天命
それからタガヒコはもっぱら白い部屋の中で療養に励んだ。足にできていた血豆や飢えに乾いた体はリザベートがかけてくれた治癒魔法のおかげですっかり治っていたのだが、如何せん心の方が追いつかなかった。
リザベートと共に生きることを決意してもなお、夢の中で父と母の処刑の場面を見続けていた。彼にとって、眠ることは、夜が訪れることは、怖いことだった。
リザベートはどこにそんな優しさを隠し持っていたのかというまめまめしさでタガヒコの世話を焼いてくれた。夜が怖いのだと訴えれば、ならばこの部屋だけは常に明るくしておこう、と言って小さな丸い物体を物置から持ってきた。
それは子供たちが街中の裏通りで遊ぶゴムボールのようだった。
リザベートは水源機械にそうしたときのように、球体を両手で持って魔力を込め、最後にふわりと上に放り投げた。
「人口の太陽だ」
球体は、確かに、心もとなく揺れる赤っぽい蝋燭の光とは全然違う、木の葉のざわめきと小鳥の囀りが聞こえてきそうな心強い輝きを放っていた。
「それで、今夜はなになら食えそうだ?」
リザベートは尋ねた。具材は沢山あるというのに、タガヒコはチキンスープと少しのお粥以外ほとんど口にしなかったからだ。
「面倒かけさせてばかりで、だめだめですね、おれ。魔女の弟子失格です」
タガヒコは自嘲ぎみに笑った。
リザベートは顎をあげてベッドに横たわるタガヒコを見下ろした。
「これから使い物になればそれでいい」
「おれはお荷物ですよ」タガヒコの胃がギュルギュルと痛くなってきた。「おれのことなんてやっぱり見捨ててください。こんな弱っちくて、過去に囚われて、なんにもできない奴、いらないでしょう」
「おまえは天命を授かった」
リザベートは硬い声で言った。
「天命……?」
「ああ。前にもそう言ったろう。天命を授かったら、それを果たすまで生きるのが習わしだ」
「それって、なにかの比喩じゃないんですか」
「違う。説明すると長くなるから要点だけ言うが、わたしたちには計り知れないほど巨大な存在が運命に介入してくることがあるんだ。それが、おまえの国が滅ぼされたときだったんだよ。おまえの父と母が死んだのは必然で、おまえが生きてここに来たのもまた必然だ。お上がなにを考えているかわからないが、恐らく、おまえがわたしの弟子になるのも定めなのだろう。そうでなければ誰かおまえなんかの面倒を見るものか」
タガヒコは一拍置いて「リザベート様はその……お上とやらとお知り合いなんですか」と尋ねた。
「長く生きていると、その分だけ色々なことがあるものだ」
リザベートは人口太陽の明かりを少しだけ弱めた。日暮れの一歩手前、ブルーハワイシロップをかけたかき氷色のような青が部屋を支配する。
「食事の前に、おまえは眠ったほうがいい。これを飲め」
渡されたのはガラスの小瓶だった。だが、マツスミから貰い受けたのとは違う。中身を満たす液体は黄昏色だ。
「夢を見ずに済む薬だ。初めて作ったから効果の程は定かでは無いが、誤魔化し程度にはなるだろう」
「……ありがとうございます」
タガヒコは瓶を開けると液体を一気に飲み干した。眠気は直ぐに訪れた。寝入ってしまいそうになりながらも疑問に思っていたことをリザベートに聞く。
「天命を授かった人は、幸福になれるんでしょうか。天命を果たしたその先にはなにが待っているのでしょうか」
「わからないな。果たした奴を知らないんだ」
「じゃあ……きっとみんな、どこかで苦しんでいるんだ……」
「おしゃべりはおしまいだ。寝ろ」
リザベートが命令するとタガヒコの意識は遠のいた。そしてやっと、夢も見ない眠りについた。
次の日の朝、小鳥の鳴く声で目が覚めた。悪夢は見なかったどころか、ぐっすりと眠れて、心身を蝕んでいた疲労もすっかりどこかに飛んでいった。
タガヒコは大きく伸びをして、新鮮な空気を肺いっぱいに取り込んだ。相変わらずこの部屋には弱い風が吹き付けている。蝶番がギイと鳴り、木立がザワザワと揺れる。
タガヒコはベッドから降りた。床には新品の皮でできたブーツが置いてあった。少し苦労しながらそれに足を通して、部屋にひとつしかない古ぼけたドアを開けると、そこには見慣れた砂漠が一面に広がっていた。
ふと後ろを振り返る。ドアは融解するように上から消え去った。
そして見慣れたリザベートのあばら家が姿を現した。
タガヒコは砂を踏みながら家の玄関口まで回った。
そこには簡素な作業台が置かれていた。
リザベートがいそいそと作業台の上に太い一本の木と沢山の細いエニシダの枯れ枝と長い針金をバラバラに並べている最中だった。
「眠れたか」
と彼女は相変わらずの無愛想さで、こちらを見ることさえせずに聞いた。
「はい。おかげでぐっすり眠れました。体調も万全です」
「そうか。じゃあ朝飯を食べたら箒作りに取り掛かろう」
「箒?」
「魔女の弟子が空も飛べないんじゃお話にならないからな。わたしはおまえに、基本的に魔法は教えられないと言った。基本的に、だから例外もある。それが箒で空を飛ぶことと治癒の魔法だ」
「えっ、おれも空を飛べるようになれるんですか!?」
「訓練次第ではな。だが、朝飯が先だ。お前少し痩せすぎだぞ」
あんたに言われたくないですよ、という言葉を噛み殺してタガヒコはあばら家の中のリビングルームに入った。
朝食の用意は既に整えてあった。ポークビーンズやオニオンスープ、スクランブルエッグに大きな丸パン。タガヒコは無我夢中でそれらを貪った。リザベートは紙袋に包まれた酒らしきものを口に運ぶだけで料理に手は付けなかった。
食後のコーヒーはタガヒコが淹れた。リザベートはそれには手をつけた。
「それで、なんで箒を作るんです? 買ってきちゃえばいいじゃないですか」
とタガヒコが尋ねた。
「自分の手で丹精込めて作った箒でなければそこに魔法を込められないんだ」
「へえ、じゃあリザベートさんの箒もお手製なんですね」
「そうだ。装飾は職人に任せたが、基本のところは自分で作っている」
「なるほど。難しいですか?」
「そうでもないさ。さあ、食事の後始末をして表に出ろ。これは急ぎの案件だからな」
「急ぎ? おれたちは暫くここにいるんですよね? なにも急がなくてもいいじゃないですか」
「いや、おまえが箒に乗れ次第ここを立つつもりだ」
「えっ? そりゃまたどうして?」
「おまえは馬鹿か? その羽虫程度の脳みそでよく考えろ。おまえの国を襲った奴らが今もおまえの死体を探しているに決まってるだろ。流刑なんて名ばかりだ。おまえは流刑という名の死刑だったんだよ。おまえの死骸を確認するまで追っ手はやってくる。ここがバレるのも時間の問題だ。だからさっさと食器を洗って外に出ろアホンダラ」
と言うとリザベートはリビングルームを後にしてしまった。タガヒコの背中にぞくりとしたものが這った。彼は大慌てで皿を重ね合わせてシンクに持って行った。




