父と子
「一体なにをおっしゃっているんだ、あなたたちは。我が軍の数をご存じでしょう。わが国民の数を、我が領土の小ささをご存じでしょう。その上で宣戦布告などと戯けたことを言うのか。ならば、それはもう、戦争ではなく、一方的な虐殺ではないか」
「わたしも今回の公爵のご提案はいささか非道だと思うが、決定事項なのだ」
「なんと……!」
ザグナヒコは奥歯を噛み締めた。
「そのあとはどうなさるんです」とコウコが口にした。「戦争が終わった後は? 男たちが死んでしまったあとはどうなされるおつもりです?」
「そうだなあ。デゥィストレア人は生かしておいてもさして役に立たぬからな。若く美しい娘だけを孕み女として捕虜にし、そのほかは殺して砂漠に転がしておくだろうな」
「ああ……!」コウコは顔を伏せて泣いた。「惨いことを……!」
タガヒコは胃がきゅうきゅう呻る音を聞いていた。先ほど剣で突かれたときよりも酷く腹が痛かった。こんなときにあの恐ろしの魔女さえいてくれれば、と思った。力を貸してくれるかはわからないが、彼女がいるだけでなぜか起きること全部が大したことではないと思えるようになるのだ。
しかし彼の望みは届かない。
ペルベドンの巣とストーニャを隔てる砂漠はあまりにも広すぎる。
「おれの首で……」とザグナヒコがしずしずと言った。「おれの首で手打ちにしてはいただけないだろうか」
「父上!? なにをおっしゃっているんですか!?」
タガヒコは絶叫した。
「先ほども申しあげたとおり、我が軍は百ほどしかいない。正規軍ともなればその半分だ。貴殿らにかかれば赤子の手をひねるように滅ぼされてしまう。デゥィストレア人は他国の人と比べれば確かにまぬけだが、相手の力量を測れぬほどの底なしのまぬけではない」
「それではおまえは、戦わずして死ぬと申すのか?」
「ああ。おれは愚かな王だ。力も、賢さも、さしたる権力もありません。そんなおれがなぜ王の座に着き続けられたのかというと、ひとえに民の協力があったからだ。彼らを守れるのならば、この命、喜んで散らせましょう。貴殿らになにも差し上げるものを持ち合わせていないから、命を対価にいたしましょう」
敵の衛兵から感嘆のため息が漏れた。なんだかすごく偉くなった気分だぞ、とザグナヒコは思った。国民にだってこんな尊敬の眼差しを向けられたことはない。ザグナヒコは調子よく続けた。
「ストーニャは砂漠の中で一粒だけ緑に輝く宝石だ。水源も半永久的になったことですし、干ばつを未然に防ぐための防衛基地にするもよし、南部沿エタポニエ公国の貴族方のリゾート地にするもよしですな。まあ、どんな利用の仕方をされても構わない。デゥィストレア人はご存知のようにまぬけですから、酒と女さえ与えておけば統治者が変わったところで反乱など思いつきもしないでしょう。ですから、どうか、お願いします。この老いぼれの命で赦していただきたい」
「父上、そんな……」
タガヒコが口を挟むと、ザグナヒコは人が変わったような剣幕で「黙れ!」と怒鳴りつけた。
「でも、父上、あんまりじゃないですか」
タガヒコは食い下がる。
「じゃあなにか? おまえはフライパンと包丁と鍋で武装させた国民を台所特攻隊として戦場に送り込むとでも言うのか?」
「そういうわけじゃないですけど、でも」
言い淀むタガヒコを尻目に、ザグナヒコは髭男に向き直った。
「愚息が生意気な口を聞いて申し開きもない。若気の至りゆえご容赦ください」
「いや、王子の言うことも最もだ。わたしも此度の公爵の暴虐ぶり、思うところがある。わかった、おまえの提案を受け入れよう。ストーニャ王国民には今後一切手出しはしない。ここは南部沿エタポニエ公国の飛び地として吸収合併する。そして故ストーニャ王国、君主ザグナヒコ殿と王子タガヒコ殿には首切りを、王妃陛下には南部沿エタポニエ公国の都へ下ることを命ずる」
「えっ」とタガヒコは言った。「父上だけでなくおれも切るんですか?」
「王家の血を残すと余計な萌芽の元となるのでな。悪いが切ってくれ」
「切ってくれ!? 切ってくれだって!?」
とタガヒコは喚いた。
「そのことに関してひとつよろしいですか」
手を挙げたのはコウコだった。うむ、と髭の男が言うとコウコは微笑んで告げた。
「わたくしが切ります。ですから、タガヒコのことは流刑としてください」
「なんと、女だてらに首切りを選ぶのか? そなたは美しい。もし我国に下れば後宮で妾としてなに不自由無い生活ができるぞ」
「お生憎様。わたくしはザグナヒコ様ひとすじなのです。ですから、切れと言われずとも切ります。どんなに止めても舌を噛み切って死にます」
髭男は難しい顔をしてその辺を歩き回った。しかしな、公爵に連れてこいと命じられていたしな、とぶつぶつ漏らした。
「タガヒコの流刑地は砂漠の中心で構いません」とコウコは追い打ちをかけた。「この子は王子としてなに不自由なく育てられました。あのような不毛の地では長くは生きていけないでしょう。さすれば、あなたの望み通り王家の血も途絶えます」
「砂漠……砂漠か。確かに野垂れ死にするしかない場所だ。よし、いいだろう。後宮には既に持て余すほど女がいるしな。おまえの提案も受け入れる」
コウコはタガヒコにアイコンタクトをとると、ぱちんとウインクしてみせた。あの魔女にもう一度頼んでどこか離れた場所に連れて行ってもらい、幸せに暮らしなさい。わたくしたちのことは悪夢だったと思ってさっさと忘れてしまいなさい。そんなふうに言われた気がした。
「嫌だ」
タガヒコの口からぽろりとそんな言葉が漏れた。押しとどめていたなにかが決壊すると、彼は髭男の足に縋りながら感情に任せて叫んだ。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ! やっぱりおれも死にます! 死なせてください! 父上と母上の犠牲の上に生きるなんて耐えられません。お願いします、おれも切ります。おれの首も飛ばしてください。お願いします!」
「タガヒコ」
彼の名前を澄んだ声で呼んだ父は場違いにほころんでいた。太陽の光が彼の背中を明るく照らしていた。
「おまえには、わたしとコウコのために生きてほしいんだ。誇りや地位や矜恃を失っても、どんなに無様でも、喚き散らしてもいい。生きていてくれ。わたしたちはな、おまえが生きているということが、ただ嬉しいんだよ。たくさん叱ったが、たくさん怒鳴ったが、たくさんみっともないところを見せたが、実のところ、父さんはおまえが産まれてからずっと嬉しくて、おまえのために偉大であろうと努力してたんだ。おまえはわたしの宝だ。だから、こんなところで死ぬんじゃない。しゃんとしなさい」
タガヒコは大粒の涙を零しながら顔を左右に振った。
「おれは悔しいんです、父さん。こんなところで、こんな最後を……おれたちは悪いことなどひとつもしていないのに。追い立てられて、旅をして、やっと辿り着いたこの地で細々と誰にも迷惑をかけずに暮らしていただけなのに……それだけなのに……!」
父はもうなにも言わなかった。王らしい微笑を浮かべたまま超然として陽の光に背中を預けていた。タガヒコは初めて父親の偉大さに気がついた。このうすばかだと思っていた父は間違いなく王の器を持っていたのだ。
「タガヒコ、愛していましたよ。なによりも愛していました」
母が静かな声で言った。
「嫌だ、駄目です、そんなの。いやだ、父さん、母さん! 駄目です、駄目だ、戦うべきだ。戦わなきゃいけないんだ。こんなの全然だめだ!」
「マツスミ、衛兵の方々と共に王子を牢に入れておきなさい」
ザグナヒコは言った。
「国王陛下……あなたが戦えというなら、おれは戦ってもいいんですよ。たった五十人しかいない正規軍だけど……やれるとこまで抵抗しても……」
マツスミは泣く一歩寸前って感じの声で言った。
「マツスミも、近衛兵や軍や使用人のみんなも、無駄な血を流してはいけないよ。王というのはな、普段はお飾りみたいなもので、こういうときくらいしか役に立たないんだ。こういうときに役に立たなきゃ、王である資格がないんだ。どうかわかってくれ」
「国王陛下」マツスミは瞳の縁に溜まった涙を肩口で荒く拭って顔を上げた。「天晴れです。ご立派です。ストーニャ王国民であること、デゥィストレア人であること、そしてあなたの元にお仕えできたこと、誇りに思います」
「ああ、タガヒコをよろしく頼むよ」
「父さん!」
「さらばだ、我が息子よ」
それがタガヒコとザグナヒコが交わした最後の言葉だった。




