二 エリカの発案
夏の日差しが照りつけている。
木陰で涼をとっていたエリカは腰に付けていた水筒からアイスティーを一気に飲み干すと、またベチャリと横になった。
「エリカ。そろそろどうだい?」
少し離れたところからよく通る声が響き渡るが、エリカはタヌキ寝入りを決め込んだ。
「ほら、そんな風にごまかしたって、今さっき紅茶を飲んでいたのを見ていたよ?」
しかし声の主は軽快な足取りで彼女の元に近付いて来ると、隣に立って見下ろす。
「ああ。ちょうどいいわ。あなたのおかげで日差しが和らいだ」
「そういうことなら」
そう聞こえるや否や明るい光が自分の顔に降り注いでくる。これにはエリカも身体を起こすしかなかった。
「ひどいわ。せっかく涼んでいたのに」
「気持ちは分かるけど、たまには身体を動かさないと。学生の頃の方がもっと動けていただろうに」
「ああ、デイヴィッド。あなたはたまには身体を休めないといけないわ。毎朝稽古だなんて考えられない」
全く、フードを目深にかぶっているというのにどうしてそこまで元気なのだろう。
そんなことを思いつつもエリカはデイヴィッドの分の紅茶を用意する。コップに注がれる琥珀色の液体から湯気は立ち昇らないが、運動終わりの身体にはちょうど良い。
デイヴィッドはコップを口元へ運ぶ。
「ずっと身体を動かしてきたからね。習慣が乱れると居心地が悪くなるんだ」
「分かったわ。でも無理はしないで。私も無理はしないから」
「上手く切り抜けようとしていないかい?」
「これ以上の運動は断固拒否するわ。それでも誘うのならあなただけ王都に帰ってもらいます」
エリカの言葉にデイヴィッドは大きく頷くと、彼女の隣に腰を下ろした。ここにはエリカ一人だけで来るつもりだったが、事情を説明するや否や同行すると言ってきかなかったのだ。
その時の様子を思い出すと自然と頬の辺りが緩くなる。
「まあ、そういうことならのんびりと過ごしてみるか」
「その意気よ。デイヴィッド」
二人は大樹に背を預けてまったりと過ごす。時折吹き抜ける風は生暖かいが、じっとりと汗ばむ肌にはちょうど良い。
このまま今日はのんびりと過ごすのもたまには悪くないと、うつらうつらし始めたエリカにまた影が差した。
「……あの、スタンフォード卿。お休みのところ申し訳ございませんが、冒険者達の注目が集まっておりまして……」
「ああ、これは失礼しました。ついまったりとしてしまいました」
慌てて身を起こしながらエリカは、困った様子で顔を寄せているジェシカに頭を下げる。
「では、そろそろ伺いましょうか。……ここからは打ち合わせ通りにね?グレゴリー」
「ああ。エリ……オードリー」
二人は立ち上がるとフードが顔を隠しているのをお互いに確認し、ジェシカの後ろに続いて冒険者ギルドへ向かう。
城塞のようなギルドはかつての堅牢で荘厳な姿を取り戻していた。しかし、裏手にある共同墓地の規模が広がっていたことをエリカは事前に目の当たりにしていた。
あの時の傷はまだ癒えていない。
ギルドに入ると、小柄なエルフの少女が受付カウンターの奥から手を振ってきた。
「副ギルドマスター!」
「サラ。ジェイをここに。それと、作法を疎かにしないように」
「あ、はい!気を付けます!」
サラと呼ばれた女性はまだ年端もいかないのだろう。駆け足でギルドの奥へと向かうが、その足取りはどこか不安げだ。
エリカの視線に気付いたのか、ジェシカが小声で話す。
「サラを初めとする孤児達に事務作業を任せています。人手不足ですから」
ジェシカの声はどこか暗い。孤児達の将来の就労支援につながるが、それでもここは冒険者ギルド。どれだけ危険のない仕事といっても、血生臭いことと無縁という訳にもいかないのだろう。
「遅くなって済まない」
振り返ると輝くような金髪の男性がこちらに向かって歩いてくるところだった。
「ジェイ。二人を紹介するわ。グレゴリーとオードリーよ。二人とも東部出身で、剣士と魔術師よ」
「ああ、君達がジェシカの知り合いか。俺はジェイ。『銀色の天秤』のリーダーをやっている」
そう言いながら手を差し出してきたが、彼の瞳はキラキラと輝いている。それを見たジェシカは何とも言えない表情を浮かべていた。
デイヴィッドと共に握手をしつつ、エリカは早くも自分の案が上手くいくか不安になっていた。
先日のジェシカの相談に対してエリカが提案したのは自分自身のギルドへの派遣だった。
これにはジェシカも難色を示していたが、出向くのは毎日のことではないし、エリカとしても今いる冒険者達の質を上げることくらいなら力添えできるという自負があった。
冒険者は身分に関係無く誰でも就くことができる。それ故にランクはF~Sまであるが平民だとEランクが基本で、Dランク以上になると尊敬される程に昇格することは難しい。
その中で貴族の子供はCランク相当の実力を付けることを目指して努力を続けなければならないので、単純な実力だけで見るならエリカもデイヴィッドもこのギルドでは上位の存在に位置付けられる。
加えて二人とも戦場での命のやり取りを経験しているし、エリカに至ってはその年齢には似つかわしくない程の従軍経歴を持ち合わせている。その経験を基に冒険者達の指導を行うのは難しいことではなかった。
しかしジェシカの懸念はそれだけではなかった。年配の冒険者の中には貴族に対して生理的嫌悪感を抱いている者も未だに多い。それは冒険者ギルドが設立されるきっかけとなったスタンピードにあるのだが、それだけに自分の身は自分達で守るという思いを持つ者も少なからずいる。
その為にエリカ達は素性を隠していた。夏の熱気の中で全身をすっぽりと覆うローブに身を包んでいるのはその為である。
「グレゴリー。剣士だ」
「オードリー。魔術師をやってる」
二人はジェイに合わせるように少しだけ声を大きくしている。周りにいる冒険者達へのそれとないアピールを兼ねているからだ。
「今、ここは人手が足りない。君達の力を頼りにさせてもらうよ」
そう言うとジェイはギルドの奥へと引き返していく。他のパーティーメンバーに二人の到着を報せに行ったのだろう。
このエリカの案を知っているのはジェシカと『銀色の天秤』、そしてギルドマスターだけである。
彼らと共にギルドを真の意味で復興するのだ。
エリカは共同墓地に手向けられている新しい花束の数々を思い返した。
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