食事とコーヒーとマリファナ
食卓には肉が並んでいたが、あの標本を見たあとでは食べる気にならなかった。なんの肉か聞くのも嫌だった。
タガヒコは具のないスープとザワークラウトを大皿からほんの少し取って胃に収めた。いつものことだが胃の調子はすこぶる悪かった。
隣に座るマツスミは躊躇いなく半焼けの肉にかぶりついている。久々のまともで暖かい食事だ、食い残すなんてバチがあたると言わんばかりに。
リザベートも次々と大皿を空にしていった。アル中でヤク中でも内蔵はいかれていないらしい。彼女の飯の食いかたは最悪だった。口の中でぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃやるし食いカスをぼろぼろぼろぼろ零すし犬のように皿に口を付けてかき込むしで、タガヒコのもともと無かった食欲は更に減退した。
不快でしかなかったが、タガヒコとマツスミの乾物レーションを哀れんだリザベートが好意で出してくれた食事だ。感謝こそすれテーブルマナーに文句をつけられるご身分じゃない。
タガヒコは一足先に「ご馳走様でした」と言ってナイフとフォークと取り皿を遠ざけた。
砂漠には紫と群青を丹念に混ぜ合わせた色ののっぺりした夜が降りていた。
完全に日が沈んでしまう前にリザベートは玄関口の外壁に吊り下げされた八面体のランタンの中の蝋燭に火を灯した。
一方家の中、食卓の置かれたダイニングルームの天井にはシャンデリアに似た照明器具がぶら下がっていたが、肝心の蝋燭は刺されていない。水源機械を作れる女なのだ、火とかいう原始的なものに頼らずとも恒久的な灯りを得られるのだろう。
おかげで室内は昼間のように煌々と明るかった。
タガヒコは明かりの下で不思議なことに気がついた。初めは勘違いかと思って目をしばたたかせたり、擦ってみたり、大きく開いてみたりしたが、やっぱりおかしい。
食べるたびに魔女は死者から生者へと変貌をとげているのだ。
顔色は良くなり、肉付きが戻り、長い髪が艶めきだす。
食事を終えて口の端をナプキンで拭ったころには、彼女はそこら辺の町娘と変わらぬ溌剌とした水蜜桃みたいな健康さを取り戻していた。
アーモンド形の大きな赤い目には光が灯り、唇は薔薇色に色付き、小さくツンとした鼻を覆う皮膚は一点の曇りなく透き通っている。
まるで熟練の職人が生涯をかけて作り出した珠玉の逸品のビクスドールだ。
タガヒコはしばらく言葉を失って穴が空くほど彼女を見つめていた。
今まで見た女とは全然違う。
母親のコウコも十分すぎるほどに美人だが、リザベートの美しさは人の域にない。完璧すぎて情欲や支配欲が掻き立てられる隙がない。ベッドに引っ張りこんであれこれするよりも、ガラスのケースに入れて部屋に飾っておきたい。そういうタイプの麗しさだ。
「なんだ。パン屑でもついてるか?」
リザベートは訝しげにタガヒコを見返した。
「いや……あの、よく言われてすっかり聞き飽きているでしょうけれど、美人ですね」
「幸いなことにな」
彼女は心底どうでもよさそうだった。
自分がこの顔だったら小便をして手を洗う度に鏡に向かってうっとりしてしまうのに、とタガヒコは思った。
「男に不自由しないでしょう?」
マツスミは突き出した腹をさすりゲップをしながら言った。
「まあな」
「羨ましいですね。ね、タガヒコ様」マツスミは声を潜め、片手を口の横に当てて「ここだけの話、タガヒコ様は童貞なんですよ」と秘密をばらした。
「余計なことを言わんでいい!」
「筆下ろしなら期待するなよ。おまえのツラはわたし好みじゃない」
「してませんよ! なんで告白してないのに振られなきゃならないんですか。おれの童貞はね、人生をかけて愛するひとりの女性に捧げるためにわざと取っといてあるんです!」
「そんなもんもらっても使い道がないだろ」
タガヒコは対話を諦めた。リザベートやマツスミのような性的接触を屁とも思っていない下劣な連中に必死になって純情さを説いたところで鼻で笑われるのがオチだ。
「おれの話は置いておいて」タガヒコは気を取り直して言った。「ストーニャへ立つのはいつにします?」
「明朝だな」
リザベートはすっからかんになった皿を重ね、床に散らばる古書の間を器用に縫ってダイニングルームに備え付けられた小さなキッチンまで運ぶ。
キッチンは普段あまり使われていないのか、比較的綺麗で清潔だった。
マツスミが腕をまくってリザベートの後ろに立った。
「片付けはおれに任せてください。城使えを始めたころは皿洗いばっかりやらされてましたから」
「なら頼む。石鹸はそこだ。スポンジはこっち。水をきるカゴはこれ」
とリザベートは的確に指示を出した。
マツスミは鼻歌をハミングしながら石鹸を泡立てた。
タイル敷きのシンクの上には水源機械が埋め込まれ、マーライオンのように水を吐き出し続けている。
リザベートはダマスク柄のカップボードから年季の入った琺瑯引きのケトルと磁気のマグカップを取り出した。
「コーヒーは飲めるか?」
「はい」「いただきます!」
タガヒコとマツスミは元気に返事した。
リザベートはケトルとマグカップにうず高く積もった埃を強い息で吹き飛ばしてから水を汲んだ。
タガヒコは飲めないと拒否すればよかったとすぐに後悔した。
「ミルクと砂糖は?」
「たっぷり」
マツスミが言う。
「おれはブラックで」
タガヒコが言う。
リザベートはケトルを煉瓦で作られた竈の上に置いた。竈の中に薪はない。だが、火は燃えている。なんともあべこべだ。
「この石鹸、すごく汚れが落ちますね」
マツスミがうきうきした調子で言った。
「人間の脂肪で作ってるからな」
リザベートはオーク材の丸いバースツールに腰掛けて煙草に火をつけた。
マツスミは石鹸を取り落とした。
「人間?」
「人間」
「殺人鬼じゃないか!」
マツスミはスポンジをぶん投げてリザベートから距離を取った。
「おれが転がされていた部屋にあった人間の臓器の標本は本物なんですね?」
タガヒコは頬杖をついた。もうどうとでもなれ。魔法を行使する魔女なんだから人殺しだってするし脳みそジューススタンドだって開くだろう。
「ああ、あれな、うん、本物だ。ここにはときたま、おまえらみたいにわたしの噂を聞きつけた人間がやって来るんだよ。決闘しろだの魔法を見せろだの国の兵器になり下がれだの言ってな。適当に追い払っているが、あんまりにもうるさかったり粘られたりするとこっちも我慢の限界がくる」
「で、殺して食ってしまう、と」
「食う?」
リザベートは繰り返し、絶句し、ゲラゲラ哄笑した。
「食う? 食うだって? へえ、そうか、わたしは世間じゃカニバリストの魔女だと思われているのか」
「違うんですか?」
「残念ながらな」ケトルが笛を鳴らして注ぎ口から勢いよく蒸気を噴出した。「死体は隅々まで有効活用させてもらってる。標本にしたり石鹸を作ったり細々した実験をしたりな」
マツスミはキッチンに戻って再びスポンジを握った。「なら安心だ」
魔女はマグカップにコーヒー粉を目分量で入れ、ケトルのお湯をとぷとぷと注いだ。
「あなたは五千年もひとりでここに住んでるんですよね」
だし抜けにタガヒコは尋ねた。
「まあな」
「暇じゃないですか?」
「飲んだくれてラリってゲロ吐いて気絶して素面になってまた飲んだくれるのに忙しいよ」
「楽しいんですか、それ」
「楽しいわけないだろ。でも、引きこもって酔っ払っていれば厄介ごとにはあんまり巻き込まれずに済むし、嫌なことも思い出さないでいられる。人生ってのは下手にかまわなきゃ牙を向かない大人しい獣だ」
リザベートはコーヒーをブラックで啜った。
「同意できませんね。おれの人生はいつでも牙を向いて唸って涎を垂らして金玉を噛みちぎる機会を虎視眈々と狙ってますよ」
魔女は僅かに微笑んで湯気のたつマグカップをタガヒコのほうへ滑らせた。
「そりゃおまえがオウジサマだからか?」
「おまけにデゥィストレア人だ」
マツスミが茶々を入れた。
「ベロベロキャンディをやろうか? 特別に金貨一枚でいい。ぶっトべるぞ」
「遠慮しときます。うちの国は国策として非薬物三原則を掲げてるので。持たず、作らず、持ち込ませず、です。王子が破るわけにはいきませんよ」
「ただしマリファナは除きますがね」
「ちょうどいいな。最近そいつの栽培に凝ってるんだ。一服するか?」
「いいんですか!?」
マツスミは手にたっぷりシャボンをつけたまま振り返った。
「領収書はきっちりストーニャ王国宛てに切ってやるよ」
リザベートはニンマリした。
三人は意味もなくこそこそしながらジョイントでマリファナを吸った。
砂漠の冷たい夜は人目を忍ぶようにひっそりと更けていく。
閲覧、評価、ブクマ等々本当にありがとうございます。とても嬉しいです。




