十四 戦争終結後
長きに渡る帝国との争いは、リーヴェン帝国の全面降伏という形で終結した。
それから半年以上が過ぎ、季節はすっかり冬に変わっていた。
皇帝であったピーター・リーヴェンは今までに犯してきた罪の重さから既に斬首刑に処されているが、実際は長年の因縁に幕引きを図る為という意味合いが大きかった。
投降した兵や捕虜達の大半は解放され、それぞれの家に帰ることを許された。しかし、戦時中に重大な罪を犯していた者に関しては引き続き拘留され、王国法に基づいて刑罰を受けることになっている。
一方で、捕虜になっていた将軍や参謀に関しては、優秀な人材だと認められた者は秘密裏にスカウトを受けていた。戦後処理の中でのこういった囲い込みはいつの時代も変わらないものである。
対照的なのは帝国の貴族達の処遇だった。彼らはその身分を剥奪され、生活に最低限必要な分を差し引いた残りの全財産を没収された。それらは旧帝国領の復興に充てられている。
帝国民に王国法を周知させるのには少し時間がかかりそうだが、基本的な内容は変わらない為、今のところ大きな混乱は生じていない。ただ、人間以外の種族に対する差別意識は根強く残っている為、その意識改革を促す法整備が進められている。
それに伴ってRCISの支部が設置されることになった。まだ帝都に代わる新たな名が付いていないので便宜上、旧帝都支部とされているが、ゾーイ・スペンサー本部長肝煎りの捜査官達が王都から続々と派遣されていた。
彼らの最初の任務は、帝国が敗北する遠因にもなった死霊術の研究・軍事施設での爆発事故の調査とされているが、それに関してはゾーイやオズワルドを初めとするごく限られたメンバーが、ヴァレリーの密命を受けて既に極秘裏に取り掛かっていた。
旧帝国領北部の一部では、王国による統治を嫌う者達が、独立を宣言して帝国に刃向かったウッドバーン家に続こうとする気配を見せていたが、現当主は今のところ沈黙を貫いており、事実上の休戦状態となっている。
自治都市の連合体であるゴールドグラバー自由都市同盟は、当初は王国に対して強気な態度を崩さなかったが、彼ら以上に厄介で強大な相手との交渉を終えたばかりのヴァレリーの機嫌を著しく損ねてしまい、足元を見るはずが自分達の足元を見られる結果になっていた。
そのヴァレリー・マクファーソンはリーヴェン城を自身の居城とし、王都の城を第一王子であるトレヴァーに正式に譲り渡すことを決めた。まだ国王の座には就いているものの、実質的な権限移譲が既に進められつつある。
この決断の背景には、様々な事情から統治が難しいであろう旧帝国領を早く安定化させる為に陣頭指揮を執ることへ専念したいというヴァレリーの思いがあった。また、トレヴァーを初めとする子供達に少しでも安全な場所にいて欲しいという親心もある。
やらなければならないことは依然として山のように積み重なっているが、それでもヴァレリーは以前よりも生き生きとしている。ことの始まりこそ無意識のうちに操られたもので、そのことに対する怒りは消えていないものの、長年の宿願であった一族の凱旋が自分の代でようやく果たされたことを思えば、達成感と充足感が胸の奥に広がるのは当然のことだった。
それは自分の傍らに控える壮年の貴族も同じだったようだ。種族の特徴なのか厳めしい顔つきしか見たことがない彼の目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ちている。
「随分と涙もろくなったのではないか?ウィンストン卿」
軽く笑みを浮かべるヴァレリーにウィンストンは大きく鼻をすすると、頬を伝う涙の痕を拭くこともせずに答える。
「私は嬉しいのでございます。このような過分な褒美を頂戴したことがとても嬉しく……」
伯爵から陞爵したウィンストンは旧帝国領の南部の一部も与えられ、彼の領地は今までの倍以上となっていた。また、臨時ではあるものの統治補佐官という役職も与えられたことにウィンストンは恐縮し切っていた。
「そなたの長年の働きを思えばこれでも足りぬと思っておる。改めて礼を言うぞ、ウィンストン卿。引き続き力を貸してくれ」
「はっ!」
「では、早速始めようか。骨が折れることは早く片付けるに越したことはない」
どうやら統治補佐官としての初の仕事に随分と気合が入っているらしい。ウィンストンの返答に心強いものを感じつつ、ヴァレリーはこの日最初の公務に取り掛かる。
「エリカ・スタンフォード卿をここへ」
「はっ!」
近衛兵の一人が玉座の間につながる扉を開くと、一人の年若い女性がおずおずといった様子で進み出る。
何度となく見てきた彼女の姿に懐かしいものを覚えつつ、今回こそは彼女の思い通りにさせず、その鼻を明かしてやろうとヴァレリーは決心している。
「エリカ・スタンフォードにございます」
「楽にせよ、スタンフォード卿」
「はっ」
「此度の戦いにおける諸々の働き、大儀であった。そこで褒美を取らせようと思う」
「もったいないお言葉です」
以前、ノースバーン山で敵将を捕らえた際のやり取りと同じだと思い返しながらも、ヴァレリーはその続きも同じ言葉で締めくくった。
「そなたの実力を踏まえ、改めて王立バンクロフト学院の錬金術担当教授を任じようと思う」
エリカが目を見開いたのを見て、ヴァレリーは内心ニヤリとする。そして彼女が口を開きかけたのを見て、右手を挙げてそれを制した。
今までは周りの目を必要以上に気にしている素振りを見せつつ、自身の望みをしっかりと手にしていたエリカだが、その手はもう通用しない。
「今回ばかりは口答えするなよ?今は色々と事情が込み入っている。裁定に異議を唱えられると新たな民達に示しがつかんのだ」
ヴァレリーの言うことも理解できるが、王都にある学院の人事権に意見を伝えたところで、かつて帝国の民だった者達には何の影響もないはずだ。
エリカは少しの間呆然とした様子を見せていたが、やがて気を取り直すとヴァレリーの視線を見つめ返した。
「承知致しました。王立バンクロフト学院への着任をお受けしたいと存じます。ただ……」
「ほう?」
その答えにヴァレリーは目を細める。エリカがこのまま素直に話を受け入れるはずがないのは目に見えていた。
だが、エリカが放った続きの言葉にヴァレリーは戸惑いを隠せずにいた。
「恐れながら国王陛下にお願いしたい儀がございます」
「申せ」
「願いが叶うのであれば、蒸気機関学を受け持ちたいと思っております」
「ふむ……」
しばらくの間、ヴァレリーは目を閉じてエリカの要求の意味を考える。そこにどんな意図が隠されているのか。
「理由を申せ」
「王国へ忠を尽くす為です」
「忠を尽くすと?」
斜め方向の答えにヴァレリーだけでなく、彼女の傍らに控えているウィンストンも首を傾げる。
「はい。マーガレットの所業が明らかになったことで、王国が今まで亡国の危機に晒されていたことが判明しました。
彼女は王国に手出ししないと言いましたが、それを信じるには無理がありますし、彼女のような存在が他にいないとも限りません」
エリカの言葉にヴァレリーもウィンストンも顔をしかめる。
あの日、マーガレットは要求を伝えるだけ伝えると、玉座の間から悠々と立ち去っていた。未知の魔術で包囲をくぐり抜けた時、わざとらしく一礼した彼女の姿は忘れようと思っても忘れられない程、憎らしく、それでいてスマートだった。
すぐに兵を動員して捜索にあたらせたヴァレリーだったが、マーガレットの行方は未だに掴めていない。
「この脅威に立ち向かうには、教育を通じて王国の国力を更に高めるべきだと愚考しました。その為には様々な可能性を秘めている蒸気機関の研究を進めていく必要がございます」
ヴァレリーはエリカの目を見つめる。一点の曇りもない澄んだ瞳だった。
「当家は蒸気機関の可能性を間近で見て参りました。王国が帝国を下し、かつてない規模の国土を手にした今、蒸気機関の更なる発展は急務にございます。
わたくしがマッコード先生を補佐する立場になれば、研究の発展に微力ながら貢献することもできるかと存じます」
ヴァレリーは天井に目を向ける。住み慣れた王都の城と違い、この城の天井の装飾は求められる一定の威厳を通り越して、驕りに満ちた過度なものでしかない。
帝国衰退の一因はこういうところにもあったのだろうかと、ヴァレリーはぼんやりと考えた。
やがてヴァレリーは口を開いた。
「よかろう。そなたを王立バンクロフト学院の教授に任じよう。しかし忠を尽くす為に申したとなれば、一つのポストに縛りつけるのは相応しくない。蒸気機関学だけでなく錬金術や上級魔術学といった他の学問も任せてみたいものよ」
ヴァレリーの言葉にウィンストンが笑みを浮かべるが、それはとても暖かなものだった。この戦争を通じてエリカの実力と功績は誰もが認めている。
「よって、そなたを該当授業の共同担当者とする。それら全体の授業を補佐せよ」
「え……」
「実際に受け持ってもらう授業は理事長と学院長の両名と協議の上、追って連絡する。励め」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔を見せるエリカにヴァレリーは追い打ちをかける。
「それに伴い、エリカ・スタンフォード。そなたを伯爵へと陞爵する」
「はっ?」
思わず出てしまった素の言葉に慌ててエリカは取り繕うが、ヴァレリーはどこか楽し気にその様子を見守っていた。
「これまでの功績も含めておる。それに、その歳で教鞭を執るからにはある程度の箔も必要であろう」
今まで素直に褒美を受け取らなかった意趣返しもあるだろうが、それ以上に自分のことを考えてくれているのが伝わってきて、エリカは再び深く頭を下げる。
「加増する領地など具体的な褒美についても追って連絡する」
「感謝申し上げます」
どこか心ここにあらずといった様子で玉座の間を去るエリカの後ろ姿を見送った二人は、悪戯が成功したのを喜ぶ悪ガキのような眩しい笑顔を見せている。
「帝国軍に雷神と恐れられたスタンフォード卿をあそこまで手玉に取られるとは。さぞ痛快なのではありませんか?」
「当然ではないか」
ヴァレリーは自分が満面の笑みを浮かべていることにまだ気付いていない。だが、確実にその心はかつてないほどに晴れやかだった。
次回より新章です。




