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彼女は魔術と紅茶を楽しんで  作者: 賀来文彰
新米教授と半仮面の少女
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十二 ほろ苦い経験

 ベルの音が鳴り響き、午後からの授業が始まったことを告げる。


 だが、先程騒ぎを起こした一年生達は、お目付け役を押し付けられた教授と一緒に空き教室でその時を待っていた。


「全く、魔法を飛ばし合うなど最近の一年生は随分と活発なようだな」


 不機嫌な表情を隠そうともせず皮肉を飛ばすのは魔法史学担当のパトリック・フランクリンだった。

 自身の魔法史にしか関心を持たない彼は、せっかくの自分の時間を台無しにした三人に苛立っている。


「オリヴァーも礼儀がなっておらん。授業がなかったら子守を任せて良いなど大間違いだ。スタンフォードに至ってはいつまで人を待たせるつもりなのだ。陞爵されたからと何か勘違いしておるのではなかろうな」


 フランクリンの嫌味は同僚にも向けられていく。ドワーフである彼はこの学院でも古参に当たる人物だが、それを笠に着て同僚達を軽視している節があった。


 そんな彼の陰口をさっきから延々と聞かされている状態の一年生達は三者三様の反応を見せている。

 ミシェルは怒りの表情をまだ収めておらず、厳しい視線を悪ガキ達に浴びせていた。それに対してナイジェルは申し訳なさそうにうつむいたままだが、アレックスは窓の向こうに広がる景色をつまらなさそうに眺めている。

 だが、フランクリンを完全に無視しているのは全員に共通していることだった。


 少しして教室の扉がノックされ、イーディスを連れたエリカが姿を見せる。


「やっと来たな」

「お待たせして申し訳ございません。フランクリン先生」

「全く大したものだ。まあ、同じ一年生の頃にデーモンスパイダーを討伐した君にとって彼らの乱闘騒ぎなど急ぐに値しないのだろうがね」


 フランクリンは強烈な嫌味を放って教室を去っていく。すれ違いざまにその頭に拳骨を落としたくなる気持ちを抑えて、エリカは三人に向き直った。


「ミシェル・クローリー」

「はい、先生」


 エリカの冷たい声にミシェルはびくりと肩を震わせる。


「友達を守ろうとしたのは立派な行いですが、もう少し周囲にも気を配りなさい」

「はい」

「昼食を食べ損ねたのでしょう。コリンズ先生には事情を説明していますから、トレンチャードさんと一緒に食事を終えてから授業に参加しなさい」

「はい、先生」


 思いがけない言葉にミシェルは驚きつつも、イーディスを連れてすぐに教室から出ていく。


「先生、そりゃないですよ!」


 後ろ手に扉を閉めた時、アレックスが不満もあらわに声を上げたのが聞こえたが、扉越しにも伝わってくる魔力の高まりにミシェルはイーディスの手を取ると、急いでその場を離れた。


「大変な目に遭ったね」

「うん……」


 食堂に着くなりカウンター席に並んで座った二人の会話はぎこちない。一人は守ろうとして迷惑をかけてしまったことへの罪悪感を覚え、もう一人は意図的に遠ざけようとしていたはずの友人が自分をかばってくれたことへの安堵感に困惑を覚えていた。


「ごめんね。騒ぎを起こすつもりはなかったの」


 最初に口を開いたのはミシェルだった。顔を上げず、視線は手元に固定されている。

 辛そうなその表情にイーディスは申し訳なく思う。


 自分がさっさと反撃していればミシェルを巻き込まずに済んだだろう。それなのに自分は動くことすらできず、ただ彼女の背に隠れていた。


(自分の問題だったのに何もできなかった)


 ふと口の中に鉄の味が広がっていることに気付く。いつの間にか下唇を強く噛んでいたようで、イーディスは思わず身をびくりと震わせた。


「え、大丈夫!?」


 イーディスの反応に気付いたミシェルが慌てて手を伸ばす。彼女の手が自身の肩に触れた途端、イーディスの心に様々な思いが去来した。


「……私の方こそごめんなさい。私の問題なのにあなたを巻き込んでしまって」


 ミシェルは驚きそうになるのを必死に堪える。いつも周りから距離を置いているイーディスがそのようなことを口にするのはミシェルの知る限り初めてのことだった。

 彼女と友達になりたいと思っていたミシェルはこの変化を喜ぶが、すぐにそんな自分に嫌悪感を抱く。


(これじゃ不幸に付け込んでいるみたい)


 しかしミシェルの逡巡に気付かないイーディスは、彼女も視線を手元に向けたまま話し続ける。


「かばってくれたのは嬉しかった。ありがとう。でも、私の問題で誰かに迷惑をかけたくないの。だから……」


 イーディスは意識的に唇を噛む。口の中に広がる嫌な味をじっくりと味わいながら。


「だから私のことはもう放っておいて」

「そんなこと言わないで!」


 反射的に出た言葉に自身も驚くものの、ミシェルは勢いのままにイーディスを見つめる。


「あなたの事情は分からないけれど、一人で抱え込まなくても良いじゃない!無理に話してくれなくても良い。でも、隣にいるくらい別に良いでしょう?」

「……どうしてそこまで?」

「友達ってそういうものでしょう?」


 彼女から余りにも自然に出てきた言葉にイーディスは固まってしまう。そして自身の心をがんじがらめに縛っていた鎖が徐々にほぐれそうになるのを感じ取っていた。


 両親の無念を晴らすという重いものを背負った彼女にとって、それはこの上なく甘い毒だった。そこに縋りつきたくなってしまう自分を、理性を総動員して何とか抑え込むとイーディスは決意を込めてミシェルに向き直る。


「気持ちは嬉しいけど、私はあなたと友達になれない」


 そう言うとイーディスは立ち上がり、足早に去っていく。寂し気なその背中を見送りながらミシェルは口元まで出かかった言葉を呑み込んで、ゆっくりと天井を見上げた。


(本心じゃないって丸わかりだよ……)


 本当に友達関係を望んでいないのなら「なりたくない」と言えば良い。しかし、彼女が口にしたのは違うものだった。


 しばらくの間何かを考えていたミシェルは、やがて小さな決意を胸にする。彼女が自分の中にある重しを清算できるまで、そっと隣に寄り添っていようと。


(独りは想像以上に寂しいものなんだよ)


 半仮面の少女にかつての自分の面影を見ていたミシェルは席を立ち、魔法薬学の教室へと向かおうとする。


 食堂の扉を開け、ホールに足を踏み出した時、見たくもない顔が二つこちらにやって来るのが目に映った。

 相手もミシェルに気付いたようで、二人は揃ってバツの悪そうな表情を浮かべる。


 そんな彼らに先程の怒りが再燃しそうになるミシェルだったが、グッと堪えると彼らを無視して教室へ向かおうとする。


「さっきは悪かった」


 すれ違い様に謝罪の言葉を口にしたのはナイジェルだった。途端にミシェルは向き直るや否や、ナイジェルの左頬を平手打ちし、その勢いのまま隣のアレックスの頬も張り倒した。


「いってえ!」


 アレックスは張られた頬を大袈裟にさすっているが、ナイジェルは黙って痛みを受け入れていた。

 それがミシェルの心をより強く猛らせる。


 どうせなら最後までふてぶてしくあって欲しかった。そうであれば憎く思うだけで済んだ。

 あんな風に自分達のしでかしたことに罪悪感を抱かれたら、イーディスが負った心の傷をどう癒せば良いというのか。誰が彼女の代わりに怒れるというのか。


(バカのせいでイーディスは無駄に傷付いただけじゃない)


 握りこぶしを振るいそうになる自分を必死に抑えて、ミシェルは今度こそ二人を置いてその場を去った。


 そんな彼女の背中が見えなくなったのを確認したアレックスは気まずそうに頬をかいた。

 悪戯小僧とはいえ今回の件には多少なりとも責任を感じている。元々は親友のうぶな思いを後押ししようと焚きつけただけで、本気で仮面に手をかけるつもりはなかった。


 だが、悪戯を通じてでしか相手の気を引くことができなかったアレックスは、心の傷に触れることがどれだけ苦痛をもたらすのかを理解し切れていなかった。


(そのせいでナイジェルまで傷付けてしまった)


 今回の一件でナイジェルは淡い初恋への思いを黒歴史として封印してしまうだろう。男は好きな相手にちょっかいをかけるものだなんて、知ったような顔をして親友を焚きつけた自分の浅はかさが憎らしい。


 ナイジェルも自身の行為を悔いていた。アレックスと悪戯を楽しむことの延長線で今回のことを捉えていた自分を殴り倒したい気分だった。

 ミシェルに張られた頬はほんのりと熱を帯びている。だが、それも時間が経てば収まるものだ。


「ここまで愚かさを通り越す人がいるとは思いませんでした」


 先程言われたばかりのエリカの言葉が頭の中にこだまする。彼女の目には心底呆れ返ったと書いてあったが、それ以上に憐れみの感情がこもっていたことがひどく堪えた。


「その歳になってまだ幼稚なのはあなた達くらいでしょう」


 怒鳴られることもなく、軽蔑されることもなく。

 この二言だけ残してエリカは去っていった。


 自分達がしでかしたことを突き付けられて、ナイジェルは自己嫌悪に陥ると共に、二人にしっかりと謝罪することを誓った。


 絶対に許されることはないだろう。けれども自分がしなければならないことから逃げだすつもりはない。


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