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彼女は魔術と紅茶を楽しんで  作者: 賀来文彰
学生編 夏休みのこと
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三 スタンフォード領

 豊かな緑が広がるとはこういうことを言うのだろう。


 右手側の窓からは柵の中で牧草をのんびりと頬張る牛や羊が目に映る。そんな彼らを青年達がブラッシングしながら談笑しており、少し離れたところにあるログハウスのような外見の家の前では女性が軽く伸びをしている。

 左手側はなだらかな丘が続き、その向こう側には林が広がっていた。


 馬車の窓から見える景色は牧歌的で、老後の生活を計画する際に一度は思い描くような場所だった。

 向かいに座るアルフレッドが懐かし気に目を細める。


「穏やかなところだろう?」

「ええ。そうですわ」


 王都と違い、道路は土を整えただけの簡素なものだ。だが、馬車の揺れ心地は王都の中とほとんど変わりない。

 それを不思議に思うエリカの顔色を見てか、アルフレッドが顔を向ける。


「皆が毎日綺麗にしてくれている結果だな」


 聞けば、スタンフォード家の領地になる前はヒトとモノの行き来がほとんどない寂しい場所だったらしい。その状況を打破する為に、初代当主は街道を整備した。といっても、道路にする部分にかかる草を刈り取り、小石を払うというシンプルなものだった。

 それは予算の問題もあったのだが、石畳の道路を造るよりは「道を切り開く」人手にお金をかけたことで結果的に費用は安く済み、手間賃がもらえる領民達の士気も上がった。


 この自然豊かな街道ができたことでスタンフォード家の領地もヒトとモノの往来が増え、少しずつ発展を遂げている。


 アルフレッドが自分の背後を見ているので振り返ると、草むらから数人の子供が飛び出してきて、馬車が通り過ぎた後の道を木の枝や素手でならしていた。その近くに槍を持った兵士らしき人物が立っている。

 驚いた様子で彼らを見つめていたエリカに、アルフレッドは語りかける。


「街道沿いに住んでいる彼らが毎日、整地してくれているんだ。それが彼らのお小遣いとなる」

「あの兵士はなんですの?」

「監視役だな。村や集落から選ばれた大人が子供達に危険が降りかからないか見張っているんだ」

「そんな必要がありますの?」

「ああ。街道を使うのは善良な領民だけではないからな。それに危険な動物もいる」


 答えるアルフレッドの表情は少し寂し気だった。


 しばらくすると馬車がスピードを緩め始める。アルフレッドは軽くネクタイの結び目を整えると溜息をつく。


「全く、この暑さだというのに」

「貴族に生まれた者の務めですから仕方ありませんわ」

「そうなんだがね。だが、今から会う相手はそれ以上に厄介なんだ」


 馬車が停まり、扉がノックされる。


「アルフレッド・スタンフォード卿。代官のクレア・エヴァンスです。お会いできますこの日を楽しみにしておりました」


 快活な声が響き渡り、アルフレッドはひときわ大きな悲しみの表情を浮かべると、すぐに切り替えて相手を出迎える為に扉を開いた。


 そこにいたのはエリカと余り変わらない年頃に見える女性だった。

 鎧は身に着けておらず、代わりに革の防具を急所となる部分に覆っているだけの質素で実用的な装いで、伸ばせば整った顔立ちの美しさを際立たせるであろう髪は短く切り揃えられている。腰の左側には片手剣が一本、右側には杖がセットされていた。

 彼女の後ろには同じく女性兵士が二人並んでいて、辺りを油断なく警戒していた。


「エヴァンス卿、出迎えご苦労。それにしてもいつものことながら厳重すぎる出迎えではないかね?」


 後半はやや諦め気味に語るアルフレッドに、クレアは目の前に近付かんばかりの勢いでまくし立てる。


「いやいや、そう言う訳には参りません!アルフレッド様にもし万が一のことがあれば姉上に息の根を止められてしまいます!」

「まあ、それは分からんでもないな……」


 何故か同調するアルフレッドを尻目に、エリカは何となく覚えがあるこの女性のことを何とか思い出そうと記憶を探っていく。だが、その前に相手からエリカに気付き、声をかけてくる。


「エリカ様!エリカ様ではありませんか!お懐かしゅうございます。クレアでございます」

「お久しぶりです。エヴァンス卿」


 馬車から降りたエリカは無難に挨拶を交わすが、途端にクレアはショックを受けた表情でうなだれてしまい、エリカを大いに慌てさせる。


「うぅ……。かつてはクレアと親しくお声がけくださったのに……。クレアは悲しゅうございます……」


 クレアをなだめすかしながら、エリカは相手のことを思い出す。確か五歳くらいの頃、仕事絡みのことで訪ねてきた際、仲良く遊んだ記憶がある。生まれ変わる前のエリカは彼女のことをいたく気に入っていたが、今のエリカはこの暑苦しいやり取りの中で既に父と同じく「厄介」という評価を下していた。


 それにしても対照的だとエリカはつくづく思う。母であるアステリアとクレアは年が離れているとはいえ、まるで正反対だ。アステリアが淑女であるならば、クレアはおてんば娘といったところか。


 エリカ達はクレアの護衛を受けつつ、領主の館である屋敷へと向かった。

 王都でもそうだが、スタンフォード家の屋敷は貴族の中でも質素な方である。同じ子爵よりも落ち着いた外装で、表向きには常在戦場の心構えの現われとしているが、実際のところは出費を抑える為にシンプルにしている。


 一般的に貴族は贅沢な暮らしをしていると思われがちだが、実情はその逆で、大半の貴族が青息吐息という状況だった。スタンフォード家含め、貴族達はかろうじて収支こそ黒字になっているが、贅沢などもってのほかだった。


 屋敷に着くとアルフレッドはすぐにクレアと領地の状況について話し合いを始める。そこに同席するよう父から求められたエリカは身が引き締まる思いだった。

 まだ先のことだが、いずれは自分がこの領地を引き継ぐことになる。いわば「スタンフォード株式会社の社長」になるわけだから、緊張もひとしおだった。


「エリカ様がこんなに凛々しくなられて……。クレアは嬉しゅうございます……」


 エリカの様子を見て取ったクレアが目頭を軽く押さえる。大げさだと思ったが、本当にきらめくものがそこに見えて、エリカはどぎまぎするしかなかった。


「では、今年度の報告を頼む」

「ははっ」


 アルフレッドの威厳ある一言で会議は始まり、エリカは領主としての仕事をしっかりと自身の中に落とし込もうと改めて気合充分に臨んだ。


 十五分後、会議は終了した。


「お父様、まさかこれで終わりでしょうか?」

「うん?終わりだが、何か気になることでもあったのか?」


 いや、その逆だとエリカは心の中でツッコミを入れた。

 提出された報告書は前世でもかくやと言わんばかりに分かりやすく、信頼性に富んでいた。

 良いことについてはそれを更に増加させられるような提言が盛り込まれ、悪かったことに対してはその改善方法や実際の対策が挙げられている。今後問題になるであろう事柄に対する予測や対処方法もしっかりと述べられていた。

 報告書の内容は内政だけではなく周辺の他家の状況や王国全体の情勢にも及び、それらに基づく今後の施策に関する提言も説得力に満ちていた。


「エリカ様、何かお気づきの点がございましたら仰ってください」


 クレアが緊張気味に答えるのでエリカは慌てて返事する。


「いえいえ、余りにも分かりやすい内容でしたので、つい驚いてしまって……」

「ああ、エリカにはまだ話していなかったな。エヴァンス家は代々内政に強い家系で、過去には王城へ出仕したこともある程なのだ」


 エリカは自分とほとんど変わらない外見で暑苦しい性格な相手に対する評価をすぐに改めることにした。

 それと同時に、クレアが自分の代も引き続き代官でいてくれるよう心の底から願った。


 報告の後は全員で夕食を取る。出てくる食事は王都の屋敷よりも質素だが、それでも前世での食事を振り返ると充分豪華だった。


 ローストポークを盛り付けていると、クレアがアルフレッドに話し掛ける。


「姉上のご様子は如何でしょうか?」

「まあ、大事ない。ただ、今年は色々なことがあったから無理が祟ったのだろうな」


 本来ならばアステリアもこの場にいるはずだったが、出立の二日前から体調を崩してしまい、王都で留守番をしている。


「私も驚いたのだがね、あのコーンウェル伯爵夫人が屋敷を訪ねてくださっただけでなく友達になって欲しいと仰られたからね。それからは中々に大変だった」

「姉上もわたくしのように心身共に鍛えておれば、そのような大事にもびくともせずに済みますのに」


 ふんすと鼻を鳴らして胸を張るクレアだが、この辺りも真逆な姉妹だとエリカは思う。それと同時にアステリアの血が強く出て良かったと自分の胸元をチラリと見やりながら思った。


「エリカ様。何かわたくしの顔に付いておりますか?」


 クレアが純真な瞳を向けてくるので、エリカは話題を変えた。


「いえ、クレア叔母様のようにわたくしも体を鍛えねばと思いまして……」


 だが、この方法は上手くいかなかった。クレアは途端に悲しげな表情を浮かべてうなだれてしまった。


「叔母様……。かつてのようにクレアと呼んではくださらないのですか……?」

「いえ、年端もない子供ならいざ知らず、わたくしももう学院に通う身ですから。昔のような軽々しく呼び捨てにする非礼は許されません」

「そんな……。エリカ様とほとんど変わらないよう、努力して参りましたのに……」


 確かにクレアはその童顔も相まってエリカとほとんど変わらない年頃に見える。だが、彼女が実際は一回り以上年上であることを思い出しているし、年が離れているとはいえ母と同じく三十代であることも思い出している。


 困ったエリカだったが、アルフレッドが救いの手を差し伸べる。


「エリカ。エヴァンス卿がそのように願われているなら、それに応えるのもスタンフォード家に生きる者の務めだ。遠慮なくクレアと呼びなさい」

「はい、お父様」


 自分はエヴァンス卿と呼んでいるじゃないかというツッコミはなしだ。妻帯者が他の女性の名前を呼ぶのは例え相手の同意があってもマナー違反だ。

 とはいえ本音のところでは、アルフレッドはエリカに「彼女の好きなようにさせるように」と厄介払いをしたのが真実で、アルフレッドはクレアの目を盗んでエリカに申し訳なさそうな視線を向けた。

 仕方ないのでエリカは名前で呼ぶようにしたが、そこからクレアの機嫌は見るからに良くなった。ワインを飲むペースこそ変わらないものの、すっかり気を良くしているのは傍から見ても分かりやすかった。


「それにしてもエリカ様。わたくしはエリカ様が災害級の魔物を一ひねりにされると、かつてより思っておりました」


 頬の赤みをたたえてクレアが嬉しそうに話す。エリカが来月の中頃に叙勲されることをアルフレッドが話してから、クレアはずっと上機嫌だった。


 少しめんどくさいと思いつつ、エリカはこうして大げさなくらいにストレートに褒められるのも悪くないと感じていた。

 そして、今日からの二週間の領地への滞在が実り多いものになるのみならず、とても楽しい時間になることを既に実感していた。


予告していた通り、次回から雰囲気がガラリと変わります。

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