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七 経済都市への布石

 すっかり日は落ちている。

 冷たい風が吹きすさび、人々は家の中に閉じこもっている。


 そんな冬の景色の中で、鼻歌交じりに暖炉に薪をくべながらアンソニー・ファリントッシュはこれからの未来に思い巡らせていた。


 長年ベルニッシュの林業を独占してきたこともあって、彼の人脈は他領にまで及んでいる。特に商業組合を牽引していく中で知り合った裏社会とのパイプは太く、これまでも多くの問題解決を彼らに任せることも多かった。

 そしてそれは今回も同じであった。


 ファリントッシュは自分で描いた企みに笑みを隠せない。彼らに頼んだのはダグラス・ストーナーの殺害だった。しかしその報酬には金銭以外のものも付随している。

 ストーナーを殺害する際に居合わせた貴族の女性とその従者の身体を好きにして良いという条件だった。


 一緒に殺してしまう方が確かに手っ取り早いが、精神的に追い詰める方が中長期的にはプラスに働く。貴族はスキャンダルを徹底的に避けるからだ。

 命を奪えばマンロー男爵の時のように大がかりな捜査の手が入る。だが、表にはできない目に遭わせられれば彼女達は固く口を噤むだろう。そしてそれを仕向けたのが誰なのかを耳元で囁くだけで自分の傀儡にすることができる。


 そうすればかつてのように商業組合を復活させることもできるだろう。そしてその時にはストーナーもいない。全てが自分の思い通りになると思うと笑いが止まらなくなる。


 どうせなら口止め料を強請り取るのも悪くないとほくそ笑みながらファリントッシュは酒の入ったボトルに手を伸ばした。

 その時、にわかに部屋の外が騒がしくなり、誰かがノックもせずに部屋へ飛び込んでくる。


「無礼な!」


 突如奪われた楽しみの時間にすっかり腹を立てたファリントッシュは相手が誰なのかを確認しないままボトルを投げつける。

 それは相手には当たらず壁にぶつかったが、その拍子にボトルが割れて中身が周りに飛び散る。


「申し訳ございません!ですが領主様がこちらへ!」


 飛び込んできたのは番頭だった。上等な服が酒にまみれてひどいことになっているが、それを気に留めた様子もなくファリントッシュへ必死に呼び掛ける。


「何だと!?」


 どういうことかと思わず立ち上がるが、すぐに深呼吸すると冷静さを取り戻す。この切り替えの早さが彼をビジネスの面で飛躍させてきたのは紛れもない事実だった。


「本当にエリカ様なのか?この時間では満足に相手の顔も確認できんだろう」

「確かに領主様です。ストーナー商会を見張らせていた者達が確認しております。領主様は代官様と共に馬を走らせ、こちらへ向かっているとのことです!」

「ほう。ならば問題ないだろう」

「は?」

「手勢を率いていないのであれば恐れる必要もあるまい。それに様子も気になるからな」


 ファリントッシュは既に余裕を取り戻している。最悪の事態は雇った襲撃者達が自白することだが、それでもその内容が自分に届くことはない。依頼には全て仲介者を立てているし、その仲介者に依頼を持ちかけたのも目の前の番頭の子飼いの部下の一人だ。

 捜査の手が及び始めたのが分かればその部下を口封じすれば良い。疑惑は残るだろうが、確定ではない。ファリントッシュにはそれだけで充分だった。


「念の為にあいつらを呼んでおけ。いざとなったら俺達の手であの世間知らずのお嬢様に世の中の厳しさを叩きこんでやるだけだ」

「はい。そのように致します」


 番頭も落ち着きを取り戻したが、その顔には醜悪な笑みが浮かんでいる。自分の穢れた欲望に忠実な面があるからこそ、ファリントッシュの右腕にまでなれたことを思うと、ファリントッシュ商会の業は深いと言わざるを得ない。


 程なくして馬が駆ける音が聞こえてきたと報告が入ったので、ファリントッシュは準備万端、意気揚々と階下へ降りて、いつもの外面の良い笑みを顔に張り付けて来客を待ち構えた。


「ファリントッシュ殿!ファリントッシュ殿はおられるか!」


 閉ざされた出入口の向こうから若い女性の声が聞こえてくる。それはあの鼻にかかったすまし顔の貴族のものではなく、そんな彼女に忠犬よろしく尻尾を振っている成り上がり者のものであると分かり、ファリントッシュは内心がっかりする。だが、すぐに気を取り直すとさも慌てて出てきた様子を取り繕いながら外に向かった。

 そこには騎乗したまま、仁王のような顔立ちで商会を見下ろすキャサリンの姿があった。彼女の近くにエリカがいる様子は見受けられない。恐らくどこかで別れたのだろう。


「これはこれは代官様。このような時間までお仕事とは大変でございますな」

「無事であったか!」


 だがキャサリンが口にした言葉にファリントッシュは耳を疑う。どうして自分の安全を確かめているのだろうか。その答えはすぐに彼女が教えてくれた。


「大変なことになった。ダグラス・ストーナー商会長が何者かの襲撃を受けて瀕死の状態だ」

「何と!?しかしどうしてこちらへ?」

「ストーナー殿が意識を失う直前にそなたの名前を口にしたのでな、次の狙いはここかと思い、急ぎ馬を飛ばしてきたのだ」


 この女は救いようのない馬鹿だとファリントッシュは心の中で嘲った。ストーナーは誰が手を引いているのかすぐに見抜いたのだ。それを伝えようとしたというのにこの女は真逆の方向へ考えを巡らせている。

 勿論、罠の可能性も捨てきれないが、それにしては不用心すぎる。ざっと辺りを見回した限りどこかに兵が潜んでいる様子はない。仮にそうだったとしても付近の住まいには自分の息がかかった者しか住んでいないので、彼らの監視の目を潜り抜けて何かを企むことは不可能に近い。

 言ってしまえばキャサリンは袋のネズミという状態にあるが、そのことを知らないにせよ自白を引き出すような罠を仕掛けるには不用意だと言わざるを得ない。


 だからと言ってここで手を出すわけにはいかない。キャサリンが独断でこの場に現れるわけがないからだ。彼女の身に何かが起きれば、それを口実にエリカなり代官補佐のニコルなりが兵を挙げて押し寄せる可能性は充分に考えられた。


 ファリントッシュは驚愕の表情を作りつつ、キャサリンに言葉をかける。


「それは……。ご案じくださり感謝申し上げます」

「世辞などいらん。くれぐれも充分に警戒されよ。必要とあらば護衛の兵も付けさせるのでその際は遠慮せず申し出ると良い」

「もったいないお言葉、感謝申し上げます」

「うむ。夜分に失礼した。では!」


 そう言うとキャサリンは馬を走らせる。その姿が見えなくなってからファリントッシュは商会の中に戻る。


「聞いたか?あの間抜けっぷりには呆れるばかりだ」


 ファリントッシュはひとしきり笑うと、店の奥で待機していた用心棒達にも声を掛ける。


「お前達も休んでいろ」


 ファリントッシュは自分の部屋に戻ると、また暖炉の前の椅子に腰掛ける。そして、これなら策を弄さずとも自分の思い通りにエリカ達を動かすこともできるかもしれないと笑みを漏らす。


 だがすぐに表情を改めるとキャサリンの言葉を反芻する。彼女は確かに「ストーナー殿が意識を失う直前」と口にしたが、それは彼がまだ生きていることを意味している。

 だが、万全の状態と言うわけでもない。いつ意識が戻るかは分からないが、キャサリンの慌てふためきようを見る限り、予断を許さないのだろう。


 ファリントッシュは番頭を呼びつける。すぐに姿を見せた番頭に彼は手短に命じた。


「ストーナーは生きている。確実に息の根を止めろ」

「はい。そのように致します」


 一礼して出ていく番頭には目もくれず、ファリントッシュは暖炉の火をぼんやりと見つめた。

 若干の狂いはあったが、計画は順調に進んでいる。かつての古き良き時代を取り戻すのにもそう時間はかからないだろう。


 すっかり上機嫌になったファリントッシュはボトルに手を伸ばそうとする。だが、つい先程自分の手で割ってしまったことを思い出した。


「酒を持ってきてくれ!」


 ファリントッシュは扉を開けると階下に叫ぶ。だが、いつもならすぐに聞こえるはずの返事がなかった。


「全く、何をやっているんだ!」


 苛立ちを隠そうともせずにファリントッシュは階下へと向かう。その荒々しい足音に誰か気付いても良いはずなのに、依然として誰も姿を見せなかった。


 その時になって初めて、商会の中が不気味なほど静まり返っていることにファリントッシュは気付く。人の気配が一切感じられないのだ。

 ファリントッシュは近くにあった置物を手に取ると油断なく構える。そんなもので何とかなるとは思わないが、何もないよりはましだった。


 なるべく物音を立てないようにしてファリントッシュは商会の中を歩き回る。番頭を初めとした従業員や用心棒達はすぐに見つかったが、彼らは全員気を失っていた。

 その光景にファリントッシュは恐怖を覚える。すぐに自分の部屋へ戻ろうとしたその時、首元に冷たいものが突きつけられる感触を覚えた。


「ひっ!」

「そんなに驚かなくても良いでしょうに」


 その声にファリントッシュは驚きを隠せない。


「エリカ様?」

「そうですよ。あなたからのご挨拶を受けてお返事に参りました」

「何のことで」


 その瞬間、首元への圧迫感が強まる。


「余りふざけたことは言わないように。この短剣はあなたの襲撃者達から奪い取ったものでね。この意味が分かるよね?」

「……」


 ファリントッシュは答えない。だが彼の思考は目まぐるしく回転していく。


 どうやってここに立ち入り、自分以外の相手を失神させたかは知らないが、そこまでのことができるのに自分をこうして生かしているということは口で言う程害意がないのだろう。

 では、エリカの目的は何だろうか。自白を引き出す為にしてはリスクが大きい。となると強請りだろう。そう思い至ったファリントッシュはエリカの次の言葉を待った。


「あなたの所業は全部バレてる。ストーナーさんを殺そうとしたことも、私達に何をしようとしたかも」

「そこまで言うなら証拠をお持ちか?」

「襲撃者達が口を割ったわ」

「そんなものが証拠になると本当にお思いで?」

「私にはそれで充分よ。

 良い?あなたは決して越えてはならない一線を越えたの。あなたが表面上だけでも真っ当だったならこちらも悪いようにはしなかったんだけど、それも過ぎた話ね」


 エリカが言い終わらないうちに、首元に微かな痛みが走った。激情の余り刃先が食い込んだのだろう。

 実際、それに気付いたのかエリカが自分から離れたのが分かった。ファリントッシュはすぐに身を翻すと、彼女に置物を叩きつけようとする。


 しかし奇妙なことにエリカはかなり後ろの方まで下がっていた。手を伸ばしても届かない距離にいることから、最初から後退する心つもりだったのだろう。

 もう一つ奇妙なのは、足元に力が入らないことだった。段々と倦怠感が体中に広がり、武器代わりの置物を持っていられなくなる。


 たまらず膝をついたファリントッシュにエリカは声をかける。


「知ってると思うけど、その短剣には毒が塗られているの。そのせいでストーナーさんは生死の境を彷徨ったわ。斬りつけられた箇所が腕だったことと、処置が早かったことから何とか峠を越したけどね」


 その時にはファリントッシュの意識は朦朧としている。何かを考えることすら難しくなっていく中でエリカの声に込められた冷たさだけが感覚を刺激する。


「あなたは商人達を襲った襲撃者の手にかかって命を落とす。さっきキャサリンが来たでしょう?用心しなさいって」


 そう言えばそんなことを言われたような気がする。だが、それすらも今はどうでも良かった。

 じんわりと広がる後悔の念と短く小さな痛みの中でファリントッシュは自身の意識を手放した。


 その後、エリカは再び不可視の呪文を使って姿をくらませると、ファリントッシュ商会の家探しを始めた。そして目当てのものを見つけるとそれらを全て回収する。


 翌日になって目を覚ました従業員達が、商会中が荒らされた姿を見て呆然とし、騒ぎ立て始めた時には、領主館の執務室でキャサリンやニコルと共にファリントッシュの悪事の数々を示す証拠に目を通しながら紅茶を楽しんでいた。


 当の本人であるファリントッシュは自分が死んだはずなのにまた目を覚ましていることに驚きを隠せない様子だったが、すぐに目の前に広がる惨状に気付いて顔を青ざめさせていく。

 そんな中、巡回の一環と称してエリカが何食わぬ顔で姿を見せたことで、彼は自身に何が起きたのかを瞬時に理解し、新しい領主を敵に回すことが何を意味するのかを今更ながらに痛感した。


 エリカとファリントッシュの短くも穏やかな会談が行われた後で、彼がこれまで関与してきた犯罪行為の数々が明らかになることはなかった。

 しかし、今まで否定的な姿勢を貫いていた旧商業組合の重鎮の一人が、その態度を軟化させていったことは小さな港湾都市であるベルニッシュの中で瞬く間に噂となっていった。

 それをエリカの統治力によるものだと称える者もいれば、何かが起きたのではないかと勘繰る者もいたが、ファリントッシュは口を堅く閉ざし続けるだけだった。

 だが、一つ確かなこととして商人達は教訓を胸に刻む。


 新領主の定めたルールに従っておけば何も問題ない。

 他家よりも税は安いし、自分の頑張りで財を築き上げやすい。それが果たされるならば後は何でも良かった。


 この単純明快な帰結をエリカは暗に示すことで、ベルニッシュが経済都市へと成長する布石を打ったのであった。


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