六 雷神の報復
「申し上げます!ガストン家当主、ゲイル・ガストン様が戦死!」
偵察に出向いていたベルニッシュ隊の一人がエリカに告げる。
周囲にいた貴族達はその時のエリカの表情をいつまでも忘れることができなかった。彼女は不自然な程に全ての感情を閉ざすと、無言で戦場に目を向ける。
その顔色はまるで白磁のようだが、口から出てきた言葉は短く、冷たかった。
「全軍、今すぐ下がりなさい」
「何を言うか!」
その言葉にマカリスターが詰め寄る。隣同士の領主として長く接してきただけに、彼の死に思うところが人一倍あるのだろう。
しかしマカリスターは二の句を告げなかった。ギロリと睨みつけるようなエリカの視線に思わず後ろへ下がってしまう。
固唾を飲んでその様子を見守っていた貴族達は何も言うことができなかった。彼女の母親であるアステリアですら表情を強張らせている。
「ジョーンズ卿に撤退するよう伝令を」
ローレンスが静かに指示を出す。今の彼はエリカに自身の参謀役を押し付けたことを強く後悔していた。
彼女が今、最も強く感じているのは責任だ。色々と躍進凄まじいエリカのポテンシャルを都合よく利用した自覚があるだけに、本来自分が背負うべきだった責任を彼女に転嫁させてしまったことに今更ながらに思い至る。
伝令が到着したのだろう。程なくしてジョーンズとおぼしき人狼が大きく遠吠えすると、他の人狼達が狼の状態に戻って撤退を始める。
その様子は明らかに不承不承といったものだったし、それを好機と見た帝国軍は三家への攻撃の手を強める。
「どういうつもりだ、スタンフォード卿!?このままでは全滅してしまうぞ!?」
「その前に私が片付けます」
すれ違いざまに詰問したジョーンズだったが、エリカは彼の方を見向きすることすらせずに告げると、そのまま歩み続ける。
「新手だ!」
「はっ。女一人だけじゃないか」
「もしかしてあいつの女なんじゃねえか?」
「間抜け面と違って美人な方だな。後で可愛がってやるか」
「旦那が討たれて後追いってか?泣かせるねえ」
ガストンを討ち取ってすっかり上機嫌の帝国軍兵士達がヤジを飛ばす。
エリカは歩みを止めると、そのヤジが聞こえてきた方向へゆっくりと振り向いた。
「おいおい、怒ったみたいだぞ!」
「おお、怖い怖い」
「あんまりからかってやるなよ」
尚もヤジを飛ばす兵士達にエリカはスッと右手の綺麗に並んだ指先を向ける。
途端に下卑た笑いを浮かべていた兵士が後ろに軽くよろめく。
「お、おい……」
「何だよこれ……痛えよ……」
彼の腹部にはいつの間にか土の槍が突き刺さっていた。穂先は完全に身体の中にあるが貫通はしていない。突如襲い掛かった激痛にのたうち回る彼を他の兵士達は呆然と見ていることしかできなかった。
エリカは再び歩き始めると、差し向けていた指先を一気に開く。彼女の右手がパーの形を取るのと同時に、男の身体から更に多くの穂先が飛び出した。
「ぎぃやぁぁぁ!」
言葉にならない悲鳴を上げて、その兵士は身をよじる。その光景でようやく兵士達は我に返るとエリカに向けてそれぞれ攻撃を放つ。
ある者は矢を射かけ、ある者は槍を投げる。ある者は魔術を放った。
しかしそのどれもがエリカに届くことはなかった。彼らが反撃を始めた時には彼女の姿は掻き消えている。
「何だ!?どこにいった?」
「どうなってる!?」
「うろたえるな!相手は所詮一人だけだ!このまま攻撃を続け」
その兵士は急に押し黙ると、苦しそうにもがき始める。よく見れば彼の頭は透き通った水球の中に収まっていた。
何もできないままに彼は膝をつく。そして救いを求めるように手を指し伸ばすとそのまま倒れ込んで動かなくなる。
「私はお前を許さない」
窒息死した兵士の傍で恐怖に震えていた兵士の耳元で女性の声が響く。
「ひぃぃっ!」
その兵士はエリカのことをガストンの女と囃し立てていた人物だった。恐怖に震える彼は持っていた剣を思い切り振り回す。
「危ない!」
「落ち着けって!」
その勢いに巻き添えになりそうになった他の兵士達が必死に制止するが、男はがむしゃらに剣を振り続けた。
だが、剣を握る右手がスパッと何かに断ち切られる。地面に落ちた剣がふらふらと浮き上がるや否や、彼の左足の膝裏に深く斬り込んだ。
「ぐわぁぁぁ」
余りの痛みに男は失神する。
その様子を無表情で見下ろしながらエリカは、土魔法によって生み出した数々の小石を男の顔に浴びせかける。
強制的に意識を取り戻させられた男は激痛にむせび泣くことしかできなかった。
その後もエリカは、不可視の呪文によって姿を隠しながら帝国軍兵士達の間を縦横無尽に進んでいく。
そしてガストンに対して侮蔑するような発言を行った兵士達を文字通り血祭りにあげていった。
このベルーン湖畔には四百名程度の帝国軍がいる。しかし数が多くなればなるほど、パニックが広まるのも早かった。
姿の見えないたった一人の相手に、一人、また一人と兵士達が無惨な目に遭わされていく光景は、敵味方問わずそれを見る者に戦慄を与えた。
しかし、この混沌とした戦場の中で動きを見せた者達がいる。
「ゲイル様の敵討ちだ!」
「このままではご子息に申し訳が立たん!」
「ケヴィン様の為にも、ゲイル様の首を死んでも取り返せ!」
ガストン家の兵士達が決死の攻撃を始める。その勢いに呑まれたハーディ家とブライス家の兵士達も奮戦し始める。
彼らの総数はもはや百名に満たない。単純に四倍の開きがある兵力差に普通であれば絶望するものだが、今の彼らは死兵と化している。並々ならぬ覚悟を抱いて鬼気迫る表情で攻撃してくる三家の兵士達に帝国軍兵士達も徐々に押され始める。
その間にもエリカは周りにいる帝国軍兵士達の関節に風魔術で狙いを定めていく。まるでかまいたちに出くわしたかのように自身の腕や足を斬り落とされていく地獄絵図に、帝国軍は単なる混乱状態を飛び越えて恐慌状態に陥った。
「逃げろーっ!」
誰が叫んだのか。
その一声を皮切りに兵士達は続々とウェルストーンに向かって逃げ出していく。そんな彼らの前方に向かってエリカは数条の雷を落とす。
「雷神だ……」
「嘘だろ……」
自分達の前方に落とされた雷を見て、兵士達は呻き声をあげて足を止める。しかしその光景を見る余裕すらなかった後続の兵士達は足を止めることがない。
瞬く間に彼らは押し倒され、仲間に踏みつけられ、蹴られていく。そして物言わぬ状態になった彼らに躓き、その仲間になる者も出始める。
また、挟撃を防ぐ為に生み出したはずの泥濘が兵士達の逃走を妨げる。そんな彼らをエリカの雷が容赦なく撃ち抜いていく。
結果、四百名程いたはずの兵士達はもはや半分以上にまでその数を減らしていた。
彼らを捕らえようと待ち構えていたローレンス達は苦労することなくその目的を果たしたが、その表情は一様に暗かった。
誰もが口を噤み、粛々とウェルストーンへ向かう準備を進める。その間、エリカの視線は捕虜となった帝国軍兵士達にずっと注がれていた。




