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彼女は魔術と紅茶を楽しんで  作者: 賀来文彰
学生編 春のこと
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六 学年末テスト

 日本とは違い、六月にもなるとうだるような暑さがやってくる。それも五月の終わりくらいから少しずつ暖かくなり始めるならまだ心の準備もできるが、月が変わった途端にガラッと天候が変わるので中々身体も気候に追い着いてくれない。


 そんな状態だから学年末テストの初日にあった初級魔術学の実技試験では、エリカ一人だけが異常にテンションが高く、親友達のみならず周りのクラスメイト達も困惑させることとなった。


「一体どうしたの?」


 普段はからかい担当のナタリアですら心配そうな様子でエリカを見つめているありさまだったが、当の本人は鼻息交じりに第二運動場に吹き込む涼しい風を楽しんでいた。

 厳密に言えば、その風は自然のものではない。エリカが風の魔術を使ってそよ風を巻き起こしているのだが、周りには一切気付かれていない。


「おはよう、諸君」


 試験監督を務めるソレンソンが運動場にやってくる。その時にソレンソンは軽く一同を見回した。


「さて、今日から学年末テスト期間だ。二週間あるから体力は温存しておくように。まあ、他の科目は知らんが、この初級魔術学では結果よりも過程を大切にするので自信が無くともあまり心配せずに取り組むように」


 実際、ソレンソンが出した課題はとても楽なもので、今までの授業で習った魔術を何でも良いので一つ発動するだけだった。

 平民組のクラスメイト達は言われた通りに自分の得意なものを一つ披露していくが、貴族組はここが自分の腕の見せどころと言わんばかりに少し難易度が高い魔術に挑んだり、二つ以上を発動したりしていく。

 そしていよいよエリカの番になるが、前に出ようとするとソレンソンが手を上げて制した。


「エリカ・スタンフォード。君は別に構わん」

「いや……」

「さっき発動していた風の魔術で充分だ。見事な魔力調整だった」


 グロリアとシェリルがニヨニヨと笑いながらエリカを見つめている。ナタリアは尾をくねらせると、そっとエリカの足元に巻き付けていた。


「あれれ、抜け駆けですか?エリカさん」

「落ち着いて、ナタリア。暑かったから風を吹かせただけだって」


 だが、そんなほのぼのとした時間もそこまでで、次の魔法薬学の試験では一同のテンションがかつてないほどに下がる結果となった。

 広い空間とはいえ大勢が一斉に鍋を火にかけることで室内の温度は高くなる一方で、皆が汗をダラダラと垂らしながら、何とか課題の回復薬を作ろうと苦戦していた。

 結局、魔法薬学の担当教授であるシャーロット・コリンズを完全に満足させられたのはシェリルだけで、コリンズは唯一満面の笑みでシェリルの回復薬の出来映えを褒め称えていた。


 お昼の時間になってエリカ達は食堂へ足を運ぶ。ただ、ナタリア以外は食欲がなく、フルーツの盛り合わせでお茶を濁していた。


「よく、そんなのを食べられるわね」


 ナタリアがハンバーグを食べている姿を見て、グロリアがため息をつく。だが、ナタリア自身は涼しい顔で事もなげに言い放った。


「食べられる時に食べておくのが冒険者だからね」


 ナタリアの実家は冒険者の家系なのでその教えは非常に納得できるが、それを見習う気力は三人になかった。

 シェリルがリンゴをかじりながら話し始める。


「このテストが十五日まで続くって思うと気が滅入るよ」

「ああ。シェリルはその点、かなり不利だもんね」

「でも一年は実技が多いから、途中からとはいえあまりダメージないでしょう?」

「そんなことないよ。魔術もエリカやお母様に教わり始めて、ようやく何とかなり始めたところなのに」

「何とかなり始めてるのがすごいことなんだよ……」


 グロリアのツッコミにナタリアがそうだそうだと大きく頷く。エリカはそこに乗っかることにした。


「シェリルはね、特に水の魔術がすごいのよ。その内、水を思いのままに操り始めるかも?」

「マジか」


 ナタリアが心底驚いている。ちなみに彼女は水の魔術に少し苦手意識があるようで、他の魔術に比べると出来映えが少しだけ劣っている。

 慌ててシェリルが否定する。


「そ、そんなことないよ。ちょっと、エリカ。大げさに言わないでよ」


 だがエリカはどこ吹く風といった様子で水を飲んでいた。

 仕方なくシェリルは話を変える。


「ところで、来年からは蒸気機関学もテストに入るんでしょ?まだテストが増えると思うと気が重いよ」

「ああ、あれね。あれって結局何なんだろう」

「本当、よく分かんないよね。別にやるのは良いんだけど、話が急すぎるっていうのがね……」


 学院内のあらゆるところに蒸気機関学が来年度より新設されるという掲示が出て、もうかなりの日にちが経っている。だが、未だにその急な話はいたるところで噂の種になっていて、新聞のゴシップ欄にも影響を及ぼすほどになっていた。

 それはエリカ達も同じで、四人は担当教授が誰になるのかという予想を語り合っていた。といっても、蒸気機関の第一人者とされる人物の名前は未だに表に出てきていないので、学院に既にいる誰かが兼任することになるのではないかというのが四人の共通認識だった。

 そもそも魔法の暴発をきっかけに見つかったものなので第一人者というのもおかしな話なのだが、その辺りのことはエリカも含めてまだ誰も知らない話である。


「蒸気機関って役立つのかな?魔法があるのにわざわざ面倒な仕組みを作る必要もないんじゃないの?」


 ナタリアの発言に反応したのはグロリアだった。


「その内、役立つ方法が見つかるよ。どこかは分かんないけど、商会が発見するんじゃないかな」

「え、どういうこと?」


 それに答えたのはエリカだった。


「ああ、ビジネスチャンスか」


 グロリアはニヤリと笑う。


「新しいものを広められれば、みんなそれを欲しがるもんね」

「そうなのよ」

「いや、なんであんたが得意げなのよ」

「フフフ……。魔法陣学の教室の黒板だけどね。あれって我がブロードベント商会の特注品なのよ……」


 この情報には三人とも驚いたが、シェリルだけは別の点について驚いていた。


「グロリア。そんなこと、ここで言っちゃって良いの?」


 ハッとした表情を浮かべてグロリアは周りを見回すが、幸いにも他の学生達は離れたところに座っているので、話の内容が漏れた気配はない。

 ホッとするグロリアに、ナタリアがニヨニヨとしながら顔を近づける。


「グロリアさんはわきが甘いですなあ」

「今のは迂闊だったわ……。三人ともここだけの話にしてね」

「当たり前じゃん。でも、もう商会同士で競い合ってるんだね」

「そりゃあ、ねえ……。蒸気機関学の新設からも王室が重要視してるのも分かるし」


 その時、十分前のベルが鳴った。途端に四人は顔を見合わせる。周りに他の学生達がいなかったのは既に午後からの試験会場に向かっているからだった。

 四人はそれぞれの昼食を慌ててかき込むと、急いで次の教室に向かう。


 試験期間はまだ始まったばかりだ。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 広々とした部屋は、そこに住む人が快適に暮らせるよう綿密に設計されている。

 揃えられた家具はどれも最高級品で、ただ単に贅の限りを尽くしているのではなく一目見た者に敬意の念を抱かせる品の良さが漂っていた。


 その部屋の中心で現国王のヴァレリー・マクファーソンは静かに鎧を解いている。

 建国以来、国境周辺をリーヴェン帝国や魔物に脅かされてきた王国は真の意味での平和を経験したことがなく、それ故に歴代国王は戦時中を示す鎧を着続けていた。


 だが、それも後少しで終わる。

 ヴァレリーは何年ぶりかに笑みがこぼれるのを感じた。


 鎧を脱ぎ捨てた彼女は一糸纏わぬ姿で浴室に向かう。

 その身体は程よく鍛えられており、無駄な部分が一切見当たらない。次の誕生日で四十二歳になるが、全身からあふれ出る精力さと溌剌さも相まって十歳は若く見える。燃えるような赤毛は、鮮やかな紫色の瞳を引き立たせている。


 さっぱりとしたヴァレリーは石鹸の香りをほのかに漂わせながらウォークインクローゼットに向かう。自分でも気付かない内に鼻歌が出ていた。


 ヴァレリーはゆったりとした室内着に着替えると、部屋の真ん中に脱ぎ捨てていた鎧をベッド横に特別に設置したテーブルの上に置いていく。

 最後にずっと左手首に装着していた籠手を外すと、それを鎧の横に置いた。この籠手には最先端技術である蒸気機関が内蔵されており、ボタン一つであらかじめ組み込まれている魔法陣を発動することができたし、空気を一瞬で送り出すことで一時的に剣撃のスピードを上げることができた。


 ヴァレリーはこの蒸気機関がマクファーソン王国の発展の突破口になるとにらんでいる。蒸気機関の仕組みが見つかったのは偶然だったが、それを早くに解明して実用化にこぎつけられたのは建国以来最も重要な研究成果だった。

 そのきっかけを作った刺客には、今となっては感謝せねばなるまいとヴァレリーは思う。恐らくリーヴェン帝国からの差し金であろうその刺客は呪詛をガス状にしたものを死の間際にバラまいたが、近衛兵団団長の機転と勇気によってその影響は微々たるもので済んだ。


 だが、微々たるものとはいえその呪いを体に受けてしまった。


 ヴァレリーは知らず知らずのうちに左手首をさする。そこは皮膚が赤くかぶれており、非常に目立つミミズ腫れができていた。

 この呪いはすぐに王宮所属の魔術師達によって解呪され、治療も行われたが大事を取って籠手で手首を固定する措置が取られた。


 一週間後、籠手を外すとそこにはミミズ腫れができていた。


 責任を感じた団長は私財を投げうってこの蒸気機関式籠手を開発し、せめて呪いを受けた左手が最大の守りになるようにと献上したのだった。


 しかし、この蒸気機関はヴァレリーの目に眩しく映った。今や近衛兵団団長だけでなくヴァレリーのお抱え研究者にして良き理解者でもあるジーナ・ローリーは、蒸気機関を軍事的にも経済的にも活用する方法を考案し、実行に移している。

 ローリーが唱えた重武装抑止論は画期的だった。蒸気機関という様々な可能性に満ちた新技術をふんだんに利用することで、相手に手出しすることをためらわせる程の力を手に入れるというのは、シンプルで分かりやすい。だが、その為には比類なき力を有していることを知らしめるデモンストレーションが必要だった。


 既に、新聞やゴシップといった「表」の面にもスパイという「裏」の面にも飛行船大量造船計画をリークしている。一隻一隻がすさまじい攻撃力を有していることだけは伏せて。

 計画的なリークによって飛行船に対する認識は経済活動の発展にとどまっている。実際、国内の輸送網は革命を遂げることになる。

 だが、飛行船の底部に爆破の魔法陣を付け加え、その部分だけを蒸気機関によるピストンで下方向に打ち出せば、ドラゴンのブレスにも等しい力が手に入る。


 そして、その威力を兼ね備えた数十隻に及ぶ飛行船でリーヴェン帝国との国境沿いを爆撃する。


 このデモンストレーションによってマクファーソン王国が飛躍を遂げる。それがヴァレリーの悲願であり、平和への願いだった。


次回から夏休み編ですが、2,3話程度の小話になります。

その次からはガラリと雰囲気が変わります。

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