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コウゾリナの屋敷

 リザベートとタガヒコがイロガワリの店に戻ったとき、ちょうど異人がリザベートの仕留めた巨大な猪の肉を買っている最中だった。イロガワリは一抱えほどもある大きな胸肉を紙に包んで、草の茎のようなもので紙を縛り上げていた。

 イロガワリはこちらに気が付くと、「おう、どうだった? どやされたか?」と気さくに聞いてきた。それにつられて客と思しき異人もタガヒコとリザベートのほうを見る。

 異人は少し怯えたような、それでいて敵意を剥き出しにするような様子を見せた。

 

「あの純種は魔女の弟子なんだとよ。ほれ、できたぞ。持ってけ」


 イロガワリは異人に言って、紙にしっかり包まれた肉塊を渡した。異人は肉を受け取るとそさくさと路地へ消えていった。


「おれはぜんぜん歓迎されてないんですね」


 とタガヒコは言った。


「まあなァ。純種とおれたちの確執はおめェが思ってるよりずっと深いよ」

「どうして人と異人は戦争を?」


 タガヒコはおずおずと聞いた。

 

「異人はその昔、人の奴隷となるべくして人の手で作られた人工生命体だ。だが、ひたすら使役されることに反感を覚えた異人の一団が、何千年か昔に反乱を起こしたんだ。それがイロガワリやナナカマドの祖先だ。反乱以来、異人たちはこの洞窟を砦としてここに住んでいる」

 

 リザベートは淡々とした口調で言った。

 

「人工生命体……」

「おれらを作ったのは東旭永命創院っていう名前からして怪しいカルト宗教的側面を持つ科学者の団体だ。もしその名前をどっかで耳にしたら、気をつけた方がいいぜ」

「あれはおまえらが滅ぼしたんじゃなかったのか」

「いやァ、最近になってよ、またちらほら噂を聞くようになったんだよ。残党がいたのかもしれねェな」


 リザベートは難しげな顔でふむ、と言って黙ってしまった。その間にイロガワリは鉄串に通したもも肉を焜炉の上に並べて焼き始めた。肉の焼けるいい匂いがぶわりと立つ。タガヒコの腹がぎゅるると鳴いた。そういえば、森に入ってからなにも食べていない。イロガワリは聞いたことの無い歌をハミングしながら串をひっくり返したり、炭火の強さを調整したりしている。

 肉がすっかり焼けると、イロガワリは肉の表面に刷毛で茶色のたれを塗りつけた。串の持ち手部分に緑色の葉を巻き付けて「よし、できたぞ。熱いから気を付けろよ」と言った。


「いただきます」


 タガヒコは肉にむしゃぶりついた。すぐに肉汁が口の中を満たす。イロガワリ特製のたれは甘辛く、柔らかい肉にぴったりの味だった。


「美味しいです!」


 タガヒコは肉を飲み下しながら言った。


「そりゃ良かった。ほら、リザベートも食えよ。冷めちまう」


 リザベートはああ、と心ここに在らずな返事をして肉の端をちぎるようにして食べた。リザベートがなにかを食べているのを見るのは久しぶりだった。

 多分、とタガヒコは思った。食料の節約のために食べずにいたのだろう。事実、出発したときにバックパックの中に詰め込んだ食料はちょうど今日底を尽きようとしていた。

 リザベートは肉串をどんどん食べ進めて行った。そして、またあの変化が、死者から生者への変身が、彼女に起こった。彼女は美しさと、可憐さと、瑞々しさを手に入れた。


「ここからはサービスだが……一杯やるか?」


 イロガワリはグラスとスコッチの入ったボトルを店のレジ横から持ってきて言った。


「一杯だけもらう」

「おれはゲコなので遠慮します」

「そうかい。じゃあおれはリザベートのご相伴に預かって。乾杯」


 二人はグラスをカチンと合わせてからスコッチを一気に飲んだ。


「それで、イロガワリ、今晩の宿を探しているんだがな」リザベートは口の端に零れた酒を親指で拭って言った。「どこか空いてるところを知らないか」


「ん……そうだな、この街にはお生憎宿屋なんてところはねえしなァ」

「え? 宿屋がないんですか?」


 タガヒコが尋ねた。


「ああ。この街にいるのは異人だけ。外界とは完全に隔離されてる。つまり、客人や旅人なんてもんはやって来ねえのさ。だから宿屋も旅館もホテルもねえ」

「それは……困りましたね……」

「誰かン家に間借りするしか方法はねェな。ウチは先客がいるから無理だし、ナナカマドのところも部屋は多いが純種を受け入れてはくれないだろう。そうだ、コウゾリナのとこなら広いし、空いてんじゃねえのか」


 リザベートは目に見えてわかるほどの軽蔑を示した。


「おまえ、わかって言ってるのか」

「別にいいじゃねえか。何度か寝ただけだろ?」

「わたしはアイツが嫌いだ」

「んなこと言ってもよォ、仕方ねえじゃねえか。路上の方がマシってんなら話は別だけどよ」


 リザベートは周囲一体に響き渡るほどの舌打ちをして、苛立ちを隠すことなく荒々しく立ち上がった。


「いつまで食ってんだ、行くぞタガヒコ」

「は、はひ」


 タガヒコは残っていた肉をいっぺんに口の中に詰めて無理やり飲み下し、店の軒下に置いておいた箒を取って立ち上がった。


「またどうぞ、ご贔屓にー!」


 とイロガワリのガラガラ声が背中を追いかけてきた。




 コウゾリナの家は街の奥まったところにひっそりと建っていた。街灯も赤提灯もない、暗くてじめじめしたセクションだった。

 家は一階建てで、古めかしく、骨組みの木がところどころ腐食してさえいた。だが、広さは十分にある。団体客だって泊まれるだろう。リザベートは大きく深呼吸すると、ノックもなしに引き戸を開け放った。

 彼女はたたきで乱雑に靴を脱ぐとずかずかと見知った様子で家の中に押し入って行く。


「ちょっとリザベートさん、人様の家なんですから……」

「あいつはそんなこと気にしない」


 リザベートは廊下を進み明かりの灯った襖の前で足を止めた。玄関と同じくなんの断りもなく襖を開ける。

 部屋は十畳程の畳敷きで、薄汚れていた。その真ん中に布団を敷いて寝ている異人が居た。彼は目線をこちらに向けると「おや、珍客だ」と咳交じりに言った。彼は体を起こすのもやっとだというほどに弱り果てていた。

 切れ長のグリーンの目に、明るい金髪で、すっとした鼻翼と薄い唇を持っている。そばかすが散らばる頬が痩けてしまう前はかなりの男前だったのだろう。


「死ぬのか、おまえ」とリザベートは無遠慮に聞いた。「死んでくれたら嬉しいんだけどな」


 異人は四本ある腕のうち一本を布団の脇に置かれていた水筒に伸ばし、中の水を飲み干した。


「まだ死なない。ゆくゆくはわからないけれどね」

「誰が面倒を見ている?」

「八百屋のシマトネリコだよ。ぼくに惚れてる」

「ツケが回ったな、コウゾリナ。それじゃあ客もとれんだろう」

「きみがなってくれると嬉しいな、リザベート」

「地獄に落ちても御免だ」


 コウゾリナは小さく笑った。その瞬間咳き込んで血らしきものを吐いた。


「おまえはこの家をもてあましているようだから、わたしが間借りしてやる。家賃は前払い、一週間で銀貨一枚。お前にとっちゃ渡りに船だろ」

「ああ……、ああ、いいよ。好きに使ってくれ。それで、そっちの人間は?」

「リザベートさんの弟子のタガヒコです」


 とタガヒコは言った。


「弟子か。リザベートが弟子を……。ふふ、面白いねえ」

「黙れ。金は払うがわたしもタガヒコもおまえの面倒は看ないからな。くたばるなら一人でくたばれ」

「きみは変わらないな」

「おまえは随分変わったな」

「時の流れは残酷だね」


 リザベートはベルトに吊り下げられたポーチから銀貨を一枚摘み出すと、コウゾリナの布団の前にぽいと投げた。彼は震える手でコインを引き寄せ、懐にしまった。

 リザベートは襖を元の通りピッタリと閉めた。襖の向こうからは依然としてコウゾリナの咳が途切れ途切れに聞こえた。


 リザベートは廊下を歩き、突き当たりの部屋の障子を開けて「まあ、ここでいいか」と言った。じめじめして嫌な感じのする部屋だった。蜘蛛の巣と畳の上に体積した埃が目立った。通気性は悪く、空気は淀み、どこからか下水の臭いがした。広さは申し分無かったが、逆に言えば申し分無いのは広さだけだった。

 ここに寝泊まりするのかと思うとタガヒコはげんなりした。

 それに、あの異人だ。死にかけの、四本腕の、腐臭さえ撒き散らしていそうなほどの、哀れな異人。あれが同じ家にいると思うとぞっとした。

 タガヒコは箒を壁に立てかけて、畳に腰を下ろしてみた。埃が舞い上がった。


「あの……さっきの、コウゾリナさんってどういう方なんですか」


 タガヒコは聞いてみた。


「昔は男娼だった。それも物凄い人気のな。だが、今は病に蝕まれてる。もう長くはないだろう」

「そんな、リザベートさんが治してあげれば……」

「あいつはわたしを拒絶した」

「どうして?」

「知るか。あいつに聞け。もっとももう脳味噌も正常には働いちゃいないらしいから、過去の記憶もあやふやだろうがな」


 と言うと、リザベートはバックパックから寝袋を引っ張り出して部屋の隅っこで寝始めた。話はこれでお終いだ、ということらしい。タガヒコもそれ以上の詮索を諦めて彼女と同じく寝袋に入った。

 どこからかしとしとと、水が垂れる音がした。


「あいつとは必要以上に関わるなよ」


 とリザベートが静かな声で言った。

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