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彼女は魔術と紅茶を楽しんで  作者: 賀来文彰
学生編 春のこと
18/323

五 王室に揺らぐ影

 部屋の窓から見える景色は見慣れたもののはずなのに、どこか別世界のような感覚を覚えてしまう。

 紅茶から立ち昇る白い湯気がもわもわと帯を作り、視界をぼんやりとにじませた。


 バンクロフトはその日何度目か分からない溜息をついた。


「随分とお疲れのようで」


 言葉ほどにはねぎらう様子を見せない女性がソファーに腰掛けている。バンクロフトは紅茶をひと啜りすると、向かいの女性を見やる。


「疲れない方がおかしいよ。こんなことになるとは思いもしなかったからね」

「新たに科目を増やす件ね。来年度からでしょう?あまりにも急な話よね」

「ああ」


 項垂れるバンクロフトをそのままに、女性は机の上に置かれた一枚の用紙を改めて見やる。

 そこに書かれていたのは、蒸気機関学を来年度より新設することと、担当教授はこちらで用意していること、そして一週間以内には学生も含めた全ての学院関係者にこのことを通達することの三点で、文末には王室からの勅令であることを示すサインが魔法で刻み込まれている。


「エミリーは何て?」

「それが彼女も知らなかったようでね。国王陛下に確認すると言って王城に帰ったよ」

「全く。行動力だけはあるのね、あの子は」

「まあ、そう言うな。何の相談も報告もなかったんだ。学院の理事長としても実の娘としても許せないものがあるんだろう」

「その気持ちは分からなくもないかな。私もあなたから聞いたばかりだし」


 女性は紅茶を一口飲むと、すらりとした細長い脚を優雅に組んで、頬に手を置いた。その姿は知性的で、整った顔立ちと相まってある種の気品を醸し出している。

 舞踏会にいれば真っ先にダンスを申し込みたいタイプの典型だが、バンクロフトは自身の目の前にいる女性がその真逆であることを経験から学んでいたし、状況を忘れさせるほどの魅力に気付いていても、それに流されないだけの分別も備えていた。


「それにしても一週間以内に知らせろっていうのがちょっとね……」

「ああ。他の二つはまだ納得しようと思えばできなくはないが、これだけは同意しかねる。開示できる情報がほとんどないのに、全くもって意味が分からない」

「何か理由があるんでしょうね。私達には想像もつかないような理由が」


 そう言うと、女性はバンクロフトをじろりと見やる。


「それで?どんなミスをすれば相談役を外される訳?」

「ミスなんてしていないし、これが何らかの懲罰とは思えん。それに君にも何の報告もなかったんだろう?」

「それは私と国王との問題」


 ギロリと向けられた視線にバンクロフトは落ち着かない。普段通りに振る舞っているとはいえ、彼女も今回の件に苛立っているのだ。

 ゴホンとわざとらしく咳払いをするとバンクロフトは話を元に戻した。


「飛行船の大量造船計画を見直すべきだと進言したんだ。そうしたら相談役から外された」

「わーお」


 言葉ほどにはリアクションが薄いのを見て、バンクロフトの脳裏を嫌な予感がよぎった。


「何か知っているのか?ひょっとすると、この件はかなり危ういものなのか?」

「どうでしょう。よくある軍部の暗躍とか急進派の謀略とかだったら話は早いのだけれど。どうも国王の独断みたいなのよね」

「信じられん……。人でも変わられたか」


 自分をしっかりと持ってはいるが、周りの意見にも耳を傾け、内容によっては修正も行う真摯さが現国王の持ち味であるが故に、それとは真逆の振る舞いになっていることを知ったバンクロフトのショックは大きかった。


「ジェニファー。陛下の身の回りで何かあったのか?」

「そんなことがあれば、私以前にあなたが知らないはずないじゃないの。急に変わったとしか言いようがないのよ」

「そんなことが……」


 ジェニファーはしばらくの間、頬杖をつきながら天井の一点をじっと見続けていたが、おもむろに話し始める。


「考えられるのは国王が誰かに洗脳されている可能性」

「おいおい、ジェニファー……。いくら君とはいえ、使う言葉は選ばなければ……」

「言葉を選んだところで疑いが晴れる訳でもない」

「確かにその通りだが……」

「ただ、見た限りでは黒魔術の気配はないのよ。洗脳を受けた訳じゃないと安心してしまうくらいに何もない。だからこそ油断できないわ。もしこれが何らかの陰謀ならかなり危ういよ、この件は」


 ジェニファーはあくまでいつもの調子だが、バンクロフトは背筋に冷たいものが流れるのを感じ取っていた。


 ドラゴンの中でも強大な力と豊富な知識を持つエンシェントドラゴンであるジェニファーですらその気配をつかめない黒魔術の遣い手が、あろうことか国王のすぐそばにいるかもしれない可能性に恐怖を禁じ得なかった。


「私達はどうすべきだろうか?」

「国王の周りに関してできることは何もないでしょうね。動くとしたら飛行船の方から探るしかないわ」


 バンクロフトはしばらく考えると、思い至ったことをジェニファーに話し始める。


「飛行船を大量にとなると、その生産を引き受ける者がメリットを得られるが」

「でも、これは王室直属の計画みたいだから貴族の中で得をする者はいないのよね」

「では飛行船の影響を受ける者は?大量の飛行船ができることによって恩恵を受ける者を考えてみよう」

「それなら国境沿いに領地を持つ貴族が一番でしょうね。ただ、軍事的優位性はあまり無いと思う。蒸気機関の力でどれほど速く動けたとしても、敵からすれば大きな的だから。

 それに、飛行船を操縦できる人がほとんどいないことを考えると非現実的としか言いようがないわ」

「蒸気機関学を新設することにも何か意味があるのだろうか?」

「新たに発見されたものを研究し、普及していく。それくらいしか思いつかないけど、それだったら他の科目が設立された背景と変わらないわね」

「飛行船を大量に飛ばして、蒸気機関を学ばせる……。敵の狙いは一体何なんだ?」


 ジェニファーは肩をすくめるだけだった。バンクロフト自身、この二つから何かを探し出すことの難しさを実感していた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「ああ、もう……!」


 使用人達が掃除の際に細心の注意を払うマホガニーのテーブルにためらうことなく握りこぶしを打ち付ける。鈍い音が辺りに響き渡った。

 だが、近衛兵は無表情のまま扉の前から一歩も動かなかった。


「どうしてこんな扱いを受けないといけないのよ!」


 エミリー・マクファーソン第三王女は苛立ちを隠せなかった。国王という多忙な立場とはいえ、どうして自分の母親に家族が会えないのだろうか。

 王城に到着したエミリーはすぐに国王との面会を要求したが、伝令が伝えてきたのは先に食事と入浴を済ませておくようにという、あまりにも短い内容だけだった。


 じんわりと右手がうずき始める。思わずさすりそうになるが、近衛兵が見ている前でそれをするのはプライドが許さなかった。

 代わりにエミリーは扉の方へずんずんと歩いて行き、扉の前で立ちふさがっている近衛兵ににらみを利かせた。


「お手洗いに行きます。道を開けなさい」

「お供します」

「ちょっと。無礼にも程があります。控えなさい」

「国王陛下からのご命令ですので」


 その言葉にエミリーは戦慄する。


 確かにその近衛兵は女性だった。だからといって、もう子供でもないのに手洗いまで誰かが付いて来るのは恥ずかしいことこの上ない。

 それ以上に、自分の親がそんな命令を近衛兵に下していることが信じられなかった。これでは過保護という名の権力の濫用ではないか。


 部屋を出る為だけの口実だったが、それがもたらした結果はエミリーの心を散々に打ちのめしていた。


 いつから変わってしまったのだろうか。洗面台で手を洗いながらエミリーはただ嘆くばかりだった。

 その後ろで近衛兵が相変わらず無表情でエミリーを見つめていた。


 また部屋に戻ったエミリーは結局三十分程そこでずっと待たされていた。ようやく国王が会うとなった時にはエミリーの気持ちも折れかけている。

 別の近衛兵を引き連れてエミリーの自室にやって来た国王はどこか冷たい目をしているように見えた。


「待たせましたね、エミリー」

「お母様……」

「それで、どういうお話かしら?あまり時間がないのです」


 国王は椅子に腰掛けることもせず、扉のそばにいたままだ。本当に時間がないのか、そもそも話を真剣に聞くつもりがないのかのどちらかだが、今のエミリーには母親を信じる余裕は持てなかった。

 単刀直入に話を切り出す。


「学院の件です。蒸気機関学を新設するおつもりですか」

「つもりではなく、これは決定事項です」

「それならそれで、わたくしやリチャードに一言頂ければ宜しいではありませんか」

「一言伝えたら賛同しましたか?」

「反対する理由がありませんわ。ただ、来年度からというのは性急だとは思いますけれども」


 国王は鼻で笑うとエミリーを見据える。


「ほらね。思った通りでした。こうなると分かっていたからあなたにもリチャードにも伝えなかったの」

「そんな……。お母様もお分かりのはずよ。もうすぐ学期末テストの時期ですけど、それが終わったら夏休みです。夏休みが明けたらもう新学期なのですよ。実質半年もありませんわ」

「だから担当教授はこちらで用意すると言ったでしょう?全ては滞りなく進めています。あなたは何も気にせず、ただ勅令通りに物事を進めていけば良いのです」


 国王は一歩前に出ると、エミリーに冷たく言い放った。


「そもそも自分は今まで何も相談や報告などしてこなかったのに、人には一言欲しいだのと都合が良すぎるのです。そのような振る舞いをして恥ずかしくないのですか」


 驚きのあまり言葉が出ないエミリーに鋭い視線を向けると、国王は部屋を出ていった。その流れに続いて、今まで部屋にいた近衛兵も退出する。

 残されたエミリーは呆然とする他なかった。母親の変わり様だけでなく、最後の言葉が本心から出てきたものである事実に打ちのめされていた。


 確かに、自分に関することはなるべく自分で決めてきた。ただ、それは第三王女という政治的に微妙な立場にいたからで、決して私利私欲で動いたことはなかった。

 それだけに王室のこと、ひいては国のことを思って今まで動いてきたのに、国王かつ自身の母の目にはそう見えていなかったのが悲しかった。


 深いため息と共にエミリーは床にへたり込んでしまう。高価なドレスが想定外の動きによって醜い折り目を付けていく。だが、そんなことはどうでもよかった。


 どれくらいの時間、そのように過ごしていたのか。

 ふと視界の隅に何かがあることに気付き、エミリーは顔を上げる。小さく折り畳まれた手紙が床の上に落ちていた。

 ここ数日手紙は書いていなかったので、少し気になったエミリーは立ち上がると、その手紙を拾い上げる。


 紙質は自分が使っているものではなかった。恐らく街で買えるものだと思い至ったエミリーは、この手紙が自分に向けられたものだと確信する。いくら折り畳まれているとはいえ、落ちていれば部屋に入った時に気付く。

 手紙を開くと、果たして予想通り自分に向けられたものだった。



  このような無礼をお許しください。

  ですがエミリー様にしかお伝えできないので慣れないなりにこの手紙を書いています。

  陛下が変わられた原因は我ら近衛兵団にあります。団長をお調べください。

  どうかお聞き届け頂けますように。



 エミリーはとっさに、さっきまで自分を見張っていた近衛兵の顔を思い出そうとするが、王立バンクロフト学院の理事長として王城と学院を行ったり来たりするだけの生活の中では近衛兵一人ひとりの顔を覚えるのは困難だった。

 だが、手紙の中に出てきた人物なら。


 エミリーはその手紙を大切に折り畳み直すと、ベッドの枕の下に差し込む。このままベッドに入ってしまえば誰も手出しできない。そしてこの手紙を明日学院に持っていき、リチャードやジェニファーに相談しよう。


 一つの決意を胸に抱いた王女は、そのまま眠ることなく緊張に満ちた朝を迎えたのだった。


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