処刑の日
あれから何日たったかわからない。
タガヒコは地下牢に閉じ込められたまま、朝と夕に運ばれる些末な食事以外で時間を図る術を知らなかった。
使用人たちはどうしているのだろうか。地下牢にいるのはタガヒコだけで、他の人の姿は見当たらない。ひたすらの静寂と孤独は彼の神経を蝕んでいった。
それでも気を確かに持てたのは恐ろしの魔女がいるという事実だった。コウコが己の命を賭して僅かな生き延びる希望をタガヒコに与えたのだ。
それでもやはり、タガヒコの本心は両親と国と共に死んでしまいたいというところにあった。
生きるのが恐ろしくなったのはこれからの自分の人生が嫌になったからだ。
だが、その一方で死を同じ分量で恐れてもいた。それはストーニャ王国という愉快な国があったこと、ザグナヒコとコウコという立派な為政者がいたこと、デゥィストレア人という楽しい人々が暮らしていたという事実を生きることでこの世に残したいからであった。
おれが死んでしまえばデゥィストレア人の王の血統が全部が終わりを迎える。
そう思うと、なんとしても生きねばならぬと力が湧いてくるのだ。
タガヒコは両親の処刑が決まった息子とは思えぬほど、些末な食事をもりもり食べ、地下牢の中でできる限りの運動をして体を鈍らせないように務めた。
砂漠の旅はマツスミと行ったときよりもさらに過酷なものになるだろう。どれほどの物資を持たせてくれるかも定かではない。しかし、なんとしてもデゥィストレアの全部を殺させはしない。
タガヒコは夜眠る前にいつもあの恐ろしの魔女の顔を思い浮かべた。人を馬鹿にしたような軽薄な笑みを浮かべる彼女を。絶望と邪悪を綯い交ぜにした空気を纏う彼女を。おれもあの人のようになれるだろうか、と考えた。
どうやったら魔法を使えるようになるかはわからない。それでも、どうか頼み込んで弟子にしてもらおう。
タガヒコをつき動かしていたのはそういった暗い復讐心とある種の責任感だった。
それからまた数日が過ぎた頃、にわかに地下牢が慌ただしくなった。南部沿エタポニエ公国の衛兵が地下牢の扉を開け、タガヒコの手足に重い枷をかけた。足枷には鉄球が繋がれていた。タガヒコは抵抗せず、されるがままに拘束を受け入れた。
いよいよだな、という予感があった。
鉄球を引きずりながら連れてこられたのは王城の塔のいちばん高い部屋だった。
部屋の窓からはギロチン台が見えた。ギロチン台は木製の足場の上に設置されていた。首が落ちるところを見やすくするためだ。
ストーニャ王国の民の姿は見当たらなかった。物見遊山に来ているのは南部沿エタポニエ公国で良く着られている上下に別れた服を着た庶民ららしい。彼らにとってはこれもイベントの一部に過ぎないのだ。
アイスクリーム売りやビール売りが籠を抱えて値段を叫び、安いよ、安いよと繰り返していた。
「タガヒコ様」
聞きなれた声に振り返れば、両側を衛兵に囲まれタガヒコと同じく手足に枷を付けられたマツスミがいた。無精髭も眉毛も伸びきって、すっかり衰弱していた。
「マツスミ……」
マツスミは無言でぽろぽろと涙を流し始めた。王国に対する忠誠心は百点満点の男だ。国がなくなり、王と王妃が処刑されるとなれば悲しくないわけがないだろう。
それでもタガヒコは強い口調で「泣くな」と言った。
「泣き喚くのはどうにもならなくなってからだ。おまえにはまだ未来がある。幸いなことにおれにもある。まだ泣くのは早い」
「あなたは確かに王子だ」
マツスミは肩口で涙を拭うと、しゃんとした目に戻って言った。
「あなたとともに見届けます。あのおふたりのご雄姿を」
「ああ」
二人は窓に近寄った。衛兵は止める素振りを見せなかった。
まずコウコが木製の足場の上に上がってきた。
「ああ、わたしの死によって笑う全ての人に呪いを! 悪魔の祝福を! おまえたちは未来永劫苦しむがよい! わたしの御霊はおまえたちの末代の子までを地獄の業火で呪い殺すだろう!」
と彼女は叫んだ。
「魔女め!」「破廉恥な淫売が!」
とヤジが飛ぶ。
「見るが良い、わたしの最後を! 魔女の呪いの血飛沫をまぶたの裏に焼き付けるが良い!」
コウコの絶叫が終わると、彼女は木の板に括り付けられ、ギロチン台の刃の下へ移動させられた。首を動かせないよう枷が嵌められる。
「最後に言うことはあるか」
と執行人が聞いた。
「クソくらえ!」
と彼女は叫んだ。刃を止めていた麻縄が斧で切り落とされた。
静寂。
コウコの首が足場の上にごろんと転がった。
執行人は彼女の髪を掴み大衆にその死してもなお美しい顔を見せた。
歓声が上がった。
「王子……ああごめんなさい、やっぱり無理です……とてもっ、おれには耐えられない……ごめんなさい……ごめんなさい……!」
マツスミが膝をおり額を地面に付けて再び咽び泣き始めた。
「いいんだ、マツスミ。おれが責任をもって見届ける」
コウコの首と体はぼろな三輪車に雑多に放り込まれた。
続いて断頭台に上がったのはザグナヒコその人だ。少し痩せたように見えるが、チャームポイントの薔薇色の頬と黒い巻き毛は健在だった。
彼はニコニコしたまま木の板に括り付けられた。恨み辛みを吐くこともなかった。
執行人が同じく最後に言うことは、と尋ねると
「息子よ!」
と叫んだ。
「きっとどこかで見ているだろう。おまえの父はここで死ぬ。だが、全部が死ぬわけではない。おまえの中にはデゥィストレアの高潔な血が流れている。おれはその中で生き続けるのだ。悲観するな! どんな運命の打撃にも果敢に立ち向かえ! おまえを誇りに思うぞ! 以上だ!」
刃が降った。
首がごろんと転がった。
ザグナヒコの頬はまだ薔薇色で唇には笑みさえたたえていた。
それでおしまい。それですべてが、ストーニャという国が、デゥィストレア人という人々が、おしまいになった。
ただひとり、これから魔女の弟子になる青年を残して。




