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彼女は魔術と紅茶を楽しんで  作者: 賀来文彰
陰で糸を引く者
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三 ブレット書店

 王都のメインストリートから少し外れたところに位置するブレット書店だが、客足が遠のいたことはない。


 その日もブレット家の三女であるモニカは仕事に追われている姉達を時々は手伝いながらも、基本的には我関せずといった調子で商品の書籍に目を通していた。

 そんなモニカのことを家族は少しだけ白い目で見ている。ブレット家が代々背負ってきた重責と覚悟をどこか蔑ろにするような振る舞いが多いと思われているのが原因だ。


 彼女自身は自分なりの考えをもって動いているのだが、長い年月守り通してきたものを抱える血筋の中ではモニカの考えは余りにも先進的だった。

 そしていつからかモニカは独りで過ごすことが多くなった。自室に閉じこもりがちになった彼女が心を寄せるのは小さい頃から身の回りにあった本の山だけだった。


 ふと店の中央にある大きな置時計に目をやる。仕事をサボり始めてから時間が随分と経っていた。


(そろそろ戻らないとまた小言を言われる)


 どこか気だるい雰囲気を纏いながらモニカがレジの方へと戻り始めた時、出入口の辺りがにわかに騒がしくなった。

 直感的にモニカはいくつも平行に並ぶ本棚の一つに身を隠し様子を窺う。


「これはスペンサー様。今日はどのような書物をお探しでしょうか?」


 長女のカイリーが来訪者達を出迎えている。その声音はいつもより少しだけ低めに聞こえた。


「以前購入したティモシー・バートレットの薬草採取入門ですが、こちらのページにこのような落書きがありました」

「これはひどい……。確認不足で申し訳ございませんでした。返金をお望みですか?それとも取り換え致しましょうか?」

「取り換えをお願いします」

「承りました。では、新しいものをご用意致しますので、それまでこちらにてお待ちください」


 聞き慣れたカイリーの足音が一つ前の本棚の向こう側を通り過ぎていく。しかし姉に続く足音が三人分なことにモニカは釈然としない。


(残りの二人は誰?)


 カイリーとやり取りしていたのはスペンサーだけで、そのやり取りは暗号になっていた。それだけに、姿を見せない謎の二人が気になって仕方ない。


 防犯対策の一つとして、例え姿を隠していてもその足音はブレット家の一員には聞こえるようになっているので、カイリーが気付いていない可能性はあり得ない。それでも姉が心配になったモニカは静かに後をついていく。


 カイリーが書店の奥にある談話室の一つへとスペンサーを案内する。そこは「招かれざる客」を案内する時に使われる部屋だった。


「先走っちゃダメだよ」


 突然、モニカの左肩に手が置かれる。その感触にひやりとしつつも、モニカは強靭な精神力を発揮して平静を保つと、ゆっくりと振り返った。


「分かってるよ、ブリジット」


 そこにいたのは次女のブリジットだった。右手にはフェイクの本が握られている。彼女はモニカを興味深げに見ていたが、すぐに表情を引き締めると談話室の方へと視線を向ける。


「何事だと思う?」

「さあ。でも姿を隠している誰かをRCISの本部長が連れてきたとなると、この話は穏やかに済みそうにないよ」


 そう言うとブリジットはモニカを伴って談話室へと向かう。革張りの椅子の一つに腰掛けているスペンサーが二人をちらりと見やった。


「お待たせしております。スペンサー様。こちらが交換したものになります」


 ブリジットが本を差し出すと、スペンサーは怪訝な表情を浮かべた。


「どうもすれ違いがあったみたいですね。私はエドマンド殿にお会いしようと伺ったのですが」

「残念ながらそれはできません。スペンサー様にお連れ様がいると我々は伺っておりませんので」


 その言葉に反応したのはスペンサーではなく、誰もいないはずの虚空だった。談話室の中に男の感嘆に満ちた溜息が広がる。


「やはりお気付きでしたか。これは失礼しました」


 いつの間にかスペンサーの隣に長身の男性が立っていた。どこか見覚えのあるその顔立ちにモニカは首をひねる。

 彼は敵意がないことを示すように両手をひらひらとさせながら話を続ける。


「自分はオズワルドと申します。そしてあなた方の左隣にいるのはルーシー・コーンウェル伯爵夫人です」


 ギョッとした二人は慌ててそちらへと振り返る。すると他ならぬ伯爵夫人が不機嫌な様子を隠そうともせずオズワルドを睨みつけていた。


「まあ、そう怒らないように。彼女達は私達に気付いていたんだ。下手な隠し事は誤解を招くだけになる」

「もう充分誤解されているでしょうに」


 伯爵夫人は鼻を鳴らしつつオズワルド達の元へと戻っていく。突如現れた建国の英雄にブリジットは戸惑っていたが、その隣でモニカはオズワルドの正体に思い至っていた。


(ああ、エリカのところの……)


 まだ学生だった頃に、学院で何度かオズワルドの姿を見かけていたことを思い出したモニカは嫌な予感を覚える。

 特別親しい仲ではないが、かつては御前試合で剣を交えたこともあるだけにどうも他人事として割り切ることができない自分がいる。


 そんなモニカの心の揺れ動きも、新たに姿を見せた人物によってかき消えていく。

 談話室の扉が開き、オズワルドとさほど背丈の変わらない初老の男性が泰然とした足取りで入ってくる。


「エドマンド殿」

「これはスペンサー様。コーンウェル伯爵夫人にオズワルド様まで。いつもお世話になっております。

 さて、スペンサー様に伺いますが、何故このようなことをしてまでお二方をこちらへ連れてこられたのでしょうか?」


 ブレット書店の主にして現当主のエドマンド・ブレットが不快感を露わにしつつ尋ねる。その問いに答えたのは伯爵夫人だった。


「あなたにどうしても聞きたいことがあったからです」

「ふむ。どうやらのっぴきならない事情がおありのようだ。娘達は下がらせましょう」

「お父様!」

「ブリジットにモニカ。二人は店に戻ってカイリーの手伝いをしておいで」


 柔らかい表現ではあるものの、有無を言わせない響きが込められている。モニカ達は釈然としないものを抱えつつも談話室を後にする。


 背後で扉が閉まる際、モニカの耳に聞こえてきた言葉はどこか不穏めいていた。


「あなた達はわたくしの身辺調査もしていたらしいわね。その件は大目に見ますから、今度来た時は安くしておきなさいな」


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