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彼女は魔術と紅茶を楽しんで  作者: 賀来文彰
学生編 秋~冬のこと
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四 忍び寄る暗い影

今回からのお話は、この章のメインエピソードになります。


 降りしきる雨の中、湿地帯を精一杯走っていく人影があった。

 風よけのマントは体温の低下をまだ防いでくれているが、雨水を吸い始めたのか徐々に体に重みが加わってくる。


 雨風が顔に当たって目を開けていられなくなる。ぬかるんだ地面に足を取られ転んでしまいそうにもなる。

 それでも、懸命に走り抜いた。


 後ろから魔物のうなり声が聞こえた気がして、思わず振り向きたくなる。だが、振り返ってそれを確認する余裕はない。転ばないように目の前に見える地面に細心の注意を払いつつ、村に向かって走り続ける。


 しばらくすると、視線の先にぼんやりとだがオレンジ色の明るい光が見えてきた。篝火だ。その奥には魔物や大型動物を避ける為の柵が広がっている。

 見慣れた光景に安心しそうになるが、再び魔物のうなり声が聞こえてきて、緩みかけた表情を再び引き締める。


「魔物だっ!皆、気を付けろ!」


 あらん限りの大声で叫ぶ。それに反応するように魔物が一際大きく吠えた。

 それと同時に魔物の一匹が跳びかかる。爪先が左肩を切り裂いた。


「この野郎!」


 鋭い痛みに襲われながらも、覆いかぶさる魔物を蹴り上げて引き離す。急いで上半身を起こした拍子にフードがめくれた。


 細長い耳に薄い金髪。エルフの女性だった。深緑の瞳には決意が込められているが、両頬に差す僅かな赤みが彼女の虚勢と幼さを物語っている。


 女性は右足首に付けていたナイフを引き抜くと、ゆっくりと後ずさる。蹴とばした魔物の両脇に同じ魔物が並んでいる。


「大丈夫か!」


 村の方から若者達が飛び出してくる。決して魔物達から目を逸らさずに彼女は彼らに注意する。


「デビルウルフが三頭!」


 デビルウルフの見た目そのものは狼と変わらない。だが、狼よりも一回り大きな体を持ち、四本の牙は獲物をやすやすと引き裂く。何より特徴的なのはその牙が赤黒い点だ。


 若者達は瞬時にフォーメーションを変えると、それぞれが武器を構える。女性もその中に加わると武器を構える。剣と槍ばかりで遠距離武器が無いのは心もとないが、仲間がいるだけマシだった。


 デビルウルフ達は増援に目を向けると、牙を剥く。ニヤリと笑った気がした。


「うおっ!」

「こいつら、どこから湧いて出て来やがった!」


 いつの間にか新たなデビルウルフの群れが現れ、若者達をぐるりと囲んでいた。それだけでなく、見たこともない巨大な何かが前方の暗がりから現れる。自分達の三倍以上はあるだろう大きな魔物とデビルウルフ達を前に若者達は恐怖に震えるしかなかった。大きな魔物は獲物をねっとりと舐めまわすように見つめたと思うと、デビルウルフ達と共にゆっくりと跳びかかっていった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 馬車から降りたエリカは学院の正面玄関へと向かう。すれ違うようにエルフの学生達が車止めで待機している乗合馬車に乗り込んでいく。

 その様子を見ていると、車止めに停まった別の乗合馬車から数人の学生に交じってナタリアが降りてくる。エルフ達の乗合馬車が急発進したことで巻き上がった砂ぼこりにナタリア達は顔をしかめた。


「ちょっと、何の騒ぎなの?」

「先週末のことなんだけど、コーナー家の領地に魔物が侵攻したのよ」


 うんざりした表情で服に付いた汚れを払うナタリアにエリカはため息交じりに答える。途端にナタリアは動きを止めた。


「嘘でしょ」

「嘘だったら良かったんだけどね」


 コーナー家は南西部防衛線の一つに領地を構えるエルフの一族で、隣接こそしていないものの「ご近所さん」同士、スタンフォード家とは古くから交流がある。

 そのコーナー家の領土に魔物が侵攻したという報せが届いた時、父のアルフレッドは即座に軍備を整える準備に入るよう領地の代官に早馬を飛ばした。


「どういう状況なの?」

「村が二つ襲われたらしいわ。魔物の正体は不明」

「なんで?」


 ナタリアの疑問にエリカは答えなかった。それが意味するところを察してナタリアは息を呑んだ。

 ナタリアとエリカはそれきり黙ったまま、最初の授業に向かう。


 魔術を実践することもあり第二運動場は広々としている。だが、今日はどこか寒々しい。コーナー領への魔物侵攻の知らせは既に多くの知るところとなっているようだ。

 憂鬱な雰囲気の中で、一人の男性だけは努めて明るく振る舞っていた。


「さて復習だ。魔法と魔術の違いを答えられる者は?」


 この問い掛けに何人かが手を挙げる。男性は素早く彼らを見るとその中から一人を指差す。


「魔法は誰もが使えるもので、魔術は戦闘に特化させたものです」

「よろしい」


 男性は満足げに頷くと補足説明を行う。


「魔法は汎用性が高い。それに少し練習すれば誰もが習得できる便利なものだ。君達の場合だと、よく使うのは火の魔法だろうな」


 そう言うと彼は右手を出して、手のひらを上に向ける。途端に小さな炎が現れた。


「料理や家事をする中で火は必要だ。明かり代わりにもなるしな」


 ほとんどの学生が頷いている。だが、その中に貴族出身の学生は少ないことにエリカは気付いていた。

 貴族には使用人がついている。有事に備えて野営などの練習をすることはあっても普段から自分で料理や家事をする訳ではない。だから余りイメージが湧かないのも仕方ないことだった。


「対して、魔術は魔法を戦闘に特化させたものだ。これを習得するのは簡単なことじゃない。ここのような学校で学ぶか、家庭教師から教わる必要がある」


 男性は先程の炎を大きくすると、学生達の右手後方に並べられた木の的の一つに放った。炎は緩やかな速さでそこに向かうと、大きな音をあげて的を燃やし尽くした

 その光景を平民出身の学生達が目を輝かせて見つめている。男性は彼らを見ると微笑んだ。


「勿論、魔術も誰もが学べるものだ。ただ、魔法と違って魔力を多く使うし、複雑な操作も必要になるから疲労蓄積度が高い。また護身程度なら魔法の応用で何とか出来ることも多い。だから、平民が無理に習得する必要はないんだ。この授業は初級魔術学と名付けられているが、仮に魔術を使いこなせなかったとしても気にすることはない」


 そこまで言うと男性の笑みが大きくなる。


「だが、冒険者を目指すのなら初級魔術は使いこなせないといけない。ああ、言っておくが、ここで言う冒険者とはCランク以上だ。小遣い稼ぎや生活の足しにする為に冒険者になるならEランクで充分だからな。だから安心して俺についてこい」


 学生達が大きく頷く。その中には貴族出身の学生も多くいる。そんな彼らをエリカは冷静に見つめていた。


 ヴィクター・ソレンソンは今学期からここ王立バンクロフト学院の初級魔術学と中級魔術学の担当教授になった。数少ないAランク冒険者の一人で平民出身でもある。それ故に貴族からも平民からも人気が高く、ソレンソンが教授になることが決まった時は、社交界が大きくざわついたものだった。中でも人付き合いを余り好まないことで有名なコーンウェル伯爵夫人がわざわざ晩餐会を開き、その場にソレンソンを招待したのは記憶に新しい。


 熱に浮かされたようにソレンソンを見つめる学生達からエリカは視線を移す。ソレンソンが燃やした木の的はすっかり炭の山に成り果てている。いかにも暑苦しそうな性格だが、魔術の腕は流石Aランクというべきだ。

 そして学生達をまとめあげるのが上手い。先程まで塞ぎ込んでいたクラスメイト達の目には光が宿っている。


「さて、それでは実際にやってみようか。なに、前回の授業の内容を思い出せば簡単だからそんなに緊張しなくても良い。思い出せなくても何回かやっていけば自然と身体が思い出すさ」


 エリカ達は木の的から三十メートル程離れたところに整列する。初めて魔術を使うにはハードルが高い距離だ。だが、そのことに気付いている学生はほとんどいない様子だった。

 ソレンソンが号令をかけ、学生達が魔術を行使する。だが、その大半が不発に終わる。上手く発動できているのは貴族出身の学生ばかりだったが、彼らですら木の的に正確に当てることに苦戦していた。


 魔術操作はかなりの技術を必要とする。スピードや威力の加減は勿論のこと、分散させたり他の属性を混ぜたりすることもある。これらの中から一つ選ぶだけでも魔力の消費量は大きくなる。先程のデモンストレーションの際に、ソレンソンはゆっくりとした速さで炎を的にぶつけていたが、速さを遅くするのは非常に高度なことだった。


 ソレンソンは的を一つ一つ見ていく。そして口を開いた。


「貴族組はやはり違うな。これくらいの距離だとまだ食らいつけるようだ。だからといって君達が気落ちする必要はないぞ。俺達平民組は学校で始めて魔術を習う。だからできなくて当然なんだ。不発だったからと気に病むことはない」


 ソレンソンの言葉に平民出身の学生達が頷いた。


「さて、貴族組の君達もよく頑張っている。だが、油断するな、慢心するな。君達が小さい頃から家庭教師をつけられている理由を思い出せ。君達が目指す存在はこの程度の成果で満足するのか?そんなことはないだろう」


 今度は貴族出身の学生達が頷く。相変わらず熱気のこもった話にエリカは段々と興味をなくしていった。


「とはいえ、初めての実践的な授業でこの距離というのは難易度が高いことだ。だから恥じることはない。そしてこの距離で見事に的を燃やした者は胸を張るが良い」


 そう言うとソレンソンは両手を広げた。嫌な予感がしてエリカは顔をしかめる。


「グレッグ・トンプソン、デイヴィッド・ジョーンズ、エリカ・スタンフォード、ミランダ・モートン。君達は見事に標的を破壊した。実に素晴らしいことだ」


 ソレンソンは両手を擦り合わせると、にこりと微笑んでとんでもないことを言い始めた。


「本来のカリキュラムだともう少し後のことなんだが、君達なら大丈夫だろう。今から俺と模擬戦をするぞ。一発で良いから俺に当ててみろ」

「いや、さすがにそれはできません」


 他の三人はきょとんとしており、エリカだけが抗議の声を上げる。だが、ソレンソンは聞く耳を持たずにその場でしゃがみ込み、自身の右手を地面につける。そして何かを唱えると立ち上がった。

 見ると何か薄い膜のようなものがクラスメイト達を包み込むように地面から伸びている。


「結界を張ったから遠慮はいらん。逸れた魔術が皆に当たることもないから安心してかかってこい」

「では、よろしくお願いします」


 エリカは急な展開についていけなかったが、踏ん切りをつけるのが早い他の三人は一礼すると身構え、勝手に戦いを始める。

 仕方ないのでエリカは防御呪文を無詠唱で発動する。これは本来、壊れやすい物を衝撃から保護する魔法なのだが、生物にも応用が利くのと手軽に発動できることからエリカのお気に入りの一つとなっている。


「ファイアボール!」


 三人がソレンソンに火の玉を打ち込む。だが、ソレンソンは左手をサッと横に払っただけだ。

 三つの火の玉は突然現れた炎の帯に飲み込まれてしまう。見事な防御だった。


「デイヴィッド、攻撃する時に視線を流すな。どこを狙っているか悟られるぞ!ミランダは魔力の調整にムラがある。囮の攻撃というのがバレバレだ。グレッグ、攻撃が単調すぎる。もっと広範囲を狙え」


 三人の学生にその都度アドバイスをしながらソレンソンは攻撃をかわし、防いでいく。その声が必要以上に大きいのは、見学している他の学生達へのアドバイスも兼ねているからだろう。


「ファイアボール」


 エリカも三人に合わせて攻撃をしていく。ソレンソンは他の三人の攻撃をかわしつつ、エリカの攻撃を炎の帯で防いだ。

 その瞬間、その炎の帯がエリカに向けて勢いよく飛び込んできた。とっさにエリカは地面から土を隆起させて、自分の背丈ほどの壁を生み出して防ぐ。直撃することはなかったが、土壁の両端から流れ込んでくる熱風のせいで額に汗が浮かんできた。


「大丈夫か?」


 壁の向こうからソレンソンが声をかけてくる。言葉ほどには心配していなさそうな様子にエリカは腹立たしく思ったが、グッと我慢して答えた。


「大丈夫です」

「そうか。お見事だった」


 ソレンソンはクラスメイトを守っていた結界を解く。皆、息を呑んで模擬戦を見つめていたらしく、静かな興奮が伝わってきた。


「これが魔術だ。使いこなすのには時間もかかるし練習も大変だが、その努力の価値は充分にある。しっかりと励めよ!」


 ソレンソンの号令に全員が力強く頷いた。その様子を冷めた目で見ながら、エリカは自分達がソレンソンのアピールに上手く利用された気がしていた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「ほう……。ヴィクターの攻撃をあのように防ぐとは」

「スタンフォード家は良き跡取りに恵まれましたね」


 学院内のとある広い部屋で二人の男女が第二運動場を眺めている。


「それにしてもヴィクターは芝居が下手だな」

「仕方ありません。こっそりと実力を測れというのがそもそも無茶ぶりでしたから。それに例の件の影響が既に学生達の間で広まっています。少しでも彼らの不安を鎮めたいという彼なりの配慮もあったのでしょう」

「まあ、そうだが……。しかしジェニファーの直感は当たっていたな」

「ええ。確かに、貴族であることを差し引いても新入生とは思えませんね」


 女性はそう言いながらもにこやかだ。


「スタンフォード家の家庭教師は確かオズワルドでしたね。彼の教えでしょうか?」

「そうだが、才能の面が大きいかと。当主のアルフレッドも中々の遣い手だが、彼女は当時の父親を遥かに上回っている」

「あら、それは将来が楽しみですね」


 二人は第二運動場を見続ける。先程から漂う少し重苦しい雰囲気に耐え切れず、先に口を開いたのは男性だった。


「正体不明の魔物か」

「領民は何とか避難させられているようですし、三つ目の村には既に兵士が到着し、防衛拠点を築き上げたそうです。現地の冒険者ギルドでもBランクのパーティーが二つ応援に向かっています。ただ、既にコーナー家は村を二つ失いました。このまま魔物が猛威を振るうことになれば……」

「そうならないことを願おう。それにしても正体が未だに分からんのがもどかしい。魔物の正体さえ掴めればいくらでも効果的な対策が練られるのだが」

「状況は私達にも芳しくありません。エルフの学生の四割が休学申請を出していますし、その数字はまだ増加するでしょう。既に実家に帰省し始めている学生もいます」

「学生だけではない。マーティンとジェラルドから授業を臨時休講したいと要請が来ている。彼らは領地が隣接しているから当然の要請だが、それとは別に教授を何人か現地に向かわせる必要もあるだろう」

「全く心が休まらないですね」


 二人は溜息をつく。

 見えない脅威がもたらす不安の影が、少しずつ学院にも伸び始めている。


次回投稿は22日(金)の7時です。

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