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鹿島立ち

 タガヒコの鹿島立ちの日は呆気ないほどすぐにやってきた。


 ストーニャ王国民は酒を飲む以外にやることがなかったので、(最悪の(、、、)二日酔いでベッドから動けない者以外は)ほとんど全員が暇つぶしがてら王子の片道切符の旅立ちを物見遊山に来た。


 出立の儀は王城の前庭で形式的に執り行われた。国王ザクナヒコが頭の悪い宰相に書かせた馬鹿げたポエムをがなり声で読み、王妃コウコがオボロロヒコの剣でタガヒコとマツスミの肩を叩いて旅の安全を祈る。

 オボロロヒコの剣とは、その名の通りデゥィストレア人の英雄としてその恥辱に塗れた民族の歴史の筆頭に煌々と名を刻む男『オボロロヒコ』が愛用していたとされる錆び付いた剣のことだ。

 聖剣として国宝に指定されているため、普段は杜撰な警備体制をしいた城の地下に眠っているが、儀式めいたことをするときだけ思い出したかのように埃を払われて持ち出される。


 出立の儀が終わるとその足でタガヒコとマツスミは街を抜けて緑の大地と砂漠が交わる国境線まで歩いた。彼らの後ろにはにやにやした顔の国民が大行列を成して続いた。

 行列の間をお零れに預かろうと食い物屋や酒屋の移動販売がちょろちょろする。


 国民がにやにやしているのには訳があった。

 王城の使用人のひとりが謁見の間での王と王子の取っ組み合いを知り合いの読売に廉価でタレコミしたのだ。

 読売は即刻『スクープ! タガヒコ王子殿下、王殺害を企てる! あわやクーデター!』と大袈裟に題して目下の事件を瓦版にし、国中の街角で朗読会を開いた。

 国民はいつもの(、、、、)二日酔いでがんがん痛む頭を抱えながら戸口に立ち、笑ったり心配したりゲロを吐いたりしながら読売の緊迫感溢れる口上を聞き、我先にと瓦版を買い求めた。

 

 古今東西いつの世も人間というのは他人の不幸が面白くってたまらない生き物なのである。


 タガヒコはマツスミが報告と称して律儀に持ってきた瓦版を見て仰天した。そこには鬼のように醜悪に歪んだ形相のタガヒコと、情けなく泣く彼の父の風刺画が挿絵として載っていたのだ。


 どっちもどっちだが、あえて言うなら立場が逆じゃないのか。どこで話が行き違っておれが父上をやり込めようとしていることになったんだ。


 タガヒコは案の定胃を痛め、腹を下し、瓦版をぐしゃぐしゃに丸めて下痢便を拭く紙にした。拭き心地は悪く肛門がひりひりした。




 ミヤリノは国境で民衆に紛れながらタガヒコの旅立ちを見守った。

 老人と王子は年代を超えた特別な友人だった。ミヤリノにとってタガヒコはマシなまぬけだったし、タガヒコにとってミヤリノは知り合いの中で唯一尊敬に値する大人であった。

 鉄の鳥の話や量子力学の話はよくわからなかったけれど、老人のするダドワナ大陸の歴史の話はどれもこれも面白かった。


 それのひとつにペルベドンの巣に住む恐ろしの魔女の話も含まれていた。


 恐ろしの魔女はダドワナ大陸広しといえども知らぬ人はいないほどの超有名人だ。多くの人間は子供時代に寝物語として彼女の名前を聞く。地域によって差はあれ根底の情報は共通だ。


 曰く、魔女は五千年生きている。曰く、魔女は酷い人嫌いでペルベドンの巣に立ち寄って帰ってきた者はいない。曰く、魔女は妖しい黒魔術を使い、バカでかい鴉を使役する。曰く、魔女は悪食で特に人間の脳みそが大好物である。曰く、魔女は星を砕き宇宙の理を転覆させかねないほどの力を有している。


 どれもこれも信憑性に欠ける伝聞だが、子供たちを怯えさせ、せっつき、言うことを聞かせるのには持ってこいの物語だ。


 タガヒコは子供のころ、ミヤリノに魔女の実在の可否を問うた。ミヤリノは「いる」と力強く答えた。

「どうしてそう言いきれるんですか?」

「この目で見たからだ」ミヤリノは得意げだった。「あんまりにもお袋が脅しつけるんで気になってな、おまえと同じ歳の時分にペルベドンの巣の近くまで単身乗り込んでやったのじゃ」

「それじゃ、魔女に会ったんですか」

「いや、会うとらん。おれとて食われて死ぬのは怖いからの。遠くから屑鉄望遠鏡でペルベドンの巣を見た。王子、ペルベドンのことは知っとるな?」

「はい。水生の巨大な始祖の竜種ですよね。古代から生態ピラミッドの頂点に君臨し続けていたのに五千年前に突然滅んでしまって、今はストーニャ王国から見て北西の砂漠に骨だけが点在している。これをペルベドンの巣と呼ぶ。加えて五千年前というのはダドワナ大陸にとっても人間にとっても重要な転換点であって、ペルベドンを含む古代の生物相が一気に現代のそれに置き変わるという不可解なことが起きた。これを一般にエム境界と呼ぶ。自然災害や隕石落下による影響ではなく作為的に引き起こされた大量絶滅であったと考えられるが、未だ真相は闇の中で、有識者の中でも考えが別れる。同時期に人間は認知革命を起こして文明の夜明けを迎えた……でしたよね」


 ミヤリノは満足気な顔をした。タガヒコが述べた知識は他でもないミヤリノ自身が教えてやったものだったからだ。タガヒコには他のデゥィストレア人と比べて多少は知恵を吸収する能力があった。だからこそミヤリノは躍起になって彼に教育を与えたし、良い為政者となるために必要な手ほどきもしてやった。

 いつもくよくよ思い悩み、父親譲りの癇癪がよく爆発するという疵瑕はあったが、それを除けばタガヒコは素直で利発的な子供だった。


「ミヤリノ、ねえ、遠くからなにが見えたんですか? 早く続きを聞かせてください」

 タガヒコは夢見る少年特有のきらきらした眼差しで老人を覗き込んだ。

「うむ。魔女自体は見えんかったがペルベドンの巣のど真ん中に日干し煉瓦製のぼろっちい家を見つけたのだ。ペルベドンの巣は地の果てと言われるほど過酷な土地だということはお主も知っておろう。あすこはひたすらに暑いだけで水も食料もない。なのに、家がある。おかしいと思わんか?」

「ええ、確かに。常人が住むのは無理ですね。枯れない池があるストーニャさえ食物事情は芳しくないのに」

「そうだろうそうだろう。であるからしておれは、砂漠のど真ん中に住居を構えられるのは超自然的な力を操る何者かであり、同じ伝聞がこうも各地で広がっていることを鑑みてその何者かが『恐ろしの魔女』である可能性は非常に高いと結論付けたのだ」


 そんな会話を交わしたのはもう何年も前になる。

 贔屓目があるのは自覚しているが、それを差し置いてもタガヒコは立派な王子になったものだ。王になりたくないとか父親が好きになれないとかさんざん駄々を捏ねているけれど、もしかすると彼が王になればデゥィストレア人の知的進化の足枷となっているまぬけさも払拭できるかもしれない。ミヤリノは小さな紙製の旗を狂ったように振る国民たちに気弱く手を上げて答えるタガヒコの背を見送りながら思った。


 まあそれも、魔女にストローで脳みそを吸われず無事に帰ってこられれば、の話ではあるが。


 正直言ってミヤリノはタガヒコが五体満足で帰ってくることを期待していなかった。

 

 無闇にオカルトや怪奇現象を信じるたちではないが、この目で地の果てにぽつんと建つ家を見てしまったとなれば話は別だ。

 例え家の住人が生き血のついたままの臓物を食らう魔女でなかったとしても、地の果てに根を下ろそうとするぐらいだ、発狂は朝飯前にしているだろう。


 ミヤリノはザグナヒコに魔女の話をしたのを悔やんだ。教えなければよかった。ザグナヒコが大切なひとり息子を死地に向かわせるとはさすがのミヤリノも予想だにしない展開だった。


 ……いや、それほど国にとって、国民にとって、切羽詰まった事態ということか。


 このまま池が枯れればデゥィストレア人は砂漠にほっぽり出される。ほっぽり出されたら酔っ払うことしか頭にない連中は全員アルコールを求めて右往左往しながらみじめに野垂れ死ぬ。

 砂漠の横断という前代未聞で行き先不明な旅をやってのけた先祖たちが辛うじて持っていたらしい蛮勇すら現代デゥィストレア人は失って久しい。


 ろくでなしどもめ。


 ミヤリノは悪態をついて飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎと化した場から踵を返した。




 タガヒコはひととおりの愛想を振りまき終えると国王から進ぜられた、進化の過程で決定的な間違いを犯したんじゃないかと思えるほどに不細工な、背中に駱駝に似たひとつの大きな瘤があるダイデラウマの手綱を持って国境を越えた。


 今日も酷く暑くなりそうだ。


 砂漠はひたすらに退屈で、ひたすらに白茶けている。どこもかしこも砂、砂、砂だらけの同じ風景だ。土地勘のない者ならばすぐに行き先を見失って干物になるだろう。

 砂漠は無愛想に人を、動物を、あるいは文明を拒む。まるでこの世界を作った神だか創造主だか汎次元生物だか未知のエネルギー源だかが仕上げにちょっとした悪ふざけを付け加えたみたいだ。

 そいつはシニカルに笑うだろう。

「おい、猿の子孫ども。どうだ、おれお手製のアスレチックを楽しんでるか?」


 とはいえ、まぬけなデゥィストレア人たちがストーニャという国を七転八倒しながらなんとかこれまで維持してこれたのはこのクソいまいましいふざけた不毛の大地のおかげでもある。


 ダドワナ大陸の海沿いに建国されている潤った国家間では今も領地拡大や資源の奪い合いのための戦争が耐えない。

 一方のストーニャは攻め滅ぼす価値もなければ利益もないという理由で放っておかれている。

 潤った国家で売られている地図には広大なボレバリス砂漠の端にぽつんと『ストーニャ』の国名が書かれている。目を皿のようにして探さなければ見つからないほど小さく、細い書体で。


 もしあなたが上記した地図を片手にダドワナ大陸横断の悲願を成し遂げたいと野望に燃える冒険家ならば、船酔いを覚悟の上、大人しくとっくの昔に開拓されすっかり成熟した海上ルートで横断すべきだ。


 陸上ルートに固執すれば必ず命を落とすことになる。残念なお知らせ――ボレバリス砂漠には補給所を兼ねた宿場町なんてのはひとつも存在しない。


 残念なお知らせ②――ダドワナ大陸は東西に広がる平べったい大陸だから、東の潤った国家から西の潤った国家に行くには途方もない年月がかかる。残念なお知らせ③――砂漠の上を平気で歩けるのは今のところ牛並みのスピードしか出せないダイデラウマだけだ。④――太陽は容赦という言葉をご自分の辞書から追い出してしまっている。⑤――ボレバリス砂漠には実際に身の程知らずの冒険家たちの死体がいくつも転がっている。




 爽やかとは言い難い風が吹くと細かい砂の粒子が舞ってタガヒコの汗をかいた顔にまとわりついた。

 空は突き抜けて青く快晴だったが、タガヒコの気持ちまでは晴らしてくれない。

 ダイデラウマが砂丘の頂上に差し掛かるとタガヒコは小さくなったストーニャの緑の大地を後方に見た。ケツの穴そっくりの形だった。

 タガヒコとマツスミが投げた糞の残骸がへばりついた王城では、タガヒコの苦労などいざ知らず、ザグナヒコがコウコの尻を追いかけながらレモンをひと垂らしした冷えたソーダ割りを飲んでいるだろう。


 隣にいるマツスミは現実からどうにか逃げ出そうとして朝方までアルコールに浸っていたらしく、憔悴して蒼白になった顔でむっつりと黙りこくっている。


 ダイデラウマがこれまた不細工な短く太い足でのったりのったり砂を蹴って進む。

 お隣さんと言えどもペルベドンの巣までは少なく見積って半月かかる。往復分の物資を背負わされたウマは明らかに不貞腐れていた。


 早くも鞍にぶつかる尻がじんじんし始めた。


「なあマツスミ、そう気を落とすなよ。外遊だと思えばいいじゃないか」

 タガヒコは沈黙に耐えかねて無理に明るく言った。


 マツスミはタガヒコのと比べて更に不細工なダイデラウマに揺られながら物憂げに主を見た。

「なんだよ」タガヒコはたじろいだ。「そんな目で見られても仕方ないだろ。これは母上と父上が決めたことなんだから」

「いい気味だと思ってるんでしょう」

「そんなわけない。あるわけない。同情してるし、おまえがいてくれて本当に助かったと思ってる。ひとりじゃ心細くてペルベドンの巣まで辿り着くことすらできないよ。だからな……ええと、元気に行こう。死にに行くわけじゃないんだ。おれたちは必ず帰ってくるんだ。そうだ、気晴らしに歌でも歌うか? ヨードレィヒレィヒレイレーヨードレィヒー!」

「王子、ご自分の顔に唇ってついてます?」

 マツスミは努めて無感情であろうとしているみたいだった。

「ああ、まあ、人並みのがついてるな」

 気圧されながらタガヒコは答えた。

「じゃ、そいつをぴったり閉じててもらえます? そしたらおれの気分もいくらかマシになると思うんで」

 タガヒコはダイデラウマの短い鬣に視線を落とした。


 日光にさらけ出された砂漠は沈黙を貫いている。ときどき高く鳴きながら空を渡る鳥の声以外なにも聞こえない。

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