(5)鉱緑の大将(前編)
背に翼を秘め、神秘な力を持つ異種たちの長い長い物語です。
この第五話はからは、翡翠の貴公子の活躍が描かれています。
少しでも彼の勇士が伝わったら嬉しいです。
闘技会、二日目の午後は、翡翠の貴公子が最も参加したくない競技、騎馬戦の対戦であった。
待機場で五十騎の騎兵と待機し乍ら、翡翠の貴公子は淡々とした表情で壁に寄り掛かっていた。
彼は物思いに耽っていた。
どうしたものか・・・・と。
此の二ヶ月、素人に毛が生えた程度の者たちに基礎は教えて来たが、其の努力も虚しく、
彼等は其の半分も修得出来ずにいた。
其ればかりか。
「おら、やっぱり、甲冑って苦手だべ」
等と今更ながら言っている始末である。
此れは・・・・ぼろ負けかも知れない。
いや・・・・其れよりも、もっと最悪な事態が待っている様な気がする・・・・。
其れを考えると翡翠の貴公子は普段にも増して頑なな表情になってしまうのだった。
そして又、落ち込む男が此処に一人。
「はあああ。俺・・・・甲冑替えたい」
金の貴公子はしゃがみ込むと、腹の底から出す様な溜め息をついた。
「こんな目立つの嫌だ・・・・恥だ・・・・恥晒しだ」
異種の甲冑には余計にも、其れと判る紋が肩の部分に入っていた。
なので当然、観衆の注目も集まり易いのだ。
武術に至っては素人同然の金の貴公子は、正に笑い者になる事は目に見えていた。
「うう・・・・どうしてくれるんだよ。此れで女に引かれたら・・・・立ち直れない」
嘆く金の貴公子を翡翠の貴公子は軽く一瞥したが、直ぐに視線を戻した。
すると係りの者が現れ、
「騎馬戦の方々は、そろそろ入場です。準備をして下さい」
と声を通した。
翡翠の貴公子は溜め息を吐くと、冑を被り、ひらりと馬の背に乗った。
其れに続く様に兵士たちが一斉に馬に跨り始める。
金の貴公子も観念した様に馬に跨る。
待機場に緊張が流れ始める。
誰も何も言わなかった。
そして遂に銅鑼の音が待機場へと届いた。
「はい!! 皆さん、前へ進んで下さい!!」
係りの者が指示を出すと、翡翠の貴公子が軽く馬の腹を蹴って前へ進み始める。
其の後を副将を先頭に騎兵たちが続く。
二日目の騎馬戦は鉱緑と黄花の対戦であった。
大将を中心に百騎の騎兵が向かい合う。
鉱緑の騎兵たちは此れまでにない緊張感を感じていた。
闘技場は不気味な程に静まり返っている。
両者、大将を真ん中に、横に長く並んでいた。
どうやら、どちらも先に陣は組まない様だ。
其れを審判が確認すると、遂に銅鑼の音が鳴った。
観衆の歓声と共に騎兵たちが動き始めた・・・・筈だったのだが、鉱緑の騎兵たちは、
わっと乱れ始めた。
極度の緊張の為、練習時に教えられた進軍を出来ずに居たのだ。
其れを見た翡翠の貴公子が指示を出そうとすると、
隙間の無い波型の黄花の騎兵が一気に押し寄せて来た。
黄花の勢力に鉱緑の騎兵は、わっと散り始める。
「おお、ありゃあ、駄目だ」
其の光景を見下ろす観客が声を上げた。
「軍隊の力に差が有り過ぎる。こりゃ、鉱緑が負けるな」
「鉱緑!! 少しは踏ん張ってみせろ!!」
「黄花!! そんなチームは、さっさと潰しちまえ!!」
それぞれ言いたい放題を始める。
どう見ても鉱緑の分が悪過ぎだった。
騎兵たちが潰されるのは目に見えている。
翡翠の貴公子は応戦を繰り返し乍ら、此れは・・・・不味い・・・・と思っていた。
練習時も酷いものだったが、敵兵を相手にすると其の力の差は圧倒的だった。
此のまま試合が長引けば最悪な事態が訪れるだろう。
最悪な事態とは・・・・大将が一人になってしまう、と云う事である。
騎馬戦で大将が一人になる事ほど恥晒しはない。
其れだけは・・・・其れだけは・・・・嫌だ!!
そう思った瞬間、翡翠の貴公子は思いきり馬を走らせていた。
妨害して来る敵兵を長棒で横凪ぎに払うと、黄花の大将目指して一直線に走る。
其の光景を見た観衆は、一斉に、おお!! と声を上げた。
「おお!! 見ろ!! 鉱緑の大将、一人で敵陣に突っ込んでるぞ!!」
「うおおおお!! 行け!! 行け!! 鉱緑の大将!!」
先程まで黄花を応援していた者たちまでもが、鉱緑に声援を送り始める。
早く片を付けねば、と翡翠の貴公子は思っていた。
そうしなければ自分の所の騎兵が全滅させられてしまう。
其れだけは何としても避けねば・・・・。
翡翠の貴公子は凄い勢いで長棒を振り翳すと、黄花の大将に迫った。
猛然と迫って来る翡翠の貴公子に黄花の副将二騎が前へ立ちはだかったが、
一騎は彼の勢いに圧されて其のまま落馬した。
もう一人は翡翠の貴公子の目にも止まらぬ長棒の突きの速さに馬上で泳ぐと、地面に落ちた。
其の翡翠の貴公子の凄まじい攻撃力を目の当たりにした黄花の大将は、驚愕の余り数歩下がった。
副将とは軍の中でも最も腕の達つ者が選ばれているものである。
其れを、こんなにあっさりと片付けてしまうとは・・・・。
危機を感じた黄花の大将は蒼旗の二の舞いか、一刀も交えずに踵を返した。
「おおおお!! また大将が逃げたぞ!!」
「やれ!! そんな臆病な大将は、さっさと倒しちまえ!!」
歓声が更に盛り上がり出す。
翡翠の貴公子は逃亡する相手を追うのは好きではなかったが、今の自分の立場では、
そうも言っていられなかった。
翡翠の貴公子は黄花の大将の後を追うと、前へ回り込み、正面から長棒で大将の身体を引っ掛けて、
あっさりと押し落とした。
闘技場全体が又しても激しい歓声の渦に包まれる。
歓声に混じって婦女子たちも立ち上がると、翡翠の貴公子の名を一斉に黄色い声で叫んだ。
歓声の木霊する中、銅鑼の鐘が鳴ると、騎兵たちがぞろぞろと退場して行く。
其の流れに沿って通路に入った翡翠の貴公子が冑を取ると、
待ってましたと言わんばかりに鉱緑の眼鏡の補佐員が現れた。
「翡翠の貴公子様ぁぁ!!」
例にも例の如く、半泣き顔で迫って来る。
翡翠の貴公子が馬を下りると、補佐員は縋り付いて来た。
「素晴らしゅうございました!! 翡翠の貴公子様の御蔭で勝つ事が出来ました!!
嬉しゅうございます!! 誠に嬉しゅうございます!!」
翡翠の貴公子は暫く無言で補佐員を見下ろしていたが、
「駿馬を一頭、用意出来ないだろうか??」
問うた。
しかし補佐員は首を横に振る。
「残念ですが駿馬は引っ張りだこ状態で、今からでは、もう」
今回は辛うじて乗り切る事が出来たが、
次の試合では自分が乗っていた馬では無理が在るだろうと、翡翠の貴公子は思っていた。
何故なら次の試合は、白の貴公子の居る白鐘か、漆黒の貴公子の居る黒耀に当たるからである。
此の馬では此の先は遣ってはいけない事を翡翠の貴公子は感じていたが、
「そうか」
と頷くと、更衣室へと向かった。
其の後を慌てて追って来た金の貴公子が、がしりと翡翠の貴公子の腕を掴んだ。
「主、有り難う!! 主の御蔭で助かったよ!! 主の御蔭で、俺の名誉は護られた!!」
鉱緑と黄花の試合では、観衆は当然のこと乍ら翡翠の貴公子の勇士に注目していた。
故に場内の隅で落馬した金の貴公子の姿など、誰も見てはいなかった。
翡翠の貴公子は鎧を脱ぐと、
「・・・・そうか」
そう、一言だけ言った。
こうして二日目の試合も無事終了し、三日目も順調に闘技会は進んでいった。
三日目の白鐘と黒耀の騎馬戦では、黒耀が見事勝利を収めていた。
三日目になると初日から試合に出続けている選手の顔からは、徐々に疲労が見え始めてきた。
だが宿泊先に帰る馬車の中で眠る様になった翡翠の貴公子とは逆に、
金の貴公子は夜遊びに励んでいた。
金の貴公子の参加した弓技は初日の一回戦で見事惨敗であり、
もう一つの騎馬戦では二日目で早々と落馬を記録していた。
結果はどうであれ、彼は、もう何に参加する必要もないのだ。
故に此処一箇所に貴族たちが集まっている此の時期を、遊び人の彼が見逃す筈がなかった。
更に普段は夜間の外出を翡翠の貴公子に固く禁止されているのだが、闘技会の此の期間、
宿に宿泊している間は特に注意される事もなく、実に遣りたい放題であった。
金の貴公子が宿泊先へ帰るべく闘技場を出ようとしていると、美しい貴婦人が手招きをして来た。
彼女はよく知る公爵夫人で、金の貴公子の遊び相手でも在った。
夫人は金の貴公子にぴたりと身体を寄せると、
「闘技会の最終日、パーティーの後、どう??」
と甘い誘いを掛けてきた。
金の貴公子は夫人の手を取ると、
「其れは・・・・其の日が待ち遠しいな。今夜から眠れなくなってしまいそうだ」
夫人の甲に口付ける。
二人は抱き合うと、濃厚な接吻をし乍ら次の密会の約束をした。
そうして異種たちは四日目の闘技会を迎えるのであった。
闘技会四日目、観衆の盛り上がりは依然として続いていた。
一方、異種の観覧席では、相変わらず、それぞれが出たり入ったりを繰り返していた。
しかし此の日、異種の男子の席は一席だけ空席の儘だった。
何故ならば四日目の此の日、翡翠の貴公子は通しであった。
朝から午後の最後の競技まで連続で出場していた故に、
観覧席には一度も戻って来なかったのである。
四日目となると強者同士が残っているだけに、一試合も長くなってくる。
当然、翡翠の貴公子も初日の様に一瞬で片を付けると云う事が出来なくなっていた。
そんな彼の戦い振りを見下ろし乍ら、夏風の貴婦人が言った。
「大分・・・・疲れてきてるわね」
「やっぱり一日通しとなると、翡翠の貴公子でも大変なのねぇ」
白の貴婦人がアイスカクテルを片手に納得する。
すると夏風の貴婦人は腕を組み、
「うん。きついわね。私も昨日は通しだったけど、結構、疲れたわ。
でも、あいつ等と当たらなかったから、まぁ、それほど響かなかったけれど」
顎で異種の男子を示す。
「彼は?? 彼の試合は、どうなってるのかしら??」
蘭の貴婦人は今日の対戦表を眺めると・・・・うっ!! と呻いた。
此の日のラスト、翡翠の貴公子は同族同士の騎馬戦と棒術を控えていた。
太陽が南中から傾き始める頃、翡翠の貴公子は控え室の長椅子に座り込んで、
ぼんやりと天井を見上げていた。
今日一日ずっと彼は此の控え室で過ごしていた。
流石に少し疲労を感じていた。
一試合一試合が長い為、実に骨が折れる。
早く・・・・終らせたい。
終って・・・・自分の屋敷に帰って休みたい。
今日の試合は、あと二回在る。
だが此の二回が・・・・実に曲者なのであった。
5話目は、翡翠の貴公子一色でした。
彼の良さが少しでも伝わっていたらいいのですが。。。。
少しでも楽しんで戴けましたら、コメント下さると励みになります☆