五 戒厳令
王城の内部はどこも不気味なほど沈黙を保っている。一つ一つの部屋が広大な為、小さな音一つも反響して良く聞こえるが、今は鎧が軋む音といくつかの短いやり取りしか聞こえない。
正門前広場は王城へと続く一本の橋の端に位置する、象徴的な場所だった。戦争の際は最後の防衛拠点となり、平和な時は国民が一番間近で国王を目にすることができる唯一の場所だった。
それ故に、マクファーソン王国民にとって重要な場所の一つが汚されたことの衝撃は、未だに王城内部に重たくのしかかっている。
それは大広間の中にいるエリカ達も同じで、男女問わず多くの者がソファーや椅子に力なく座り込んでいる。コーナー男爵に至っては正門前広場での一件を聞いた際に崩れ落ちてしまった。
アステリアが不安げにささやく。
「あなた、こんなことはいつまで続くのかしら……」
「分からん。だが、必ず終わりは来る。今は耐える時だ」
アルフレッドは気丈に振る舞い、妻を支えようとしているが、当の本人も支えを必要としているのは明らかだった。
この重苦しい雰囲気を共有しながらも、エリカ一人だけは彼らとは違った観点から不安を抱いている。
彼女の頭の中によぎるのはテロの二文字だった。
この世界には戦車やミサイルがない。アサルトライフルといった軍人が持つものは勿論のこと、ゲームのキャラクターが持つようなハンドガンすらない。そういった銃の代わりになっているのが魔法や魔術だが、このような残虐な使い方をされることは今までに一度たりともなかった。
それが今、この世界で起きている。
エリカはその事実に戸惑う自分がいることに気付いた。不思議なもので、災害級の魔物と恐れられたデーモンスパイダーと対峙しても恐怖心などはなかった。オズワルドとの実戦的な魔術練習の方が余程恐ろしかったくらいだ。
それなのに今、この世界に生きる誰よりもテロに慣れているはずの自分が言いようのない感情に襲われている。
この世界では経験しないはずだったものが、実はそうでなかったという現実が恐ろしく、不気味に感じられた。
その一方でどこか冷静に自身や周りを見つめている自分がいることにもエリカは気付いていた。自分が落ち着かなく歩き回っていることを認識し、意識的に空いている椅子の一つに腰掛ける選択をする。
これはある種の逃避なのだろう。あるいはパニックを起こしかけているだけなのかもしれない。いずれにせよ、こうして冷静さを保とうとしている自分がいるおかげで、体の中から沸き起こってくる様々な感情に押しつぶされずに済んでいる。
誰もが恐怖と戦っていた。自分の中にしかいないその敵と戦うことの無謀さと絶望を感じ取りつつも、必死に抗っている。
だが、そういった精神的苦痛を和らげたのは国王の威光だった。
にわかに大広間の外で数人の大声が聞こえ始め、鎧を着た兵士がうるさい音を立てながら走り寄っていく様子が耳に伝わってきたので、扉の近くの椅子に座っていたエリカはそっと扉を開けて外の様子を覗き見る。
廊下では近衛兵達がおろおろした様子で輪を作っていたが、その輪の中心から聞こえてくるひときわ大きな怒声からも、国王がそこにいることが明らかだった。
「国王陛下。どうか、今一度お考え直しください。たとえ敷地内であろうと、今、この城を出るのは危険です。安全が保証されるまでお待ちください」
必死に国王に訴えているのは、近衛兵団の団長だった。縋りつかんばかりの勢いで国王を止めようとするその姿は本心からのものに見え、オズワルド達が危険視している人物と目の前にいる彼女がどうにも重ならなかった。
「ならぬ」
国王は一言だけ返すと、そのまま歩き続ける。
「恐れながら国王陛下。どうして先を急がれるのですか。脅威は未だ去ったとは言えないのです」
「さればこそ。脅威を打ち払うのが我々の務め」
そこで国王は足を止めると、凛とした表情で言い放った。
「この脅威に最も怯えているのは国民達である。彼らあってのマクファーソン王国だというのに、その王が安全な場所に隠れて過ごすなど言語道断。これ以上、余を止めようとするな!」
女性とは思えない程の大音声で国王が一喝する。その言葉は城内に重々しく響き渡った。
国王は再び歩き始めると正面扉へと向かっていく。その横顔は並々ならぬ決意に溢れていた。
ふと、エリカは自分の後ろに多くの気配を感じた。振り返ると、先程まで塞ぎ込んでいた人達が全員立ち上がり、こちらを見つめていた。
国王の決意は恐怖という見えない敵と戦う人達を奮い立たせた。エリカは自分の両膝がもう震えていないことに気付いた。
誰が言う訳でもなく、大広間にいた全員が自然と国王がいた廊下に一礼した。窓から差し込む日差しが辺りを照らし出した。
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ヴァレリー・マクファーソンは久々に城壁の上へ足を運んだ。以前来た時はまだほんの子供だったが、その時に見た景色と今、目の前に広がる景色はほとんど変わらない。
だが、決定的に違ったのは正門前広場にいるRCISの武装馬車でも、爆発被害があった各地でもない。王都全体を包む静けさだった。
普段の賑わいとは正反対の、人通りがほとんどない王都の様子に少し心が痛む。
「ここに住まう人達が、この国にいる人達が、ずっと笑顔でいられるようにするのが私達の役目なのだよ」
まだ幼いヴァレリーをここへ連れてきた父はそれだけ言うと、後はずっと王都を眺めているだけだった。
その横顔を思い出しつつ、ヴァレリーは建国以来王族の中に引き継がれてきたその思いが自分の中にも確かに根付いていることを感じていた。
軽く咳払いをし、深呼吸したヴァレリーは拡声魔法を自身にかけると、国民達に語りかけ始める。
「国民諸君。これより、このマクファーソン王国を預かる王として余は戒厳令を発令する。
そう聞くと不安を覚えるだろう。だが、安心して欲しい。
これは、我々こそが王国の一員であって、恐怖心がこの国に住まうことを拒絶することを明確に示す為のものである。
どこが安全で、どこが危険なのか分からない。いつこの事態が収束するのかも分からない。そのようなことを余は断じて認めない。
これより王都内のあらゆる建造物の捜索が行われる。脅威を徹底的に排除し、安全を確保する。
この脅威を共に乗り越えようぞ」
ヴァレリーは拡声魔法を解除すると、すぐさま隣に控えているジーナに向き直った。
「ローリー団長。現時点ですぐさま稼働できる飛行船の数はいくつになる?」
「飛行船でしょうか?四隻でございます」
戸惑いながらもジーナはローリー家で管理している飛行船を頭の中に思い浮かべる。ヴァレリーは頷くと歩き始め、城壁の上から王城に戻りながらジーナに命じた。
「四隻を全て周辺都市に派遣せよ。対応しきれない負傷者を搬送し、補給物資を送らせよ」
「はっ、直ちに手配致します」
こういう形で叶うのは非常に不本意だし罪悪感すら覚えるが、飛行船を運用するという目標に一歩近付いたことには変わりない。ジーナは心の中でガッツポーズをせずにはいられなかった。
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RCISの主任特別捜査官であるフランク・マーカスは政治が大嫌いだった。現場一筋でありたいと願い、出世欲も特別捜査官までしかなかった。
だが、八年前の魔物領からの大規模な魔物群の侵攻により、RCISからも多数の死傷者が出た。その為、空席が目立つ上位のポストを埋める為の人事で、上司からも部下からも評価著しい彼が選ばれることになった。
主任特別捜査官になれば、かなりの権限を有することになる一方で、説明責任も求められる。その中で貴族や王族との関わりも増えていく。
とはいえ、貴族の犯罪捜査も行える立場だからこそ、右手で握手しながら左手には互いにナイフを握り締めているといった政治を表す言葉通りのやり取りが多く、現場人間のフランクにとってはストレスが大きかった。
だが、今回ばかりは自分の立場に感謝していた。これ程の大惨事を引き起こした犯人を自らの指揮で確保することができる。
王国を守りたい一心で警察官人生を歩んだ彼にとって今回の一件には、はらわたが煮えくり返る思いだった。
アシュリー・レーガン特別捜査官がフランクの元に近付いてくる。
「レーガン特別捜査官。君が遭遇した相手はどんな連中かね?」
「およそヒトとは思えません。様々な魔術に精通しているだけでなく、魔力もかなりの量を保有していると思われます。
男の顔はあらゆる種族の特徴が入り交じっていて、一度見たら忘れられません。女は右腕を負傷していますが、既に治癒していてもおかしくありません」
「分かった。引き続き君に特殊戦術部隊の指揮を任せる」
フランクはアシュリーの返事も聞かずに、拡声魔法を自分にかけると警官達に話し始める。
「今聞いた通り、戒厳令が発令された。
これより王都全域の捜索に入る。王都を四つの区域に分け、端から中央に向かって進んでいくように。全警官は最低でも四人一組で行動すること。特別捜査官もなるべく二人以上で行動せよ。
対象を見つけても決して功を焦らず、すぐに増援を呼べ。
相手はかなりの手練れだ。確保が望ましいが絶対ではない。自身の命を最優先にせよ」
その言葉に警官達はごくりと唾を飲み込んだ。フランクの言葉は事実上の殺害命令を意味していた。
「相手の特徴や詳細については、アシュリー・レーガン特別捜査官から話がある。彼女には引き続き特殊戦術部隊の指揮を執ってもらう」
そう言うとフランクは拡声魔法を解除し、歩み去る。尚も抗議しようとしたアシュリーだったが、犯人達の詳細を知ろうとする警官達に囲まれ、どうすることもできなかった。
フランクは自分の馬車に戻る。秘書官が扉を開けた。
「ありがとう」
フランクが乗り込んだのを確認した秘書官は彼に続いて馬車に乗り込み、向かい側に座る。
「パトリシア。ベイトソン特別捜査官とは今も連絡を取っているかね?」
秘書官は途端に露骨に顔をしかめる。
「いえ、一切連絡は取っていません」
「そうか。では、これより彼に連絡を取って捜索に加わるように伝えてくれ」
「失礼ですが、主任特別捜査官。あの男を現場に戻すのは余り賢明だとは言えません。また、問題を起こすに決まっています」
「今回は彼の腕が必要だ。それに、ベイトソン特別捜査官が取った行動は褒められこそしないものの、共感はできる」
秘書官はそれでも不服そうだったが、規則に忠実な彼女が指示を無視するような真似は決してしないことをフランクは知っていた。
RCIS本部までフランクを送り届けると、秘書官は馬車をそのまま走らせ、かつての相棒の住まいへと向かう。その表情は決して明るくなかった。
扉をノックすると、しばらく間があってから扉がゆっくりと開き、ガサゴソと音を立てながら男が顔を覗かせた。
「おやおや、誰かと思ったらテイラー特別捜査官じゃないか」
「現時刻をもってあなたの停職処分は解かれた。職務に復帰して」
「相変わらずつっけんどんな奴だ」
「何か言った?」
「いいや、何も。ちょっと、そこで待ってろ」
扉を乱暴に閉めたチャールズ・ベイトソン特別捜査官はたっぷりと時間をかけて身だしなみを整えた。そして何食わぬ顔で家から出てくる。
「待たせた自覚はある?」
「いや、すぐに出てきたからな」
秘書官は舌打ちすると、馬車に乗れと身振りで示した。チャールズは肩をすくめると馬車に乗り込んだ。
「知っての通り、戒厳令が発令された。実行犯は少なくとも五人。その内の三人は既に死亡。逃げているのは男女よ」
「まあ、特殊戦術部隊が捕まえるだろう。指揮は?」
「アシュリー・レーガン特別捜査官。ちなみにだけど、彼らは二度取り逃がしている」
「他人に厳しいのは変わらないんだな。まあ、彼女が取り逃がしたってことは二人ともかなりの遣い手だろう。道理で復職させられるはずだ」
「本当にあなたは傲慢なままね。あなたの処分が解かれたのは単に人手不足だからよ」
「そんな理由で処分が解かれないことくらい、分かってるだろう?お利口さん」
チャールズが侮蔑を込めて言う。その言葉を聞くのは二度目だった。秘書官は深呼吸して怒りを鎮めると、事務的に説明を続ける。
「特別捜査官はなるべく二人以上で行動すること。どこかのペアに入れてもらいなさい。そして必ず増援を呼び、単独で動かないこと。以上よ」
「本当にそれだけか?フランクのことだ、確保のことで何か言ってたはずだが?」
この勘の鋭さも相変わらずだと秘書官は内心思う。
「確保が望ましいけど、自分の命を最優先すること」
「全く大した女だよ。意図的にフランクの指示を隠すとは」
「私はあなたのしたことを忘れていない。また暴走させる訳にはいかない」
「はっ。あのクズは人身売買に手を染めていたんだぞ。しかも自分の趣味の為だけに彼らを拷問していたんだ。そんなクズを殴って何が悪い」
「私達は犯罪者を捕まえるだけ。そこから先は裁判所の仕事なの」
「そうかい。じゃあ、フランクの指示を意図的に隠すのは問題ないんだな?フランクがそこまで言う相手なのに、お前は確保を優先させようとした」
「私はただ……」
「もうやめろよ、テイラー。お前に心がないのはあの時から分かってる話さ」
憎々し気に呟くと、チャールズは天井をどんどんと強く叩く。その音に気付いた御者が馬車を止めた。
「俺は歩いて行く。こんな人でなしと同じ空気を吸いたくないんでね」
そう言い捨てるとチャールズは馬車を降りていった。一人残されたパトリシアは、また走り出した馬車の中で頬を伝う涙を拭くこともせず、震えるこぶしを強く握り締めていた。




