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彼女は魔術と紅茶を楽しんで  作者: 賀来文彰
成人編 放浪の錬金術師
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四 錬金術の正しい使い方

 暑い日差しが照りつく日中も、少し大きな木陰に入れば途端に涼やかな風が吹き抜け、束の間の安らぎを得ることができる。

 そう信じていた時期もあったとエリカは遠い目を浮かべている。


 前世でのヴィクトリア朝時代のロンドンがどういった気候だったかは知らない。だが、湿気に満ちてむしむしとする、あのうだるような暑さを経験してきた日本人からすれば、外国の夏の暑さはいくらかましだと思いたくなる。

 しかしこの世界では湿気こそひどくないものの、やる気を奪うには充分な暑さがしっかりと根付いている。


 エリカは何度巡り合っても身体に馴染まないこの世界の夏の気候に辟易としている。


「エリカ様。お茶のご用意ができました」


 メイド長のアリスが屋外用のティーワゴンにティーセットを載せて運んでくる。いつも以上に給仕が丁寧なのは来客対応を兼ねているからではなく、この特設のお茶会の席が涼やかであるからだろう。

 名残惜しそうに屋敷の方へと戻っていくアリスを見やりつつ、そのような感覚を自分も抱けるならこんなに暑さに苦労することはなかったのにとエリカは思う。


 スタンフォード家の庭にはひときわ大きな木が植えられている。


 この大木はマクファーソン王国が建国される以前からその場所にあったとされており、それを気に入った初代当主がこの地に屋敷を構えることを願い出たという話が代々伝えられている。


 その真偽はともかくとして、今やすっかりと大木になったことで緑の葉は自然のカーテンとなり、幼少期のエリカはその葉が落ちる冬以外はよくその場所で駆け回っていた。

 転生後のエリカもその木が好きではあったが、木刀を叩きつけたり上に登ろうとしたりするおてんば娘の面影は既になく、一つの芸術作品を鑑賞するかのような面持ちで眺めることが多かった。


 だが、自身の想像以上には効果がなかったとはいえ、今やこの大木の木陰は夏場のお茶会の小さな避暑地となっており、そのことを受けて先代当主のアルフレッドが夏場の日中は客人をこの場でもてなすことを始めた。


 もっともそれを提案したのはエリカ自身なので、父から当主の座を継いだ彼女も同様に客人をこの場でもてなしている。


「さあ、どうぞ召し上がって」


 エリカの向かい側に座る客人は、その言葉を受けてティーカップを手に取る。しかしすぐにカップが熱くないことに気付いた。


「美味しいです。しかし不思議ですね。熱くない紅茶というのは」

「そうでしょう。ブロードベントさん」


 エリカはにっこりと微笑む。その一方でハリー・ブロードベント商会長は目の前の「お得意様」が何を言い出すのだろうかと、目まぐるしく思考を回転させている。


 彼女が出したのはアイスティーだが、こういったものを口にする者はまだまだ少ない。何かを焼いたり温めたりする火魔法と違って、水魔法で何かを冷ますのは意外と難しいからだ。

 この理由として、火魔法よりも水魔法の方が魔力のコントロールが難しいとされており、それ故に立場上、魔法よりも高度な魔術の習得を前提とされる貴族や一部の立場の者を除いて、わざわざ何かを冷ますといったことをする者はいなかった。


 しかし、ハリーは気付いている。目の前の年若い女性が突拍子もないものを思いつくだけでなく、それを実行に移す行動力があることに。

 それに今日は彼女がわざわざ自分を招いてきた。それだけで普段の何かの買い付けとは全く異なる用件だと想像できる。そして彼女はその本題を切り出そうとしなかった。


 きっとこのアイスティーが本題なのではないかと彼は勘ぐっている。


「春先の紅茶フェアではブロードベント商会の皆さんにもご尽力頂いて感謝しておりますわ」

「滅相もございません。あの企画を発案されたエリカ様のご慧眼に感服しております。それは他の商人達も同様でしょう」

「ブロードベントさんにそう言われると自信が付きます」


 控えめに笑うエリカに相槌を打ちながらもハリーは話の展開に意識を集中させていた。


 そんな客人の心境を知ってか知らずか、エリカはおもむろに表情を引き締めるとハリーの両目を真っ直ぐと見据えた。


「率直なご意見をお聞きしたいのですが、ベルニッシュの特産品を紅茶とするのは現実的でしょうか?」


 その問い掛けに思わずハリーは目を見開く。そこまで聞いて何となくだが彼女の意図を掴めた気がした。

 少し間を置いてから彼は答える。


「半々といったところでしょうな」

「そのように思われる理由をお聞かせくださいな」


 きっと彼女はそこに気付いている。ある種の確信めいたものを抱きつつもハリーは答えを口に出していく。


「嗜好品という印象がまだまだ強いのと、既に紅茶を特産品としている地域があることの二点です」

「現状、東部の情勢は不安定です。今なら新規参入することも難しくはないのでは?」

「仰るように後者の問題は難しくないでしょう。ただ、前者はそういうわけには参りません」


 ハリーの言葉にエリカは動じなかった。ただ静かに自分を見据えてくるその様子から彼は一歩踏み込んでみることにする。


「エリカ様。もしやこちらのアイスティーを商品にされようとお考えでしょうか?」


 エリカは静かにティーカップを口元に運ぶと、そのまま動きを止める。ハリーが戸惑う様子を見せた途端、彼女はそれを一気に傾けて中身を全て飲み干した。


「なっ!?」


 予想外の行動にハリーは思わず腰を浮かしかける。彼女の振る舞いは貴族として決して褒められたものではなかった。

 しかし当の本人は満足気な笑みを浮かべると、そのまま相好を崩した。


「びっくりさせてしまってごめんなさい。でも、わたくしが望んでいるのはこういうことなのですよ」

「と言いますと?」


 冷や汗を浮かべるハリーにエリカは答える。


「紅茶は貴族や資産家だけが飲むものという印象を変えたいのです。その為には紅茶が気軽に楽しめるものだと認知してもらわねばなりません」

「しかし……」

「確かに紅茶はゆっくりと味わうべきものですが、それだけに縛られる必要はありません。難しく考えず、飲みたいように飲めば良いのですよ」

「その為のアイスティーということですか?」


 エリカは何も言わず、ただ左手を差し出してハリーに紅茶を勧めるだけだった。


 ハリーはゆっくりとティーカップを手に取ると、最初は恐る恐るといった様子で口を付け、少ししてからエリカと同様にぐいと中身を飲み干した。

 適度に冷たい感触が喉を通り過ぎて、胸の辺りにじんわりと広がっていくのが心地良い。この感覚は普段水を飲む時にも味わえるが、そこにはない香りと味わいを楽しめるのは格別だった。


 気付けばエリカ自身がティーポットを手に取って、暗にお替わりを勧めていた。その振る舞いにハリーは恐縮しつつも二杯目を味わう。


「暑い日はこんな風に気軽にアイスティーを味わうべきだと思いません?」


 エリカはそう言うが、彼は首を縦に振れなかった。


「お気持ちは分かりますが、先程のご質問にまだお答えしていないことがございます」

「水魔法のコストですね」

「はい、その通りでございます」


 やはり気付いていたのだ。ハリーは改めて彼女を見る。


「その問題が解決する方法があれば、ベルニッシュの特産品を紅茶とすることは可能ですか?」

「ベルニッシュに限らず、貴家だけでその利益を独占することができましょう」


 ブロードベントは瞬時に計算する。これはまさしく商談だった。

 彼女が考えていることが実現すれば、スタンフォード家の御用商人であるブロードベント商会もその恩恵に預かることができる。

 しかし、こういった前例のないものにどれ程費用がかかるかは想像できない。場合によっては先行投資という言葉で片付けられない程の莫大な費用を投じることになる可能性も充分に考えられた。


 資金提供を依頼された場合、どこまで自身の商会が負担できるかによってその後の話の規模も変わってくる。そのことをハリーは強く意識していた。


 しかし目の前の若き当主は彼の想像とは別のことを口に出す。


「それならばまずは一日限定五十杯という形で売り出してみませんか?」


 悪くない方法だと思う。まずは期間限定で様子を見る。その反応が良ければ先行投資もしやすくなる。

 だが、利に敏い商人達がひしめき合う王都でそのようなことをすれば、すぐにライバルが生まれてくるだろう。何せ紅茶を水魔法で冷やすだけである。紅茶を卸せる程の財力がある商会であれば、水魔法の遣い手を雇うのも容易いだろう。


 仕掛けるならライバルが手を出せない勢いで一気に広める必要がある。


「エリカ様。素晴らしいお考えだと思いますが、それではすぐに他の商会が真似をするでしょう」

「個人的にはそれでも構いませんよ。それで皆さんに紅茶が広まるのであれば」


 しかしエリカはすぐに申し訳なさそうな表情を浮かべ、言葉を続ける。


「でも、それだとブロードベントさんにこの話をする意味がありませんわよね。収益の柱は多いことに越したことはないのですから。

 というわけで、わたくしから提案がございます」


 そう言うとエリカは立ち上がり、傍らに置かれているティーワゴンをハリーの方へと押し出した。


「触れてみてくださいな」

「はあ……」


 突然のことに戸惑いつつもハリーはティーワゴンに触れる。その途端、夏だとは思えない程のひんやりとした感覚が指先を襲った。


「冷たい!?」

「そうでしょう。これであれば水魔法の遣い手を雇うよりも遥かに安い費用で済みますわ」

「確かにそうですが……。それにしても信じられん。どうやったらこんなことが……」


 ハリーの驚きはもっともだったが、エリカからすればこれは子供だましに過ぎない。

 エリカがやったことはすごくシンプルで、ティーワゴンの支柱に小さな穴を空けてそこに水魔法で生み出した水を通した後、また穴を塞いだだけだ。

 もっともこれを実現させられるのは前世の知識を有している彼女くらいで、本来はそんなに簡単なことではない。


 だが、ジェニファーとコーンウェル伯爵夫人から聞かされた話から、エリカは錬金術とされているものを積極的に領地経営に活かそうと考えた。

 ジェファーソンの動きは気になるものの、自分は一介の貴族に過ぎないと自覚している。戦争となれば戦陣に赴くが、凶悪犯の捜査や逮捕はRCISの管轄である。そこに手出しして周りから白い目で見られるくらいなら、我関せずの精神で別のことに打ち込んでいる方が余程建設的だった。


 そういうわけで、気分を切り替えたエリカはあの日からずっとあるものを生み出そうとしていた。


「ブロードベントさん。想像してみて欲しいのですけれど、中に入れておくだけでその中身が冷たくなるものがあればどうなると思います?」

「正直に申し上げて想像がつきません……」


 ここに来てハリーはようやくエリカの真の狙いに気付いた。彼女は紅茶を広めるだけでなく、この不思議なものを売り出そうとしているのだ。


「スタンフォード家からの提案は次の通りです。

 こちらの……そうですね。冷蔵庫とでも言いましょうか。この冷蔵庫を安定してブロードベント商会に卸しましょう。

 ただし、ブロードベント商会にもお願いしたいことがあります」


 ハリーは思わず両手をぎゅっと握り締めた。エリカが持ちかけてきたものは間違いなく人々の生活水準を上げるが、それだけにどれだけの金銭を要求されるかは分からない。

 しかしこれを逃せば、自分の商会はその恩恵に預かれることはないだろう。


 決断のしどころだとハリーは腹をくくった。


 だが、意外にも彼女の言葉の続きは予想外のものだった。


「このティーワゴンと同じ構造のものを仕入れてもらいたいのです。それと四方は板で打ち止めしてくださいな。

 ただ、この面だけは上下にスライドするようにお願いします。そうでないと中のものを出し入れできませんからね」


 彼女が提案したものは岡持のようなものだったが、技術的問題が解決するなら蝶番を付けて扉にするのも悪くないと思っている。その辺りはいずれハリー達が考えれば良いだけのことだった。


「え?あ、はい……そちらは問題ございませんが……」

「後、利益の分配ですけれど」


 やはり来たか。ハリーは改めて身構える。


「売上の五パーセントだけ手間賃として頂きますわ。ただし、この取り決めは永続的なものとして頂きます」


 ハリーはあんぐりと口を開けそうになったが、必死の思いで堪えた。

 エリカの提案は余りにも安過ぎた。何か裏があるのではないかと思わせるには充分過ぎる程の安価に、ハリーはつい話の続きがあるのではないかと勘繰ってしまう。


「それでは余りにもエリカ様の取り分が少なくなりませんか?」

「いいえ。そのようなことはありませんよ。ただ、その代わりと言っては何ですけれどこちらは完全予約の受注生産でお願い致します。貴族としての務めによっては生産できない日もでてくるでしょうから。

 後、こちらは余り日持ちしませんので定期的なメンテナンスが必要になります。暗く涼しい場所に置いておけば長持ちしますが、それでも五日が精一杯というところでしょう。

 それと、仕入れたものはこちらへ運んで頂かなくてはなりませんし、できたものを運び出すのもお願いすることになります。

 これらの負担を考えれば当家がもらうのは五パーセントというのはちょうど良い塩梅ではありませんか?」


 それでも破格だと思うが、これ以上何かを言えば商機を逃すことになる。ハリーは決心した。


「承りました。契約書の準備をして参りますので後日改めて」

「ああ、それでしたら既にこちらで用意しておりますわ」


 そう言うとエリカはティーワゴンの下段にさりげなく忍ばせてあった二通の契約書を取り出した。

 その準備の良さに内心苦笑しつつハリーは二通の内容に差異がないことを確認した上でサインした。


「ありがとうございます。ハリーさんならこの冷蔵庫の価値を分かってくださると思っておりましたわ」


 名前で呼ばれたことで、ようやく商談が終わったのだとハリーは改めて実感した。


 見るからにホッとした表情を浮かべるハリーを尻目にエリカは紅茶に手を伸ばす。

 冷蔵庫は間違いなく広まるだろう。メンテナンスと言っても水魔法を入れ直すだけのことなので手間暇はかからない。それでいて別の商会が競合製品を出したところでそこまで長持ちするものはないという自信もあった。

 何せエリカの水魔法は別格なのだ。冷たくした水を循環させることでちょうど良い冷たさにすることができている。


 この冷蔵庫が広まったところでベルニッシュ産の紅茶を売り出せば、特産品として受け入れられる日もそう遠くはないだろう。


 そんな未来を思い描きながらエリカはアイスティーを楽しんだ。


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