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彼女は魔術と紅茶を楽しんで  作者: 賀来文彰
勝者のいない戦い
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五 一騎打ち

 帝都にそびえるリーヴェン城が遠目に見え始めた高地で、二つの軍が真正面から睨み合っている。

 だが、その兵力差は圧倒的だった。王国軍の膨大な軍勢に対し、帝国軍は僅か百騎程度しかいない。


 それ程までの兵力差がありながら、王国軍の最前列にいたハーディとブライスの軍に甚大な被害を与えた事実が眼前の敵の手ごわさを物語っている。


 その軍列からゆるりと馬を歩かせて進み出たのは一人の老将軍だった。


「帝国軍参謀本部最高司令官補佐、レオン・アンブローズである」


 その名乗りに応えるように王国軍の方からも一人の女性が馬を進ませる。


「エリカ・スタンフォードです」


(これが雷神か?)


 アンブローズは一瞬でも拍子抜けしてしまいそうになった自身を恥じた。相手がどのような人物であったとしても決して油断してはならない。

 だが、そのように気を付けていても緊張を解いてしまいたくなるくらいに目の前のまだ年若い女性の表情は薄暗く、どこか落ち着かない様子を見せている。


 老将軍の威風堂々とした佇まいとはまるで対照的だった。


(無理もない)


 彼女が雷神と呼ばれるのは、それまで誰も見たこともない奇怪な魔術を扱うからだが、その力が行使されるのは決まって彼女を何らかの形で怒らせた時だった。

 それならば一対一で真正面から戦う機会を設ければどうなるか。アンブローズはそこに勝機を見い出そうと考えていた。


「一騎打ちは初めてかな?」

「ええ、まあ」


 言葉少なく答えるエリカは緊張を隠そうともしていない。魔術師寄りの戦いをする者には厳しい状況だろう。


「別に剣にこだわらずとも良い。お互いに得意なものを用いて存分に腕を振るおうではないか」


 そんな言葉をかけたのは決して憐みや侮りからではない。だが、帝国の武を示す為には雷神の魔術に打ち勝つ必要があった。

 それに例えあの雷を躱すことができなくても、せめて一太刀でも届かせることができれば一矢報いたと言えるだろう。


 命などとうに捨てている。そこまでの気概を見せた上で帝国軍が息を吹き返すかどうかは自身のあずかり知らぬところだ。


「準備は良いか?」

「……分かりました」


 何かを思い悩んでいたエリカだが、深呼吸した途端に表情から一切の感情が消えた。その瞬間に彼女から魔力の渦が巻き起こり、アンブローズは全身の毛が逆立つような感覚を覚えた。


「やっ!」


 しかし、長い時を戦場で過ごしてきたアンブローズは反射的に馬を駆ってエリカに肉薄していく。対して、エリカの馬は突如巻き起こった魔力の渦に興奮し、制御が効かない状態だった。


 アンブローズが槍を振るう。銀色の一閃が暴れ回る馬ごとエリカを斬り落とす。


「むっ!?」


 両断されたエリカの身体がそのまま大量の水となって地面に降り注ぐ。そして目の前の光景に驚きつつも辺りを警戒するアンブローズの足を何かが掴んだ。


 アンブローズは瞬時に槍を振るうと足元の地面を打ち払った。


「これも目くらましか!」


 自身の足を掴んでいたのが土で作られた手であったことに気付き、老将軍は歯噛みする。


(どこにいる?)


 魔術師とも数多く戦ってきたアンブローズだが、これ程までに気配を察知できない敵を相手取るのは久々のことだった。


「いえ、目くらましではないですよ」


 ボロボロになった土の手の欠片がアンブローズの顔面に飛び込んでいく。思わず目をつむった老将軍の耳元で誰かがふいに囁いた。


「これが目くらましです」

「小癪な!」


 瞬時に手首を返したアンブローズは自分の左脇下から背後に向かって槍を繰り出す。だが、手応えがまるでない。

 そしてその時にはアンブローズの足元から突風が巻き起こっていた。


「ぬうっ!?」


 すぐに槍を地面に突き刺して支えとしようとするが、突風は容赦なくアンブローズを襲う。

 そして再び声が耳元に届いた。


「ガスト」


 短い詠唱が聞こえた瞬間、アンブローズは端からこの若き魔術師に指一本触れることができないことを察した。

 詠唱によって強化された風魔術は老将軍を地面から引きはがし、王国軍の方へと吹き飛ばす。


「ウィンド!」


 その瞬間、王国軍の後方から数多の声が響き、老将軍の身体が地面に激突しないように支えた。

 だが、それは彼が王国軍の手中に落ちたことを意味する。


「おのれ!」


 血気に逸った一部の帝国軍兵士が殺到しようとするが、エリカは押しとどめるように右手を前に繰り出す。


「ウォーターシールド」


 その途端、大人五人を優に飲み込める長さの水の壁が彼らに向かって繰り出される。その水壁はそのまま後方の兵士達も包み込むように流れていった。


「何だ!?」

「ええい、気にするな!将軍を救い出せ!」

「待て!」


 全身びしょ濡れになりながら尚も前進しようとする兵士達だったが、別の兵士が声を上げた。


「早まるな!これではウェルストーンの二の舞になるぞ!」


 その言葉でようやく兵士達は足を止める。いくら忠誠心があってもベルーン湖畔やウェルストーンで繰り出された雷神の一撃への恐怖は捨てられない。王国軍に対して余裕の表情を見せていた仲間が歯の根も合わない程に震えながら当時の惨劇を語る様子は脳裏から離れていなかった。


 その時、王国軍の軍列から一人の男が歩み出た。多くの将兵を周りに従えているだけで、彼が何者か推察できない者はその場に一人としていない。


「見事だった。

 さて、君達の将軍は安全な場所で休んでもらっている。君達も彼の下に来てはどうかな?無論、一戦交えるというのなら引き留めはしないが、彼に忠を尽くしているのなら早まった行動はしないだろうと期待しているよ」


 トレヴァー・マクファーソンの言葉に帝国の兵士達は苦々し気だった。しかし思うところがあったのか、一人、また一人と渋々ながらも自ら武装解除していく。


 その様子を眺めながらトレヴァーはエリカにニヤリと笑いかけた。


「流石はスタンフォード卿。見事に彼を生け捕りにしたね」

「殿下のご要望にお応えできて安堵しております」

「謙遜なんてしなくて良いさ。君ならやり遂げてくれるだろうと信じていたからね」


 先程からの心痛の元凶を前にしながらもエリカは貴族らしく、薄っぺらい笑みを顔に貼り付ける。だが、内心ではこんな無茶ぶりはもうこりごりという思いだった。


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