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二十四 エンシェントドラゴンを絶対に怒らせてはいけない理由

「ほう。あの時のオオトカゲか。今日は懐かしい顔触ればかりだ」


 不自然に歪んだ自身の腕を不気味な動きで元通りにしていきながら、男は呟いた。その間も骨が折れるような音が響いており、耳にした者は一様に嫌悪感で表情を歪めるはずだった。


 しかし、エリカが小さい頃から家庭教師として付き添ってきたオズワルドにとって、それは何の影響ももたらさない。

 代わりにオズワルドは人差し指をくいと自分の方へ曲げる。


 次の瞬間、床に放り棄てられた状態のままだった男は、そのまま勢いよくオズワルドの元へと引きつけられる。

 そして引っ張られて来た男をオズワルドは勢いよく蹴りつけた。


「ぶほっ!」


 腹部にめり込んだ革靴の爪先に内臓を傷付けられたのか、初めて男が苦悶の呻き声を上げる。しかし、その間にも指先に仕込んだ魔術をオズワルドに撃つことは忘れない。


「……」


 だが、暗器のように放たれた至近距離からの強烈な一撃をオズワルドは躱すわけでも防ぐわけでもなく、ただ受け止める。

 そして男の攻撃はオズワルドの全身から垂れ流されている魔力の波に瞬く間にかき消されていた。


「チッ」


 男は舌打ちする。切り札とまではいかないものの、かなり自信のある一撃をこうも簡単に無力化されては面白くなかった。


 オズワルドはスナップを利かせて左手をサッと横に振るう。その動きに合わせて男はまた勢いよく吹き飛ばされ、廊下の壁に叩きつけられる。

 その衝撃に男が動けなくなっている間にオズワルドは床に倒れる二人の女性に目を向ける。見ればエリカの怪我はまだ浅い方だが、キャサリンは早急に手当てが必要な状態だった。

 オズワルドは躊躇なくキャサリンに白魔術をかけて治療していく。その心の中にかつての謀反人に対する怒りや不信は既になかった。


 かつて道を踏み外した近衛兵団団長のジーナ・ローリーがキャサリン・ブラッドリーと名を変えてエリカに仕えるようになったことをオズワルドは苦々しく思っていた。

 それからの年月で彼女が見せた献身に不信感は薄まっていたが、それでもそれが完全に消え去ったことはなかった。


 エリカは知らないが、今回の王都の件を伝えに行く火急の時ですらオズワルドはキャサリンが自らの背中に乗ることを許さなかった。しかし彼女は自分が家畜よろしく前足の鉤爪に鷲掴みされると分かっても文句一つ言わずにそれを受け入れた。

 エリカと共に王都へ向かう際は背中に乗せたものの、それでもなるべく自分の身体が触れないように彼女が気を遣っていたのをオズワルドは感じ取っていた。


 そしてエリカを最後まで必死に守り抜こうとしたその厚い忠誠心に触れて、オズワルドはようやく彼女を認め、敬意を表した。


「……中々の殺気だが、長命種のくせに随分と情が湧いたのだな?」


 ようやく男が立ち上がった時、オズワルドは既にエリカの治療も終えており、二人を結界魔法で保護していた。


「長く生きていると随分と面白いことに出会えるものだ。お前もそう思うだろう?」

「……」


 男の言葉にオズワルドは水魔法で答える。だが、生み出されたのはただの水球のはずなのに、その威力は慌ててしゃがんで避けた男の頭上の壁を深く抉り取るほどだった。


「……全く、単純過ぎる性格だな」


 男は半ば呆れ返りつつも、用意しておいた切り札をオズワルドに放つ。


 それはエリカしか使えないはずの雷魔法だった。その魔法に初めてオズワルドは目を見開くが、そんな彼を嘲笑うかのように雷撃は彼の全身を貫いた。


「よもやこれを受けることになるとは思わなかっただろう。だが、安心しろ。あの日、私が受けたものよりも威力は数十倍に高めてある。だからさっさと死ね」


 雷撃のせいでオズワルドのスリーピースはボロボロだ。だが、当の本人は何事もなかったかのように平然としている。それどころかその表情は怒りに満ちていた。


「……彼女の真髄はこの程度ではない」


 オズワルドは鼻から大きく息を吸い込むと、自分を落ち着かせるようにゆっくりと息を吐く。だが、それでも彼の濃密な魔力が更に高まっていくことを止められはしなかった。


 ホールの所々で柱が軋む音がする。

 オズワルドが一歩、また一歩と足を進める度、足元の床にひびが入った。


 これにはさすがの男も顔色を変える。すぐに水のヴェールで自らを隠すだけでなく、煙幕や眠りの雲などをバラまいた上でこの場から急いで立ち去ろうとする。

 しかしオズワルドが指を鳴らした瞬間、それらは一斉に解除される。立ち込めたばかりの霧がかき消えて、男の呆然とした表情が露わになった。


「その程度の実力で強者を気取るな」


 オズワルドが人差し指を向けた途端、男はまたボロ雑巾のように後方へ吹き飛ばされる。そして壁に衝突する寸前、オズワルドが人差し指を横に振るった。


「がはっ!」


 久し振りの激痛に男は息が詰まりそうになる。だが、彼の精神は闇よりも深い恐怖に染まっていた。

 男は数え切れないほどの魔法障壁を張り巡らし、それを悟られないように自身の魔力で覆い隠していた。しかもその障壁は男のオリジナル魔法で、初見でこれを破壊できる者は誰一人としていなかったはずだった。


 それなのに先程の指の一振りだけでそれすらも解除され、男は完全に無防備だった。


 かつてない死の恐怖に男は必死に脱出路を探すが、一歩動き出した時にはオズワルドの無慈悲な一撃が自身を貫いているのは容易に想像できた。


 だがその時、極限状態で研ぎ澄まされた彼の聴覚は、正門扉の方向から慌ただしく近付いて来る大勢の足音を捉えた。

 そこに一筋の光明を見い出した男は起死回生の一手に打って出た。


「この続きは近いうちに」


 口を開くことで少しでも意識を向けさせ、その間に足下へ土魔法を撃ち込んで自分ごと吹き飛ばす。そして空中の不安定な体勢のまま駆け寄って来る足音の方へ雷撃を撃ち込んだ。


「お仲間は耐えられるかな?」


 折れた腕から地面に叩きつけられたことで更なる激痛が男を襲う。だが、それでも迫り来る死を受け入れるよりはマシだった。


 しかしオズワルドは増援に向けられた雷撃に見向きもしなかった。彼の瞳は真っ直ぐ男を見据えている。


(くそっ、こんなところで死ぬわけにはいかんのだ……!)


 男は歯ぎしりする。その時、兵士の叫び声が聞こえた。


「殿下!」


 見れば、倒れている兵士達に交じってトレヴァー・マクファーソンが荒く息をしている。どうやら雷撃の余波を受けていたようだ。

 これにはさすがのオズワルドも意識を向けねばならなかったようで、すぐに彼はトレヴァーの元へと向かう。


「奴だ!ウッドバーンを捕らえろ!」


 苦悶の表情を浮かべながらもトレヴァーは叫ぶ。

 だが男は既に反対方向へと逃げ出した後だった。屈辱にまみれたその心を何とか抱えながら。


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