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彼女は魔術と紅茶を楽しんで  作者: 賀来文彰
学生編 春のこと
15/323

二 慌ただしい休日

前回の話ですが、月曜ではなく日曜日に投稿していました・・・


 窓から差し込んでくる太陽の光が目にまぶしい。

 今日は休みの日ということもあって、いつもより少し遅めの目覚めだ。


 エリカは軽く伸びをしてからむくりと起き上がると、ベッドの脇にあるサイドテーブルに置いてある本を手に取る。


『魔術史概論入門編』


 それはエリカのお気に入りの本の一つだった。

 別に内容が特別なことはない。どちらかといえば退屈な部類に当てはまる。実は禁書指定されている本でもなく、コレクターが喉から手が出るほど欲しがるような希少な本でもない、街中の本屋を三軒回ればその内一軒では置いてあるくらいの本でしかなかった。


 ただ、そんな本もエリカにとってはかけがえのない一冊だ。


 しばらくの間、その本を読み進めていく。水の魔術が発見されたきっかけについて書かれた箇所へさしかかった時、部屋の扉がノックされる。


「お嬢様。もうすぐ朝食の時間です。ご準備のお手伝いに参りました」

「ありがとう。どうぞ入って」

「失礼致します」


 メイド長のアリスが部屋に入ってきた。二十代後半とまだ若いが、見惚れるような銀髪と眼鏡によって年齢にそぐわない、かなり威厳ある雰囲気を身にまとっている。


 エリカはベッドから出ると本をまたサイドテーブルに置き、室内着に着替えていく。といってもそれがドレスなのだから貴族の生活には未だに慣れない。できることならスウェットやジャージなどで過ごしたいくらいだが、貴族に転生した以上それはまずあり得ないことだし、そもそもそういった服装自体がまだ生み出されていないのだから仕方ないと既に諦めている。


 アリスの手を借りて身だしなみを整えると、エリカは居間へと向かう。


「おはよう、エリカ」

「おはようございます。お父様、お母様」


 既に席に着いていた両親からの挨拶にエリカは答えると席に着く。アステリアのリラックスとしながらも手入れの行き届いた髪形を見るに、アリスは母の身づくろいの手伝いをしてから自分の元にやってきたらしい。


 執事のカーティスが朝食の給仕を進めていく。

 前世でのヴィクトリア朝時代のイギリスではフル・ブレックファストというボリューム溢れる朝食が伝統的だったが、この世界では至ってシンプルで、ベーコンエッグにトマトとマッシュルームのソテー、ロールパンに紅茶といった具合だった。


 エリカが野菜のソテーを味わっていると、アステリアがアルフレッドに話しかけ始めた。


「あなた。領地の件だけど、今年の夏はエリカも一緒に連れて行ってあげて欲しいわ」

「ふむ。確かにそろそろ潮時かもしれんな」


 二人のやり取りが耳に入っているが、エリカは口をはさまない。例え目の前で自分に関する会話が繰り広げられていても、直接呼び掛けられるまでは何も言わないのがこの世界のテーブルマナーだ。

 ただ、心の中ではエリカは喜んでいる。王都生まれの貴族の子供にはよくあることだが、自分の家の領地をまだその目で見たことがなかった。領地に向かうタイミングは家によって様々だが、よくあるのは学院を卒業してからなので、今回の二人の話し合いはとても早いタイミングだった。


 アルフレッドがエリカを見やる。


「エリカは領地を見てみたいかね?」

「はい、お父様。何でしたら今すぐにでも見たいと思っております」


 どれだけすましていても隠し切れない喜びが表に出ていたのだろう。両親は目を合わせると楽しげに笑った。


 終始和やかな雰囲気のまま朝食の時間は過ぎていく。すっかり自分の分を平らげたエリカは図書室に向かう旨を二人に告げる。それに対してアステリアは眉をひそめた。


「エリカ。勉強熱心なのは素晴らしいことだけど、お休みの日くらいゆっくりしては?」

「そうしたいのですけれど、宿題のこともありますから」


 そう言うとエリカはちょっぴり残念そうな笑みを浮かべて席を立つ。こう言えば二人とも何も言わないことをエリカは試行錯誤の末に学んでいた。


 貴族には珍しく、二人とも我が子にはもっとのびのびと過ごして欲しいと常日頃から思っているが、知的好奇心のかたまりであるエリカにその願いが届くことはない。だが、「中の人」は両親の気持ちを察することができるくらいには人生経験があるので、十代の子供とは思えないくらい気遣いができるのがエリカの強みだった。


 図書室に入るとエリカは手近なところにあった本を手に取り、ソファの一つに座る。

 明かり取りとして備え付けられた小窓を少し開けると、吹き込む風が頬をなでて心地よい。


 一通りその感触を楽しむとエリカは本を開く。それは、今までに確認された魔物の詳細をまとめた図鑑だった。

 最後の方のページにある索引を最初に見て、何気なくそこに書かれた魔物の名前を目で追いかけていく。すると、エリカにとっては馴染み深い魔物の名前が目に留まった。


 該当のページをめくると、そこにはあの蜘蛛が見開きで描かれていた。その下に書かれた説明文の内容は恐怖を煽るものばかりで、もたらす被害の大きさなどがことさら詳しくまとめられていた。


「へえ。デーモンスパイダーってやっぱり強いんだ」


 しかしエリカはまるで関心を寄せることなく、つまらなさそうな表情で次のページへと進んでいく。災害級の魔物と呼ばれるだけのことはあって他の魔物よりも多くページが割かれており、エリカはげんなりした表情で本を閉じた。


 別の本を物色していると、開け放していた小窓から外の様子が漏れ聞こえてきた。何やら騒がしい。

 何事かと窓の外を見たエリカは驚いた。敷地内の一角の空に黒い雲がたなびいていたからだ。外に出ていたカーティスが警戒した様子で使用人達に指示を飛ばし、近くにいたメイド達が何かの魔法陣を発動しようと準備し始めた。

 だが、エリカ自身はその雲自体に不気味な感覚を覚えることはなかった。むしろその雲を生み出している存在がかけているであろう呪文に親しみが湧く。どこかホッとするような、安心に近い感覚がエリカの中にあった。


「カーティス。お客様よ。お出迎えの準備を」

「エリカ様!急いでそこから離れてください!」


 カーティスは小窓からのんきに呼びかけてきた主の一人に驚きと失望を隠せなかった。この緊急事態にどうして彼女は避難していないのか?

 災害級の魔物を討伐したことで傲慢になってしまっているのではなかろうかと、深く胸を痛めながらカーティスは少しでも彼女を守れるようにとそちらへ駆け出した。

 だが、当の本人は拡声魔法を自分にかけると、その雲に向かって大胆にも呼びかけた。


「申し訳ございませんが、家の者は高度な魔法に慣れておりませんし、礼節に注意を払っているが故に儀礼の範疇の外にある振る舞いに対して免疫もございません。

 恐れ入りますが、お姿を現しになった上で玄関までお越し頂けませんか?コーンウェル伯爵夫人」


 エリカが言い放った言葉にカーティスを始めとした使用人達が凍り付く。そこに追い打ちをかけるように、黒い雲の方から拡声魔法で大きくなった女性の声が返ってきた。


「ウフフ。ごめんなさいね、エリカさん。驚かせるつもりはなかったんだけれども、娘に空からの眺めを見せたくなって飛んでいたら、いつの間にかこちらまで来ちゃった」


 そう言いながらコーンウェル伯爵夫人が空中に姿を現した。

 エリカは軽く苦笑いを浮かべると、図書室を出て玄関の方へ向かう。その途中、緊張と興奮が入り交じった表情のアルフレッドとアステリアと出くわす。二人の周りにはメイドが隊形を組んで付き従っている。ボディーガードのように見えるが、それは事実だった。


 アルフレッドがエリカに問いかける。


「エリカ。本当に伯爵夫人がいらっしゃったのか?」

「はい。お父様」


 いつの間にか自分の左後ろにメイド長のアリスがいることに驚きながらも、エリカは返事する。


「全くもって信じられん」


 アルフレッドが驚くのも無理はない。伯爵夫人は舞踏会や晩餐会といった集まりに滅多に顔を出さないし、自身で開催することもほとんどない「変わり者」だからだ。その伯爵夫人が前触れもなくやって来たというのだから、アルフレッドの反応も自然なものだった。

 対してアステリアは夫よりも現実的にこの事態を見つめていた。早くも、自身の護衛につくメイド達に、問題なく伯爵夫人を出迎えた際に用意するお茶の種類などの指示を出している。


「お母様。伯爵夫人はご息女をお連れですわよ」


 そう言うとエリカは先程の伯爵夫人の発言内容を簡潔に伝え、学院での昼食時におけるシェリルの好みも合わせて話す。それに基づいてアステリアは新たな指示をメイド達に出していく。


 やがてスタンフォード家の面々は玄関に辿り着く。程なくしてノックの音が聞こえ、メイド長のアリスが扉を開けた。


「こんにちは、皆さん。そして突然のご訪問になって申し訳ございません」


 社交界のトップリーダーであり王室にも影響力を持っていると噂される程の実力者でありながら、見た目通りの可憐な年若い女性のまま、コーンウェル伯爵夫人は優しげな表情の中で両頬をほんのりと赤らめていた。

 その後ろでは、シェリルが落ち着かない様子で立っている。


「いえいえ、お気になさらないでください。むしろ拙宅へお越しくださり感激しております。どうぞこちらへ」


 傍から見ても明らかなくらいどぎまぎしつつも、当主であるアルフレッドが彼女達を招き入れる。

 伯爵夫人は優雅にお辞儀すると、エリカを見やる。


「エリカさん。自分で言うのも何だけれども、よくわたくしと分かったわね?」

「伯爵夫人の不可視の呪文は以前に拝見しておりましたから」


 そう答えるエリカに一瞬怪訝な顔になるが、すぐにそれが晩餐会でのことだと思い出して伯爵夫人は嬉しそうに笑みを浮かべる。


「覚えててくれて嬉しいわ」


 そう言うと伯爵夫人はエリカをハグする。メリハリのある体が自分の顔をほんのりと圧迫して少しだけ息苦しい。だがそれ以上の精神攻撃にダメージを受けながらもエリカはすまし顔でハグをし返した。


 エリカは少し上気した顔に気づかれないように、わざとシェリルに話を振った。


「シェリルさん、不可視の呪文をもう使いこなされているのね?」

「違うよ……違いますわ。お母様にかけてもらっ……かけて頂いたのです」


 どうも貴族特有の言葉遣いにまだ慣れないらしい。エリカ自身、学院での言葉遣いの方が性に合っているから気持ちはよく分かる。シェリルの緊張が少しでもほぐれるように、エリカは周りの目に触れないよう気を付けてウインクした。


「さあ、こちらへどうぞ。今、お茶を用意させておりますので」


 アステリアが一歩進み出て二人を居間へと案内する。それまで周りにいたメイド達は貴族達の優雅で必要以上に時間をかけた挨拶の間に姿を消しており、アリスが最後尾から静かについてくるだけだった。


 それぞれが席に着くと、アルフレッドが当たり障りのない話題を振っては伯爵夫人の反応を確かめていく。社交界に普段は顔を見せないからこそ、どういう話題を好むのかを知るのにも一苦労である。


「まあ、子爵。そんな風に気を遣わないで頂戴な。ところで……」


 伯爵夫人は楽しそうに席を見回すと、まるでひそひそ話をするかのように身を乗り出す。尋常ではないその様子につられてエリカ達も身を乗り出して彼女の次の言葉を待った。


「皆さんにお願いがあるのです。わたくし達と本当の意味でお友達になっては頂けませんこと?」


 場が凍り付くとはこのことを言うのだろうと、エリカは思う。アルフレッドは呆然とした様子で口が開きっぱなしだし、アステリアもせわしなく目を動かしている。隅で控えていたカーティスとアリスも姿勢こそ崩さなかったものの、雷に打たれたような表情を一瞬浮かべていた。


「そ、それは大変ありがたいお話ですが、私共には過分な……」


 アルフレッドがしどろもどろに答えるが、伯爵夫人は優しげな表情でアルフレッドを制する。


「子爵。いいえ、あえてこう呼ばせて頂きますわ。アルフレッドさん」


 あまりにも大胆な発言にアルフレッドは文字通り飛び上がった。


「もう色々と面倒ですからざっくばらんにいきますわね。私達の間では身分のようなしがらみのない関係性でいたいの。勿論、社交の場などでは今まで通りでお願いするわ。ただでさえ貴族という肩書は嫉妬心や猜疑心を増長させてしまう怖さがあるからね。

 でも、今みたいに私達だけの時は友人として付き合って欲しいと思っています。

 突然のことで戸惑う気持ちは分かりますけれど、こんな風に気さくに語り合える友人が欲しくて。それに娘の為にもお願いしたいの」


 貴族に生まれた以上、目上の存在からこんなに崩した話し方を受けるのは学院に通っていた頃だけになるので、アルフレッドもアステリアもたった今、伯爵夫人の口から飛び出た言葉をすぐに飲み込めなかった。

 それでも何とかアステリアが話を続ける。


「シェリル様の為にもですか?」

「その「様」付けもなしでお願いしたいわ。本当だったらファーストネームで呼び合いたいくらいなんですからね。

 皆さんも知っての通り、私はこの子を養子に迎えましたわ」


 伯爵夫人がシェリルの肩にそっと手を置く。


「でも、シェリルは元々王都の生まれではないから知り合いも少ないの。特に貴族関係はね。けれど、エリカさんが気にかけてくれているから充実した学院生活を過ごせているみたいで、とても感謝しています。

 だから、こうした休日も気軽に友人の元を訪ねられるよう、母として皆さんにお願いしたいの。親バカと思われるでしょうけれど、この子の為になることはしてあげたいのです」

「子を思う親の気持ちは分かります」


 アステリアが静かにつぶやく。そして夫の方を見ると決然とした表情で言った。


「あなた。わたくしからもお願いするわ。伯爵夫人のご提案を受けて頂戴な」

「受けるも何も、私はありがたいお話だと思っている……」


 まだ言い終わらぬ内に伯爵夫人が今日一番の満面の笑みを浮かべたので、アルフレッドは曖昧に微笑み返すしかなかった。


 エリカとしては父の気持ちも分かる。前世で言えば、取引先の重役が出てきて友達になろうと言ってきた感覚みたいなものだ。嬉しさ以上に何か裏があるのではと疑ってしまっても仕方ない。

 それに、純粋に友達としての関係性を望まれているにしても、相手は目上の人である。気を遣うのは当然のことだ。


 だが、伯爵夫人自身はシェリルのことを思って動いているのだろうとも思う。そうなるとこの提案の主役になるのは自分自身だ。それなら大歓迎である。


「シェリル。改めてよろしくね」


 伯爵夫人からの提案とはいえ、娘がさっそく相手の令嬢を呼び捨てにしたので場が緊張感に包まれかけたが、シェリル自身はとても嬉しそうに答えた。


「ありがとう、エリカさん」

「ああ、この際だからシェリルも「さん」付けは今日で止めて。私達は友達なんだから」


 シェリルは少しの間うつむいていたが、やがて顔を上げる。


「うん。改めてよろしくね、エリカ」


 命を救ってくれた恩人として、エリカに対して一歩引いたところにいたシェリルだが、ようやくその壁が取り払われた瞬間だった。


伯爵夫人は距離感を詰めるのが下手なのです。

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