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彼女は魔術と紅茶を楽しんで  作者: 賀来文彰
学生編 秋~冬のこと
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一 エリカ、ロンドンで学生生活を満喫する

 開け放たれた窓から吹き込む風が顔に当たって気持ち良い。

 遠くに見える森の木々はまだ青々としているが気が早いものもいるらしく、所々で葉を黄色に染め始めている。

 エリカはしばらくの間その光景を楽しむと、椅子の背もたれに深くもたれかかった。後数分、退屈な授業を我慢すれば楽しいお昼休みが待っている。


「マンドラゴラを採集する際は犬を使わないといけないと聞いたことがある方もいるでしょう。ですが、それは魔法すら使えなかった時代の話です。今は耳栓をした上で防音魔法を使えば自身の手で採集することができますし、愛するペットを犠牲にする必要もありません」


 女性が黒板にすらすらと図解を書き上げていく。犬がマンドラゴラを引き抜くところまで書くと、そこに大きくバツ印を付ける。それを見てエリカは黒板の内容をノートに写すことを断念した。せっかく書いたものを台無しにするくらいなら説明文だけにすれば良い。


 窓の外からかけ声が聞こえてくる。

 森の方から駆け足で帰ってきた学生達が運動場に整列する。担当者の声掛けで一斉に剣を素振りし始めた。かけ声は大きく、力強い。先程まで行なわれていた模擬戦の熱気が残っているのだろう。

 その様子を見てエリカはげんなりとした。元々体育は好きではなかったが、こうも暑苦しいと見ているだけでやる気が出なくなる。だからといって目の前の授業に集中したくても、こちらはこちらで退屈な内容だった。


 今受けている薬草学は魔法薬の作成や錬金術に欠かせないものだし、教授の教え方も学年や習熟度に沿った丁寧なものだ。だからほとんどのクラスメイトは熱心に黒板の内容を写しているし、顔つきも真剣だった。特に自分の右隣の少女は教授のちょっとした補足説明も聞き漏らさずノートにまとめている。

 だが、家庭教師のオズワルドに六年間色々な知識をせがんで育ってきたエリカにとって、その授業内容は単なる復習に過ぎず、新鮮味がなかった。


 できれば伸びの一つでもしたいところだが、さすがにその勇気はない。仕方ないので教授に見つからないように、それとなく周囲を見渡す。何人かと視線が合って思わず笑みがこぼれそうになる。どうやら退屈なのは自分だけではないらしい。


「グロリアさん、ナタリアさん。よそ見は感心しませんよ」


 黒板にマンドラゴラの効能を書きながら女性が注意する。たまたま振り返った時にこの二人は笑みをこぼしてしまっていたのだ。何とも間が悪い。

 注意された二人はしおらしく謝罪する。彼女もそれ以上は何も言わず、黒板に向き直って続きを書き始める。その瞬間、ナタリアがエリカの方に顔を向けると軽く舌を出した。その様子にたまらずエリカはむせてしまう。


「エリカさん。あなたまでどうしたのですか?」

「すみません、先生。気管に埃が入ってしまったようで」


 うんざりとした表情を浮かべて振り返る女性にエリカは必死に言い訳をした。その後、授業の終了を告げるベルが鳴ってもエリカは一人だけ刺激的な時間を過ごし、彼女がようやく解放された時には貴重なお昼休みの時間が十分は過ぎていた。


 エリカは急いで食堂に向かったが、既に多くの学生で賑わっておりテーブルのほとんどが埋まってしまっていた。いたずら好きな友人が気を利かせて窓際のカウンター席を取っておいてくれればと思いながら辺りを見回すと、その友人がまさにその場所から手を振っていた。

 エリカは冷たい笑みを浮かべて手を振り返すと、注文カウンターでサンドウィッチと紅茶を購入した。本当は人気メニューのハンバーグセットを注文したかったが、ただでさえ短いお昼休みの貴重な十分が失われているので少しでも手軽なものを選ぶしかなかった。


「ごめんね、エリカ」

「謝る割には口元がほころんでいるけれど?」


 すねた表情を浮かべるエリカをナタリアはなだめた。だが、その表情はとても楽し気だ。エリカもつられて笑顔になってしまう。


 この二人は示し合わせたかと思うくらい対照的だ。エリカは貴族でナタリアは平民だ。エリカは魔法が好きだがナタリアは体術を好む。性格も真逆だった。それなのに二人はとても仲が良い。入学式で隣り合わせになってからもう二週間が経つが、数年来の親友かと周りが思うくらいウマが合っている。


「ねえ、これ食べる?」

「フィッシュアンドチップスかあ。そっちのポテトサラダが良いなあ」

「え、これは私の大好物だからあげないよ」

「サンドウィッチと合うのはそっちなんだから。一口、一口で良いよ」


 結局、ポテトサラダは手に入らなかった。取り合いのどさくさに紛れてナタリアがぺろりと平らげてしまったからだ。エリカは差し出されたフィッシュアンドチップスを泣く泣く食べていく。それを見たナタリアが苦笑する。


「ほんと、エリカって貴族様に見えないね」

「あら、失礼ですわね。あなたの目は節穴なんじゃなくて?」


 ナタリアが大声で笑い、周りにいた学生達が驚いてこちらを見る。エリカはすまし顔で紅茶を飲んでいるが、噴き出さないようにするのに必死だった。

 ひとしきり笑ったナタリアが息を整える。


「エリカには悪いけど、ますますそうは見えないよ」

「逆にそう見えたらダメでしょう。ここじゃ身分は関係なく全員平等なんだから」


 王立バンクロフト学院は国王の方針により、身分の垣根は一切設けられていない。なので、少しでも家の力を借りて横暴を振るう者がいれば、当主の爵位や権力に関係なくその子供は処罰を受ける。

 これは、貴族としての心構えを早い内から身につけさせる為だとオズワルドから教わった。貴族は領地を抱えているが、そこに住む人々一人ひとりこそが貴重な財産である。だから有事の際は兵を率いて前線に立ち、彼らを守らなければならないが、その兵にも家族や友人がいる。貴族は常に弱い者を守り、助ける存在でなければならない。

 だからこそナタリアもあえて敬語では話さず、エリカも砕けた口調で話しているが、エリカ自身は前世のこともあるので砕けた口調の方が楽だった。


「全員平等とは言うけれど、種族の違いへの理解はなかなか変わらないもんだよ。私なんていまだにじろじろ見られるからね」


 そう言ってナタリアは自嘲的に()()()()()()()。ナタリアはラミアだった。


 色々な種族が当たり前に一緒に生活しているとはいえ、まだ社会経験のない貴族の子供から見ればどうしても物珍しさが勝ってしまうのだろう。

 エリカもラミアを実際に見たのは入学式の時だったが、前世での人種や国籍の違いみたいなものかと思えば、すんなりとその事実を受け入れることができた。元々差別意識なんて持ち合わせていなかったエリカにとって、種族の違いなんて気にならない。

 ぶっちゃけて言えば、種族が異なろうとコミュニケーションがしっかり成り立つのであればそんなことはどうでも良かったし、色々な種族が「ヒト」として共に暮らす社会構造でありながらいつまでも奇異な目で彼らを見ている人達のことが不思議で仕方なかった。


「そんな奴、ぶん殴っちゃえば良いじゃん」


 エリカは思ったことをそのまま口にしただけだが、どうやら衝撃的な発言だったらしくナタリアは目を大きく見開いた。


「エリカ。いくらなんでもそんなこと言っちゃだめだって。貴族なんだから言葉には気をつけないと」

「貴族だからこそだよ。ノブレス・オブリージュだか何だか知らないけれど、そういうのを大切にするのが貴族なら、普段の振る舞いにも気を配らなきゃ。そもそも色眼鏡で人を見ること自体ダメなことだしね」

「……ははは」


 ナタリアは苦笑いするしかなかった。それと同時に、エリカとの出会いに改めて感謝した。いくら平等だと言っても平民は平民同士で、貴族は貴族同士で仲良くなりやすいのは仕方ないことだった。だが、エリカは違う。エリカは貴族も平民も分け隔てなく普通に接している。何だったら平民寄りだとすら思う。

 だからこそエリカに対して余り良い顔をしない貴族もいるようだった。もっとも、当の本人はそれに気付いていないらしく、そういった連中の皮肉めいた話し掛けにも普通に答えている。それが面白くない者もいれば、毒気を抜かれてしまう者もいた。だが、この無自覚な貴族の娘にもし何かあったら自分が盾になろうと秘かに思っている。


「あ、いたいた」


 二人が振り返るとグロリアが立っていた。トレー返却口から戻ってきたところなのだろう。鞄しか持っていなかった。


「ナタリア、エリカ。そろそろ移動する準備しないと遅れるよ?」


 そう言いながらナタリアのフィッシュアンドチップスの残りに手を伸ばす。ナタリアがその手をはたく。ぺしっという小気味良い音が鳴る。


「ちょっとー。痛いんですけど」


 言葉とは裏腹に平気そうな顔で、こりずに再び挑戦している。だがナタリアは全てをブロックすると、隙を見て残りを平らげてしまった。


「うわー。ひどい。一つくらいくれても良いじゃない」

「ダメだね。エリカこそ持て余してるんだから、そっちから取りなさいよ」

「いや……。それはさすがに……」


 グロリアが途端にもじもじする。ナタリアがジト目で見つめた。


「ちょっと、何で私には遠慮しないのにエリカには遠慮すんの」

「確かキュウリが苦手なんだっけ?」

「ちょっと、エリカ!」

「ほう……。グロリアさんはキュウリが苦手なんですなあ」


 慌てるグロリアをナタリアが楽しそうにからかう。その隣でエリカはサンドウィッチと格闘していた。まだ二切れ残っている。

 できれば二人に手伝ってほしいところだ。だが、たまごサンドでもない以上グロリアは戦力外だし、ナタリアにこちらから声を掛けるのは何だか気が引ける。さっきのポテトサラダの一件がほんの少し尾を引いている。


 エリカは覚悟を決めると、サンドウィッチを紅茶で流し込む作戦に出た。貴族としてあるまじき振る舞いだけれども、前世ではよく営業の合間の休み時間に似たようなことをしていたから慣れてはいる。

 だが、二口ほど食べ進めた際にどこからともなく手が伸びてきて、エリカの作戦を止める。


「……ちょっと、何してんの」

「それはこっちのセリフなんですけど。エリカさん、お立場をお考えくださいな」

「うん。ナタリアの言う通りだよ」

「いや、ここは全員平等な場所なんだから、そんなこと気にしなくて良いんだよ」


 友達思いの二人に対してエリカは抗議の声をあげるが、見事に無視される。仕方ないのでエリカは一人黙々とサンドウィッチを頬張っていく。

 中身はキュウリとハムのシンプルなものだが、このキュウリが前世とは比べ物にならないくらい歯ごたえがあって食べるのに少し苦労する。もっとも、味は同じなのでその点は救いだった。


 サンドウィッチが残り一切れになった時、昼休みが後十分で終わることを告げるベルが鳴る。ナタリアとグロリアが顔を見合わせた。


「あー、もうそろそろ次の授業だよ。早く移動しないと」

「まだ残ってるんだけど」

「なら、早く食べてよ」

「じゃあ、紅茶を飲ませて。流し込めばすぐだから」

「ごめん。それはいくらなんでも無理だよ」

「周りの目もあるし」

「じゃあ、手伝って。はい、どうぞ」


 エリカは残ったサンドウィッチを三等分すると、それぞれを二人に差し出す。グロリアはキュウリが苦手だが、紅茶作戦を止めるなら犠牲になってもらわなければならない。


「あー、もう分かったわよ。手伝えば良いんでしょ」


 言うや否やナタリアはサンドウィッチをぺろりと平らげた。その光景をエリカとグロリアは驚きの表情で見つめる。


「……二人とも何よ」

「いや、別に」

「うん。何でもない」


 我に返った二人はサンドウィッチを頬張る。気の早いナタリアがエリカと自分のトレーを重ねると動き出す。


「ほら、もう移動しないと本当にまずいよ。早く荷物を持って」

「うー」


 ナタリアはまだサンドウィッチをもぐもぐと頬張っているエリカを急かす。エリカは不満の声を上げるが、まだ飲み込めていないサンドウィッチに邪魔されてうなり声しかあげられない。

 その隣でグロリアは鞄から包み紙を取り出すと、丁寧にサンドウィッチを包んだ。賢明な判断だ。


「ほら、早く早く」

「……はあ、がっついたらダメだね。苦しくなっちゃう」

「そんな呑気なこと言ってないで。ほら、行くよ」

「あ、紅茶。紅茶をもう一口飲ませて」


 ナタリアが呆れた表情でエリカを見る。


 サンドウィッチはゆっくり食べないとダメかと、紅茶を一口飲みながらエリカは思う。手軽に食べられると踏んだのに結果は散々で、これなら食べたかったハンバーグセットを頼めば良かったと少し後悔する。

 次の授業に向かいながらエリカは明日こそハンバーグセットを頼もうと決心した。


活動報告にも書いていますが、現状は月・水・金の投稿ペースを守っていきます。

次回は15日(金)午前7時投稿となります。

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