二 新進気鋭の若手当主
正式にスタンフォード家の当主となったエリカは、平日は学院に、休日はベルニッシュに足を運ぶ生活を始めた。
と言っても基本は代官がその地を見ておかねばならないので、エリカはその役目をキャサリンに任せることにした。
この決定に当の本人は猛抗議したが、真の意味でエリカの計画を理解できる人物が代官である必要があると懇願されたことで渋々了承した。
また、エリカはシーダーラインにいるニコルをキャサリンの補佐に就けることにした。
一定の実力を持ちながら自分に対して自信を持ち切れていないところがあるので、それならいっそのこと外の世界で揉まれてみるのが手っ取り早いと本人には伝えてあるが、保護者であるレナードには彼女の知識をベルニッシュに注いでもらう為に補佐の任を命じたことを報告している。
今、ベルニッシュには船がない。マンロー家が唯一所有していた『リヴァイアサン』はガーフィールド伯爵の謀略に巻き込まれて海の藻屑と化した。
だからこそエリカはベルニッシュにも船を用意したいと考えている。新たに造船する為にも自身と関わりのある技術者を手元に置いておきたいというのが正直な気持ちだった。
代官とその補佐を決めた後は、彼女達と共にエリカはベルニッシュの領民達の下に足を運ぶことを繰り返した。
ベルニッシュを初めとする旧マンロー男爵領では、彼の悲劇的な死とお家断絶という事実に未だ打ちのめされている。そんな領民達に少しでも寄り添うことこそ、領主として何よりもまずしなければならないことだった。
その甲斐もあって、一ヶ月半が過ぎる頃にはエリカが新たな領主であるとベルニッシュの領民達も受け入れるようになっていた。
そしてその頃にはキャサリンとニコルも新天地での生活になじみ始めている。かつてマンロー男爵が使用していた領主館の執務室で二人は今日も書類仕事を片付けていた。
「ああ。決め事が多過ぎる……」
キャサリンは羽ペンを投げ出すと谷よりも深いため息をついた。
「お茶を用意しましょうか?」
「ありがとう、ニコル。でも、もう少し先にしましょう」
ニコルの申し出に心惹かれるものがあったが、今お茶を飲むと仕事を続ける気力がなくなる。キャサリンは鋼の意思でグッと我慢した。
そんな彼女の様子を見て取ったニコルはキャサリンに尋ねる。
「何についてお悩みですか?」
「新領主同士の顔合わせ」
「ああ……」
その一言にニコルも気を重くする。
旧マンロー男爵領はスタンフォード家を含めた四人の貴族に割譲された。自分の領土を地続きに拡大した者もいれば、エリカのように飛び地で得た者もいる。だが、彼らに共通するのは自家のルールと他家のルールとのすり合わせの困難さだった。
貴族は高度な自治権が認められているが、それだけにそれぞれのやり方がある。併合した地に自家のルールを持ち込むのは容易いが、そうなれば領民達の心は離れていく。
それだけでなく、今回のように新たな「ご近所さん」が生まれた場合はいらぬトラブルを避ける為にそれぞれのルールをすり合わせしておく必要がある。
こういったやり取りは自然と利権の争奪戦に繋がってくるのが貴族社会の面倒なところでもあった。そしてエリカはそれを嫌い、新領主同士の顔合わせの機会を今までのらりくらりと躱している。
だが、それもそろそろ限界だった。
「来週の土曜日にマカリスター子爵がエリカ様を訪ねてくるとさっき手紙が届いたの」
「何とも急な話ですね」
「しかも他の二人と一緒に。何が何でも話し合うつもりよ」
「そんな!エリカ様はどうするおつもりかしら……」
マカリスター子爵は冒険者ギルドの一件に関わった中で評価を得た数少ない貴族の一人で、その時の褒美として旧マンロー男爵領の西部を下賜されていた。
当時、エリカと同じ戦場にいたことで話のしやすい相手であると見なされているが、手紙の内容を見るに何としても話を進めたいという強い意志を持っているようだった。
ベルニッシュに到着したエリカは旅支度を解くのもそこそこに、マカリスター子爵からの手紙のことをキャサリンから報告される。
だが、いつものように辞退や拒否の言い訳を考えることもなく、エリカはすんなりと承知した。
そして一週間後の土曜日、手紙での予告通りマカリスター子爵が他の二人と一緒に訪ねてきた。
彼女達がいる応接室へ足を運ぶと、エリカはにこやかに挨拶する。
「お待たせしました、マカリスター卿にハーディ卿、そしてブライス卿。わざわざお越しくださりありがとうございます」
「急な訪問になり申し訳ない、スタンフォード卿。ただ、この上なく多忙なご様子を見るにこうした方が手っ取り早いと思った次第」
「それについては本当に申し訳なく思っております。まだ学院に通う身ですから、そちらにも打ち込まねばならないもので。身体が二つあればと幾度となく思っていますの」
マカリスターが冷たい視線をエリカに向ける。それをまあまあとなだめすかすようにエリカはいなす。
「それはそれは。では、ベルニッシュの統治もさぞ大変なことでしょうな。何でしたら当家がお手伝い致しますが?」
東部を下賜されたハーディ子爵が私欲を隠そうともせずにエリカに言い放つ。彼は別にスタンフォード家への流言飛語を真に受けていなかったが、まだ学生の身であるエリカが新しい地を統治できるはずがないとも思っていた。端的に言えば、エリカのことを舐めているのである。
なのでエリカは笑顔でジャブを返した。
「この地は国王陛下から下賜されましたのでそういう訳には参りません。お気持ちだけありがたく受け取らせて頂きますわ」
それはこの場にいる全員がそうなのだが、明言されると言い返しにくいことでもある。言葉に迷ったハーディは渋い顔をするばかりだった。
「さて、早速ですけれど本題に移りましょう。今日は皆さんにご提案がございますの」
「散々待たせておいて提案とは、中々に肝が据わっているな」
「余り目くじらを立てないでくださいな。マカリスター卿。これは皆さんの為にもなるのですから」
そう言うとエリカは傍らに控えていたニコルを呼び寄せ、テーブルの上に地図を用意させる。
「これは……旧マンロー領の全体図か?」
「そうですわ。今、この地は四分割されていますがそれを再び一つにします」
「む?」
きょとんとした三人をそのままに、エリカは地図に線を書き込んでいく。それは真っ直ぐとベルニッシュから北部のルコントを貫き、そのところどころで東西を垂直に結んでいく。
「これは?」
「新しい街道ですわ。これをわたくし達が協力して敷設していきます」
「はっ。既に街道があるのにどうしてわざわざ別のを作らねばならん?」
ハーディがあざけるように言う。エリカはいたずらっぽく微笑むとマカリスターを見つめた。
「マカリスター卿も同じ意見ですか?」
「いや。だが、街道の位置については別だ」
「ああ、それについてはご判断にお任せしますわ。この南北の街道に合流するようにして頂ければ」
「どういうことだ?」
マカリスターの反応にハーディが眉をしかめる。内心あざけり返しながらもエリカは地図を指し示す。
「今まで一本しかなかった街道が二本になれば人や物の行き来も増えます。そうなると商機と捉えた商人達も集まってきますわ。
それを見越した利権も生まれるでしょうが、それを一番に手にできるのは他ならぬこの新街道を敷設した側です」
「ふうむ……なるほど」
ハーディは感心したように頷く。だが、そこにきて初めてブライス男爵が声を上げた。
「閣下のご賢察には恐れ入りますが、お恥ずかしいことに当家には新たな街道を敷設する余裕がございません」
ブライスがつぶやくように言う。自分とそれ程年齢の変わらない彼の言葉から悔しさがにじみ出ているのをエリカは敏感に感じ取った。
ブライスは旧ガーネット王国に領地を食い荒らされた東部貴族の一人だが、その中でも彼は懸命に戦った。しかし善戦むなしく彼は最後まで反攻に転じることができないままだった。
ブライスの旧領はバクスター伯爵の領地に組み込まれ、彼自身はルコントへ転封となったという経緯がある。それ故に財政状況が心もとないという現状は痛いほど伝わってくる。
エリカはマカリスターとハーディを交互に見た。
「そこでお二方のお力をお借りしたいのです。わたくし達三人でブライス男爵を援助致しません?」
「それはさすがに厳しい。自分の領地に敷設するので精一杯だ」
マカリスターの言葉にハーディも頷く。そこでエリカは一歩踏み込んだ。
「それでは当家だけで男爵を援助致します」
「何と?」
「お気持ち大変ありがたいのですが、当家には閣下にお渡しできる見返りがございません……」
驚く二人を尻目にエリカはブライスだけを見つめる。その表情はどこか厳しい。
「ブライス男爵。勘違いされては困ります。この街道を設ける最大の理由は今なお帝国と戦う北部の方々に一刻も早く物資を届ける為なのです。
今ある街道だけでは時間がかかり過ぎる。どれだけ強い兵がいても、どれだけ優れた将がいても補給がなければいずれ負けてしまいます。
この街道は王国の勝利の為に何としてでも敷かねばならないのです。その点、ゆめゆめ誤解されないように願います」
雰囲気ががらりと変わったエリカの言葉にブライスは顔を青ざめさせるほかなかった。だが、それ以上に動揺を隠せないのはマカリスターとハーディである。
そこまでの理由があると知らなかったとはいえ、このままでは自分の利益だけを追求したように誤解されてしまう。領地が加増されるという追い風に吹かれているのに、わざわざ逆らって歩こうとする酔狂な者はいない。
「そこまでの慧眼、恐れ入った。そしてそこまで思い至らず恥ずかしい限りだ」
「自身も先の発言を取り消す。援助しよう」
二人が手のひらを返したのを見て取ったエリカはわざと頭を下げる。
「ありがとうございます。最初こそ出費はかさみますが、それ以上の見返りをもたらしてくれるのは確実です。
マンロー男爵の領地を受け継いだ者同士、これからも末永く手を取り合っていきましょう」
三人は恐縮するばかりだった。もう彼女のことを若造だと思う者はこの場にいない。それと同時に彼女を現時点で敵に回すのは得策ではないとも判断する。
領地経営が進んでいき、力関係が変動するようなことがあれば話も変わってくるが、少なくともそれは今ではなかった。
「では、当家は早速街道の敷設を始めて参ります。ブライス男爵はこのルートに沿って街道を敷設するという先触れを領民達に伝えておいてください。誰しも心づもりは必要ですから。それと街道敷設時の見積もり計算をお願い致します」
「はい!」
「マカリスター卿とハーディ卿は、ご自身が敷かれる街道の目測を立てておいてください。わたくしがここに書き入れたのはあくまで仮のものですから」
頷く二人を見てエリカは最後に特大の爆弾を投げつける。
「この一ヶ月で南北の街道は敷設させます。一日でも早く完成すればそれだけ帝国との戦いも楽になります。南部にいるわたくし達にもできることはあると帝国の逆賊共に思い知らせてやりましょう」
その言葉に三人は慌ててそれぞれの新たな領地へ戻っていく。今日から動いても間に合うかどうか分からない程に余裕のない話だった。
しかしエリカ自身は余裕ある笑みを浮かべていた。ベルニッシュの地を求めた時から彼女はこの計画を立てている。
「上手くいきそうですね」
キャサリンがエリカの下に顔を出す。対照的にニコルはあわあわとしていた。
「そんな!?一ヶ月ですよ?本当に上手くいくんでしょうか?」
「大丈夫ですわ。そもそもあの三人との顔合わせを引き延ばしていたのもこの計画の準備があったからですし」
エリカは優雅に微笑むとキャサリンに向き直る。
「商会の様子は如何です?」
「ブロードベント商会からは援助の返事が届いております。また、噂を聞きつけた別の商会や行商人達が様子を見に来ているようです」
「同業者組合の方はどうですか?」
「反発はありましたが、エリカ様から伺っていたように伝えると一転しました」
「良い兆候ですね。後は人手ですが、そちらの準備は進んでいますか?」
「今のところは順調ですが、一部の者達は祭りのようなものと捉えているらしく、そこだけが気がかりでございます」
「大丈夫ですよ。実際、祭りのようなものですから」
二人の会話を聞きながら、ニコルは彼女達がいつの間にそこまで準備を進めていたのかと驚くほかなかった。
そんなニコルにエリカが急に声をかける。
「あなたにも活躍してもらいますからそのつもりで。まずはキャサリンさんから大まかな説明を受けておいてくださいな」
「かしこまりました……」
若干の恐怖を覚えながらニコルは答えた。




