! ……ぶぇぇぇ。ねえなんでおっさんだけ一人でこんなとこに派遣されてんの!? 他の皆と扱い違くない!? ……え? ああ、はいはい、魔石は送ったよ、大丈夫大丈夫。……いや、冷たいなあ、この辺マジで何にもないんだよ! 寒すぎてペンギンの一匹すらいn』
* * *
――月面クレーター「ティコ」
『こt ら 王連g 白m 児。 …あ 、さすg に n 距離だt 音がt ぶな。…… あ。任務完 だ。これy り 還する』
* * *
――霊峰富士山頂。
『ごめん遅くなった! こちら雑貨屋「WING」穂波朝倉班! 無事目標確保! 間に合うかわからないけどこのまま帰還してそっちに合流する! ……頼んだよ。でも無理しないでね――白羽ちゃん、紫ちゃん!』
* * *
「白。または光。もしくは自己。あるいは傲慢」
理を口にしながら、魔石を一つ一つ陣に配置していく。
「青。または水。もしくは慈愛。あるいは淫蕩」
そこはこの世でありながら、どこにもない。
「緑。または風。もしくは進歩。あるいは嫉妬」
地中の遙か高みの天空の底にある、矛盾の空間。
「赤。または炎。もしくは激動。あるいは憤怒」
その地に呼称をつけるとするならば、古来より瀧宮に伝わる言葉で――魂蔵という。
「黄。または地。もしくは盤石。あるいは暴食」
魔石に刻まれた『せかい』に呼応して、陣もまたそこに意味を付与される。
「黒。または闇。もしくは確立。あるいは強欲」
音が言葉へ、言葉が式へと紐付けられ、意志が溢れ、魂蔵へと泳ぎ出す。
「空。または無。もしくは停滞。あるいは怠惰」
そして満ち満ちた式と言葉はゆっくりと融け合い――巨きな「一」となる。
『…………』
その「一」が大きく息を吸い、吐き出す。
「一」は生あるモノとして手足を地に着け、首をもたげる。
瞼を持ち上げる。
『…………』
区切られた箱庭のような矛盾の世界が、目から脳髄へと奔る。
その中で唯一、矛盾なく、秩序立ち、まっすぐに「一」を見つめる存在に気付く。
年端もいかぬ少女。
ヒトの手が三つもあればようやく数えられる程度だろうか。
その少女の手には、何も感じられない、何の感慨も抱けない、半ばでへし折れた鉄の刃が握られている。
だのに不思議だ。
己はそこにいるべきだったのではないかと、そんな気持ちも同時に湧き上がる。
「――」
少女が何かを口にする。
音は聞こえたはずだ。
彼女の丸い舌が、小さな歯が、柔らかな唇が、空気を揺らして「一」の耳にまで届いたはずだ。
しかし、聞き取れない。
聞こえない。
分からない――そこに、意味を見いだせない。
「――――。……いいえ。劔龍ガダ」
やはり、少女の声の意味を受け取れない。
だが後ろの言葉は不思議と理解できた。
それが今の「一」の「名」なのだろうか。
「世界中の人々に語られ、想われ、畏れらたことでこの世に顕現せし怪異、剱龍ガダ。七つに散りし欠片を集め、再び巨きな『一』と成り――在るべき場所に還りなさい」
『……!』
その言葉を。
言霊を。
「一」の肉体が――拒絶した。
鋭い爪の生えた右腕を振りかぶると、そこに巨きな刃が生まれ出でる。
それを本能のまま、少女目掛けて振り下ろす。
――避けてくれ、頼む!
「一」のこころとは裏腹に、刃は少女を血溜まりにせんと勢いを増す。
――ガチン!
しかし刃は、鋼同士がぶつかったかのような音を立てて静止する。
少女は一歩も退かず、微動だにしていない。
左肩へと振り下ろされた刃は大きな襟の黒い衣は切り裂いたものの、その下の肉には食い込みもできずに弾かれた。
「……こんなモノじゃない」
少女は呟く。
声音に、涙が混じっていた。
手を伸ばし、肩に乗る刃に指をめり込ませる。
今度は皮膚が破れ、赤いいのちが地に滴る。
しかし即座に傷口は塞がり、逆に浸食するように指の先から刃がひび割れていく。
「――の力は、こんなもんじゃないです……! いつもヘラヘラ笑ってるくせに皆に背中見せて、背負って、ずっと戦ってたです! そんな――の剣がこの程度でいいはずがない!」
パキン!
砕ける。
一歩。
少女が下がる。
いや、違う。
「一」が、下がったのだ。
少女に対して、畏怖した。慄いた。……怖じ気づいた。
『……!』
しかし一歩で足が止まる。
「一」の奥から、何かの意思が湧き出てくる。
――逃げんじゃねぇぞクソトカゲ。
――てめぇの娘にあそこまで言われて引き下がってんじゃねぇぞ臆病者。
「――。ねえ、――」
少女が呼びかける。
そう言えば、休日の惰眠を貪っている時、いつもこうして声をかけられたものだ。
少女が手にしていた折れた刃を横に持ち、「一」へと掲げる。
「起きてください。ねえ――パパ」
『…………』
ああ。
起きる起きる。
今起きるから、ちょっと待っててくれ。
「一」は、否、剱龍ガダは、否――瀧宮羽黒は、そっと折れた刃に額を押しつけ
世界に
身を委ねた。
* * *
「おはようございます」
「……ああ。おはよう、紫」
「おはようございますですわ。羽黒お兄様」
魂蔵の端で二人を見守っていた白羽が近寄り、優美に低頭する。
「随分と遅いお目覚めですわね」
「悪ぃ悪ぃ。まあ俺としてはあのまま眠ってても良かったんだがな」
「パパ……」
「……悪い。今のは悪い冗談だ。調子に乗りすぎた」
羽黒が頭を掻く。
「白羽を解放するまで死ねねえと思ってた。だからその先は余生のつもりで、いつ終わってもいいように好き勝手に生きた。けどまあ、約束……つうか、言っちまったからな。梓が嫁に行くまで死ねねえって」
「それだけですの?」
「いや」
羽黒は笑う――軽薄に。
「白羽、お前が婿取るまでは死ぬつもりもねえ。梓が嫁に行って、お前が婿取ったら、今度は甥か姪が生まれるまで死ねねえ。甥姪が生まれたら……ああ、あんまり想像したくねえが、紫。お前が嫁に行くまで死なん」
「……もう、パパ……」
顔を赤らめ、俯く紫。その艶やかな黒髪を左手で撫でながら、羽黒は笑う。
「お前が嫁に行ったなら、孫が生まれるまで。孫が生まれたなら、孫が誰かと結婚するまで。孫が誰かと結婚したなら、ひ孫が生まれるまで、だ。その次も、その次も、死ぬつもりはない」
「一体何百年生きるおつもりですの」
「おいおい、お前らがそうしたんだろう」
笑って。
羽黒は龍の爪の残る右手を握る。
「俺は世界をまたにかける『最悪』の異名を関する人間・瀧宮羽黒でありながら、同時に世界を混乱の渦に叩き込んだ怪異・劔龍ガダそのものだ。そうそう簡単にくたばるかよ」
「でしたら」
ぱちん、と白羽が指を弾く。
するといつの間にか、三人の背後に――黒い棺が現れた。
怖気がするほど無機質な棺。
その中央に――途中でへし折れた、水底よりも黒く、この世の闇をかき集め煮詰めたような刃が刺さっている。
「その先の永い終わりのない人生に、刺激的な花が一輪、ご入用ではなくて?」
「……はは。そうだな」
羽黒はゆっくりと棺に歩み寄り、龍の右腕で無造作に刃を掴む。
「おはよう――もみじ」
* * *
その襲撃は、突如として介入した者によって停止した。
「そこまでです」
「双方、一度武器を下ろせ」
「…………」
「り、リン……!?」
ライフルを握る手を震わせ、肩で息をしながら鬼狩り局長が安堵する。
空間を切り裂いて直接乗り込んできた死神局の長とその腹心の姿に、ようやく増援が来たかと汗を拭う。
しかし。
「フレア。そして鬼狩りたち。引きなさい」
「は……?」
死神局長はその玄い鎌を、あろうことか鬼狩りたちへと向けた。
すでに痺れ始めていた指先にぐっと力を籠め、標準を二柱の死神へ合わせる。
「何のつもり!? ふざけたこと言っていると、あなたごと――」
「これ以上の彼女に対する干渉は協定違反となる。この先は我々死神に引継ぐ。貴様は引け」
「協定!? 一体何の――」
「瀧宮羽黒及びその関係者に対する冥府からの不干渉に関する協定ですよ」
「――っ!?」
息を呑む。
馬鹿な。そんな馬鹿な話があるか。
「彼女は瀧宮梓。奴の実妹だ。そんなことも把握していないのか、鬼狩りは」
「口を慎みなさい、死神局長補佐! だったら何だって言うの! その協定は1年前に意味を無くしたはずよ!」
「意味を無くした? 誰がいつ、そう決めた?」
「は……?」
「かの協定期間は瀧宮羽黒がこの世界に在る限り有効。それについてはあなたも判を押したはずよ、フレア」
「だからその瀧宮羽黒が――いえ、待って。まさか、そういうこと……!?」
血の上った頭で思考を巡らし、辿り着いた答えに愕然とする。
そんなことがあるのか。
あっていいのか――あの冥官が、見逃したというのか。
「……っ!! 鬼狩りたち、一時退却! 負傷者をまとめなさい!」
「退却って、フレア。ここは貴方たちの拠点でしょう?」
「うるさい!」
「負傷者の受け入れくらいなら死神局でやってやるが?」
「余計なお世話よ!!」
揃ってこてんと首を傾げる死神の長と補佐に、がおっと獣のように歯をむき出しにする。そして顔を赤くしながら廊下の奥へと去っていった。
「…………」
そしてそのやり取りを黙って見ていた赤い着物の女――梓は、興味が失せたかのようにどうでもよさげな表情で、肩に乗せていた道路標識をぶん! と放り投げた。
「おぎゃあっ!?」
標識と一緒に縛られていた鬼狩りの青年も壁に突き刺さり、悲鳴を上げる。それすらどうでもいいといった風に、梓は踵を返した。
「おい、瀧宮梓」
と、死神局長補佐が声をかける。
「これで良かったのか」
「…………」
無言。
冥府不干渉の協定があるとは言え、一時は机を並んだ学友だ。少しくらい言葉を交わすくらいは許されるだろうに、律儀なものだと呆れる。
「貴様、どう帰るつもりだ。貴様が通ってきた道は鬼狩りがいなければ開かんぞ」
「…………」
立ち止まり、振り返った。
やはり何も考えていなかったか、と渋い表情を浮かべる。
「……死神側の出入り口にナツ――藤村アヤカを待機させている。奴に道を開いてもらって帰れ」
「…………」
梓は無言で死神たちの元へと近寄ってくる。
それを確認し、死神たちも歩みだす。
「ありがと」
「……ふん」
死神でなければ聞き逃してしまいそうな小さな声。
それに対し、死神局長補佐は鼻で笑って応えた。





