二 叙勲式当日
八月の中旬、ようやく厳しい暑さも陰りを見せてきた頃である。
エリカは自分が所有しているドレスの中でも一番高価なものに身を包み、今までで一番時間をかけて化粧をほどこしていた。
しかし当の本人は緊張気味で、暑さによるものとはまた別の汗が先程から止まらなかった。
自慢の髪も、世界史の教科書で見たような典型的な貴族の髪型になったことで少し重たく感じる。
制服に慣れているせいかドレスもいつも以上に着心地が悪く、品位を保たせる為のアクセサリーも肌になじまない。
そんなエリカだったが、彼女を知る友人が今のエリカを見ても本人とは気付けない程、見違えている。
馬車の向かいの席に座るアステリアがエリカに優しく微笑みかける。
「まあ、緊張が顔に出ているわよ」
「緊張しないはずがありませんわ。今から国王陛下とお会いするのですから」
「その気持ちは分からんでもない」
アステリアの隣に座るアルフレッドが重々しく頷いた。彼も先程からしきりに流れてくる汗を拭き続けている。
アステリアもそんな二人の様子を微笑まし気に見つめているが、その手が扇子を強く握り締めているのをエリカは見逃さなかった。
エリカ達を乗せた馬車は王城正門前に到着する。門番の確認を受けた一行はそのまま敷地内へと進んでいく。車止めには既にコーナー男爵の馬車が到着していた。
「さすがはコーナー男爵。一番乗りだな」
馬車を降りたアルフレッドが呟く。
正面扉にて待機していた兵士の一人がエリカ達の方へ近付き、敬礼する。
「アルフレッド・スタンフォード卿ですね。私、近衛兵団副団長のビル・ウォレスと申します」
「お出迎え痛み入る」
「これより先は我々がご案内致します。ご家族の皆様もどうぞこちらへ」
いつの間にかウォレスの背後に来ていた二人の兵士が彼と同様敬礼する。
アルフレッドは一瞬目を細めたが、すぐに挨拶を返すと彼らの後に続いた。
自分達の前後を兵士に挟まれながら、エリカは数日前にオズワルドから聞かされた話の内容を思い出さずにはいられなかった。
その日、エリカはオズワルドに補習をしてもらえるということで朝から機嫌が良かった。しかし、屋敷に到着するなりオズワルドはエリカを書斎に案内した。
そこにはアルフレッドのみならずアステリアまで待機しており、それを一目見たエリカは今から始まる補習が思っていたよりも楽しくないものになりそうだと気落ちした。
最初に口を開いたのはアルフレッドだったが、その内容は耳を疑うものだった。
国王の周りに不穏な動きがあるらしく、その一派がエリカに注目している可能性があるとのことだった。
それを聞いたエリカはげんなりする。いつの時代も政治というのは厄介だ。大方、デーモンスパイダーを倒した少女を担ぎ上げて、人気取りにでも利用しようという連中がいるのだろう。
だが、事実はエリカが想定したものよりも重大だった。
オズワルドによれば国王を操る者がいるらしい。近頃の飛行船大量造船計画や蒸気機関学の新設などはその者の仕業らしく、今回の叙勲式でも何かきな臭い動きをしてくる可能性があった。
その時に聞いた人物が、今、エリカの目の前にいる。
謁見の間に受勲者とその親族が全員集まってから程なくして、国王が近衛兵達と共に入室してくる。
全員、最上級の礼をもって国王を迎えるが、その時に国王のすぐそばにいる女性兵士が自分のことをじっくりと見つめているその視線をエリカは感じ取っていた。
「大儀」
国王の声は凛々しく、威厳に満ちていた。
玉座に腰掛けた国王は軽く左手を上げる。その手首には普通のものよりも分厚く、重たげな外見の籠手が着けられていた。
「楽にせよ」
その一言で全員が頭を上げた。
ヴァレリー・マクファーソンはもうすぐ四十二歳になるはずだが、娘のエミリーと姉妹と言っても差し支えないくらいに若々しく、精力的な顔つきをしている。眼光鋭く、簡潔さを求めるその表情は、身にまとう鎧と相まって戦時中の王としての理想をそのまま具現化したように思える。とてもではないが、近衛兵団の団長に操られているようには見えないのが正直なところだった。
対して、疑惑の渦中にあるジーナ・ローリーはいかにも軍人といった様子で、きびきびと、油断なく辺りに目を配っている。その姿は、海外の軍事・政治サスペンス系の映画でよく目にする好戦派とは違い、己の使命を全うしようとする愚直な兵士を彷彿とさせた。
ヴァレリーが話し始める。
「今回の受勲は他でもない。国一つを脅かしかねないデーモンスパイダーの討伐を見事に成し遂げた者達を称える為のものである。皆の者、ご苦労であった」
一同は改めて頭を下げる。
「さて、式場へ移ろうか」
ヴァレリーの合図で一同は式場となっている正門前広場に移動し始める。
正門前広場と言いつつも、正門からは吊り上げ式の橋を渡って更に少し歩かねばならない。その距離は徒歩で五分はかかる程の長さになる。
正直なところ、日差しがまだある季節の上、涼しさからは程遠い正装で歩き続けるには気が重いが、式場に向かうにつれ、叙勲式を見に来た人達の歓声が増していく様子に直に触れていると、そんなことがどうでも良くなるくらいに気分が高まっていく。
周囲から湧き上がる歓声に包まれて式場にたどり着くと、受勲者とその親族は別々の席に座ることとなる。
あつらえられた舞台の中央へ、前後に近衛兵団の団長と副団長を伴って国王が進み出る。久々に国王の姿を見た観衆から歓声が一層湧き上がった。
背後に最も優秀な二人の近衛兵を従えた国王はそれに左手を軽く上げることで応える。太陽の光を受けた籠手がにぶい輝きを見せた。
「国民諸君。少し前に我々は未曾有の事態に直面した。知っての通り、マーク・コーナー男爵領に災害級の魔物と評されるデーモンスパイダーが侵入した。
だが、その危機は男爵領に住む人々の手によって消え去った。兵士や冒険者だけではない。今、この場にいるあなた達一人ひとりと同じく市民の皆も勇敢に立ち向かった。
本来であれば全ての者に勲章を贈りたいと思う。彼らを代表してここにいる者達にこの勲章を授けよう」
国王の短いスピーチはその場にいた全ての人達に深い感動を与えた。万雷の拍手に応えることもせず、国王は一歩後ろに下がる。
国王が勲章を授ける準備をしている中、エリカには国王と彼女を守る近衛兵団の姿が、テレビでよく目にしていたアメリカの大統領とその警護官に重なって見えた。
国王がコーナー男爵を壇上に呼ぶ。それに応え、コーナー男爵が席を立ちあがった時、後方で大きな爆発が起きた。
突然のことにエリカは振り向く。この正門前広場に続く城下通りの途中で大きな黒煙が立ち込めており、巻き上げられたがれきが上空から降り注いでいた。
「国王陛下!早くこちらへ!」
ジーナが抱きかかえるように国王を王城へと避難させていく。副団長のビルの命令で近衛兵団が円形に国王達を取り囲む防御態勢をとりながら、二人に続いていく。
エリカは両親の元に駆け寄る。
「二人とも大丈夫?」
思わず素の言葉遣いが出てしまったエリカを咎めることもなく、二人は呆然と爆発があったところを見つめている。
エリカは乱暴に二人の腕を揺すって、無理矢理注意をこちらに向けさせた。
「二人ともしっかりして!私達も早くここから逃げないと」
「エ、エリカ?」
娘の口調の変化にたじろいだアステリアがじっと見つめてくるが、それに構わずエリカは周辺を見回した。
式場周辺はパニックになった群衆で溢れかえっており、この中を進んでいくのは得策とは言えなかった。他の受勲者達とその親族は国王の後を追いかけるように、橋に向かって走り出していた。
瞬時にエリカは二人の腕を取ると、彼らと同じく王城に向かって走り出す。
運動に適さない正装で、かつ大人二人の腕を取って走ることは決して容易なことではない。だが、エリカは懸命に走った。
歩いて五分かかった距離をエリカ達はその半分にも満たない時間で駆け抜ける。無事に正門をくぐり抜けた三人はその場にへたりこんでしまった。
大きく肩で息をするエリカの背後で、何か大きなものが軋む音がした。振り返ったエリカの目に映ったのは、正門前広場と王城を繋ぐ橋が引き上げられていく姿だった。
その様子を見つめていたエリカ達に誰かが大声で呼び掛けてくる。
「スタンフォード卿!早くこちらへ!」
コーナー男爵が正面扉の前で叫んでいた。
一番早く我に返ったアルフレッドがエリカとアステリアの手を取って起き上がらせる。
城内に入ったエリカ達は、近衛兵の案内で大広間に通された。そこには他の受勲者達とその親族が肩を寄せ合っていた。
コーナー男爵がアルフレッドに声をかける。
「先程の爆発は一体?」
「私にも分からんよ」
ぐったりした表情でアルフレッドが返す。その手は隣で震えるアステリアの背中を優しくなでていた。
「国王陛下はご無事で?」
「ええ。近衛兵達が護衛しております」
「そうか……。ならば良かった」
とは言いながらもアルフレッドは不安の色を隠せていない。エンシェントドラゴンを初めとして第三王女やバンクロフト公爵にまで警戒されている近衛兵団の団長が今も国王のそばにいる事実は余りにも重たく受け止められる。
それを忠誠心から来る心痛と受け取ったコーナー男爵はアルフレッドを尊敬のまなざしで見つめていた。
微妙にかみ合っていない二人を尻目に、エリカは窓の外に広がる景色を見やる。普段と変わらない街並みの中で砂煙が一ヵ所だけ立ち込めている光景は異様だった。
そこに新たな煙が立ち込め、窓越しでもくぐもった衝撃音が耳に届いた。
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ジェーン・ヒギンズ巡査部長は杖を振るうのに必死だった。
自分に付き従っていたスミス巡査を救助活動の指揮に残し、彼女はたった一人で対象を追跡している。
追跡対象は足首にまでかかる長いローブを着ているというのに、かなりの速度で走り続けている。脚力に自信のあるジェーンだが、距離は狭まるどころか少しずつ離されていた。
「止まれ!」
当然、彼女の制止を聞くことなく相手は走り続ける。パニック状態の市民達を避けたり突き飛ばしたりしながら、ローブに包まれたその後ろ姿は目まぐるしく形を変えている。
そして、それらはどれもあらゆる種族に当てはまらない奇妙な形を取っている。
ジェーンは再び頭上に杖を向け、仲間に自分の位置を知らせる。今までとは違う赤い光が空中にきらめいた。
警官達が応援を求める際の光は基本的に水色だ。この光が上がっているところで事件か事故が起きたことを示すもので、上がる光の九割が水色だった。
だが、犯人の追跡中であったり大きな事件や事故が起きたりした場合には黄色の光が上がることになる。この光が上がったのを確認した警官は直ちにそこへ向かうことが求められていた。
とはいえ、この黄色の光に出会う機会はほとんどなく、年に一回あるかないかといった具合だから、実際の現場よりも訓練の機会に見ることが多いという警官も少なからずいた。
そのような治安の良いこの世界において、赤色の光が意味するものはただ一つ。
赤い光を打ち上げながら相手を追いかけるジェーンの左隣に黒いローブを纏った男が二人ほど現れた。
ジェーンは彼らの腕章に目を留める。警官達の憧れである特殊戦術部隊を示すマークが示されていた。
「あいつか?」
「ええ」
一人がジェーンに尋ねるが、彼女は何とか答えを返すのが精一杯だった。
もう一人が何か複雑な魔法陣を杖で空中に描き出すと、それを宙に打ち上げる。途端にその魔法陣は相手の真上に移動し、ぴったりと後をついて行った。
それからすぐに別の隊員が二人、相手の前方に現れて魔法を放つ。それらは直撃し、相手をよろめかせる。
その拍子に頭を覆うフードの部分が外れ、対象の素顔が明らかになる。
「何なの……」
必死に追いすがるジェーンはその顔を見て思わず息を呑む。周りの隊員も不快感や嫌悪感を露わにしていた。
その顔はかろうじて男であると判別できるものの、複数の種族の特徴が交じり合った影響で原形を留めていなかった。




