池の再生
ミヤリノが王宮に届けた知らせで、ザグナヒコとコウコはしっちゃかめっちゃかな慌てぶりを見せていた。ザグナヒコは飲んでいた酒をぶちまけると他国の王族に会うための衣装をアルモワールを引っ掻き回して探し、コウコは急いでシャワーを浴び、髪を乾かして香水を振った。
ミヤリノも協力して従者たちをあらかた人払いし、タガヒコたちが入ってくるだろうと踏んだ城の裏手の勝手口に座り込んで警戒の目を光らせた。
やがて砂丘の頂上にみっつのぽっちが見えた。タガヒコと、マツスミと、背の低いツインテールの巻き毛の女だ。女は手に長い箒を持っていた。
「魔女……」
ミヤリノは呟き、駆け出した。
「ミヤリノ! 久しいですね!」
タガヒコが友にする抱擁を待ち構えて両手を広げていたというのに、ミヤリノはそれを無視して魔女に膝まづいて彼女の手を取り、うやうやしく額を当てた。これはストーニャにおけるもっとも礼儀正しい挨拶のひとつである。
「こんな辺鄙な所へ御足労いただき感謝を述べる言葉もございません。なんともまあ美しいお方じゃ」
「おい、ミヤリノ。一応おれは王子だぞ」
「王子がなんじゃ! 魔女様のほうが位が高いに決まっとるわい!」
「わたしはリザベートだ。賢き老人よ」
リザベートは右手を引くとミヤリノの瞳をじっと見つめた。
「確かにオボロロヒコの末裔のようだな」
「ええ、それはもちろん。オボロロヒコ様はデゥィストレア人の英雄ですから。さあ、王と王妃がお待ちかねです。勝手口よりの案内で大変心苦しいですが、秘匿ということでどうかご容赦ください」
「構わん。内密にと言ったのはこちらの方だからな」
四人は勝手口を抜けザグナヒコが書斎として使っている五階建ての塔の部屋へ向かった。掃除は行き届いていなかった。散らばっていたものをなんとか端に寄せたといった具合で、とても賓客をもてなす体ではなかったが、リザベートは別段気にかける様子もなかった。
コウコとザグナヒコは椅子の前に立ち恐ろしの魔女を出迎えた。二人ともミヤリノがやった挨拶を彼女に施し、埃を払って地下室から持ってきた一番上等なひとりがけ用のチェスターフィールドソファに座るよう進めた。
リザベートは遠慮なくドカッと腰を下ろした。ちなみにタガヒコとマツスミの椅子はどこを探してもなかったので、二人はリザベートの真横に突っ立っていた(おまけにマツスミはリザベートの箒持ちに任命された)。最後にミヤリノが部屋に入ると、扉には内鍵がかけられた。
「こ、こここ、ここ、この度は魔女様、ご機嫌麗しゅう、謁見恐悦至極に存じます。我らの未曾有の危機のためにお力をお貸しくださるということで、なんと感謝して良いのかわたくしには適当な言葉が思いつかない次第でございます」
ザグナヒコはリザベートの完璧な美貌と荘厳たる雰囲気に完全に気圧されていた。
「そう固くならずとも取って食ったりしない。ひとまず座れ」
「で、では、お言葉に甘えて」
コウコとザグナヒコはギシギシとしたぎこちない動きで椅子に腰掛けた。
リザベートは斜めがけにしていたサッチェルバッグから新しい水源機械を取り出すと「おまえたちの望みはこれだな」と言った。
「ええ、そうでございますとも」
ザグナヒコは食い気味に答えた。
「はてさて、どんな対価をお望みでしょう。我国は見ての通り小さく貧しい国です。あなたに進ぜられるものといえば国民からの感謝ほどしかありませぬ」
「対価などいらん。その昔、オボロロヒコに借りを作った。それをその子孫に返すだけだ」
リザベートはやおら立ち上がり水源機械を両手で握った。中央の球体が淡く発光する。
「わたしの魔力をこれにすべて注ぎ込む。これであの池は正真正銘、半永久的に水を得られるだろう」
水源機械はリザベートの両手の中心で浮いてぶるぶると振動していた。それからはあっという間だった。水源機械は塔の窓から放物線を描いて池に吸い込まれるようにして着水した。
すると、みるみるうちに池の水位が上昇してきた。
「なんと……まあ……」
ストーニャ王国一同は口をあんぐりと開けて現実を飲み込もうと必死になっていた。
「今見たことはくれぐれも内密に。魔法のことも、水源機械のことも、誰にも話さないようにしろ。実を言えばわたしはおまえたちの記憶を消すこともできる。だが、オボロロヒコの子孫だ。信用してそこまではしない。人の脳を弄るのはあまり得意な分野ではないしな」
「それはもちろんです!」
ザグナヒコが立ち上がって深深と頭を下げた。
「貴方様のご慈悲のおかげで我が国民が救われ、明日も生きることができるようになりました。この感謝は生涯忘れません。貴方様になにか不自由がありましたときにはぜひ我らの力をお使いください」
リザベートは面倒くさそうに手を振った。
「いい、いい。そういう形式ばったことは。借りを返しただけだ」
「今から昼餉の支度をさせます。ささやか過ぎる御礼ですがどうかご一緒に」
とコウコが提案した。
「内密にと言っただろう。華やかなランチなんかしたらどこから情報が盛れるかわかったもんじゃない。仕事は終わりだ。わたしはもう帰る」
リザベートはソファから立ち上がるとマツスミから箒を取り戻し、部屋の扉へ向かった。ミヤリノが内鍵を開け、軽くお辞儀をして彼女を通した。
「タガヒコ、マツスミ、途中までお送りしなさい」
また砂漠の旅ですかという文句を言う暇はなかった。リザベートはひとりでスタコラサッサと塔を後にしようとしていた。タガヒコとマツスミは小走りでその小さな背に続きながらまた城の裏の勝手口に出た。
「見送りはここでいい」
リザベートは箒に跨って言った。
「でも、歩くんじゃ……?」
「帰路はひとりだ。飛ぶのさ。それじゃあな、オウジサマと従者。二度と会うこともないだろうが」
言うなり、リザベートは地面を強く蹴った。彼女と箒は一瞬にして空のうず高くまで垂直に登ってしまった。太陽が眩しく、影を捉えるのも困難だった。
「嵐のようなひとでしたね」
しばらくしてからマツスミがぽつりと呟いた。
「ああ。だが、悪い人じゃなかったな」
二度と会うことはないだろうが、と言った彼女の言葉に少しの悲しみが混じっていたのは気のせいだろうか、とタガヒコは思った。




