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ナナカマド

 リザベートはイロガワリの肉屋を後にすると、複雑に入り組んだ小径を見知った様子で歩いて行った。どうやらここは街の中でも一番活気のある飯屋と商店が立ち並ぶセクションらしい。どこにも異人がいた。彼らの多くは酔っ払っているようだった。立ち飲み屋は満席で、酔い潰れて地面に寝転がっている人もいた。

 奇妙な葉っぱばかりを並べた八百屋の前で値引き交渉をしていた異人が、リザベートに気がついて「魔女じゃねえか!」と親しげに声を掛けてきた。久しいな、とリザベートは応じた。


「しばらく見ねえんでとうとう死んじまいやがったかと思ったぜ?」


 異人はほとんど骸と言っていいほど痩せぎすで、腕が膝の下まで届くほど長く、全身を包帯で覆っていた。背中からは三対の、つまり六枚のくすんだ色の翼が生えていた。


「おまえの方こそヤクのやりすぎでとうにくたばったと思っていたよ」

「おれァ模範的ヤク中だからな。自分の許容範囲はばっちり学習済みなんだ」

「ふん、そうか。それで? 今モノは持ってんのか?」

「ああ、あるよ。一個につき銀貨一枚。オトモダチ特別価格だぜ」

「おまえと友達になった記憶はないが、とりあえず五個いただこう」


 リザベートはイロガワリから受け取った銀貨を取り出して男の手に乗せた。男はいち、に、とゆっくり数を数えてから銀貨を腰に吊るしていた麻袋に入れ、もうひとつの麻袋から剥き出しのワンダルコーを五粒取り出した。


「混ぜ物はねえだろうな?」

 リザベートがいくらか凄みを聞かせた声で言う。

「ねえよ。そんなことしたらおれから誰も買ってくれなくなっちまうだろ」

「ならいい」


 リザベートはさっそくひとつを口の中に放り込んでカラコロと舐め始めた。タガヒコはゲンナリとした様子で一連の流れを見守っていた。

 この女の退廃的なところはまったくアッパレとしか言いようがないな、と考えながら。

 

 リザベートとの取引を終えた異人はそんなタガヒコを包帯の下から興味深げに見ていた。リザベートがわざと立ちはだかるように二人の間に入った。

「いやなんにも、それがおめェのツレなら手は出さねえよ」と異人は言い訳がましく言った。「そうじゃなくて、ただの獲物なんだったらおれに売ってくれや。おれ、ツテはまあまああるからよ、傷を付けずに脳みそや心臓を取り出せると思うぜ。純種は体の隅から隅まで売り物になるんだもんな」


 タガヒコは怖気を震った。自分がなにか、注射のようなもので眠らされて、イロガワリの店の奥のような青白い部屋で、豚の死体のように解体されていく様を思い描いた。


「おれはリザベートさんの弟子です」


 タガヒコは震えた声で言った。


「弟子ィ? おめェいつから道場を開いたんだ? ええ? 魔女様よォ」

「おまえには関係の無いことだ」

「つれねえなァ。可愛げのねェ女はモテねえぜ」

「誰にモテる? おまえにか? 反吐が出るね」

「……ッ、てめェ」

 異人の折りたたまれていた翼がぶわりと開いた。

「手を出したら殺すぞ」

「やめなよ、あんたたち」


 と上から声がした。八百屋の建物は二階のベランダが道にせり出すようにして建築されていて、そこに着物を纏った女が居た。一見したところ人間の女と変わらない外見をしていた。


「うちの店の前で喧嘩はよしとくれ。殺し合いも駄目だよ。だいたいリザベートもそんなに減らず口を聞かなくたっていいじゃないか」

「それはコイツに言え」

「アカヤマドリ、あんた今日は帰んな。ただでさえツケが嵩んでんだ。どうせあんたに売れるもんはないよ」


 アカヤマドリと呼ばれた異人はチッと唾を吐き捨てると翼を折りたたんで路地の暗がりへ消えて行った。タガヒコはふう、と安堵のため息をついた。再び八百屋の上を見上げると、女はすでにいなかった。障子の向こうで黒い影が揺れていたから、家の中に入ってしまったのだろう。


「時間を食ったな。アカヤマドリの野郎、いつか殺してヤクだけ巻き上げてやる。行くぞタガヒコ」


 リザベートは物騒な発言をしながらまた歩き始めた。階段を登ったり降りたりしながら小径を十分ほど行くと、この街の目抜き通りに出た。

 それに伴い、行き交う人の数も比では無いほど多くなった。

 目抜き通りの最深部というか、この洞窟の行き止まりには、巨大な屋敷が建っていた。いくつもの家を無理矢理接着剤でくっつけたかのようにちぐはぐで、でこぼこしていて、そのくせやけに堂々としている。巨大な屋根は瓦葺きで、端は中に大きくせり出していた。壁は、硝子張りのところも少しはあったが、多くは障子が貼られた窓で、バルコニーやデッキのようになっている部分もあった。

 そして、街と同じくそこら中に赤提灯や雪洞が灯されていた。


「あれがナナカマドの住む屋敷だ。ナナカマドはここを治めている長だ」


 とリザベートが教えてくれた。タガヒコは箒をぎゅっと握りしめて目抜き通りをリザベートに続いて歩いた。異人たちはタガヒコを好奇の目で見つめていたが、危害を加えてくる者はいなかったからあまり気にしないよう努めた。


 ナナカマドの屋敷の前には石造りの階段が広がっていた。二人はそれを登っていく。ここまで来ると人通りは皆無で、遠くで聞こえる祭囃子のような音以外聞こえなかった。


 ナナカマドの屋敷には前庭と呼べる部分は無く、階段を上がってすぐのところに両開きの、木製の枠に磨り硝子がはめ込まれた引き戸が鎮座していた。引き戸はほんの少しだけ開いていた。リザベートはその隙間に手をかけると、躊躇いなく引き戸の片方を滑らせた。


 引き戸の向こうには黒い石でできたやけに広いたたきがあった。その向こうに膝程の高さまである上がり框があり、上がり框はひとつの畳敷きの部屋に直結していた。

 部屋の中央には植物が描かれた黄金の屏風が開かれ、その前に座椅子に座った異人がいた。

 

 顔の左側に火傷かなにかを負ったらしく、皮膚がケロイド状に焼け爛れて片目が欠損していた。が、それ以上に目を引いたのは、額から突き出た三本の角だった。真ん中の角がいちばん長く、両脇の二つは同じ長さだ。元は奇形化した骨であったが、彼の長年の努力によって滑らかな琺瑯に見えた。角をよく見せるためなのか、長い黒髪を後頭部できつくひとまとめに結って額をさらけ出している。身に纏うのは洋服ではなく細い白のストライプ柄の黒の着流しで、前を大きくはだけさせており、鍛えられた大胸筋が見えた。彼は胡座をかいた膝の上に前のめりになって肘を乗せ、頬杖をついていた。煙管を持っている爪は黒く長かった。

 彼は片方の目をかっぴらいて

 

「純種を連れ込むとはどういう了見か聞かせてもらおうか」

 

 とぴりつく声で言った。緊張が走った。


「なに、少し匿って欲しいだけだよ」

 

 リザベートが言う。

 異人は、ほう、と物珍しそうに嘆息した。

 

「怖いもの無しの恐ろしの魔女がいったいどうしたんだい」

「外で少し問題が起きてな。その問題の渦中にいるのがコイツなんだ。名前をタガヒコと言う。おまえらに迷惑はかけないよ。ただほとぼりが冷めるまでの僅かの間、滞在を許してくれればそれでいい」

「そうは言うけれどね、リザベート」異人は煙管を膝の上に置いた。「わたしたちと純種の関係を忘れたわけじゃないだろう。わたしたちは彼らとずっと戦争をしているんだよ。今は冷戦だが……いつまた戦いの火蓋が切られるかわからない。その原因が、その子になるかもしれない」

「そうなったらわたしはおまえらの側に付く」


 異人は目を細めた。

 

「その言葉に偽りはないと誓うかい?」

「ああ。おまえらのために剣を取って血を流そう」

「なるほど、わかった。タガヒコとやら、おまえもリザベートと同じ考えなんだね?」


 名前を呼ばれたタガヒコは背筋をぴんと伸ばしたが、偉人の問いに答えられなかった。ここで頷くということは、つまり、一時的にでも純種――人間と敵対することを受諾するということだ。自分が人間でありながら。


「どうなんだい、タガヒコ」


 異人は答えを迫った。


「は、はい。おれも、いや、わたくしも、リザベートさんと同じですッ」


 タガヒコはひっくり返った声で言った。


「わかった。その約束は決して違えないようにしなさい。もう下がっていいよ」


 異人は少し和らいだ声色で言った。はい、とタガヒコは返事をして体の力を抜いた。

 リザベートはもう用は済んだとばかりに足早で玄関から出て行った。タガヒコも彼女を追おうと、煙管を吹かし始めた異人にぺこりと頭を下げてから踵を返したとき、


「おまえ、リザベートといるといつか地獄を見るよ」


 と彼が声をかけてきた。どこか面白がっているような調子だった。

 

「おまえは知らないだろうけれど、あれの過去は凄惨を極めている。一度は魔女裁判にかけられて火炙りにもなった。だが、生きのびた。生きのびて、自分を火炙りにした連中と、処刑を物見遊山に来ていた連中をその場で皆殺しにした。数百人は死んだね。それを見て、彼女は絶景だと言った。全身に血を被って、まるで悪魔のようだったなあ。そう、あれはそういう女だよ」


 タガヒコは生唾を飲み込んだ。


「リザベートさんの過去のことは正直おれにはわかりません。でも、おれを何度も助けてくれました。今のおれにはそれで十分です」

「おまえはいい子だね、タガヒコ。いい子は好きだよ。仲良くしようじゃないか。わたしの名はナナカマドという。この街を取り仕切ってる……名目上ではあるがね」

「はい、ナナカマドさん。よろしくお願いします」

「ここの住人たちにはおまえのことを知らせておくよ。そうすれば取って食われる心配もないからね。それじゃあ、また」


 ナナカマドは紫煙をはいた。

 タガヒコはまたお辞儀をしてナナカマドの屋敷を出た。リザベートが待ち受けていた。


「ナナカマドとなにか喋ったか?」

「いえ、大したことは」

「そうか。あいつは人を煙に巻くような喋り方をするから気を付けろよ。それより飯だな。イロガワリの店まで戻ろう」


 タガヒコはナナカマドの言ったことを一旦脳みその隅に置いておくことにした。

 リザベートの過去……五千年も生きていればそれはそれは色々なことがあっただろう。

 タガヒコは泉で見た傷だらけのリザベートの背中を思い出した。

 その傷の中には、同情できるものもあればそうでないものもあるかもしれない。

 けれど、おれはこの人の弟子になることを選び、そしてその選択は正しかったと確信している。

 タガヒコはバックパックと箒を担ぎ直し、階段を下って行った。

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