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七 ブラッドフォード家の事情

 戦死した父の跡を継いだばかりのメリッサは貴族社会の残酷な現実に直面した。

 名門貴族の令嬢として育てられてきたので、ある程度の理解はあったはずだった。しかし知識として把握していることと実際に体感することには大きな開きがあった。


 東部貴族のトップの椅子に座ることだけを目論む連中は、あの手この手でまだ年若かったメリッサを懐柔しようと画策した。だが、それが効果を発揮しないと見るや強引な貸し付けや嫌がらせといった行為でメリッサを屈服させようとした。


 名門貴族の誇りにかけてそれらを打ち払ってきたメリッサだが、芯を貫き通す強情さはあっても、下心を見せる相手を手玉に取るしたたかさは持ち合わせていなかった。

 そして、いつまで経ってもなびかないメリッサに業を煮やしたハイエナ達が別の金脈やポストに目を向けていることに気付かないまま、彼女は孤立を深めていった。


 それに気付いた時には彼女の周りに頼れる貴族はいなかった。ありとあらゆる問題をメリッサは独りで抱え込むしかなかった。

 その人間不信は貴族だけでなく、いつしか自身の周りの存在にも向けられていく。


「当家もあの女に裏切られた家の一つです」


 エリカが差し出した白湯で両手を温めながらエイミーが呟くように言う。彼女の向かい側ではエリカが木にもたれかかりながら、ブラッドフォード家の顛末とエイミーの家族の話を聞いていた。


「兄は心優しい代官でした。あの女の失策で領民が苦しむ中でも、何とか食料の都合を付けて配給したり私財を投げうって施しを行っていたりしていました」

「お兄様は素晴らしい方だったのね」

「はい。ここにいる皆も元は浮浪児でしたが、兄が引き取って養っておりました。仕事に忙しい兄に代わり、私の面倒を見てくれたのが彼らなんです」


 そう言うとエイミーは寂し気に後ろを振り向いた。

 全員で十数人いる彼らは皆、その顔つきに幼さが残っている。それを言うならばエリカも似たようなものかもしれないが、彼らには年相応の溌剌さがなく、一様に思い詰めたような様子が皺や指先の荒れ方に刻み込まれていた。


「あなたにとって兄弟のような存在なのね」

「はい」


 エイミーはしばし俯くと、怒りに満ちた目をエリカに向けた。


「それなのにあの女は!兄が物資などを横流ししていると疑ったのです!

 兄は必死に説得しました。領民を守ることこそがブラッドフォード家を守ることにつながると。でもあの女は聞く耳を持たなかった。それどころか兄が領民を懐柔して反旗を翻そうとしていると決めつけたのです」


 エリカは僅かに天を仰ぐ。人間不信のせいでメリッサは素晴らしい人材を手放してしまった。しかし彼女の不運な境遇を思えば百パーセント悪いと決めつけるのは気が引けた。


「皆、兄を止めようとしているだけなんです。ですから縄を解いてもらえませんか?」


 エイミーが懇願するがエリカは首を縦に振らなかった。

 今、彼らは縄を打たれている。これはひとえにエイミーの話が真実であるかどうかの確証が得られない為であるが、それ以上にメリッサへのパフォーマンスも兼ねていた。


「悪いけどそれはできないわ。あなたの話が噓じゃないと分からない限りね」

「そんな……。どうすれば信じてもらえるんですか?」

「火矢が放たれた場所の近くにあなた達がいたのよ?それをどう説明するの?」

「それは……盗賊団を追いかけている最中だったので彼らが……」

「それで、あなた達が捕えた盗賊達はどこに?見たところ、あなた達しかいないようだけど」


 エイミーは押し黙ってしまう。そんな彼女を見てエリカはやるせない気持ちになる。


 兄を止めようとする気持ちは噓偽りのないものだろう。だが、家族同然に育ってきた彼女達は心を鬼にすることができなかったのだ。フレデリックが率いている盗賊団の大半はかつての仲間に違いない。


 しかし、それではメリッサの目から逃れることはできない。エイミー達がどういった思いを持っていたとしても自警団の真似事をする以上は、その役割を徹底しなければならない。

 それができなければ、過去の因縁など関係なく盗賊団の一味であるとされても文句は言えない。


「何だよ。結局はあんたもあの女と同じなんだろ?」


 声を上げたのは先程からエイミーを制止していた青年だった。ひざまずいた状態でも精一杯前のめりになってエリカを睨みつける。


「やめなよ、スティーヴ。この人が言うことは間違ってない。兄さん達を止め切れなかった私が悪いんだ」

「そんなこと」

「そんなことないって言いたいのなら、行動で証明してみなさい」


 今までとは違う冷たい声でエリカが言う。それには擦れた態度を取っていたスティーヴもたじろいだ。


「向こうに盗賊が集められているわ。フレデリックを止めたいって言うなら彼の居所をあなたが白状させなさい」


 そう言うとエリカは風魔法で乱暴にスティーヴを前へ押し倒した。


「ほら。さっさと立ち上がりなさい。それとも悪態をつくことしかできないの?」

「ふざけんな!」


 スティーヴは上半身に縄を巻かれた状態にもかかわらず、気合いで立ち上がった。だが、その程度で勝ち誇った顔をされても困る。これからメリッサを「説得」し、彼ら自身の手で信用を勝ち取らねばならないのだから。


 キャサリンにエイミー達を任せたエリカはスティーヴを引き連れてメリッサがいる方へと向かう。そこでは捕らえられた盗賊達が簀巻きのように転がされたままになっていた。


「ブラッドフォード卿」

「スタンフォード卿」


 先程のやり取り以降、メリッサはどこか素っ気ない。エリカはそれに気付かない振りをしつつスティーヴを盗賊達の前に突き出した。


「聞けばこの者達は盗賊団の仲間ではないと言います。それならば他の仲間の居場所を吐かせられるかと思いまして連れてきました」


 そう言うとエリカはスティーヴの縄を解く。そして短刀を足元に放り投げた。


「何をしているのです!?」

「落ち着いてください、ブラッドフォード卿。盗賊の仲間でないと言い張るなら拷問にかけてでも居場所を吐かせられるはずです」

「信用ならないわ!」

「刃を向けたとて剣で斬り捨てれば良いだけのことです」


 すっかり動転しているメリッサを尻目にエリカはスティーヴを見やる。そして顎を振って盗賊達の方へと示した。


「……」


 スティーヴは震える目でエリカを見返し、盗賊達を見た。そして足元の短剣に目を向ける。すっかり縮こまってしまうスティーヴの近くで、エリカはまるでハエを振り払うかのような自然な動作で剣をすらりと抜いた。


「ま、待ってくれ!話す、話すよ!」


 盗賊の一人が恐怖に怯えて口を割ろうとする。その瞬間、スティーヴがホッとした表情を浮かべたのを見てエリカはその盗賊に向かって水魔法を放った。

 瞬時に大きな水球に頭を包まれたその盗賊は苦しそうに喉元を掻きむしる。


「やめろよ!」

「黙りなさい、スティーヴ。あなた達が無実を訴えるなら自分達の手でそれを証明しなさい」


 水球を解除したエリカだが、その気迫に誰も口を開くことができない。そんな中でもエリカを睨みつけていたスティーヴだったが、やがて短刀を手に取ると盗賊達の方へとゆっくり近付いていく。


 その苦痛に満ちた表情にエリカの心は引き裂かれそうな思いだったが、それを必死で隠し続けて機を窺う。


「……」


 スティーヴは盗賊達の顔を一人ひとりジッと見つめていく。きっとどの顔も見知ったものなのだろう。しかし盗賊達は恨みがましそうにスティーヴを見返すだけだった。


「教えてくれ。フレデリック兄さんはどこにいる?」

「誰が答えるかよ。この裏切り者が」


 先程とは別の盗賊が忌々し気に言うと、スティーヴの足元に唾を吐いた。それでも彼は悲し気に盗賊達を見つめるばかりだった。


 だが、やがて短刀をグッと握り締めると、スティーヴは大きく振りかぶる。その瞬間を見逃さなかったエリカは後ろからスティーヴのその腕を掴んで引き留めた。


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