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二十八 覚醒する主人公

 王立バンクロフト学院は臨時休校が続いているが、その図書室の三階では部屋の主が難しい顔をして紅茶の準備をしていた。


 室内にいる三人全員が彼女とはなじみ深いが、そうとは思えないほどの剣呑な雰囲気が立ち込めている。


(やりにくいったらありゃしない)


 仲立ちを受け持ったとはいえ想像以上の状態に思わず頬をかきたくなる衝動を抑えつつ、ジェニファーは人数分の紅茶を机の上に置いた。


「ありがとう」


 真っ先に手に取ったのは彼女の弟であるオズワルドだった。ヴィクトリア朝時代の英国紳士然とした彼は、紅茶を飲む仕草だけでも洗練されている。


「……ありがとう」


 続いて礼を言うのはコーンウェル伯爵夫人だ。しかしいつもの彼女らしくなく、ためらいがちにティーカップを手に取るだけで口元には運ばない。彼女の視線はおずおずと三人目に向けられていた。


「ありがとうございます。いただきます」


 その三人目はわずか二十二歳という最年少でありながら、相手を委縮させるほどの冷たい空気を身に纏っている。もっとも、それは伯爵夫人だけに向けられているので、オズワルドにもジェニファーにも実害はない。実害はないのだが、この重苦しい雰囲気に何とも居心地の悪いものを覚えている。


「さあ、本題に移りましょう。エリカさんに話しておかないといけないことがあるのよね?」


 それを払拭したくてジェニファーは強引に話を振る。その予期せぬ裏切りに驚きつつも伯爵夫人は意を決してエリカの目を見る。


「まずは謝罪をさせて。あなた達を巻き込んでしまってごめんなさい」

「謝罪なら結構です。それでお話しとは?」


 つっけんどんに答えるエリカにオズワルドが眉をひそめる。


「エリカ。礼を欠くのはいただけないね」

「では、伯爵夫人が私の立場であったなら冷静でいられるでしょうか。シェリルに後一歩のところまで危機が迫っていたとして、その原因に対して礼儀を重んじようという気になるでしょうか」


 その言葉にオズワルドは押し黙り、伯爵夫人は身を縮こまらせる。

 だが、エリカは軽く息をつくと、先程よりはいくらか険が取れた様子で話し続ける。


「まあ、ぶっきらぼうに聞こえたのなら謝ります。刺された傷がうずくせいでどうも気が休まらないもので」


 既に医療センターを退院しているとはいえ、エリカは確かに安静が必要な状態だった。それだけジェファーソンの力は強まっており、油断はできないのだとその場の一同は改めて警戒を強めていた。


「さあ、話に戻りましょう。どのようなお話ですか?」

「エリカさん達を襲撃したのはRCISだったの」


 カシャン。


 ティーカップが机の上に落ちてけたたましい音を鳴り響かせる。飛び散った琥珀色の液体が辺りに地図を描いていくが、当の本人は気にも留めていない。


「嘘でしょう?」

「ああ、安心して。護衛に就いている捜査官達は問題ないわ。オズワルドも確認してくれているから確実よ」


 それまでの不気味なまでの落ち着きようを失ったエリカを伯爵夫人がなだめる。しかし、それでもエリカの心は休まらない。


「どういうことか今すぐ説明願います」

「RCISの特殊戦術部隊よ。冒険者ギルドでの一件で立場をなくした彼らは、自分達の名誉を取り戻す為にウッドバーン家やゴールドグラバー自由都市同盟が真の脅威になるのを待っていたの」


 エリカは怒りで頭が真っ白になりそうだったが、何とか深呼吸して気持ちを無理やりにでも押さえつける。

 そして、ひっくり返ったティーカップや紅茶の残骸を片付けているジェニファーに頭を下げると、しばらく目を閉じた。

 その場にいる三人は同情心を込めた視線を送り合う。エリカがこの報せを必死に整理しているのは明らかだった。


 だが、その見立ては不充分だったことを三人はすぐに思い知らされることになる。


 やがて目を開けたエリカはすっかり別人のようなオーラを身に纏っている。先程までの怒りはすっかり鳴りを潜め、普段の落ち着いた彼女に戻っている。

 しかし彼女の目元に漂っていた優しさの面影は今や姿を消している。


「伯爵夫人。つまりこういうことですね。彼らは自分達が敵を叩きたいが為に、あなたや私を脅迫したと」

「ええ。それだけじゃなくてジュリアは大怪我を負ったわ」

「このことを本部長や王族の皆様はご存知で?」

「いえ、まだ知らないわ」


 そう答えつつも伯爵夫人は背筋が思わず寒くなる。パーカーのことも初耳のはずなのに、目の前の若き貴族は心配するどころか、何事もなかったかのように一言も触れなかった。


「では、このことを知らせる前に私を特殊戦術部隊の責任者に会わせていただけますか?」

「それはさすがに無理な相談だよ。ウッドバーン家討伐の準備が進められているのは君も理解しているだろう」


 オズワルドが間に入る。彼はエリカが特殊戦術部隊に反撃を加えようとしていると捉えていた。ウッドバーン家への反攻が行われる直前で、いかなる形であれ味方同士で諍いを起こすのは良くないという判断だ。

 しかしエリカはその予想を上回る返事をする。


「そのつもりはありません。ただ、彼らは私達に謝罪をすべきですし、それにはこちらも相応の誠意を求めます。そのすり合わせをせねばなりません」

「……その口ぶりだと既に求めるものは決めているのかな」

「はい。ジェファーソンの首を取る為に彼らの力を借りることにします」


 三人とも目を見開くが、すぐに憐れみの視線をエリカに向ける。ジェニファーに至っては気遣わし気にエリカの背中に手を伸ばしていた。


「エリカさん。腹立たしい気持ちは分かりますけど、それはいくらなんでも荒唐無稽な話ですよ。新しいお茶が直にできますから、それを飲んで落ち着きましょう」

「わたくしはいたって冷静ですよ、ジェニファーさん」


 エリカは心持ち身を乗り出す。そして先程より少しだけ低い声で言った。


「安いものではありませんか。彼らは望んでいた名誉を取り返せるだけでなく、この雷神の協力も得られるのです。ちょっとした要望を突っぱねて全てを明らかにされるリスクを進んで取ることはないでしょう」


 伯爵夫人は絶句する。あれだけ忌み嫌っていた二つ名をエリカ自ら口にするとは思えなかった。

 オズワルドも小さい頃から見てきたエリカが全くの別人になってしまったような感覚を覚えているが、それ以上に自分の姉がエリカに差し出していた手を硬直させていることに驚愕していた。


「彼らがそこまでして取り返したかったものを取り返させてあげましょう。代わりに私はあの男との因縁に終止符を打ちます」


 エリカの思考はかつてないほど澄み渡っている。今回の一件に関する究極的な責任はジェファーソンとマーガレットにあり、その清算をするのは彼らと同じ転生者である自分しかいない。

 そして目下の標的はジェファーソンだった。


(マーガレットはジェファーソンを仕留められないだろう)


 エリカはそう見ている。自力で何とかできるならわざわざ自分にジェファーソンのことを話さなかっただろう。そして自分を味方に引き入れられなかった以上、賢者の石の件で報復するのはもう少し後のことになるはずだ。

 そしてそれが長引けば長引くほど、ジェファーソンという脅威は王都に暗い影を落とし続けることになる。


 そういった転生者達の身勝手さにエリカはいい加減うんざりしていた。誰しもチート能力なり知識なりを自由自在に使ってみたい気持ちはあるが、巻き込まれる側からすればたまったものではない。

 そしてその中に自分の大切な人達、特に我が子達が加わる可能性にもう我慢ならなかった。

 現にクレアとキャサリンが負傷しているのだ。


 転生者のごたごたは転生者で片付ける。皮肉にもその思いがエリカを真の貴族へと至らしめ始めていた。


「伯爵夫人。責任者をご存知ですね。その者の名をお聞かせください」

「それは……」

「お聞かせくださらなくても別に構いません。後はこちらで調べます」


 RCISの中でも権限が強い特別捜査官の身元を一介の貴族が簡単に調べることはできない。それはさすがのエリカでも同じはずだが、今の彼女ならあらゆる手段を駆使してやり遂げてしまうだろうという不思議な凄みがあった。

 その勢いに気圧されて伯爵夫人は口を開く。


「……アシュリー・レーガン特別捜査官よ」

「おい、ルーシー」


 オズワルドが思わず声を上げた。彼もエリカの変貌ぶりを今も受け止めきれていないが、それでも自制心は強固に残っていた。

 そんな彼にエリカは微笑みかけるが、柔和な表情のはずなのに黒いものがしっかりと共存している彼女に戦慄せずにはいられなかった。


「私が何かするのではとご不安でしたら同席していただいても構いませんのよ?」

「……そうさせてもらおうか」

「ええ」

「では、この話はこれくらいに」


 エリカはニコリとすると、自分の傍らに立つジェニファーに目を向ける。


「ところでジェニファーさん。最近、この三階から一階や二階に移った本や何かしらのものはありましたか?」

「え?」


 急な話の転換にジェニファーは戸惑う。しかしエリカの中では先程までの話と繋がっていた。

 マーガレットの話ではジェファーソンはこの三階にあるものを狙っていたようだが、それは既にこの部屋にはないと睨んでいる。仮にその何かが三階にあったなら、マーガレット自身が手を打っていたはずだ。ジェニファーの意識に潜り込んで操っていたくらいなのだから。


 つまりマーガレットは賢者の石の更なる可能性につながるものをジェファーソンが見い出したことは知れたが、それが何かまでは突き止められていない。突き止めているならエリカに助力を頼む必要はないからだ。そしてジェファーソンは図書室の三階にあたりをつける何かしらの根拠を持っているが、図書室へ踏み込むことはできなかった。


(私の元にマーガレットが訪れたのは注意を逸らす為だった)


 エリカは自らの直感に確信を抱いていた。あの日、マーガレットは図書室に忍び込んだのではないかと。


「それはないでしょうね。ここにある本はどれも封印状態にあるようなものですから」


 しかしジェニファーは首を横に振る。その答えに当てが外れた形になったエリカは肩をすくめるしかない。

 だが、すぐにジェニファーは何か思い出したような表情を浮かべ、独りごちる。


「ああ、そう言えば下の階の本が紛れ込んだことはあったわね。かなり前のことだけど」

「その本の名前は覚えていますか?」

「何だったかしら。えーと……ああ、そうそう。以前エリカさんにお話しした本ですよ。『マクファーソン王国怪奇伝承集』です」


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