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彼女は魔術と紅茶を楽しんで  作者: 賀来文彰
スタンフォード領
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四 王都でのひと悶着

 エリカのサボり、もといリフレッシュ計画は弾丸日帰り旅行、仕事付きという結果に終わった。


 キャサリンとニコルからベルニッシュの状況について報告を受け、指示を出すだけで一日の大半を費やした。

 ここまで来たら巡察にも出てやるという開き直りもあったが、帰りの飛行船の時間に間に合わなくなると二人だけでなく同行していたメイドからも言われては、さすがのエリカも引き下がる他なかった。


 結局、エリカがベルニッシュでできたのは美味しいご飯を食べ、海岸通りまで散策に出るだけだった。

 勿論、仕事もするつもりでいたが、それはあくまで一領民の視点からベルニッシュの状況を見るというものである。だが、執事のカーティスの見事な根回しによってそれは果たされなかった。


 そんな訳でエリカは機嫌が悪い。屋敷に着いた彼女は出迎えたカーティスを一睨みすると、そのままさっさと私室に飛び込んだ。


「エリカ様。お疲れのところ申し訳ございませんが、お耳に入れておかねばならないことがございます」


 扉をノックしても返事がないので、カーティスは仕方なく扉の向こう側からエリカにそう話しかける。

 程なくして開けられた扉の奥から、エリカがジト目でカーティスを見やる。


「何かしら?」


 その何とも言えないプレッシャーに若干たじろぎつつもカーティスはしっかりと伝える。


「明日の午後、コーンウェル伯爵夫人がRCISのスペンサー本部長と共にお見えになります」

「げっ」


 エリカは思わず呻き声を出す。この二人が連れ立って来るだけで用件は聞かなくても想像できる。

 それでも一応エリカは尋ねてみる。


「ご用件は?」

「昨今の治安情勢に対する深い懸念についてとのことです」


 エリカは項垂れた。予想通りだからといって喜べる類のものではないし、目論見が外れてへとへとになっている状態で聞くことでもなかった。

 早くも憂鬱な気分が彼女を襲い、それは伯爵夫人とゾーイがエリカの元を訪ねてきた際にまで続いていた。


 エリカは努めて普段通りを装うが、伯爵夫人はすぐにそれを見抜いた。


「ふふ。余り嬉しくなさそうな顔」

「いえ、決してそのようなことはございません。ただ、何分ベルニッシュの視察から戻ったばかりですので、その疲れが出てしまっているのやも知れません」


 二人のやり取りを聞きながらゾーイは舌を巻く。いくら親睦を深めているとはいえ、エリカの言い回しは自分より爵位が上の人物に対して用いられるべきものではない。まして、伯爵夫人は建国の英雄でもあるのだ。普通であればこのような余りにも気安いやり取りは恐れ多くてできないはずである。


 しかし、伯爵夫人は苦笑を浮かべるだけでエリカの非礼を咎めなかった。それだけでなく社交儀礼である世間話をすっ飛ばしていく。


「それなら早く本題に移った方が良さそうね。

 エリカさん。単刀直入に言います。RCISの警護を受けなさい」

「是非受けたく思いますわ」

「え?」


 伯爵夫人とゾーイはキョトンとする。その反応を見ていたいエリカだったが、変に期待させても申し訳ないのですぐに言葉を続ける。


「ただ、先日お伝えしたように警護対象はわたくしの周りの人達としてください。それが叶わぬのであれば警護は不要です」

「閣下。お気持ちは分かりますが、我々としても今ここにある危険を前に手を打たない訳にはいかないのです」


 ゾーイがエリカをまっすぐと見つめる。そこに伯爵夫人からの援護射撃が入る。


「エリカさん。余りゾーイを困らせないで頂戴な。あなたも分かっているでしょう?RCISに余裕がないことを」

「大切な人をみすみす犠牲にしてまで生き残りたくありません」


 エリカの返答に伯爵夫人は押し黙る。その様子から彼女の繊細な琴線に触れてしまったのだと瞬時に理解するが、そこで引き下がる程話は単純ではない。


 そもそもジェファーソンが本気で自分を狙っているならば、RCISの警護を受けたとしても意味がないだろう。それ程までに錬金術は謎が多く、対策も容易ではない。

 その懸念をエリカは遠慮なく伝える。


「第一、あなた方の警護を受けたとして何の意味があると言うのです?ジェファーソンは自らの死を偽装するだけでなく、囚われていた帝国の将軍を助け出しています。それらにあなた方はどう対処されたのでしょう」

「エリカさん。過ぎたる言葉は慎むべきよ」


 伯爵夫人がたしなめる。その表情は決して穏やかなものではなく、それをエリカは以前に目にしている。その時は彼女に疑いの目を向けられていたが、その本題に踏み込む前のジャブのような言い合いの際に見た表情に近付いている。


「別にRCISの皆さんを非難するつもりはありません。ただ、それが真実なのです。ジェファーソンがその気になればあなた方だけでなく誰にも打つ手はない以上、わたくしだけに構わないで欲しいのです」

「ご懸念は受け止めます。ただ、そこまで仰るのであればどうして周りの方々の警護を頼まれるのです?意味がないとお考えなのでしょう?」


 ゾーイは剣呑な表情を浮かべている。公然と自分達は無力だと指摘されたようなものである。腹に据えかねていても不思議ではなかった。


「先程もお話しましたが、大切な人を差し置いて自分だけ生き残りたくないのです。例えそれがどれだけ無駄なあがきだとしてもせめて何かをやっておきたい。何もせずに後悔するような目にはもう遭いたくないのです」


 重々しい沈黙が三人を包み込む。エリカの過去を知る伯爵夫人はその言葉の意味がよく理解できたが、ゾーイはその経緯を知らないが故に憮然とした表情を浮かべている。


「分かりました。そこまで仰るのであればもう何も言いません」


 ゾーイは席を立とうとするが、エリカは静かな声で呼び止める。


「スペンサー本部長。最後に一つお聞きします。もしRCISに人手があれば、わたくしの提案を受け入れてくださいましたか?」

「……失礼します」


 その問いにゾーイは答えなかった。いや、答えることができなかった。

 頑固で強情な年下の貴族に苛立ちを覚えつつも、言葉を返せなかった自分に嫌悪感を覚えながらゾーイは去っていく。


 部屋に残ったのは伯爵夫人とエリカだけだった。

 伯爵夫人はしばらくの間静かに紅茶を味わっていたが、やがてティーカップをソーサーに置くと困り笑いを浮かべる。


「全く、あなたはどうして喧嘩腰になっちゃうのかしら」


 エリカは身を縮こませる。そんなつもりはないのだが、言わなくても良いことを言ってしまう自覚はある。だが、どうしても感情が先走ってしまう。

 そんなエリカの心情を見透かしたかのように伯爵夫人は続ける。


「あなたは力を持っているけど、それを恃みにし過ぎていない?」

「……そんなつもりはないんです」


 そう言いながらもエリカは自分の言葉が薄っぺらいものに聞こえてならない。


「あなたが受けてきた苦しみは想像がつくわ。真面目にやっている人が報われないなんて理不尽よね。

 でも、今のあなたの境遇は違うはずよ。少なくとも自分自身の手で何かを選び取ることはできる。それなのに過去であなたを苦しめたような連中に自分から近付いてしまっても良いの?」


 伯爵夫人の容赦ない言葉にエリカはサッと顔を赤らめる。この世界では久々に湧き上がった怒りが表に出そうになるが、理性がそれを無理やり押さえつける。

 伯爵夫人の言う通りだとエリカも気付いているのだ。不遇な目に遭っていた自分がこの世界では比較的優位に物事を進められる立場にある。今までの反動が出るのは仕方ないことだが、それが助長しては意味がない。


 エリカは目をつむると深呼吸する。しばらくの間、呼吸を整えることに意識を集中させていく。


 やがてエリカは目を開く。その瞳は普段の澄んだ色をしていた。


「以後気を付けます」

「そうね」


 伯爵夫人はにこやかに笑みを浮かべた。そしてふと思い出したような様子で傍らのティーカップを指し示す。


「話は変わるけど、エリカさんが売り出した冷蔵庫は中々ね。いつでも冷たいものを飲めることがこんなにも心を鷲掴みにするとは思わなかったわ」

「それは何よりです。ブロードベント商会も売れ行きが好調だと喜んでくれています」

「ふふ。それならエリカさんの懐も膨らんでいくばかりでしょう」

「どうでしょう?そうだと嬉しいのですが」


 伯爵夫人の踏み込んだ言葉にエリカは曖昧に笑う。

 全く、違う意味で油断ならない人である。つい先程まで人生の先輩として叱ってくれていたと思っていたら、あけすけなやり取りからビジネス絡みの情報収集を始めている。


 エリカは伯爵夫人のティーカップに紅茶を注ぐ。アイスティーも用意できるが、敢えて熱い方を振る舞う。その意味をすぐに悟った伯爵夫人はいたずらっぽく笑う。


「まあ、そんなに警戒しないで頂戴な。あなたの利権を脅かすつもりなんてないから。第一、エリカさんを怒らせたら命がいくつあっても足りないわ」

「そんなことはしませんよ。それにルーシーさんを敵に回せばそれこそ命がいくつあっても足りないでしょう」

「まあ。それなら変わらぬこの友情に感謝しないと」


 そう笑う伯爵夫人だが、感謝の思いを抱いているのはエリカの方だった。伯爵夫人と出会っていなければ遅かれ早かれ自分自身を見失っていただろうと思う。彼女は先輩であり、姉であり、親友のようでもあるかけがえのない存在だった。

 そんな伯爵夫人に転生者であることを知られたのは僥倖だったとエリカは心から思う。


「それでこの冷蔵庫だけど、元はやっぱり昔の記憶から?」

「ええ、まあ。ただ、元々あった物とは形も仕組みも全く違います」

「あら、そうなの?それはわざと?」

「いえ、純粋に再現できる資源も技術もないだけです」


 錬金術は前世の知識を活かしたものである。その仮説に間違いはないとエリカも考えているが、その割にはテレビや自動車といったテクノロジーの象徴のような物は存在していない。

 それはつまり、この世界にはそういったものを再現できる程の資源も技術もないということを意味していた。


 それだけでなく術者に専門知識がない場合も再現することができない。

 これはキャサリンから聞いたことのある話だが、まだ彼女が近衛兵団の団長だった時、王室お抱えの錬金術師に銃を作ってもらおうと画策したことがあったらしい。しかし銃の外見は何とか描けても内部構造や発射機構の知識がなかった為、ただの変な形をした土の塊ができただけだったと苦笑していたのをエリカは鮮明に覚えている。


 そういったことから、錬金術は伯爵夫人が恐れる程万能なものではないとエリカは考えている。同じ点に思い至ったからこそ、仮設のきっかけを作ったジェニファーも余り気に留めていなかったのだろう。

 もっとも、ジェニファーの場合はドラゴン特有の熱しやすく冷めやすい性格が作用しただけかもしれないが。


 エリカの言葉に伯爵夫人は少しだけ残念そうな表情を浮かべると、湯気が立ち昇る紅茶を味わった。


「そう。それは残念ね。あなたの知識があれば帝国やジェファーソンを止めることができるかもしれないと思っていただけにね」

「これは希望的観測でしょうが、ジェファーソンは想定以上の脅威にはならないはずです。少なくとも彼は転生者ではないでしょうから」

「道理でゾーイの提案を一蹴する訳ね」

「はい。自分が恐れているのは自身ではなく周りの人達に危害が及ぶことだけです」

「そうね。あなたがそれなら良いわ」


 その何気ない一言の裏側に少し不穏なものを感じたエリカだが、とりあえず口を挟まずに自身も紅茶を楽しんだ。


 どれくらいの時が経ったのだろう。


 何の変哲もない世間話をいくつか楽しんだ伯爵夫人はティーカップを静かに置くと、席を立ってエリカに手を差し出した。


「美味しい紅茶をありがとう。またいただきに来るわ」

「是非、いつでもお越しください」


 差し出された手を受け取りつつエリカは笑顔で答える。それは心からの気持ちだった。


「ああ、そうそう。言い忘れていたことがあるの」

「何でしょうか?」


 とは言いつつもエリカは察しがついている。きっと、さっき不穏なものを感じた一言についてだろう。

 その予想は当たっていた。


「キャサリンさんだけど、よく目を配っておいてあげてね。どういう訳かジェファーソンの件を知っているようだから」

「え!?」


 それは思いがけないことだった。決して表沙汰にはなることはないこの一件をエリカは両親にも秘密にしていた。

 もっともゾーイが警官達を引き連れて屋敷を訪れたことは王都におけるスタンフォード家の関係者全員が知っていることなので、その理由を知りたがる者は両親含めて少なからずいた。

 だが、ゾーイ達の対応をする中で理由を知ったメイド長のアリスと執事のカーティスにさえ緘口令を敷いている以上、秘密が漏れることはあり得なかった。


 それだけに伯爵夫人の最後の言葉が気にかかって仕方ない。


 どのようにしてキャサリンはこの一件を嗅ぎつけたのだろうか?そして昨日顔を合わせた際にどうして何も言わなかったのだろうか?


「ジェファーソン達を連行してきたバクスター伯爵とロイロット子爵を尾行させていたから気付けたのだけれどね。この王国内だったら私の目も届きやすいわ。でも、国外となれば話は別よ。その時、キャサリンさんを止められるのはあなただけなのを忘れないで」


 そう言い残すと伯爵夫人は去っていった。


 その場に一人残ったエリカは今度キャサリンと出会った際にどう接すれば良いか考えようとするが、上手く頭が働かない。

 そのもやもやは、両親が叔母のクレアの元へと旅行に出かけてからも続いた。


 そして秋が終わり、冷たい冬の頃合いに王都へ戻ってきた両親からもたらされた報せにエリカは一層どんよりとした気分を抱えることになる。


「エリカ。クレアの元に行ってくるんだ。控えめに言っても彼女は怒っている」

「え?」

「あの子ったら焼きもちを妬いているのよ。ベルニッシュばかりに出向いてヘクストールには全然顔を見せないってね」


 アルフレッドとアステリアは苦笑いを浮かべていたが、そう遠くない将来に何が何でもこなさないといけない高難易度の予定ができたことにエリカはげんなりとする他なかった。


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