流浪の果てに
砂漠には熱風が吹きすさんでいた。風が舞いあげた熱い砂がバチバチとむき出しの手足に当たった。
タガヒコはクシーが言った通り、一度も故郷を振り返らなかった。だってあそこはもう、故郷ストーニャではない。酒と笑いと愉快な音楽が絶えなかった国では無い。
南部沿エタポニエ公国の領地と成り下がった土地だ。
そしてタガヒコは、国と地位と家族と友人を失い流浪の旅にほっぽり出されたただの孤独な男だ。
タガヒコは食物が詰まった麻袋を担ぎ直して、砂を力強く踏んだ。
絶対に生きてペルベドンの巣まで辿り着く。
タガヒコは決意を再びその両目に宿し、確かな足取りでペルベドンの巣の方角へ下って行った。
食事の量には気をつけた。麻袋に詰まっていたのは余り物らしい腐りかけのパンや黴が生えた干し肉や熟しすぎた果実ばかりだったからだ。その中から辛うじて口に出来そうなものを選んで食べた。
また、水は麻袋の中に入っていなかった。代わりに度数の高い古ぼけた酒が入っていた。ひと口飲むだけで気持ちが悪くなったが、水分となりそうなものはこれしかない。
「マツスミ……おれは恵まれてたよ」
何度目かの砂漠の夜がふけたとき、タガヒコはぽつりとそう口にした。
体の水分は奪われていく一方だった。
砂漠はどこまでも果てしなく、いつまで歩けばいいのかもはやわからなかった。
夜になるとこのまま死んでしまうのではないかという恐怖がタガヒコに食らいついた。起きているから余計なことを考えるのだ、とマントにくるまって眠ってみても、父と母が首を切られる夢ばかり見て、少しも眠った気になれなかった。
タガヒコの心身は少しずつ、少しずつ消耗していった。
砂漠の孤独が恐ろしかった。国が恋しかった。過去が愛おしかった。父と母に会いたかった。マツスミとまた馬鹿をやりたかった。
とうとう乏しかった食料が尽きたのは、ストーニャを出て十日が過ぎた頃だった。水替わりの酒ももうほとんど残っていない。
この数日でタガヒコはすっかり痩せ細っていた。
意識は朦朧とし、今自分が夢の中にいるのか現にいるのかわからなかった。
白昼夢の中で何度も繰り返されるのは両親の首が体と生き別れになる場面だ。
「やめろ……」
タガヒコは虚空に向かって手を伸ばす。
「やめろ……やめてくれ……」
「父さん……、母さん」
「やめてくれよ……頼むから……ッ」
タガヒコはふらふらと砂丘の峰を登っていく。
「マツスミ……なあ、どこに行くんだ」
「おれも、いっしょに……」
タガヒコは峰から足を踏み外した。勢いよく砂の上を転がり落ちる。
彼はしばらく動かずにいた。
やにわにぼろぼろと涙が零れ落ちる。
「クソ……、クソ、クソ!!」
タガヒコは拳を地面に叩きつけた。
「死んじまえ! みんな死んじまえ!」
彼は嗚咽しながら叫んだ。
「死んじま、え、うう、うぁ゛、うえ、うああ」
咆哮は静かな砂漠を突き抜けてどこまでも響いていった。暫くそうしていただろうか、タガヒコはふと幽霊のようにゆらりと立ち上がった。
麻袋を引きずりながら丘陵を登っていく。
皮のサンダル履きの足はすでに血豆だらけだ。
それでも彼は歩くのを辞めなかった。
それから数日経った。
タガヒコは砂丘の上にまるで初めて海を見た子供のように呆然と立っていた。
砂丘の下の窪地にはマツスミと見たのと何ら変わらぬ光景が広がっていた。
砂漠から突然生えてきたような巨大な白茶けた骨の群れ。
「ペルベドンの、巣……」
タガヒコは呟き、膝を折った。見えるところまでやっと来たというのに、ここからが、あまりにも遠い。遠すぎる。
もはやタガヒコには立ち上がる気力はこれっぽっちも残っていなかった。彼は身体を砂に埋めて灼熱を甘んじて受けて入れた。
すると、見計らったように淡い青色の液体が入った薬瓶がころころと懐から転がり出た。太陽の光で硝子の縁が光っていた。
マツスミがくれた、リザベートの魔法の薬だ。
タガヒコはありったけの力を振り絞ってそれに右手を伸ばし、親指を引っ掛けて栓を抜いた。
だが、そこまでだった。タガヒコの手はもう動かず、薬瓶を口に運ぶことすら出来なかった。淡い青色の液体は無慈悲に零れだし、すっかり砂に染み込んでしまった。
タガヒコは目を閉じた。
彼の唇と舌は乾燥でとうにささくれだち、身体中の皮膚は老人のように浅黒く、かさついて、ひび割れていた。
風が吹いていた。風は彼のワンピースの裾をはためかせたが、彼はもう動かなかった。大きな太陽はなおも痛烈に彼を焼いている。




