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八 戦後処理

「エリカ様!」


 ジャクソン達の護衛を受けて防衛線まで戻ったエリカに一人の女性が駆け寄る。その姿を見てエリカも駆け出した。


「キャサリン!無事だったのね!良かった。本当に良かった……」


 キャサリンは複数の矢傷を受けたらしく、装備や服のところどころに空いた穴が痛々しく映る。特に火矢によって負った火傷の痕は一生残るだろう。


 エリカは人目もはばからず涙をはらはらとこぼす。そんな彼女をキャサリンはそっと抱き締め、その背中を優しく撫で続けた。

 貴族が冒険者上がりの女性にあやされるその奇妙な光景を揶揄する者は誰一人としていなかった。防衛線を守っていただけの者達も先程の落雷の轟音と帝国軍への宣告を耳にしている。それが誰によってもたらされたものか分からない者などいなかった。


 しばらくするとエリカはうずめていた顔を起こし、キャサリンに尋ねる。涙は未だに頬を伝っているが、その表情は既に当主の顔つきに戻っている。


「皆さんはどこに?無事ですか?」

「ええ。皆、休んでおります」

「すぐに案内してください」

「待たれよ、スタンフォード卿。気持ちは分かるが、まずは伯爵閣下に報告をせねば……」


 エリカを制止しようとするジャクソンだったが、エリカの一睨みに言葉の続きを失う。


「ジャクソン卿からお願い致します。わたくしから何かを別段申し上げることはございません」

「そう言うな。此度の活躍が誰のものか分からない私ではない」


 そう言うや否やエリカは領民達の元へと急ごうとするが、他ならぬウィンストン伯爵その人が現れたので仕方なく彼女は歩みを止めた。


「久しいな、エリカ嬢。いや、今は当主の座に就かれたのであったな」

「これは伯爵閣下。ご無事で何よりでございます」

「今更おべっかを使うこともあるまい。敵方への話は聞こえておったわ」


 ウィンストンはフンと鼻息を鳴らす。ミノタウロスという種族の為にその顔色を窺い知ることは難しいが、彼がどのような感情を抱いていたとしても今のエリカは一歩も引くつもりはなかった。


「気分を害されたなら謝罪しますわ。ですが、勇猛果敢な伯爵閣下のお気持ちを汲み取ろうとしたことはご理解頂けますよう切に願い申し上げます」

「話の前からそう突っかかるな。別にそちらを責めるつもりなどないわ」


 不機嫌そうに言うウィンストンだったが、すぐに姿勢を改める。


「スタンフォード卿。此度の件、感謝申し上げる。それと共に前回の発言は撤回する」


 どうせ謝るなら父にして欲しいという言葉が喉元まで出かかったが、それを何とか呑み込む。

 貴族社会において、そもそも格上の者が謝罪に近い文言を用いること自体が異例である。それに今のスタンフォード家の当主はエリカなので、謝罪先が彼女になるのも無理からぬことではあった。

 若干の歯がゆさを覚えつつ、エリカは何とか大人の対応を心掛ける。


「伯爵閣下のお言葉、確かに受け取りました。これで先日の件が完結したことを願います」

「無論だ。今後、貴家のことを悪しざまに言う者がいれば当家が代わりに相手すると誓おう」

「感謝申し上げます」


 軍務系貴族の中でトップクラスに影響力を持つウィンストンが先日の批判を撤回したことでスタンフォード家の名誉は完全に回復したようなものだった。ここまで来るのに長かったと思うと全身から力が抜けそうになる。

 だが、それを精神力で抑えつつエリカは報告に移る。


「さて、伯爵閣下にご報告することがございます。

 帝国の将軍の一人であるローランド・ピアースとその腹心の部下とおぼしき者を捕らえました。二人はジャクソン卿率いる軍勢が監視しております」

「ああ。先程顔を確認してきた。もう一人はダニエル・アトキンスと言う参謀で、ピアースの腹心だ。あやつらにはエイモス共々何度となく苦渋を飲まされてきたが、それも今回限りだ。よくやった」

「ありがとうございます」

「そもそも偵察に出たと聞いているが、他に何か情報はあるか?」

「死霊術が使われた形跡があることと、キメラが数頭いたことです。前者については既に火魔術で対処しました」

「ああ。彼は諸君との合流に向けて送り出した伝令だったのだ。戻ってこなかったので覚悟はしていたが……」

「最後まで忠を尽くそうという思いだったからこそ、ここまで辿り着いたのでしょう。素晴らしい兵士です」

「痛み入る」


 しばし沈黙が続くが、努めて事務的な口調でエリカは報告を再開する。


「キメラですが確認した個体は全て無力化しております。ただ、他にも個体が潜んでいるかは不明です」

「そうか。ご苦労であった。しばし休まれると良い」

「ありがとうございます。お言葉に甘えさせて頂きます」


 エリカは一礼するとキャサリンを伴ってその場を去る。

 彼女達の後ろ姿を見ながらウィンストンは大きなため息をついた。その様子を見ていたジャクソンが尋ねる。


「どうされたのです?」

「全く、とんでもない相手を敵に回すところだった。ジャクソン卿もあの若者には気を付けられることを強く勧める」

「スタンフォード卿ですか?魔術や錬金術には長けているようですが、それ以外は血気盛んな若者の域を出ないように思えますが……」

「そう見えるか」


 ウィンストンはエリカの言葉を思い出していた。ピアースの虚言にも動じることなく彼女は自分の意思を貫いた。それだけでなく、怒りに支配されているように見えて過去の遺恨を露わにし、それへの決意表明をした。

 もし、自分が捕虜になっていても彼女は同じことをしただろうという確信がウィンストンにはあった。


 そんな彼女が本当の意味で怒りに身を任せるがまま何かをすればどうなることか。

 ウィンストンは数十年ぶりにうすら寒いものを覚えていた。


 だが、伯爵の密かな恐怖心は更に増えることとなる。

 二日後、ハーディが援軍を率いて戻ってきた際にエリカ自身が自領への撤退を希望してきたが故にだった。


「正気か、スタンフォード卿!?これから伯爵領を奪還する為に皆が力を合わせねばならんというのに、一人だけ戦線を離脱したいだと?」

「落ち着かれよ、ジャクソン卿。彼女の言い分も聞こうではないか」


 ジャクソンよりは政治の嗅覚が鋭いハーディが諫める。今回の件で目立った軍功を立てられていない彼は、敵将を捕らえる働きをしたエリカが戦線離脱したいと告げたことに内心喜んでいる。


「ありがとうございます、ハーディ卿。

 わたくし達はそもそも輜重隊として参戦していますが、敵との予想だにしない戦闘によって最も摩耗しております。加えて、死霊術が行使されると予想される戦場では皆様の足を引っ張ってしまう可能性が高いというのが正直なところです」

「なるほど、確かにそうだろう。だが、それだけではあなたが臆病風に吹かれたという風聞が立ってしまうかもしれんぞ?」


 早くもそう言いたそうな表情を浮かべながらジャクソンがエリカを見やるが、それ以上に蔑んだ視線をエリカはぶつけ返す。


「言いたい者には言わせておけば良いだけですわ。ただ、もしそこまで仰る方がいるのであれば、このままわたくしが先鋒を務めて伯爵領に居座る不届き者共を一掃し、皆様の露払いをするだけのことです」


 挑戦的なその言葉にジャクソンはムスッとした表情を浮かべたが、それを本当にやってのけそうな可能性を感じさせることが腹立たしかった。


「スタンフォード卿の働きは私も耳にした。誰もそのようなことは言うまいよ」


 余計なことを言うなと鋭い視線をジャクソンに送りつつ、ハーディがなだめにかかる。手柄を立てる為にはライバルは一人でも少ない方が良い。


「その通りだ。先日も伝えたようにそのようなことを申す者がいれば我らが盾となろう」


 彼女の意図に気付いているウィンストンはエリカに頷く。手柄を立てようとするのが貴族の性なのにそれを放棄する彼女の腹のうちが読めないのが不気味だったし、彼女個人としての戦力が欲しいところではあったが、正直なところ扱いづらくもある。


「申し出、承知した。離脱を許可する」

「感謝申し上げます。皆様のご武運を祈っておりますわ」


 エリカは一礼すると、輜重隊に全ての物資を残していくことを命じ、そのままベルニッシュへと引き返していった。


「本当に申し訳ございません」


 帰りの道中、エリカ以外の面々は皆沈んだ表情をしていた。自分達が傷付いてしまったことでこの若き当主の戦意を挫いてしまったのではないかと後悔している。

 そう思ってしまうのも無理からぬことではあった。あれ程凄まじい魔術があれば勝利は約束されたようなものである。それをみすみす放棄してしまう理由は他に考えられなかった。


 だが、彼らの思いと共にエリカは一人晴れやかな表情を浮かべている。


「あなた達が気に病むことはありません。誰一人として欠けることなく戻ってこられた。これに勝るものはないのですから」


 それはエリカの本心であったが、それでもキャサリン初め領民達は自分を責めてしまう。その気持ちも分かるエリカは真剣な表情でゆっくりと語りかける。


「良いですか、皆さん。あの時、あなた達が駆けつけてくれなかったらわたくしはこの場にいなかったでしょう。

 その為に不必要な危険な目にも合わせてしまいました。謝らなければならないのはこちらの方ですわ」


 その言葉に領民達は感激したが、キャサリンは一人浮かない表情のままであった。それを見て取ったエリカは休憩の際に、彼女を呼び寄せた。


「気に病まないでよ」

「分かってるんだけどね……」


 陰が残る表情のキャサリンにエリカはわざと悪い笑みを浮かべて言う。


「あなた達のことがなくても撤退はしてたからね?」

「え?それってどういう……」

「あのまま残ってたら他の貴族からもやっかみを買うことになったでしょうしね。せっかくウィンストン伯爵がこっちの味方になったんだから、それで充分。それ以上を求めるとこっちまで危うくなる」

「ええ……」


 だが、軍人としての気質が大きいキャサリンはそんな理由で戦線を離脱したと思うと複雑な気分になる。

 しかしエリカは笑みを閉ざすとつぶやくように言う。


「今回の戦いは北部貴族の問題。上手くいくならそれで良し。そうじゃなかったらそこで初めて私達が出ていけば良いの。

 大体、散々人の家のことを悪しざまに言っておいて助けて欲しい時だけ縋るなんて都合が良過ぎるでしょう?」

「まあ、そうだけど……」

「それにね、敵の将軍と参謀を捕らえているのよ?ずっと最前線で戦ってきた敵の伯爵も既にいないこの状況で勝てないわけがない。そうなると後は醜い手柄の取り合いだけ。そんなのに皆を付き合わせるわけにはいかないよ」

「でも万が一のことがあったら……」

「それなら尚更撤退しておいて良かったよ。こんな戦力差でも負けるような戦いのせいであなた達を失いたくないから」


 全く貴族らしからぬエリカの言葉にキャサリンは心の中で深くため息をつく他なかった。それと同時に彼女が今もこの世界に染まり切っていないことに少しの安堵を覚える。

 いつからだろうか。転生前の自分の感覚が薄まっていったのは。

 そんなことを思いながらもキャサリンは主君にして親友でもある彼女の横顔を眺めている。


 エリカの言葉通り、ウィンストン伯爵は自領の奪還に成功した。加えて敵の将軍と参謀を捕らえた事実は瞬く間に王国中に知れ渡り、今なお戦場に立つ者達の士気を大きく向上させた。

 これを機に再度帝国への侵攻を打って出たいところではあったものの、その要となる飛行船団の大半が破壊された影響は大きく残っており、また伯爵領の被害も甚大でとても戦争を継続できる状態ではなかった。


 旧ガーネット王国領北部の反乱勢力は依然としてしぶとさを見せつけていたが、リーヴェン帝国からの援軍は余り期待できないようで、彼らが戦線を押し上げることはなかった。

 その一方で、旧ガーネット王国領の各地で頻発する一揆の対処に追われる東部貴族達も有効な手を打つことができないでいる。


 短期的な視点では王国側に軍配が上がる帝国との戦いも、長期的な視点では膠着状態に陥っていると言える不安定な情勢が始まりを告げていた。


 春がそこまで近付いて来ている。


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