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彼女は魔術と紅茶を楽しんで  作者: 賀来文彰
学生編 二回目の秋のこと
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一 始業式に遅れてきた新任教授

誤字報告ありがとうございます。

修正しました。

 始業式当日。いまだ夏の余韻が残る日差しの中で、エリカは一人王都の空気を満喫している。


 いよいよ後輩ができるというワクワクした気分もあったし、久し振りに友人達とだべったり遊んだりすることへの楽しみもあった。だが、それ以上に家を出ることができたのが嬉しかった。


 夏休み中に起きた王都の爆破事件は一応解決したものの、その爪痕は未だにあらゆるところに残っている。特に影響が出たのは場所ではなく人だった。

 学院の理事長でもある第三王女は親子関係に関して未だにふさぎ込んでおり、学院長にして国王の相談役でもあったバンクロフト卿は戦争の火種を何とか抑え込もうと必死になっている。

 学院内の医療センターもスタッフはまばらで、登校してくる学生もどこか浮かない表情を浮かべているのが大半だった。


 だが、何よりも影響が出たのはスタンフォード家である。


 ジーナとの一件があってからというもの、エリカは両親と気まずい関係にあった。今までの功績や大広間での戦いで身を挺して国王を守ったことなどからジーナは温情を受け、罪人扱いは受けなかった。とはいえ、それは結果論に過ぎず、両親はエリカの軽率な振る舞いを未だに許していなかった。

 そのことについてエリカは受け入れている。犯罪者とのつながりは特に貴族にとっては致命的なことだ。また、それを公爵や伯爵夫人のみならず、第三王女までもが知ってしまっているので、アルフレッドの立場が非常に悪くなってもおかしくなかった。年端もいかない少女がやらかしただけという言い訳は通用しない。


 だが、汚名を返上したのも年端もいかない少女だったのが、わだかまりの原因の一つになっている。


 大広間での戦いの際に、エリカは国王を守るだけでなく黒幕の一人を仕留めている。この戦いは決して表には漏れることのない話だが、その場にいた受勲者とその親族はスタンフォード子爵がこれから国王に目を掛けられる可能性を嗅ぎ取っており、早くもご機嫌伺いやサロンへの招待といった政治的な動きを仕掛けている。


 今回の件によって一人娘のエリカは、両親にとって疫病神にもなり幸福の女神にもなっていた。


 だが、学院生活が始まれば家にいる時間も短くなるし、その分気まずい空気に身をつまされることもなかった。


 エリカは学院のエントランスホールを抜けて、第一運動場に向かう。


「おはよう、エリカ」

「おはよう、ナタリア」


 久々に見る友人の表情はいつものように明るく、エリカはホッとする。だが、当たり障りのない会話しかしてこないナタリアの様子から、彼女も今回の事件の影響を少なからず受けているようだった。


「明日から新しい授業が始まるんだよね?」

「うん。蒸気機関学だったっけ。どんな先生なんだろう」

「イケメンだったら最高だね。そうじゃなくても、授業もテストも優しかったらそれで良いかな」

「それが本音なんでしょ?」


 そんなくだらなくも楽しい会話を繰り広げながらエリカとナタリアは第一運動場に辿り着く。始業式が始まるまでまだ三十分以上もあるのに既に多くの学生達が集まっていて、思い思いにぶらぶらとしながら過ごしている。

 彼らと挨拶を交わし、ありきたりな会話をしているとグロリアとシェリルがやって来た。二人の表情はどこか物憂げで、その顔色を見た全員が無意識のうちに避けていた話題を頭の中に思い浮かべた。


「おはよう、二人とも」

「うん、おはよう……」


 挨拶を返したのはグロリアだけで、シェリルはうつむいたままだった。その様子にチラリとナタリアが視線を送ると、グロリアはそっと頷いた。


 今回の件で伯爵夫人の邸宅も被害を受けていた。人間爆弾にされていた刺客達による被害が出ないようにとの伯爵夫人のとっさの判断だったが、それによって見事な庭園は見るも無残な状態となってしまった。そのショックが大きいのだろうとエリカは彼女を思いやった。

 その光景はかつてのデーモンスパイダーによる惨劇を思い出させたに違いなかった。


 落ち込み気味なシェリルを引き続き気遣いながら、グロリアも会話の輪に交じる。


 少しすると、続々と学生と教授達が集まってくる。そして最後に学院長と理事長が姿を見せたことで、いよいよ始業式が始まった。


 学院長のリチャード・バンクロフト公爵が一歩前に進み出て、拡声魔法を使った状態で話し始める。


「おはよう、諸君。こうして君達と再び会うことができて嬉しく思う。特に、今年は痛ましい事件が起きたばかりだ。学院も一部被害を受けている。

 この事件に際し、学院内医療センターの先生方は早くから医療支援に携われた。改めてお礼申し上げる」


 バンクロフトが教授達の中に佇むセンター長と副センター長に軽く頭を下げる。


「新入生の諸君も波乱の門出となった。だが、同時に新たな仲間も得たのだ。隣にいる同級生や上級生は勿論のこと、先生方も諸君の仲間である。そのことを決して忘れないように。何かあればすぐに周りを頼ることだ」


 そう言うとバンクロフトはチラリと教授達の方に視線を向けるが、すぐに学生達の方へと向き直る。だが、向き直るその一瞬、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたのをエリカは見逃さなかった。


「さて、今年度より新たな科目が追加されることとなった。知らない者はいないと思うが改めて紹介しよう。

 科目名は蒸気機関学と言い、対象は全学年となる。魔法などに比べれば遥かに新しい分野なので、諸君自身も研究者という心持ちで臨むように。

 担当されるのはベアトリス・マッコード先生だ。初めて名前を聞くだろうが、この分野での第一人者であることは間違いない。彼女の元でしっかりと学ぶように」


 話を聞いていく中で段々と学生達の熱気が上がっていくのをエリカはひしひしと感じていた。ただ、エリカがその波に何とか呑まれなかったのは、ジーナとの最後の会話の際にマッコードのことを聞いていたからである。


 元々は近衛兵の一人だったが、訓練の途中で魔術を暴発させてしまったことに責任を感じて辞任している。それ以降はジーナの元で、当時は見つかったばかりだった蒸気機関の研究に打ち込み、飛行船などの技術を生み出している。

 ちなみに、ジーナの計画の裏側については一切知らずに研究に打ち込んでいただけだったので、蒸気機関の研究を進めたい国王の意向もあって、協力者であったジェファーソンとマディソンが裏切ったということだけしか知らされていない。


 静かに巻き起こる熱気の中でバンクロフトは今度こそバツの悪そうな表情を浮かべて続ける。


「本来であればここで先生から挨拶の言葉をもらうのだが、諸事情によりまだ学院へ到着されていない。始業式はまだ続くが、場合によっては明日からの授業で初めて顔合わせということもあるので、その心積もりでいるように」


 言い終えるとバンクロフトは後ろに下がる。入れ替わるように理事長のエミリーが前に進み出た。


「さて皆さん。今年一年も宜しくお願い致します」


 それだけ言うとエミリーはすぐに後ろへ下がる。バンクロフトの挨拶とは対照的な余りにも簡潔な内容に学生達はおろか、教授達も驚きの表情を見せる。だが、エミリーは意に介していない様子でその場から動かなかった。

 すぐにバンクロフトが前に進み出て、フォローに入る。


「事件の影響を鑑みて今回は挨拶を手短にされている。

 さて、この後の説明も私がさせて頂こう。これより私達は食堂に移動する。仲間同士よく食べ、よく語らうように。特に上級生は新入生のサポートを忘れるな。

 では、先生方。彼らの引率を」


 バンクロフトが言うなり、三人の教授が一歩前に進み出る。


「新入生は私の元に集え!」


 初級魔術学と中級魔術学を担当するヴィクター・ソレンソンが真っ先に声を上げる。それに合わせてエリカ達はソレンソンの元から遠ざかり、新入生達が彼の元に集まりやすいようにスペースを空ける。


「最上級生はこちらへ」


 錬金術を担当するアイリーン・キャッスルは静かに、それでいてよく通る声で呼びかける。対照的な二人を見やりながら、エリカは自分達の引率をするのは誰かを見極めようとした。


「ということで、あなた達の引率は私が行います」


 そう告げたのは薬草学担当のリサ・グレゴリーだった。変わらず杖を突いて歩いているが、その全身はいつになく精力に満ちている。


 ソレンソンが新入生達を引率し始める。彼らはまだ不安げな表情を見せていたが、直にそのことを忘れるだろう。一年前を思い出してエリカは自然と笑みをこぼす。

 その様子を見ていたグロリアがニヤリと笑う。


「そう言えばエリカ。今日は胃袋に余裕を持たせてきたの?」

「当たり前じゃない。今回こそは平らげてみせるよ」


 そう言うとエリカは不敵な笑みを浮かべた。


 一年前、エリカは大量に用意された食事を目の前にして本領発揮できなかった。この時はまだ、どこまで貴族らしく振る舞うべきかといった境界線を見定められていなかったからである。

 だが、今年は違う。気心知れた仲間が周りにいるし、学生である間は貴族であることを忘れられる。気兼ねなく好きなものを平らげようとエリカは目を輝かせていた。


「ねえ、今からのことってどんな感じなの?」


 シェリルが尋ねてくる。まだその表情には陰があったが、こうして自ら会話の輪に入ってくるのは良い兆候だった。


「そっか、シェリルは途中から入学したから初めてだったよね。

 始業式が終わったら食堂でちょっとしたパーティーみたいなのをやるのよ。とにかくご飯を食べて、出されたものも食べて、ひたすらお腹を満たすのよ」

「この食い意地さんはほっといて良いよ。まあ、晩餐会のイメージに近いかな」


 エリカの返答を補足するとナタリアがニカッと笑う。


「ただ、色んな人が話しかけてくるし、自分も積極的に話しかけていかないといけないから気は休まらないかも。

 まあ、普段の食堂でのやり取りと思えば楽だよ」


 グロリアが纏めたことで、ようやくシェリルの中でイメージが固まったらしい。シェリルは心なしか嬉しそうだった。


 食堂に辿り着いたエリカ達はテーブルの一つに腰掛ける。そこに盛り付けられている料理の数々にシェリルは目を奪われていた。


「さあ、召し上がれ」


 ナタリアがおどけて言うものの、シェリルはもう聞いていなかった。その視線はジッとテーブルの上に注がれている。

 だが、そんなシェリルを笑う者は誰もいない。これが自然な反応だからだ。所狭しと並べられた大皿は、ローストチキンやラムチョップ、ベーコンにマッシュポテトやフライドポテト、ヨークシャープディングといった料理に彩られ、他にもステーキやローストビーフ、フィッシュアンドチップスにポークチョップ、ソテーされたトマトやマッシュルームにベイクドビーンズなどが用意されていた。


 こういった肉寄りの食事は晩餐会などでも中々見受けられないが、それ以上に、お昼になる前からこれ程の料理を楽しむ機会は滅多にない。必然的にテンションも上がるものである。


 最後に食堂へ入ってくる最上級生が席に着くのを今か今かと待ち遠しそうに眺めているシェリルの口元はみずみずしい。それに気付いたエリカがやんわりと口元をナプキンで拭う素振りを見せると、シェリルは慌ててナプキンを取り、よだれを隠した。


「では、始めよう」


 バンクロフトの号令によって食事の時間が始まる。シェリルは真っ先にローストビーフとマッシュポテトを自分の皿に盛りつけると、モリモリと食べ始める。そんなシェリルを微笑ましく思いながらもエリカは皿にステーキを豪快に盛りつけた。


「おっ、気合い入ってんね」

「ちょっと、ナタリア。しっかり飲み込んでから喋りなさいよ」


 既にポークチョップを頬張りながら話すナタリアをグロリアがたしなめる。だが、その彼女もフィッシュアンドチップスを素手で食べている。


 最初こそエリカ達は欲望の赴くままに思い思いの食事のひと時を過ごしていたが、序盤にスピードを上げ過ぎたせいで、食事会が始まってまだニ十分も経っていないのに早くも四人はまったりとした雰囲気になっていた。

 だが、食い意地が張っているのは前世からと筋金入りなエリカは、時間がまだまだあるのを良いことにローストチキンを皿に盛り付け、グレービーソースをふんだんにかけた。


 その時、食堂の扉が開き一人の女性が駆け込んでくる。思いがけない来客に、テーブルのあちこちで会話が止まっていく。

 それは教授達も同様で、誰もが女性の方を見やった。


「遅くなってすみません。研究を進めていたらいつの間にかこんな時間になっていまして……」


 エヘヘと照れくさそうに笑う彼女は思いのほか若々しく、また新分野の第一人者に見えないくらいくだけた印象だった。


 バンクロフトが呆れた表情で口元を拭うと、立ち上がって全員に呼び掛けた。


「あー。食事中のところ済まないが、諸君に紹介しよう。今、到着されたのがベアトリス・マッコード先生だ。後程、彼女には挨拶をしてもらうので諸君もそのつもりで」


 バンクロフトの言葉にマッコードは申し訳なさそうに頬をかいた。


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