十八 平穏を取り戻す為に
王都中を震撼させた大事件の爪痕はあらゆるところにまだまだ残っているが、前を向いて歩こうとする人々の意思も強く、そこかしこに残っている。
その理由の一つとして、八年前の大規模な魔物群の侵攻、世に言うスタンピードの際の被害状況と違って、今回は奇跡的に死者がいなかったことが挙げられた。
また、実行犯並びに首謀者が全員判明しているだけでなく、既に死亡していることも大きい。
まだ王都には被害の後が生々しく残っているが、それも直に跡形もなく元通りになるだろう。
一方で、今なお癒えない傷の大きさに苦しむ人も多かった。実際に被害に遭った人達がトラウマを抱えてしまうこともあれば、被害者の家族がパニックを起こしてしまうこともあった。
五体満足でいられなくなった人もいるし、傷の影響で以前ほど満足に身体を動かせなくなった人もいた。
それ故に、蒸気機関の浸透は人々にとって新たなる希望に映る。
かつては王族が王都外の遠方の地を巡る際にのみ利用されていた飛行船も、今では毎日のように上空を飛んでいる。それによって運ばれる多くの物資と大勢の人々という規模の大きさと、圧倒的な巡航速度による移動時間の短縮化はもはや珍しいものではなく、憧れの念を抱かせるものにまで昇華していた。
それだけでなく、国王自身の宣伝効果も大きかった。事態が収束したことを王都内に知らしめる際、国王は左手にある籠手の意味とそれがもたらした効果について嘘偽りなく述べた。そして、こうした蒸気機関を内蔵した装置を誰もが気軽に手に入れられるようにする為のあらゆる努力を惜しまないことも。
だが、その一方で蒸気機関が軍備増強につながることも素直に、正直に述べている。それは言い換えれば、今回の事態を引き起こした帝国への戦いが現実味を帯びることを意味するが、程度の大小こそあれ憎しみの炎を心の中に灯し続けている国民達の士気を高めこそすれ、低くすることは決してなかった。
だが、国民の士気を高めた国王自身は城に戻るなり苦虫を噛み潰したような表情を隠そうともしなかった。
一番戦火が激しかったのは王城内、特に大広間だったが、そこの復旧作業は遅々として進んでいない。
最後の砦であるはずの近衛兵団の多くが服従の呪文で操られていたという事実も肩に重くのしかかる。全員呪文から既に解放されているものの、自らの手で仲間や国王を傷つけたことの罪悪感や絶望感に苛まされ、まだ職務に復帰できない者も多い。中には自刃しようとする者まで現れたので、国王が直々に自刃や辞職を禁ずる事態にまで発展した。
国王からすれば、操られていたのだから仕方ないという気持ちなので罪には問わないのだが、それが逆に彼らには重荷になっている。
だからこそ、国王であるヴァレリー・マクファーソンはリーヴェン帝国の所業が許せなかった。国境付近へ爆撃を加えるという圧倒的な戦力差を見せつけることで、長年の諍いの火種を摘み取ってしまうことを以前は意識していたが、今はその火力をもってリーヴェン帝国をこの世から消し去ることしか考えていない。
元々考えていたデモンストレーション自体が強者の慈悲ではなく、ただの宣戦布告にしかならないことにヴァレリーは気付いていないが、だからこそ今の彼女は帝国に対する慈悲の心をかなぐり捨ててしまっていた。
だが、今はまだ怒りを全面に出す時ではない。
ヴァレリーはゆっくりと深呼吸をすると、政務という新たな戦いに身を投じていく。
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RCIS本部ではいつもと変わらない喧騒が広がっている。だが、捜査官達の表情はどこか誇りに満ち、生き生きとしている。
それは、今回の件を自分達の手で解決したという自負によるものだが、それ以上に実際に実行犯達と相対した者一人一人が仲間であることへの敬意の念の現われでもある。
事実、ジェーン・ヒギンズ巡査部長とジョー・スミス巡査は相対した人員の中で一番低い階級だったが、特別捜査官からも尊敬の念を抱かれていた。
「何だかこそばゆいわね」
「ええ、全く」
落ち着かない様子だがどこか嬉しそうでもあるジェーンを微笑ましく見ながら、ジョー自身もこの時間に身を委ねている。
同僚の警官からは毎日のようにバーに誘われ、そこで活躍を大いに喧伝される。タダ酒にタダ飯というのは非常に嬉しいことだが、同時に自分達はそんなに特別な存在でもないと自覚しているからこそ、ほんの少しだけ後ろめたいものを覚えることもある。
その点、特別捜査官からオフィスに呼び出され、当時の話をせがまれるのは気分も楽なもので、その日も二人は一日の大半を「内勤」に費やした。
定刻になったのでそろそろ帰ろうかと席を立った二人を、呼び止めたのはチャールズだった。
「二人ともちょっと俺のオフィスに来てくれないか?」
二人はチャールズについて行き、彼のオフィスに入る。そこには三人の先客がいた。その内の二人はアシュリーとフランクだった。
「こんばんは。ジェーン・ヒギンズ巡査部長。ジョー・スミス巡査」
三人の内、部屋の中央に陣取っていたゾーイ・スペンサー本部長がにこやかに挨拶する。
「お疲れ様です。スペンサー本部長……」
本来ならば出会う機会がないはずのトップが目の前にいたことで、二人は驚きの余り気の利いた挨拶もできず、緊張に包まれるほかなかった。
「そんなに緊張しないで大丈夫だから。あなた達を呼んだのは他でもなく、昇進のお話」
ゾーイは用件を伝えると両脇の二人をチラリと見る。
「今回の一件で、あなた達は主任特別捜査官一名と特別捜査官二名から特殊戦術部隊への昇進の推薦を受けているわ。誰かは今更言わなくても分かるわね」
二人の警官は降ってわいた幸運に驚喜しつつも、ジョーはすぐに顔色を改めるとオドオドしながらもゾーイ達に伝える。
「大変ありがたいお話ですが、自分は白魔術をまだ使いこなせていないので条件に見合っておりません」
「ああ、そのことね。それに関してはマーカス主任特別捜査官の元で二ヶ月間の研修を受けてもらうから。その期間で必ずモノにしなさい。
レーガン特別捜査官、ベイトソン特別捜査官。二人もサポートに回りなさい」
言うだけのことを言うとゾーイは用が済んだとばかりに手をポンポンと軽く叩く。そして予め用意していたであろう小さな箱を二つ、どこからともなく取り出した。
「さて、本来ならあなた達も叙勲式に出席してもらいたかったんだけど、特殊戦術部隊の一員になる以上、大勢の前に顔をさらす訳にはいかないの」
今回も端的に話すと、まずはジェーンを軽く手招きする。
「国王陛下の名代として、またRCISの最高責任者として、あなたの活躍をここに称えます」
そして勲章が納められた箱を渡すと、次はジョーを手招きして同様のことを行った。
「では、お疲れ様」
二人に箱を渡し終えると、ゾーイは何の余韻も見せずにオフィスを出ていった。閉まった扉を見続けながらチャールズは肩をすくめる。
「意外だと思うかもしれないが、本部長はああ見えてかなり称賛しているからな。喜びにくいかもしれないが、堂々と胸を張るといい」
二人は曖昧に笑う。それが慰めなのか、それとも事実なのか判断がつかなかった。
「引き留めて悪かった。明日もよろしく」
フランクの言葉に心底ホッとした表情を浮かべながら、ジェーンとジョーは退室した。
そんな二人を見送りながらフランクはチャールズに呟く。
「やはりお前に任せて正解だったよ」
「いや、自分は何もしてませんよ。俺と組む前からあの犯人達を追いかけてましたし。それよりもレーガン特別捜査官の功績が大きいですよ。まだ戦力にならない二人を初期からサポートしてたんですから」
「いや、そんなことは……」
謙遜しつつもアシュリーは嬉しそうだった。
その時オフィスの扉が開き、パトリシアが入ってくる。途端にチャールズは不機嫌そうに顔をしかめた。
「資料をお持ちしました」
「ありがとう。テイラー特別捜査官」
フランクに資料を渡すとパトリシアはそそくさと出ていこうとするが、フランクが呼び止めた。
「ちょっと待ってくれ。これから話すことは君にも関係がある」
そう言うと、フランクは資料を全員に配る。それは今回の事件の犯人達の情報だった。
「この捜査はまだ始まったばかりだ。計画時期、協力者の有無、王国への侵入経路など明らかにしないといけないことが多い。
君達にはこの捜査に専従してもらう。人手が必要な時は遠慮せず報告するように。ただし、君達自身の判断による勝手な増員は認めない。この捜査は最重要機密に分類される。
その理由だが、ジェファーソンと女を本部長が確保したのは知っているな?この報告書には両者共に死亡となっているが、実は女は生きている」
チャールズが口笛を吹く。
「なるほど。確かに最重要機密ですね」
「ああ。帝国の計画や内情を調べる絶好の機会だ。今回の件で帝国の脅威度は最高レベルに達した。既に軍部も動いているのでそのつもりで」
その言葉に三人は表情を暗くする。フランクは戦争が直に始まると言ったも同然だった。
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王都では叙勲式が改めて行われた。ただ、対象者には今回の件で多大なる活躍をした者も選ばれているので、かなりの人数になる。戒厳令は解かれたばかりだが、その日はお祭り騒ぎの様相となった。
翌日には、大広間での戦いなど表沙汰にはできない部分で活躍した人達への叙勲式も行われる。
王城の中庭部分で行われたもう一つの叙勲式では勲章の他に褒賞金も与えられた。それも一家単位ではなく、個人単位という大盤振る舞いだった。本来ならば領地の加増や爵位の昇進などが与えられるのだが、そうするとどういった功績があったのかを明らかにしないといけないので、それを避ける為の苦肉の策だった。
だが、エリカの心は晴れない。
叙勲式が終わるとエリカは一人、その場を後にする。両親は何か言いたげな表情を浮かべていたが、結局何も言わずに他の貴族達との歓談に加わった。エリカは二人との間にしこりができたことを痛感していたが、それをどうすることもできなかった。
視線を交わす度に、その目に宿る恐怖と失望の色が耐えられなかった。
エリカは王城の中を進んでいく。予め国王から直接聞いていた道順に従っていくと、近衛兵達が扉を守る部屋に辿り着く。
「エリカ・スタンフォードです」
近衛兵が扉を開くと、ウォレスがエリカを出迎える。
「こんにちは。ウォレス近衛兵団長」
ウォレスも挨拶を返す。
ウォレスは今回の件で団長へと昇進していた。その事実に少しだけ寂しさを覚えながらもエリカはウォレスの後に続く。
がらんとした広い部屋の中、窓際に置かれた一つだけのベッドに歩み寄る。そこにいた女性は規則正しい寝息を立てていた。
「では、私はこれで」
静かにウォレスは呟くと、部屋を後にする。その姿を見送ったエリカはベッドの傍らにある椅子に腰掛けて、ひなたぼっこをする。
しばらくすると、女性がピクリと目覚める。そして傍らにいるエリカを見た。
「気配に気付くのが遅くなったね、前団長」
「その呼び名はやめてよ。もう私は部外者なんだから」
エリカのからかいに、ジーナが頬を膨らませる。
ジーナは奇跡的に生きていた。エリカの治癒魔法が間に合ったのと、ゾーイがジーナをかばったことが大きかった。
本来ならばジーナも重罪人の一人として死刑となるはずで、本人もそれを受け入れるつもりだったが、国王の温情により王都からの追放処分と身分の剥奪だけで済んでいた。
「まさかこうして生きられるとはね」
そう言うジーナの表情はどこか憑き物が落ちたようだった。
「あなたが願っていた蒸気機関の普及は無事に進んでるわ」
「そっか。これでこの王国も安泰……ではないか。もう軍事利用の動きになってるもんね」
自嘲するジーナにエリカは何も答えなかった。それは事実だったからだ。ただ、ジーナが蒸気機関の普及に力を入れていたからこそ、多くの人達の命が救われ、新たな希望を胸に宿すことができたのも事実だ。
「もう少し早く出会えてたらね」
ふと呟くエリカにジーナが微笑む。
「私もそう思う。そしたら自分の夢ももう少し変わったかもしれない。無茶だってしなかったかも」
「どうだろ。やっぱり無茶はしてたんじゃない?」
少しの間、二人は笑い合った。
「ねえ、ジーナ。これからどうするの?」
「冒険者になるよ。魔物領に一番近いところのギルドに属そうと思ってるの」
「そっか」
ジーナらしい返答だった。でも、その言葉の裏に何かを感じてエリカは釘を刺す。
「ねえ、ジーナ。絶対に死んじゃダメだよ」
ジーナはきょとんとする。だが、一瞬苦悶の表情を浮かべたのをエリカは見逃さなかった。
「まあ、危険はあるかも知れないけど、無理はしないつもり。それにもう私はジーナじゃないから」
そう言うとジーナはぺろりと舌を出した。話を変えられたことは分かっていたが、エリカも敢えてそれを指摘せず、話に乗っかった。
「え、名前を捨てるの?」
「捨てるというか、捨てないといけない。一応、私は死んだことになってるから。近衛兵のみんなも新しい名前は知らないの」
「そっか」
エリカは窓の外に視線を向ける。勝手の違う世界で今まで築き上げてきたものを全て捨てて一から出直すことの過酷さを思うと耐えられなかった。
「ねえ、エリカ」
「うん?」
急に話しかけられてエリカは慌てて視線を戻す。
「あなたには知ってて欲しいの。私の名前」
「え?それはダメなんじゃ……」
「ええ。でも、前世の名前だから」
そう言うとジーナは髪をかき上げた。その時に見せた表情はこの世界に転生してくる前のうら若き大学生の影を残していた。
「私の本当の名前はキャサリン・ブラッドリー。これが私なの。この名前でこの世界に名を残してみせるよ」
未来を憂いて死を選んだ彼女にとって、この世界への転生は不幸なことだったかもしれない。でも、今の彼女は新しい身分にかつての自身の名前を選んだ。それが非常に尊いこととしてエリカの目に映る。
「あれ、どうしたの?」
言われて初めてエリカは自分が泣いていることに気付いた。頬を伝う涙をそっと拭うと、エリカは微笑む。
「私の本当の名前は姫島晴夏。改めてよろしくね」
面会の時間は決まっているが、まだ時間はある。
二人の転生者は懐かしむように、お互いの過去を話し合う。
窓から注ぎ込んでくる日差しは柔らかい。
次回より新章となります。
そして次回の投稿ですが、一週間お休みを頂戴します。
月末の31日(月)にまたお目にかかれれば。
新章は日常回になりますが、リーヴェン帝国絡みの話が増えてきます。




