九 RCISとの出会い。或いは遭遇
温室に続く渡り廊下からは庭園を眺めることができるが、今そこにあるのは少し大きなクレーターとうす高く積み重なった何かの残骸ばかりで、かつての美しい光景は見当たらない。
目に飛び込んでくるその惨状に心を痛めつつ、エリカは自分の前を歩く伯爵夫人の背中を見つめる。
その背中はどこか小さくしぼんで見えた。
「さあ、お入りになって」
温室の中にあるテーブル席には既にクッキーやケーキといった洋菓子が用意されており、その傍らではメイドがティーワゴンと共に慎まやかに佇んでいる。
「あ、あの時の」
メイドを見たエリカは彼女のことを思い出す。夏休みにシェリル達と王都を散策した時に護衛役として同行していたメイドだった。
「先日はお世話になりました」
「そのようなお言葉、恐れ入ります」
「あら、エリカさんはアンジェリカと知り合いだったのね?」
「ええ。シェリル達と王都を散策した際に」
「ああ」
そう言うと伯爵夫人は自身でも恐らく気付いていないであろう、右手小指にはめられた指輪を左手でそっと撫でながら朗らかな笑顔を見せる。
あの時にシェリルが選んだ贈り物はさりげなく、それでいてしっかりとした輝きを放っていた。
席に着くとアンジェリカが給仕を始める。ティーポットに淹れられた紅茶の香り高さにどこかホッとする。
茶葉を蒸らしている間にシェリルが温室へと入ってくる。エリカを見つけると顔をほころばせるが、オズワルドの姿を見とめた途端に典型的な貴族の笑みを浮かべながら優雅にお辞儀する。
「オズワルド様。エリカさん。ご挨拶が遅くなり申し訳ございません」
そんなシェリルを面白そうに見やりながらオズワルドは挨拶を返す。
「他の貴族ならいざ知らず、私に対してそんなに堅苦しくする必要はないよ。シェリル嬢。構わんだろう、ルーシー?」
「先生、娘の教育の為にもそんなことを仰らないで」
「ふむ、そういうことなら仕方あるまい」
真面目くさった表情でオズワルドは椅子に深く腰掛ける。少しおどけた様子にエリカが思わずクスリと笑い、初めてシェリルはホッとした表情を見せた。
シェリルが席に着くとアンジェリカがそれぞれのティーカップに紅茶を注いでいく。立ち昇る香りに一同はくつろいだ表情を浮かべる。
だが、それからの話はくつろぎとは程遠いものだった。
オズワルドはチーズケーキを一口取り、じっくりと味わうとナプキンで丁寧に口元を拭うと、ほんの少しだけ前かがみになる。その微妙な動きを見て取った伯爵夫人は紅茶を飲むことでこれからの話に備える。
「近々RCISの捜査官がやって来るらしい」
「思いのほか早い動きですわね。もう少し余裕があると思っていたのだけれども」
「事態が急を要するものだけに仕方ないさ」
「それにしても「らしい」というのはどういうことですの?本来であればとっくの昔に連絡があるはずでしょうに」
「正式な要請が来ていないのは現場判断かもしれないね。スペンサー本部長は元々国王の側近の一人だ。彼女が儀礼上必要なことを欠くとは思えん」
二人の会話を聞きながらエリカも対応を考える。先日の王都の件はれっきとした犯罪なので、関係者への事情聴取があるのは当然のことだった。特にエリカは敵を一人倒しているので、その辺りの説明を求められる可能性は充分に考えられた。
考え込んでいる様子に気付いたのか、オズワルドはそっとエリカに微笑む。
「何も心配する必要はないよ、エリカ嬢。あくまで形式的なものに過ぎないからね」
「はい、先生」
そこでシェリルがおずおずと話しかける。
「あの……。どうして捜査官が来るって分かるんでしょうか?」
その話し方は貴族らしからぬもので、少しだけ伯爵夫人は目を細めたが、対照的にオズワルドは嬉しそうな様子を見せた。
「既にそういった動きが広がっているからだよ。今や目撃者への聞き込みから関係者への確認や協力要請にまで事態は進んでいるからね。そういった動きを追いかけていけば自ずと結論を導き出せる」
「ということは、既に始まっているんですね?」
「そうだよ、エリカ嬢。学院の関係者と捜査官が話し込んでいるのをこの目で見たばかりだよ」
「ちょっと待ってくださいな。その関係者ってどなたなの?」
そう聞く伯爵夫人だが、どうやら心当たりがあるらしい。オズワルドは苦笑交じりに答える。
「ジュリアだが?」
その瞬間、伯爵夫人はあからさまに不機嫌になった。ふてくされるようにそっぽを向くその様子は貴族らしからぬもので、シェリルはそんな母親の姿を初めて見たのだろう、目を丸くしていた。
ジュリア・パーカーと言えば王立バンクロフト学院の上級魔術学の教授である。エリカやシェリルが彼女の授業を受けられるのは来年のことだが、食堂などで姿を見かけたことは幾度となくあった。
どうも伯爵夫人とジュリアの間には何かあるらしいが、それを聞くことは叶わなかった。
エリカが身を乗り出そうとした瞬間、温室へ入ってきた執事が急いだ足取りで伯爵夫人の元に向かい、何事かを耳打ちする。
それを聞いた途端、伯爵夫人はサッと表情を変えてオズワルドに目配せする。そして急用で席を立つことをエリカ達に詫びると、執事と共に急いで温室を出ていった。
「一体何事でしょうか?」
「うーん。情報に敏いルーシーがあれ程慌てるとなると、帝国が予想外の動きを見せたかガーネット王国が天変地異に見舞われたか。或いは魔物領で何かが起きたかだろうね」
「どれも国家の一大事なのが恐ろしいですわ」
半ば冗談交じりに返したエリカだったが、難しい顔をするオズワルドの表情は変わらなかった。
この何とも言えない空気に最も呑み込まれているのはシェリルだった。生まれながらの貴族ではない彼女にとって知らないことがまだまだ残されているのだろう。不安げな彼女にメイドのアンジェリカがそっと紅茶のお替わりを差し出していた。
しばらくして扉がノックされ、別のメイドが現れる。メイドは一礼すると、エリカとオズワルドに食堂へ案内する旨を告げた。
「私は?」
「お嬢様はアンジェリカと共にこちらでお待ち頂くことになっております」
その言葉にエリカとオズワルドは顔を見合わせる。シェリルは困惑していたものの、何かよく分からない事柄にとりあえずは巻き込まれずに済みそうでホッとしている様子だった。
食堂に移った二人はそこにいた客人達の数に驚いた。男性一人と女性二人が居心地悪そうに椅子に腰掛けており、その近くで別の男性が落ち着きなく行ったり来たりを繰り返している。
その男性を呆れた様子で見つめる伯爵夫人は普段の席には座らず、位としてその一つ下の席で腰掛けていた。彼女の向かい側には大広間の戦いで見かけた女性が座っている。自身の両脇にいる女性達を楽しそうに眺めている男性は、伯爵夫人の席にゆったりと腰掛けていた。
その男性はこの中で一番若く見えるのに、一番堂々としていた。自分自身の魅力に気付いているタイプで、屈託のない笑顔を浮かべてこの場の状況を楽しんでいた。そんな彼のことをエリカはどこかで見た気がして、思い出せずにいた。
その男性がオズワルドとエリカを見るや否や右手を上げ、まるで長年の付き合いであるかのように親しく声を掛けてくる。
「やあ、ごきげんよう。オズワルドさんに会うのは何年振りかな?」
「これはこれは……。ご無沙汰しております、第一王子。」
「そんな堅苦しい挨拶はなしにしてくださいよ」
オズワルドと語らう様子を見ながらエリカはようやくその男性のことを思い出す。
「トレヴァー・マクファーソン第一王子……」
「ああ、その通りだよ。確かあなたはスタンフォード家のご令嬢だったね。
初めてお目にかかる。トレヴァー・マクファーソンだ。宜しくね」
「エリカ・スタンフォードでございます。お目にかかることができて嬉しく存じます」
緊張しつつ挨拶するエリカを相変わらず楽しそうな様子で迎えながら、トレヴァーは二人に着席するよう促した。
「いや、突然済まないね。伯爵夫人を訪ねたらRCISの皆さんと途中で行き当たってね。聞けば皆さんもこちらへ伺うとのことだったから、それなら一緒に行こうと声をかけた次第なんだ」
朗らかに告げるトレヴァーの言葉に捜査官達は一層身を縮こませる。そんな彼らを伯爵夫人の真向かいに座る女性がジッと見つめている。
「さて、皆さんのお仕事の邪魔をしてはいけないからね。別の場所へと移りたいが、手頃な部屋へ案内して戴けるかな?伯爵夫人」
「ご案内致しますわ」
「ああ、それと後でオズワルドさんとゾーイさんも来てもらえませんか?ちょっとお話しておきたいことがあるので」
そう言うとトレヴァーは席を立ち、完璧なスマイルを浮かべて退室する。その際に意味ありげな視線を向けてきたのがエリカは気になった。
さて、自分はどうしたものかと考えていると腰掛けていた三人の内、男性が席を立ってエリカの方へと近付いてくる。
「エリカ嬢。RCIS主任特別捜査官のフランク・マーカスです。先日の王都の事件に関してお話を伺いたい」
「待たれよ、主任特別捜査官。こういったことは事前に連絡があるものではないかね?」
「この件は従来のようにはいかない。国王陛下に対するこれ程までの大規模な攻撃は建国以来類を見ない。慣行などに従っている場合ではないのだ」
「それでも私には報告すべき」
ゾーイがムスッとした表情で見やるが、フランクは頑なに視線を合わせようとしなかった。その様子は気まずさからくるものではなく、頑固さからくるものだとエリカは直感的に感じ取った。
「エリカ嬢。こういう次第ですのでこちらへお願い致します」
フランクはやんわりと席の一つを進めるが、その隣には女性捜査官が並んで座っている。エリカは申し訳なさそうな表情でフランクに歩み寄る。
「申し訳ございませんが、今朝から体調がすぐれなくて。日差しを浴びたいのでそちらの席でも構いませんか?」
フランクは何かを言いかけたが、すぐに口を閉じると同意の印に頷いた。エリカが望んだ席はフランクが指し示した席の真向かいだったことも功を奏したのだろう。
しかし席に向かいながらもエリカは小さな勝利を手にした実感があった。日差しの入る窓を背にすると逆光で表情が見えにくくなる。このことは、前世で広く有名なイギリスの探偵小説を読んだことで学んだ。
別にやましいところはないが、前世からどうも警察官に対する不信感がある身としては心の底から彼らに協力する気にはなれなかった。
そこからは形式的なやり取りが始まる。主任特別捜査官直々の聞き取りは珍しいことだが、周りにオズワルドや他の捜査官がいること自体がイレギュラーなことでもあるので、かえって気にはならない。
やり取り自体もすぐに終わったが、その間エリカはずっとこちらに視線を向けてくる捜査官のことが気になっていた。
彼は聞き取りが終わった後も、鋭い眼差しを向けている。それに気付いたオズワルドが訝しげに彼を見やる。
「何か気になることでも?ベイトソン捜査官」
「特別捜査官だ」
憮然とした表情を浮かべつつ、こちらへの視線だけは決してそらさないこの特別捜査官にエリカは嫌な気分を覚えた。




