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彼女は魔術と紅茶を楽しんで  作者: 賀来文彰
学生編 秋~冬のこと
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五 明らかになる脅威

 目の前に広がる森は静寂に包まれている。その中で、そこかしこに置かれた篝火の爆ぜるぱちぱちとした音が耳に残る。


 普段は賑やかな村の広場も今日は物々しい。いつもは子供達が取り合っている木のベンチには兵士と冒険者達の荷物が置かれている。その近くでは、兵士の指揮官と冒険者パーティーの代表、そして中年の村人が深刻な表情で話し込んでいる。

 彼らはつい先程聞いたばかりの話の内容を未だに信じられずにいた。襲い掛かってきたのは巨大な蜘蛛だったらしい。ただ、その蜘蛛は言葉を話し、他の魔物を使役していたという。


「魔物が言葉を話し、他の魔物に指示を出すなんてことはあり得るのだろうか」

「いや、そんな話は聞いたことがない……」

「刃が通らなかったらしい。ナイフや槍だけじゃなく剣も通用しなかったって話だ」

「火の魔術も全然効いてなかったんだと」

「蜘蛛なんだろ?火に勝てる訳がない」

「きっとパニックか何かのせいで、魔術が逸れちまったんだろうな。それを見間違えたんだろ」

「かなり錯乱していたし、あのお嬢ちゃんの勘違いだろうな」

「無理もない」


 わずかに漏れ聞こえてくる男性達の会話に首を振りながら、エルフの女性は激しく体を震わせる。看病に当たっていた女性兵士が優しく背中をさするが、女性はただ涙を流すことしかできなかった。


「大丈夫よ。安心して」

「今すぐ逃げないと。皆、食べられちゃう」


 女性は自分に降りかかった災難を思い出さずにはいられなかった。

 デビルウルフ達は何とか撃退できたが、あの蜘蛛にはどんな攻撃も通用しなかった。鉄のような硬さのせいでかすり傷一つ付けられず、昆虫を始め多くの生物・魔物の弱点になる火の魔術もまるで効いていなかった。


 だが一番の恐怖は言葉を発したことだ。


 絶望に震えるエルフ達に向かって蜘蛛は確かに笑みを浮かべた。顔がある訳ではない。しかし、十はあるだろう複数の目の一つ一つに何とも言えない不気味な色が浮かんでいたのをはっきりと覚えている。

 そして足を上げると、蜘蛛はこう呟いた。


「ヤツラヲコロセ……」


 それと同時に残っているデビルウルフ達が攻撃を仕掛けてきた。それは普段のデビルウルフとは似ても似つかない単調な、それでいて凶暴な攻撃だった。

 いつもと違うその動きに武器を持つ者が一人、また一人と倒れていく。何とか応戦していた者も蜘蛛の長い脚を振り下ろされて、そのまま動かなくなる。


 そうして倒した仲間達に魔物は群がった。彼女を含めた何人かのエルフ達が逃げ切れたのは、魔物達が食事の時間を取ったからだ。

 悲鳴が聞こえなかったのは唯一幸運なことだった。皆、その時には既に息絶えていたからだ。魔物に捕食されるのは惨いことだが、意識がある状態でそれを迎えるのとない状態で迎えるのであれば、当然後者の方がまだ救いがある。


 だが、それは生き残った者に絶大な恐怖を与えた。何とか逃げ込んだ次の村では、事情を知った勇敢な戦士が魔物達を迎撃しようとしたが、それを彼女達は必死で止めようとした。その半狂乱な様子に、その村の村長はコーナー家に伝令を送ることで対応したが、迎撃自体は中止しなかった。


 そして悲劇は繰り返された。


 彼女達の呼び掛けを心に留めていた者達は何とか生き延び、三つ目の村へ逃げ込むことができたが、もはや冷静な行動を取ることはできなかった。

 ぶるぶると震え、涙を流し続ける彼女だけが、たどたどしいながらも言葉を交わすことができる唯一の存在だった。


 生き残った者も含めて、三つ目の村の住人は東に向かって避難している。その村から徒歩で三十分程進んだところに小さな城塞都市があった。だが、村を守りたい者や話半分にしか聞いていない者はそのまま残った。


 もしコーナー男爵が聡明な領主でなく、災厄を生き延びた者の負傷状況に目を配らず、彼らの言葉に真剣に耳を貸していなかったら、残った村人達も二つ目までの村のエルフ達と同じ末路を辿っていただろう。

 報せを受けたコーナー男爵はすぐに王室と近隣の貴族に早馬を出し、村へ兵士を向かわせた。加えて、地元の冒険者ギルドにBランク以上対象の緊急依頼を出している。限られた情報の中でコーナー男爵は最善の一手を打てるように尽力していた。


 だが、それでも不充分だとエルフの女性は思う。


 今にもあの巨大な蜘蛛が鋏角を打ち鳴らしながら踏み込んできそうな気がして、今すぐこの場を逃げ出したかった。しかし、死に物狂いで走り続けたことで彼女の足はもう力が入らなくなっていた。


 女性兵士が気を利かせて持ってきてくれたホットミルクを飲んで、少しだけ身体の震えが収まる。

 そして彼女は思い出す。


 そもそもデビルウルフ達と遭遇した時、彼女に気付いたのは魔物ではなかった。


「そこにいるのは誰かな?」


 薬草を採りに来ていた彼女は茂みに身を屈めて辺りを探していた。人影が見えたが、仲間だと思い声はかけなかった。不用意な音は近くに潜んでいる魔物を刺激するからである。

 しかし、その人影はそのことを気にする素振りを見せず、彼女がいる方向をジッと見つめた。彼女は慌てて声を潜めるよう、ジェスチャーでそれを伝えようとする。


「逃がすな」


 だが、その人影はそう言うと手をかざした。するといつの間にかデビルウルフ達が現れ、彼女を追いかけ始めたのだった。


 それを思い出した彼女は、自分の面倒を見てくれている女性兵士に急いでその旨を伝える。だが、兵士は曖昧に微笑むとホットミルクのお替わりをもらってくると言って、テントを出ていってしまった。まだ錯乱していると思われたのだろう。

 自分の迂闊さを呪いながら、彼女はふと思う。


 その場所から始まった逃避行は一旦ここで終わっているが、また繰り返されるのだろうか?全てが解決した時には、どれだけ多くの血が流れているのだろうか?


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 図書室の三階は暗闇に覆われている。その中で唯一明かりを灯しているのは三階専用の事務室だけだった。ここでは図書室長が常駐しており、副図書室長達はローテーションを組んで駐在する。

 その日も閉館時間と共に副図書室長が退出する。その部屋にいるのは図書室長だけになった。


 こまごまとした仕事を片付け、図書室長は軽く背伸びする。そろそろお茶でも飲もうかと立ち上がりかけて、その気配に気付いた。

 事務室は三階への出入口にもなっており、入退室者は仕切りに囲まれたカウンターを通らねばならない。そしてそのドアは階段側も蔵書室側も常に厳重に施錠されている。


 それなのに、そのカウンターのところに一人の女性が立っていた。まるで気配を感じさせず、ずっとそこにいたとでも言いたそうに涼しげな瞳を図書室長に向けていた。


 図書室長は眉を吊り上げたが、何も言わずに座り直す。その様子はどこか面倒くさそうだった。


「つれないじゃないの、ジェニファー」


 女性が残念そうに呟く。ジェニファーと呼ばれた図書室長は鼻を鳴らした。


「あなたをここへ招待した覚えはないのだけれど?」

「ヒドい。私達の仲なのに」

「別にあなたと仲良くした覚えはないけれど?」

「ほら、そこは長生き同士のよしみで」

「私から見れば、あなたはまだ子供みたいなものですよ」


 女性は頬を膨らませる。だが、その仕草はどこかわざとらしい。ジェニファーは相変わらず仏頂面のまま珍客を見つめている。


「それで、何のご用かしら?暇つぶしに来たなんて言ったら追い出すわよ」

「デーモンスパイダー」


 先程までとは打って変わって、冷ややかな声が響き渡る。ジェニファーの目付きが鋭くなる。


「南西部の件?」

「ええ」

「それは確かなの?」

「ええ。生き残ったエルフの女性が証言していたわ。人の言葉を話し、他の魔物を使役するなんてあいつ以外にいないでしょう」


 どうして分かったの、と言いかけてジェニファーは口を噤む。それは愚問だった。代わりにジェニファーは質問する。


「それで、私に知らせたということは、この件に関して表に立ちたくないのね?」

「この件に限らず」

「それは無理な話よ。どうせすぐにバレるんだから。それに、あなたはもう有名人なんだからさっさと諦めなさい」

「私は最後まで抵抗したいの」

「あの時すっかり舞い上がったのはあなた自身よ。それに、なんだかんだ言って今の肩書を楽しんでいるでしょうに」

「まあ、それくらいは自分へのご褒美ということで」


 女性はいつの間にか取り出していた扇子で口元を覆いながら、おほほと笑う。


「まあ、分かったわ。あなたからの情報だというのは一応伏せておく。でも、詳細を詰めないといけないから少し付き合いなさい」

「そのつもりで来たから大丈夫」

「あなたの好みに合うか分からないけど、お茶くらい用意してあげる」

「ジェニファーの味覚を信用してるよ」

「伯爵夫人にもなると余裕たっぷりなのね」


 そう言うとジェニファーは振り返り、壁の一つに左手をかざす。その辺りに扉が現れる。


「ちょっと待ってよ。そっちに行きたいから扉を開けて頂戴な」

「ダメ。そこには私を含めた者達の許可がないと入れないから」

「けち臭いよ。そっちに行くだけじゃない」

「あなただったらその仕切りくらい通り抜けられるでしょう?それに扉を開けたら記録が残るわよ」


 女性は大きくため息をつくと、体を少しずつ透過させていく。やがて、黒い霧が立ち込めたかと思うと事務室の内側に女性が立っていた。


「これって地味に体力使うから嫌なのよね」

「帰る時もそうしてもらうからね」


 げんなりとした表情を浮かべる伯爵夫人と共に図書室長は自身の私室へと入っていった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ジェニファーからの緊急連絡により、王室はすぐさまコーナー家とその近隣の貴族へ早馬を飛ばした。報せを受けたコーナー家はすぐに男爵自ら増援を率いて臨時防衛拠点の村へ向かう。だが、デーモンスパイダーもゆっくりとした歩みでその村へ向かっていた。そこに隠れているであろう獲物を捕まえる為に。


前回とのバランスを取って、いつもより少しだけ短くなっています。


次回投稿は25日(月)7時です。

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