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彼女は魔術と紅茶を楽しんで  作者: 賀来文彰
学生編 春のこと
16/323

三 飛行船大量造船計画

 それからは穏やかな時が流れていく。

 カーティスの給仕によって見事な茶会が繰り広げられ、紅茶のポットを新しいものに替える頃にはアルフレッドの顔色もかなり良くなっている。


 場の空気を見てエリカは伯爵夫人に話し掛ける。


「伯爵夫人。先程こちらにいらした際の雲は何でしたの?」

「ああ、あれはコウモリ達とシェリルを守る為のものよ。空に上がると日差しが強まるから気を付けてあげないとね」


 この世界の吸血鬼は日を浴びても致命傷にはならないが、コウモリが夜行性なのは変わらないらしい。

 ただ、吸血鬼とはいえ日差しに対する不快感はあるらしいので、夜に活動することが多くなるのも自然なことだった。


 伯爵夫人がサンドウィッチを一つ手に取り、慎み深く一口かじった。


「あら、とても美味しい組み合わせね!」

「お口に合いまして何よりです。実は娘のアイディアでして」


 アルフレッドが少し自慢げに伝える。子を思う親だからか、目尻が下がっている。


「こんな組み合わせは中々思いつかないものよ。チーズとハムなんて!」


 この世界のサンドウィッチはとてもシンプルで、挟む具は一つだけだった。学院の食堂ではハムとキュウリのサンドウィッチが出されるが、これはキュウリが高級野菜ということもあって、かさましの意味が強い。

 だからか、こういった「遊び心」はまだこの世界のサンドウィッチには定着していなかった。


「アルフレッドさん。何でしたら陛下に進言しては?」

「滅相もない!」


 慌てるアルフレッドの様子に伯爵夫人がくっくっと笑う。アステリアも自然と笑みがこぼれていた。


 エリカはシェリルにもサンドウィッチを進める。


「シェリルもどうぞ。美味しいよ」

「ありがとう」


 一口食べたシェリルは幸せそうだった。

 その様子を見ていると、エリカは妹の面倒を見ている気分になる。エルフとはいえ幼さが面影に残っているからそう思うのだ。


 エリカが一人でニマニマしていると、アステリアが今朝の朝刊の話題を持ち出した。


「そういえば伯爵夫人。飛行船が大量に造船されているというのは本当なんでしょうか?」

「うーん。どうなのかしらね……。蒸気機関も出来たばかりだし、魔法陣頼みのところもあるから難しいとは思うんだけど……」

「では、やはりゴシップなのですね」

「まあ……。ただ、この件はどこかの貴族が任されている訳ではないみたいだからね」


 それを聞いたアステリアのみならずアルフレッドも一瞬動きを止める。貴族が絡んでいないということは王室が直々に動いていることを意味するからだ。そして王室のみで動く場合は軍事面に関することが多かった。

 確かに飛行船が大量にあれば、軍事面でかなり優位に立てる。宿敵のリーヴェン帝国に対する牽制にもなるし、魔物の地となっている南西部からの襲撃にも迅速に対応することができる。


 だが、前世の知識のあるエリカからすると攻撃手段は何になるのかという疑問が残る。この世界には銃器が存在しない。機関砲や大砲、爆弾などを搭載することがない、ただの空を飛ぶ船に何の意味があるのだろうか。

 もしかすると軍属の魔術師達や弓兵が乗り込んで、砲台の代わりを果たすのかも知れない。だが、一隻ならいざ知らず、大量に造船された飛行船に乗り込めるだけの兵士は果たしているのだろうか。


 エリカが頭の中で飛行船に思いを巡らせていると、伯爵夫人が思い出したように手を叩く。そしてエリカ達を見回す。


「そういえば、皆さん。私のことをずっと伯爵夫人って言うけれど、もう名前で呼んでくださいな。何だか寂しくなっちゃうから」


 王室絡みの話をあまりできないとはいえ、この話題転換も中々にハードルが高かった。徐々に距離を縮めていく方法を考えていたアルフレッドは特にそう思う。

 だが、突破口を開くのはいつもエリカだった。


「ではお言葉に甘えさせて頂きます。ルーシーさん」


 その時の伯爵夫人の表情をエリカは忘れることができなかった。彼女は本当に嬉しそうに頬を赤らめて、もじもじとしていた。その様子を見たアルフレッドとアステリアはつかの間、相手が自分達より目上の存在であることも忘れて、まじまじと彼女を見つめてしまっていた。

 彼女がいつ吸血鬼になったのかは分からない。ただ、吸血鬼になった時の純朴で年若い女性がそこには確かにいた。


 すっかり上機嫌になった伯爵夫人はまだここで時間を過ごしていたかったようだが、娘となったシェリルからさすがにやんわりと指摘されて、しぶしぶ帰る準備をし始めた。


「また、いつでもお越しください」

「あなた達こそ遠慮せずにいらしてくださいな。本当に楽しかったわ。ありがとう」


 そう言うと伯爵夫人はシェリルをそばに引き寄せ、来た時と同じく黒い雲と共に帰っていった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 クーデターから逃れた初代国王がこの地に城を建てた時、それは城というよりも少し大きいだけの砦に過ぎなかった。だが、初代国王が幼い頃から慕っていた一頭のドラゴンがその現状に胸を痛め、その力を貸してからというもの、三ヶ月後には難攻不落と名高い堅城がそびえ立っていた。


 その城の中でも特に警備が厳重なのは王族が住まう区域である。ここには側近といえども簡単に立ち入ることはできない。

 だが、それは現国王になってからのことだった。


 いつからこれだけ警戒心が強くなってしまったのだろうか。王立バンクロフト学院の学院長にして公爵でもあるリチャード・バンクロフトは心の中で嘆きながらも近衛兵の案内で長い渡り廊下を歩いて行く。

 目的地である執務室では、現国王が物憂げに佇みつつ窓の外を眺めていた。


「国王陛下。リチャード・バンクロフト、ただいま参りました」

「うむ。ご苦労」


 そう言いながらも国王は窓の外を見たままなので、バンクロフトはそのまま扉のそばで立っていた。

 国王はふんと鼻を鳴らすと、右手をさっと振った。


「いつまで立っているつもりだ?早く掛けろ」

「はっ」


 とは言うもののバンクロフトは椅子に座らなかった。国王が先に座るまではそのままでいるつもりだった。それを察したのか、少し侮るような声で国王が話し始める。


「飛行船の件だと聞いているが?」

「左様でございます。その件に関し、進言したきことがございます」

「ほう。学院にも一隻欲しいか?」


 初めて国王がバンクロフトの方へ向き直る。その顔は笑っていた。


「いえ、そういう訳では……」

「よい。遠慮するな。他ならぬバンクロフトの頼みだ、特別に仕立ててやろう」


 あっはっはっはと高笑いする国王にバンクロフトは勇気を振り絞って一歩前に出る。


「国王陛下。私が参りましたのは、陛下に飛行船の量産計画を見直して頂きたく思いましたが故です」

「ふん。それは進言とは言わん。諫言だ」


 不満そうなその表情に慌てて頭を下げるも、バンクロフトは後に引かなかった。


「恐れながら陛下。その計画に見合うだけの魔法陣を用意するのは容易なことではありません。蒸気機関なるものもようやく実用化にこぎつけたところです。また、以前のデーモンスパイダーの件に関する復興もまだ時間がかかっております。

 今、急いで量産するのは得策とは言えません。どうかお考え直しを」


 国王は溜息をつくと、バンクロフトの元へ歩み寄る。頭を下げたままのバンクロフトの右肩に優しく手を置くと、ねぎらうようにそっと叩いた。


「分かった。相談役としてずっと余を支えてくれたそなたからのことだ、この計画はしっかりと検討し直そう」

「感謝いたします」


 国王は置いた手をそのままに、ぽんぽんと楽しそうに叩き始める。その感触が懐かしく、バンクロフトは知らず知らずのうちに両目の方へ暖かいものが込み上げてくるのを感じ取っていた。


 まだ子供の頃、二人はイタズラ好きとして悪名を馳せていた。まだ責任者の監督なしに魔法を使ってはいけない時に、こっそりと泥からゴーレムを作り上げて、それらに泥玉の投げ合いをさせていたのが見つかり、当時の国王に二人ともこってりとしぼられたのは良い思い出だ。

 その時の国王が戻ってきたと思い、バンクロフトはホッとした。警戒心が強まったのは、長年の宿敵であるリーヴェン帝国の動向がきな臭くなってきているからなのかもしれない。それに災害級の魔物と呼ばれるデーモンスパイダーの侵攻があったのも原因の一つだろう。


 もっと自分が国王を支えなければと決意を新たにしていると、国王が肩を叩きながら話し始めた。


「ところでバンクロフトよ。最近、疲れているのではないか?長年にわたって余の相談役を務めるだけでなく、後進の育成にも学院の長としてよく貢献してくれている。加えて公爵の責務だ。中々に大変であろう?」

「いえ、決してそのようなことは……。自身に与えられた役目に邁進できるのが嬉しく存じます」

「そうか。それは余としても嬉しいぞ。だが、その忠誠心に甘えすぎてしまっているのは余の責任だ」


 おや、とバンクロフトは思う。急に何を言い始めるのだろうか。


「余としては、そなたを長年の重責から解放してやらねばと思っている。他の貴族よりもはるかに多くの責任を背負っている今の状況は余としても心苦しいことだし、そなたの疲れも目立ってきている。

 デーモンスパイダーの危機も無事に去ったことだし、もうそろそろ自分自身を大切にしても良いのではないか?」


 途端にバンクロフトの背中を冷たいものが流れ落ちる。


「恐れながら陛下……。それは隠居せよということでしょうか?」

「何を言うか。冗談でもそのようなことは申すな」


 ぴしゃりと言い放つ国王のそのハリのある声に思わず背筋が伸びそうになる。それを感じ取ったのか、国王は疲れをいたわるように肩から背中に向かって優しくなで始める。


「だが、役目の一つからは解放されても良いのではないかと考えておる。そなたには長年苦労をかけ続けているからな」

「いえ、滅相もございません!私は……」

「まあ、そう慌てずとも良い。公爵としても学院長としても、そなたはこの国に必要な宝だ。だが、相談役としての役目はもう充分に果たしてくれた。

 苦労をかけ続けたが、これからはしっかりと余がそなたのみらず国民達を、ひいてはこの国をしっかりと率いていくので安心して欲しい」

「お待ちください……!」


 いよいよ我慢できなくなって顔を上げたバンクロフトが見たのは、国王の冷たい視線だった。


「相談役としての役目、ご苦労であった。これからも励め」


 そう言うと国王は一切の興味をなくしたかのように振り返ると、窓の方へと近付いていった。そして背を向けたまま、下がれと言わんばかりに追い払うようなしぐさをしていた。


 反論を飲み込んでバンクロフトは執務室を後にする。行きとは別の近衛兵の先導を受けながら、バンクロフトは自身の顔色がみるみる青ざめていくことに気付いていた。そして、かつての旧友の変貌ぶりに驚きを隠せないでいた。

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