四 伯爵夫人の話
さて、まずはどこから説明しましょうか。
ええ、そうね。こんなに早く王都へ辿り着けた理由からよね。でも、そんなに不思議なことでもないのよ。
あそこから離れようと思った時には監視の目が厳しくなっていたからね。それを踏まえて行動しただけのことよ。
まず私はそれとなく出立の準備をしていることを匂わせた。傍目から見れば普段の散策に映るでしょうけど、実際はどのルートを使おうとしているか下見しているような素振りを仕込んでみたわ。それ以外にも付き合いのある人との交流の時間をいつもより短めにしてみたり、買い出しの頻度を一、二回増やしたりしてみたわ。
餌に食いついたか確証はなかったけど、私は次の準備に移った。それがあなた達への報せよ。
送った報せは全部で九通。どれも異なる手段を駆使したけど、そのうち一通でも届くことはないかもしれないって思っていたわ。
届けばそれで良し。届かなくても自分が王都に辿り着けば良い。カモフラージュと保険程度の意味しかなかったけど、やっぱり敵の手に落ちていたみたいだしね。
まあ、そんな気はしていたから、手はずを整えたその日の晩には向こうを離れていたの。主要なルートは監視されているって分かっていたから、私は魔物領を抜けるルートを選んだ。
何をそんなに驚いた顔をしているの、エリカさん。私はこれでも王国内の防諜に携わってきたのよ?少々の軍事機密なんてあってないようなものよ。でも、まあ、あなたのそんな顔を見られるとは思ってなかったから、ただ危険なんてもんじゃないあの悪路を何とか踏破した甲斐はあったってものよ。
冒険者ギルドが頑張っているとはいえまだまだ魔物が多いわね。舗装もできないから、あそこは数年以内に元の状態に戻るでしょうね。
敵の目を掻い潜りながらだったし、道中の露払いもしないといけなかったから冒険者ギルドの管理する敷地内へ辿り着くまで三日もかかってしまったわ。それでも、ノースバーン山を抜けるルートだったらその倍以上はかかっていたでしょう。
でも、そこからは随分と楽だった。冒険者はその性質上流れ者が多いからね。名もなき一人として彼らの中に紛れ込むのは簡単だった。
そのまま南西部から王都へ向かえば敵の目を欺ける算段だったわ。私がいた屋敷はずっと監視されていたけれど、二日はまだそこにいるって思わせられる自信があった。
まあ、結果的には一日が限度だったみたいだけど。冒険者ギルド領を抜けてコーナー男爵領に入った私を待っていたのは血眼になって探し回る連中だった。
あの時はさすがに肝が冷えたわ。いくら遠回りになっているとはいえ、相手の対応が早過ぎたから。
それでも勝手知ったる元々の王国領に入ればこっちのものだった。どれだけの年月を王国で過ごしてきたか。コーナー男爵領であろうと他の貴族領であろうとそこは私の庭のようなものよ。勿論、あなたの領地もね。
シェリル。じれったいのは分かるけど、もう少し待って頂戴な。結論だけ話すのは簡単だけど、それだとあなたは話の結末を決して受け入れられないでしょう。
まあ、敵だけでなくあなた達も驚かせられたことだしね。何とか無事に辿り着けたこともあるし、ちょっとくらい自慢っぽくなったって構わないでしょう?
分かったわよ。話を進めれば良いんでしょう。全く、いつの間にこんなに可愛げがなくなっちゃったのかしら。
とにかく敵の目をやり過ごしつつ私は王都を目指したわ。ここにさえ辿り着けば連中は手出しできにくくなる。そのことを相手も理解しているから、私を見つけ出すことに今まで以上に必死だった。
一度なんて目と鼻の先で敵の手を逃れる瞬間があったわ。乗合馬車に身を隠していたら、後ろからやって来た蒸気機関車に追っ手が乗っていたなんてこともあったからね。駅は同じだから、待ち伏せするには絶好の機会だった。まあ、実際は待ち伏せなんてなかったから杞憂に終わったのだけれど。
あの時見た追っ手の顔を私は忘れられない自信があるわ。旧帝国領にいた時から何度か見かけていたし、脱出する少し前にも私を見張っていたけれど、あの時ほど必死で醜悪な顔つきは目にしたことがなかった。その執念深さを思えば、きっと今も王都のどこかに身を潜めて私が姿を現すのを待っているに違いないわ。
さて、いよいよここからが本題よ。その連中の正体は何者なのか。
そう。エリカさんはウッドバーン家かゴールドグラバー自由都市同盟が背後にいると考えているのね。私も最初はそう考えていたわ。でも、長年王国を苛立たせているとはいえ、それだけの人手を動かす余裕はないでしょう。せいぜい、武装蜂起をけしかけているくらいね。
彼らに気付かれないように王都まで向かっている最中、私はずっと敵の規模と動きについて考えていたわ。自分で言うのも何だけど、私に目をつけるだけじゃなくてここまで苦労させるのは並大抵のことじゃない。
敵は私のことをよく分析している。まあ、建国の英雄の一人だなんてことは公然の秘密どころか誰もが知っていることだから、目をつけるのは簡単だったでしょうけど。
でも、私の考えを先んじる動きを見せられる者はそういないはずよ。まして辺境の地で声高に叫びながら主だった実力行使もできない彼らの中にはね。
シェリル。本当にあなたはすぐに顔色に出るわね。それで当主が務まるほどコーンウェル家の看板は安くないのよ?ほら、もう少しエリカさんを見習いなさいな。あなたと同じ結論に達しているみたいだけど、少なくともあなたよりは平然としているわ。
そうよ。あなた達が思いついた名前で大体は合っているでしょうね。ただ、彼女自身は関係ないでしょうけど。
旧帝都にいた私がわざわざここまで来た理由は簡単。国王陛下の周りに今回の件に関わっている者がいるからよ。
その人物は、ウッドバーン家やゴールドグラバー自由都市同盟の企みを知っていて、それに気付いて陛下に報告しに行こうとした私に警告を送り、監視をつけた。
この私にそんなことをしようと思えるのは、私の実力を知っているほんの一握りだけでしょう。そして、その目的が何かは分からないけど、少なくとも連中の企みを報告させないことから後ろ暗いものであることは確実よ。
企みを知っていて止めたのは何かの軍事作戦の途中だから?エリカさん、仲間を庇いたい気持ちは立派だけど、それならそんな回りくどいことをしなくても、この件から手を引くようにと一言私に告げれば良いだけよ。となれば残念だけど答えは違ってくるわ。本当に残念だけどね。
ああ、シェリル。陛下を疑うのは止めなさい。今回の件に限らず、口にするだけでも危ういのだから。ただ、その可能性を考えたのは立派よ。
でもね、彼女は被害を最小限に抑えようとする性格よ。スタンピードで多くの忠臣を失い、夫まで奪われた彼女が、国民が巻き込まれるような武装蜂起を放っておくはずがないわ。むしろ、そのことを理解している何者かが彼女の耳に入らないように必死で立ち回っていると見るべきね。
いずれにしても今の旧帝都は色々な意味で安全ではないわ。取り返しのつかない何か大きなことが起こらないように早く手を打つ必要があるの。
私はこれから王城に向かうわ。さすがにこっちは大丈夫でしょうけど、何が起きるかは分からない。
もし一日経っても私が姿を見せなかったら、後のことをお願いしたいの。こんなことを頼めるのはあなたしかいないわ、エリカさん。どうか力を貸して頂戴。




