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彼女は魔術と紅茶を楽しんで  作者: 賀来文彰
学生編 春のこと
14/323

一 魔法陣学

お待たせしました。

 三月になったとはいえ、まだまだ風が冷たい。

 目抜き通りに出ている屋台の数もいつもより少なく、行き交う人達もどこか急ぎ足だ。その中でエリカだけはのんびりと歩いている。

 大きく息を吸って透き通った空気を取り込む。ひんやりとしているのが心地よい。


 冬から春に変わり始めるこの時期がエリカは好きだった。いつもなら馬車で通う道を歩いて行くのは新鮮で、自然と気分がはずむ。


「いつになくご機嫌ですな。何か良いことでもありましたかな?」


 隣を歩くオズワルドがエリカに視線を向ける。


「先生がボディーガードになってくださったからよ」

「うーん。そういうものかな」


 オズワルドは苦笑いを浮かべながら、立派に整えられた口ひげを左手で軽くもてあそんでいる。その様子が何だかおかしくて、エリカはフフッと静かに笑った。


 学院までは馬車で十分程度だが、徒歩でとなると三十分はかかる。なので、お年頃の一人娘の思いつきを何とか叶えてやりたい父親の意向で、オズワルドが通学に同行することになった。学院に通い始めてからオズワルドと接する機会が減ったエリカにとって、父親からの提案は非常に嬉しいものだった。


「そろそろ学院に着きますね」


 果物屋の角を曲がると、後は学院まで一本道だ。しばらく歩いて行くと、学院のシンボルである時計塔が見えてくる。


「あの人すごくカッコ良くない?」

「素敵な殿方ね」

「エリカ嬢がうらやましいわ」


 通学途中の女子学生から黄色い声が飛び交い始めるが、オズワルドは特にデレることもなく、涼しげな表情をしていた。


「先生はモテますね」

「その様な言葉遣いは宜しくありませんよ」


 からかい半分に話しかけたエリカにオズワルドが眉をひそめる。だが、エリカはそれが嬉しかった。自分にはしっかりと反応してくれている気分になるからだ。


「それでは私はこれで」

「ありがとうございます、先生」


 正門前に着くとオズワルドはシルクハットを取って軽く一礼する。そのシブさにエリカのみならずその場にいた全員が目を惹かれていた。

 オズワルドが歩き去るのを見送った後、エリカは正門をくぐろうとして人にぶつかりそうになる。慌ててかわした相手がジッとエリカを見つめていた。


「あの人がエリカの家庭教師なんだ」


 いつの間にそこへいたのか、グロリアがうらやましそうな声を上げる。その隣にはシェリルもいたが、彼女はグロリアとはまた違った視線を向けていた。


「あの方がエリカさんの師匠なんですね」

「忘れているようだけど、二人ともおはよう。お元気かしら?」


 二人に呆れたエリカは軽く嫌味を放つ。だが、二人ともあいまいに挨拶を返すだけだった。どうやらまだこちらの世界に戻ってきていないらしい。


「ほら、二人ともいつまでもボーっとしてないで、授業に行くよ」


 エリカに追い立てられるように二人は最初の授業に向かう。

 一時間目は魔法陣学だった。


 教室ではナタリアが窓際の一番奥の席で暇そうに手元を眺めていた。

 二人を引き連れたエリカは軽く手を上げてナタリアに視線を送る。それに気付いたナタリアも手を振り返した。


「今日は遅かったね」

「うん。主にこの二人のせいでね」

「いやいや、あんなにカッコいい人がいたら見とれるって!」

「カッコいい人?」

「エリカの先生」

「え、私も見たかったなあ」


 ナタリアが残念そうにつぶやく。その様子を見たエリカは一瞬、また徒歩で通学する機会を作った方が良いかなと悩んだが、自分の右隣にいる二人のことを思い出してすぐにその考えを打ち消す。


 その後は四人でとりとめのない話を続けていく。礼儀作法を覚えるのに苦戦しているというシェリルの話の途中で始業を告げるベルが鳴り、男性が教室に入ってきた。


「皆さん、おはよう」


 教授のポール・クーパーが猫背気味の姿勢のまま挨拶をする。朝だというのに疲れ切った笑みを浮かべており、その声はどこか弱弱しい。

 彼は魔法陣研究の第一人者で、特に風魔法を専門としていた。以前、サンスキンでエミリー達と乗った飛行船も風魔法の魔法陣があればこそだった。


 それほどの偉大な研究結果を出していながらも本人は名誉や出世に興味がない、いわゆる根っからの研究者だった。授業以外のほとんどの時間を自身の研究室で過ごし、睡眠時間も極端にけずって研究に打ち込んでいるらしい。実際、いつもクーパーは眠たそうに目をこすっていた。


 見るからに体が重そうなクーパーだが、瞬く間に黒板に一つの魔法陣を書き上げると、そこに魔力を込めて発動させる。淡い紫の光がクーパーを一瞬包み込んで、そのままフェードアウトするように消えていった。

 途端に背筋がシャキッと伸びたクーパーが改めて学生達の方を見やる。ここまでがいつもの魔法陣学の流れになる。

 初めてこの流れを見た時はエリカも驚いたが、授業の度に見ていると退屈な流れ作業にしか思えなくなる。体力回復の魔法陣は難易度が高いので、やっていることは実はすごいことなのだが、慣れとは恐ろしいものだ。


「さて、今日は硬質化の魔法陣を学ぼうか。これを正しく刻めるようになれば、その物質はちょっとやそっとのことじゃ壊れなくなる。ただ、これはあくまで柔らかいものや壊れやすいものを硬くするだけなので、元々硬いものに使っても余り意味はないから気を付けるように」


 さっきまでとは打って変わって、元気な声でクーパーが説明を進めていく。その間に左手は黒板にその魔法陣を書き上げていた。


 魔法陣を書き終えると、クーパーは黒板のチョーク置き場の下に手をすべらせる。ほどなくして、シューっという音が鳴り響き、魔法陣が書かれた部分だけが前にせり出してきた。

 こういった蒸気機関は一年前に発明されたばかりだった。前世の知識があるエリカにとってはそんなに珍しいものではなかったが、魔法に頼りっぱなしのこの世界では画期的な発明として注目を浴びている。


 ただ、蒸気機関の生まれるきっかけが火魔法と地魔法の暴発によるものだったので、実は前世の蒸気機関とは少し勝手が違ってはいる。だが、そこは魔法陣の応用でカバーしているのがこの世界だった。


 すっかり伸びきった黒板の一部は、学生達が座る席の目と鼻の先にまで迫っていた。見やすくなったその魔法陣をエリカ達は一生懸命に書き写していく。


「この魔法陣を書き写すのは簡単だが、実際に物に刻み込む時は右上の三角形に気を付けるように。ここのバランスがおかしいと、どれだけ魔力を込めても全く発動しない。できそこないの飾りが一つ増えるだけになるのは君達も避けたいはずだ」


 クーパーが注意点を述べていく。そういったこともしっかりとメモに取る音が教室のそこかしこから聞こえてくる。


 全員が魔法陣とその注意点をノートに写し取ったのを確認したクーパーは、マントの下から丸められた細長い紙を取り出すと、それを床に広げる。そこに書かれていたのは転移の魔法陣だった。

 それに気付いたナタリアはバツが悪そうだった。エリカもこの魔法陣がもたらした予想外の冒険を思い出して苦笑いを浮かべる。


 クーパーが転移の魔法陣に魔力を込めると、その辺りが光に包まれる。光が収まった時には、土のコップが人数分並んでいた。


「さあ、このコップに硬質化の魔法陣を刻み込んでいこう。それが終わったら私の元に持ってくるように」


 配られたコップにそれぞれが魔法陣を刻み込んでいく。手先が器用な者はすぐに刻み込んでクーパーに提出するが、そのほとんどが正しく刻めておらず、試しにクーパーが落としてみる度にぐにゃりとへこむか、どこかが欠けていた。

 では時間をかければ良いのかというと必ずしもそうでもなく、コップが配られてもう十五分は経つのに誰も正しく刻み込めていなかった。


「うー」


 グロリアがいらだった声をあげる。新しい土のコップを補充しながら教室内を見回っていたクーパーの耳にそれがたまたま入り、そのことに気付いたグロリアと目が合っていた。

 少し気まずそうに手元に集中する彼女の隣で、エリカも心の中でいらだっていた。元々、エリカは魔法陣がそんなに好きではない。書いたり刻んだりしている暇があったら、似たような効果を持つ魔法なり魔術なりを発動する方が楽だというのがエリカの持論だが、実際は、本来の姿に戻ったオズワルドがまるでサインをするかのように、非常に複雑な魔法陣を爪一つでサラサラと書き上げているのを見た時に心が折れただけだった。


 更に五分が過ぎた頃、シェリルが立ち上がってコップをクーパーの元に持っていく。クーパーはまずコップの底に刻まれた魔法陣を眺め、その後でコップを床に落とした。


 コップはそのままの形を保っていた。


「おめでとう。君が最初にこの魔法陣を正確に刻み込めた学生だ」


 クーパーが満足げにシェリルを褒めた。

 嬉しそうに席に戻って来たシェリルにグロリアが軽く手を挙げる。


「やるじゃん」

「ありがとう」


 照れ笑いを浮かべながら答えるシェリルも手を挙げ返した。

 その後、課題を達成した学生が増え始め、教室内の熱気も少しずつ上がり始めていく。その中でエリカだけは未だに上手く刻み込められないでいた。


「あれー。エリカさんはまだなんですかあ?」


 ついさっきクーパーから合格をもらったナタリアがニヤニヤしながら煽っていく。エリカは頬を膨らませると彼女の土のコップに向かって軽くデコピンをした。


「痛ッ!」


 硬質化と言うだけあって、土でできているはずのコップは鉄のような硬さを誇っていた。特に爪の辺りにじーんとした痛みが広がっていく右手を振りながらもだえるエリカを見て、ナタリアは更にニヤニヤが止まらない様子だった。


「やった……。やっと終わったよ……」

「お疲れー」

「お疲れ様」


 ようやく合格をもらったグロリアが疲れ果てた様子でドサリと椅子に座り込む。そんな彼女をナタリアとシェリルがねぎらっていた。

 その隣でエリカはどす黒いオーラを放ちながら硬質化の魔法陣を土のコップに刻み込もうと必死に格闘していた。


「ダメだ!目がチカチカしてきた!」


 エリカはべちゃりと机に向かって沈み込む。そんな彼女の手からシェリルはコップを取ると、刻みかけの魔法陣に目を通す。


「あれ。ねえ、この魔法陣って間違ってるよ?」

「え」


 どういうことだと言わんばかりに勢いよく起き上がるエリカに驚きながらも、シェリルはエリカに書き写したノートを見せるように頼んだ。


「ほら……。やっぱりだよ」

「どれ?」


 ナタリアとグロリアもノートに顔を寄せていく。


「左側の四角形が台形なのに、エリカのだと長方形になってるよ」

「うわ、本当だ。そりゃ無理だよ」


 シェリルの指摘にグロリアも同調する。エリカは自分の目が信じられなかったが、確かに書き写し間違いがあった。

 ショックを受けるエリカに、ナタリアが自分のノートをそっと渡した。


「こっちでやってみたら?」

「うん……」


 借りたノートを見ながらエリカは魔法陣を刻み込んでいく。程なくしてできあがった土のコップをクーパーに提出する。

 エリカのコップは落としても傷一つ付いていなかった。


「お見事。よく頑張った」


 だが、席に戻ったエリカはぐてっと机に突っ伏した。


「まさか書き間違いだなんて……。私のここまでの労力を返せ……」

「お疲れ様」

「もう魔法陣なんて見たくない……」


 すっかりテンションの下がったエリカを三人は授業が終わるまでなぐさめていた。


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